質問と答弁
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入室と同時に高まる喧騒のなかを、教壇の横に上がる。
意気揚々と黒板に『心太』とでかでか書いていく担任を見上げてから、視線を前に戻した。
まさに目の前は怪異累々といった感じだ。
流石にいる。やたらと蠢いている。彼等の背後が心なしか薄暗くも感じる。
大まかに描写しよう。
中空に浮かぶモノ。天地が逆さになっているモノ。形が定まっていないモノ。頭だけのモノ。九十九神と思わしきモノ。天井に、大きな目。
まさに坩堝。
だからかな、壺組。
字は違いますが。
窓辺に非常識な長さの手を見つけて、その先を辿っていくと肩車をしている怪異がいた。目が合う。
「おーぃ、翔摩よぉ。それは一体なんだ」
「転入生だー。さて、紹介するぞ。今日からこのクラスに入る心太だ」
一瞬の間が、確かに存在した。
そしてその間に各々の表情も、大まかに読み取れた。
なんだ、それ。
大半はそんな感じである。無理もない。
その心情は察するに余りある。
普通は心太が転入してくるなんて考えない。
残る少数はと言えば。
其々に違う反応を見せていた。
目を瞠るモノ。観察するような視線を向けるモノ。そして、全く無関心であるモノ。
そんなところである。
と、そこで目を瞠っていた一人が動く。
「はーい、質問!!」
「なんだ、河伯。言ってみろ」
坩堝のなかでは、比較的小柄な有角の少女が勢いよく手を伸べる。
「その子は何の怪異?」
うん。簡潔な問い掛けだ。
しかし、それに対して担任がした返答は斜め上を行く。
「心太が何かだと? …辞書を引いた方が早い。次!」
いや、どちらかと言えば実物を見た方が早いですよ。
思わず付け加えそうになる。
そんな自分に、やおら落ち込む。
ああ。徐々にこのペースに慣れつつある自分が怖い。
「そういう答えを期待してたわけじゃなくて…」
ひっそり呟く有角少女が哀れである。
「はい」
「おー、珍しいな。死神。何だ?」
死神がいた。
思わずまじまじと見れば、外見だけでは到底予想がつかない可愛らしさだ。
おお。小動物系。
その愛らしい桃色の唇が紡ぐ。
「どんな死因がいいですか?」
流石である。やはり死神だった。
見た目はどうあれ、外さない。感心した。
「…今のところは特に決めてないです」
正直なところを返答する。
暫く考えてみたが、特別浮かばなかったので。
結果として、彼女はその返答に満足したらしい。
可愛らしい双眸が輝いた。
勢い込むように、お誘いが掛かる。
「じゃあ、私と一緒に首を吊りましょう…!」
「いえ、遠慮しておきます」
間を挟まず、即答した。
首吊りは死後が悲惨だと聞くので。
それと、何故に一緒。良いのか、一緒で。
聞きたかった。けれども、返答に精神的ダメージを受けて俯く彼女にとても聞ける雰囲気は無かった。
断念した。
その後も質問は幾つか続いた。
「人の体で好きな部分はどこ?」
「今まで何人食べた?」
「生食派? それとも火で炙る派?」
其々にした回答は以下の通りである。
「特別好きな部分はありません」
「0人です」
「人以外なら、ミディアムレアで」
少女の回答に、クラスメイトたちの反応は二分した。
人食派は、途端に興味を失ったらしい。各々の世界に戻り始めた。
一方、それ以外の怪異たちからはそれなりに好感を得られたようである。
とりあえず無難な流れだ。
最悪の空気にならずに済んだだけ、これ以上望むものはない。
質問も一段落し、比較的穏やかな心境で纏めかけていた。
それを遮るように、教室の戸がガラリと横に引かれた。
現れた怪異は、教壇の横に立つ自分に目を瞬かせている。
臼緑色の少女。
彼女との再会は、それほど経たずして叶った。
ホームルームを終えて、まず直面した問題。
それは席のことだった。
果たして、本当に学園と呼んでいいのかを疑問に覚える程度に、改めて見渡すそこは混沌としている。
確かに席はある。
しかし、まともな形で着席している方が少数。
学級崩壊でもこうはならないだろう。
そもそも浮かんでいて、着くもなにもないモノに始まり。
席の下を這い回るモノ。
天井から吊り下がるモノ。
その他様々な事情により、着席率は低い。
まず、一見して人の形に近いものは凡そ十人に満たない。
その中で、さらに着席しているのは精々四人。
始めに質問してきた有角少女。
首吊りを推奨してきた死神少女。
朱盆を机に立て掛けて、気遣わしげにこちらを窺う少年。
机に突っ伏して夢の世界に旅立っているらしい少年。
羅列すると、凄いなこれは。
どうしたら良いだろう。
個人的には、三人目であげた少年がとても真っ当に見えて正直好感が持てる。
しかし、怪異。されど怪異。どれもが人でないことの意味。
外見だけでは気軽に判断もつかない。
つまり、安易に声も掛けられない。
さて。ここはやはり、担任に確認するのが無難だろうと振り返ったところで、…再認識した。
甘かった。これは自分が悪い。認識不足だ。
心地好さそうに、すうすうと。
クラス担任は、教卓に突っ伏していた。
駄目だ、これは。
早々に見放して、溜め息をついた。
と、そこで視線を感じて振り返る。
やはりというか、何と言えばよいのか。
そこにいたのは河童少女である。
なにか言いたげだ。それだけは物凄く伝わる。
しかし、改めて見ても可愛いな全体的に。
今までの河童像がガラガラと崩壊していく。けれども、良い意味でである。
「あの…、あなたは心太っていうの?」
「そうだね。心太。半透明だから、心太」
不可解そうな表情を隠せていない河童少女である。
無理もないよ。
今後、名乗る度にこういった表情を目の当たりにするのだと思えば、複雑な気持ちが半分。諦めが半分だ。
何事も慣れである。そして許容。
あの父が度々溢していたが、強ち間違いではない。
「あの、少し話しておきたいのだけれど……一緒に抜けて貰っていいかな」
話の途中に間が入ったのは、そこで彼女が担任を半眼で見下ろしていたからである。
彼女が溜め息を飲み込んだ様子に、こちらとしては全面的に賛同したい。
「構わないよ。この分なら、一時間分のゆとりはありそうだしね」
担任の起床予測である。
鼻提灯って、本当にできるものだったか…。
どうしようもない感想を抱いたまま、彼女に続いて教室を後にした。
その様子を見ていたのは。
興味深げに様子を窺っていた有角少女と。
気遣わしげに様子を見守っていた少年の二人だけだった。