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怪談の学校  作者: runa
6/48

衝突と挨拶

 

***




 頭上に注意。

 そんな看板があったなら良かったのだろうけれど。

 一つ一つに注意を促して間に合うほどに現実は優しくない。




 空から差す、一つの影。

 見上げた河童少女の頭部へ向けて落ちてきたのは、バケツだった。

 茫然と口を開いて膝を付いたままの河童少女を、何者かが押した。

 そのままの勢いで、尻餅をついて倒れ込んだ彼女の目の前。

 落ちてきたバケツが痛そうな音を立てて、それの頭をすっぽり被った。

 滴ったバケツ一杯分の水が、輪郭を露にする。


 全身をずぶ濡れにして、バケツを被ったまま立っていたのは少女の怪異だった。

 やや半透明な、ぼやけたような輪郭でもそれは十分に分かる。


 暫しあまりの状況に、固まった二人。

 そうして、恐る恐るといった風情で河童少女が尋ねた。


「……大丈夫ですか?」


 何だか、言葉にならない呟きがバケツから発せられた。そして徐にバケツの側面に手が延びて、ずるずるとバケツを上に持ち上げる。

 現れた少女の全身はずぶ濡れで、そして前髪が長い。

 何より先にそこに目がいった。

 表情はそのせいで殆ど分からないが、ようやく発した声はこの状況にも拘らず、柔らかで冷静なものだった。



「正直なところ、あんなに見事にはまるとは思わなかった。……怪我はないね?」


 思わず目を瞬かせ、そのまま声にならずに頷いた。

 この少女の怪異は、初めてみる顔だった。初対面だ。それにも関わらず、恨み言一つ漏らさない。

 現に今も自分を気にかけて尋ねてきた。

 ……なんて娘だろうか。驚きが先行して言葉にならない。

 河童少女はまだ茫然としていたのだ。


「彼女たちが戻ってこないとは限らない。……一先ず私は着替えてから行くから、君も早く人目のつくところへ戻った方がいい。では、これで」


 バケツを地面に下ろし、はたと動きを止めたかと思えば、やはりここでも冷静に状況を告げてくる。


 それもそうかと慌てて立ち上がった河童少女は、我に返って口を開こうとして……目を丸くした。


 いない。

 え、えー…。何て素早さ。


「……名前くらい置いていって欲しいな……」


 思わず溢した呟きも、もはや柳の風に吹き浚われてゆくだけだった。



 渡り廊下の端に戻った少女は、周囲を見回してやはり担任が戻っていないことに嘆息する。

 バケツを被った直後よりかは透明度を戻してきた彼女を、すれ違う怪異たちは気にも留めない。

 そもそも全身を濡らしていても、水辺の怪異だと思われればそれだけで済む。

 ある意味便利だな、と思って油断していた部分はある。

 丁度、横幅のある怪異が傍らをすれ違う際。

 思いがけず、突き飛ばされる形になった少女は同じく通りがかった怪異の一人を巻き込んで廊下の端に倒れ込んだ。


 その怪異が、学園においても一握りの存在にして、間違いなく平穏からかけ離れた怪異のひとりであることなどその時点で気付ける筈もない。


 少女は、運が悪いのだ。

 当人はあまり自覚していないが、現世において彼女の周りは皆一様に意見を一つにしていた。

 まさに、周知の事実。

 彼女が引き当てる面々は、大概曰く付きと呼ばれていた。

 まあ、それについては今掘り下げるゆとりはない。




「…っ、痛いな。……何?」


 少女の下敷きになっている怪異は、学園基準としては小柄な部類にあたるだろう。

 思わずまじまじと見てしまったのは、その彼の容姿が理由である。

 絶世の、の類いに間違いなく分けられるだろう。

 色素の薄い印象と白皙の肌。まるで装飾のような琥珀の双眸。

 まるで美少年だ。

 これ程顕著なのは初めて御目にかかる。

 珍しいモノに遭遇したな、と上から退くのを後回しにしていた自分も後から思えば大概酷い。


「……ごめんなさい。今退きます……っ、痛…?」


 観察も程ほどにして、退こうとした瞬間に感じた頭皮の痛み。

 理由はすぐにはっきりした。

 彼が制服の腕に付けている銀バッジに髪が絡まっていたのだ。

 

 このまま髪を引っ張るより、バッジを外して絡まった部分をほどいた方が早いだろうな…。


 少女は自然に指先を掛けていた。


「髪が絡まって……、ちょっと失礼します」

「………!?」


 ぱちん、とピンを外した刹那。

 何かふわりと頬を掠めた気がしたけれども、さほど気に止めずに髪を解くのを優先した。



 少女はこの間、気付かない。

 銀バッジが外れた瞬間に、驚愕のあまりに絶句した少年の表情も。

 そのまま固まっていた表情が、徐々に訝しげなものへ変化した過程も。

 この二人のやり取りに気付いた周囲の怪異が一様に青ざめ、ばらばらに散っていく様子も。

 げに恐ろしきは、少女の集中力だった。


 こうして、殆ど怪異通りの無くなった渡り廊下。

 何事もなく彼の腕に銀バッジをつけ直し、少女は改めて謝罪した。


「御迷惑お掛けしました。時間を取らせて申し訳ありません。では、失礼します」


 座り込んだままの少年に頭を下げた後、少女は立ち上がった。

 見通しの良くなった廊下を見渡して、視線の先に女子トイレを見つける。

 あ、あんなところにあった。

 安堵して、そのまま歩き出す。

 しかし、その背後から掛かる声が一つ。



「……待って。君、一体……?」


 振り返ると、琥珀の双眸を瞬かせながらどこかまだ混乱している様子の少年だった。

 恐らく、続く問い掛けは何か誰?といったところだろう。うん。

 本来なら答えるのも吝かではない。

 ただ、ここは学園内だった。どう返答したものかと困りかけて、はたと思い当たる。

 そうだ。その為に名を貰ったのではなかったか。



「えーと、ですね。私は、……心太です」


 告げた瞬間の彼の顔は見物だった。

 こうして改めて見ても、本当に彼は怪異には見えない。

 あの三人組は濡れていただけまだ特徴があったのだな…と。

 思い返してしみじみ頷く。


「………心太?」

「…はい。心太」


 訝しげというよりも、本当に訳が分からないという顔だった。

 何だかとてもやるせない。

 けれど、仕方ない。甘んじて受けよう。

 自分がこの学園にいる間は、心太であってそれ以外の何者でもないのだ。


 たとえ…端から聞いていたら、不可解な問答にも聞こえかねない代物でしかなくとも。

 良いよ、もう。

 慣れれば何とでもなるさ。

 あまり深く考えるからややこしくなるのだ、多分。

 割り切りました。

 割り切りました…?


「では、そういうことで」


 少年が問答の後に続く言葉が見つからない様子でいるのを、これ幸いと話を括った。


 自分でもどういうことなのかは分からないが、そういうことにしておきます。


 再び歩き出した背に声は掛からなかったので、これはこれで終ったのだと安堵していた。

 少なくともその時は、そう思っていられた。

 そんな自分が後になって不甲斐ない。

 青かったな、自分も。

 やれやれ。せめてサクサク進めることにします。





 さて。女子トイレで着替え終えた少女。

 ジャージ姿でトイレを出たところで、ようやくかの人物と再会した。

 もちろん、クラス担任である。

 あの、鼻唄を歌いながら行方知れずとなっていた寝癖がやたらと芸術的な人ですよ。

 思い出してもらえれば、何よりです。


 トイレを出たところで、ばったり会った。

 その時の第一声がこちらです。


「おおー、やっと見つけた。さて、気をとり直して行くか。心太」


 何と見上げた安穏さ。

 寧ろ和んできた。

 加えて、ジャージ姿にも言及しない。

 やはりこの学園で着替えなど大したことではないのだろう。割りと濡れてる怪異率も多い。

 きっとそういうことなのだと結論に至るも、少女のそれは勘違いである。

 しかし、それを訂正できる人物はここにいない。

 理事長か教頭あたりを連れてこない限りは無理な話だった。

 誤解は正されず、終わった…


 とにもかくにも、ようやく本題に戻る。

 クラス担任の背を追って、教室へ向けて歩き始めた。


 渡り廊下を過ぎて、やたらと染みの多い階段を上がり、廊下を進んだ。  艶々光沢のある板張りであっても、何かを連想させる染みの形のお陰でおどろおどろしい雰囲気に纏まっている。

 素材が良いだけに、心なし残念だった。

 しかし、これは果たして装飾の一部なのか。

 もしくは図らずしも後から加わったものなのか。

 第一期生でもないかぎりは、判断もつかない。

 その点においても残念だった。


 そんな毒にも薬にもならない考えを巡らせて歩いていた間に、見えてきた表札。


『中ノ壺』


 壺……。

 何故に壺になったのだろうか。

 まさかとは思いつつ、つい目が向かう先。



「…ここ、ですか?」

「おー、そうだ。壺組と覚えろよ」

「あの。因みに他に幾つクラスがあるんですか?」

「中等科は残り三つあるな。山、川、海だ」



 …疑惑が深まった。














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