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怪談の学校  作者: runa
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再会の挨拶

 



 理事長室は、広かった。

 まるで室内とは思えないその場所はさながら屋上庭園といったイメージに近い。


 日差しが燦々と降り注ぐ一面の硝子窓。室内に配置されている観葉植物は青々と繁っている。その茂みの合間、さながら小路のように開けた視界の先。

 その花園の主がいた。

 円錐形に光を集めて造られている空間の中央に、オーク材の艶やかなテーブル。その前に立ってこちらに向かって微笑む人物。

 神々しい。

 まるで、降臨といった風情で出迎える彼女こそ、この学園の長にして私の叔母である。


 まるで、女神。

 いや、実際のところそれに近い存在であるから逆にこれは真理です。

 彼女は妙多羅天。守護者の異名をもつ怪異である。


 スーツを隙無く着こなしているが、そこには僅かも窮屈そうな印象はない。長い金糸の髪は白皙の面を引き立てており、深緑の双眸は今は柔らかに細められていた。

 その華奢といって差し支えない両腕を広げて彼女は姪を抱き締める。

 親愛の籠った抱擁に、少女は目を瞬かせた。

 そんな少女の胸の内はといえば。

 うん。話に聞いていた通りのひとだ。


「日和の。両親は息災か?」

「はい。ふたりとも元気です」


 まずは差し障りのない挨拶を交わし、ふわりと親しみのある表情を浮かべた理事長こと叔母様と改めて対面した。


「暫く見ない内にずいぶん成長したものだ。…叔母さんは嬉しいよ」


 理事長からすれば、久方ぶりに姪の顔を見たという状況であろう。一方、此方からすれば初対面と変わらない心境である。

 冷たい?

 …いやいや、考えてみてください。

 何せ、叔母が私と最後に会ったのは今から遡ること13年前の春。

 物心どころかそれ以前の話になる。


 しかし、改めて考えると凄いことになってきた自分の周囲に思うところは様々ある。

 今後のことも含めての感想としては。

 …すごいな、自分のまわり。



「そうだよ。今頃気付いてどうするのさ」


 まさに、このタイミングで下からの声。

 観葉植物の間から、姿を現すのはこの部屋のもう一人。

 今になるまで気付かなかったことを謝罪した。


「挨拶が遅れて申し訳ありません、叔父様」


 少女の謝罪に、気にした素振りもなくにやりと笑うのは小鬼然とした人物だ。

 一見すれば少年と見紛いそうな姿に、肩までで切り揃えられた濡れ羽色の髪。その髪の合間から覗く角が明らかに彼が人外であることを証明している。

 彼は理事長の夫であるので、つまりは私の叔父に当たる。

 内心複雑だ。どう見ても自分より上には見えない。

 しかし、実際のところこの叔父は既に四百歳近い年長者も年長者。

 ご老体なのだ。

 聞き存じてはいるものの、話に聞くだけと実際に目にするのとでは受ける衝撃の度合いも段違いだ。


「気にしなくていいよ。無理もないから。俺達が君の顔を見に行ってからもそれなりに過ぎたし。…そうそう。何せ、君はまだ俺よりずっと小さかった」


 一般に挙げられる高齢者イメージに真っ向から逆らって生きているようなひとだな、という感想を抱く。


「まだまだ、若いのには負けられないよ」

 

 期待を裏切らない。コンマ数秒での切り返し。

 違和感の極致というものがあるならば、今がそれだ。この叔父は、ちょっと規定外だ。





「透明化のコントロールは順調か?」


 叔父とのやり取りにきりが無いことを悟ってか、理事長はタイミングを見計らって少女へ問いかける。

 その問いに、少女は一拍おいて首を振る。


「初めに考えていたより……かなり難しいです」


 透明化。それはこの学園における自分にとっての命綱。つまり、そのままの意味。肉体とそれに付随するものを透明に近づけるスキルのことだ。

 これは、言うまでもないことであるが普通にできることではない。

 あの日以来、父の言わずと知れた頼りない指導のもとで試行錯誤を積み重ねてきた。

 それも当然だ。何せ、此方は命懸けだ。


 ここは怪談学園なのである。

 人外の坩堝に、一般人が入っていくことは何を意味するか?

 火を見るより明らかだ。危ないだろう、単純に。

 人食を好む怪異の数は最盛期に比べてかなり減ってきているとは聞くが、いることはいる。

 自分の身も守れず、この学舎へ足を踏み入れることはそれ即ち死を意味する。

 だから、命懸けだ。

 純血の透明人間ではない自分が、文字通り血を吐くような努力の末にようやく得たもの。

『半透明化』である。

 僅か一週間の現状で、完全な透明化など果たせる筈もない。

 それ即ち現実だった。怪異であることで、凡て不思議属性でカバー仕切れるなら誰も苦労しない。

 それは両親もよく分かっていた。

 今思えば。

 母がいつになくごそごそを繰り返していたのも、偏に娘がこれから直面していくであろう苦労を見越していたからだと、分かっている。

 父への怒りだけではない。単味で無い分、それはもう普段の比ではない。一週間たった今も怒りを引きずっている母。

 …そう言えば、今日も浅漬けがややしょっぱい気がした。

 地味な弊害だ。

 そろそろ何とかしないと。

 父には同情しないが、此方に被害が及ぶなら仕方もない。やれやれ。


 声に出さずとも、今目の前にいる理事長と教頭こと叔母叔父たちはどこか痛ましいものを見る目で姪を見ている。

 同情はいりません。

 出来るなら、今後の学園におけるアドバイスを切実に求めています。


「透明化については……かなり難しいものだと聞いている。純血の透明人間とて、匙加減には常々気を配る必要があるらしいな。その点でハーフの君が工夫してそこまで透明度を高めていることには脱帽だ。なまなかなセンスではそこまでの半透明に至らなかっただろう」


「…ありがとうございます。でも、正直なところは私自身の努力というより…母の能があったお蔭ですね、これは」


 この、結果としての半透明。

 実際のところ、紛い物と呼ばれても反論できない代物である。

 父から次いできた部分が多いとは言っても、それが一朝一夕でどうこうできるような能でないと分かったときの脱力感。

 父へ冷めた眼差しを向けた程度、許して欲しい。

 他の面から補えた今が奇跡と言って過言でない。

 他の、といっても人には限られたものしかない。

 勘の良い方なら想像もつくだろう。

 そこは母の血筋だ。

 父寄りとは言っても、ほんの僅かでも受け継がれていた能を駆使した結果。

 今の自分は、擬態に近い形で透明度を高めている。

 詳しく話し始めると混乱を招くので、ここではキーワードに留めます。

 光の屈折と、色彩変化。それらを主に何とか体裁を整えているのが現状。



 取り敢えず、校内に入ってからは意識して透明度を高めていた。

 成果を認めてもらえたことで、今日はひとまず上々であるといえよう。

 少なくとも両親よりかは客観的な意見は今の自分にとっては参考になる。

 安堵もする。事実、命が掛かってますので。



 話も一段落したところで。

 最終的な書類の確認、記入と捺印を進める。それが一通り済むと、続いて入学前の注意事項を拝聴した。

 それらの多くは両親からも聞かされていた内容であったが、耳新しいこともある。


「幇縛…ですか?」

「そう。ほーばくだ。耳慣れないだろうが、これは割りと重要だから常に気に止めておくようにな」


 理事長は、今日会って初めて笑みを消した表情で告げる。いかに真面目な話かはそれだけでも十分伝わる。


「…この学園についての概要はもう言うまでもないと思うが、怪異のなかにもやはり別格と呼ばれるモノたちがいる。その大半が真性の大妖というべき面々だ。彼らは、その意思一つで喩え同じ怪異であっても害を及ぼすことが可能だ。従って、彼らには入学と同時に幇縛を身に付けることを確約させている。まあ、要するに制御具だ」


 制御具。つまりは、大きすぎる能を抑えておくための道具ということか。

 しかし、ここで最も重要なのはそれというよりかは。


「同じ怪異であっても、ですか……」


 何とも続かず、言い淀んだ自分に下からの声が掛かる。


「別格というよりか、あれらはそもそも神の位に近い存在であるから。怪異と一口に言っても紛れもない能の差があるからね。彼等の怒りをまともに受ければ、消滅もしくは呪いを刻まれる事もありうる。制御具は学園の存続のために必要だったんだよね」


 叔父は然り気無く、忍ばせた意味を受け取って頷く。

 つまり、表向きの意味とそれ以外。

 他の怪異を守るために必要な制御具であると同時に、それを身に付ける彼らたちも受け入れている。


 受け入れない選択肢を用意しなかった。


 学園の存続。その少ない言葉に込められている意味はあまりに大きい。

 死の概念に囚われない怪異という存在。

 けれども、イコール永遠かといえばそうではない。

 肉体的な死の概念の外にいるのは事実でも、消滅はあるからだ。

 それは、名を喪うこと。

 他から周知されなくなり、形骸化し、言葉にされなくなった怪異は現世にもオカルト界にも留まれない。

 それが怪異にとっての消滅であり、死。

 神も、妖怪も、その他諸々も等しく免れない。

 情報が飽和している現世では、顧みられなくなった順に消滅していった怪異も少なくないと聞く。

 人にも、同じ怪異にも認知されなくなった時点で消えてしまう。

 そんな曖昧な存在。

 だからこそ、この学園は学舎と同時に情報を交わす貴重な場所である。

 滅びないための、手段として。


 世知辛い世の中だ。妖怪も気楽ではいられない。


「そうだよ。しんどいね、色々と」


 例に漏れず、叔父の相槌が入る。

 それはいいのだけれど、正直なところはその外見で言ってほしくはなかった……

 自分がいけないのかな。でも、思考くらいは自由にしたい。

 私に限らず一般論として。

 心を読まないで下さい。貴方は覚ですか?


「覚かぁ……さとりは因みに幇縛の対象だよ。」


 ああ、便利だな。とうとう説明まで入りました。

 もうなにも言うまい。

 しかし、ここまで来るとむしろ不安だ。そんなに思考が顔に出ているのか、自分。


「大丈夫だ。他者からは到底読み取れない。私たちが特別なんだ。それに、君は私たちの愛する姪だから」


 そうですか……。

 とうとうフォローまで入りました。死角無いな…




 こうして恙無く、理事長と教頭先生との挨拶を終えた少女は帰路に着いた。

 帰り道の途中で、勇気を振り絞って飛び出してきた瓢箪君に遭遇する。

 今回は始めから涙目だった。

 同じ対象であっても再び挑戦する気概に感動し、目を見張ったまま頷いてみせる。

 しかし微妙な顔をされた。彼が求める反応ではないのだろう。

 首を傾げながら戻っていく彼を見送り、再び歩き出した少女の道行きを見守る影が二つ。



「……どう思う。あの子はやっていけるだろうか」


「へぇ。君がそんな顔をするのは珍しいね。それほど心配なら、転入を受理しなければ良かったんじゃないの?」


 守護者、の二つ名を持つ妙多羅天。

 理事長としての彼女でなく、姪を見守る叔母としての言葉に複雑な思いを覗かせている。

 そんな彼女は普段では見られない。

 彼女の心をここまで揺らせるのは、恐らく。


「…まあ、時雨の頼みなら君が断るはずもなかったね」


 時雨。その名を耳にして彼女の顔はあっさりと弛んだ。微笑ましい。


「君が妹に弱いのは、昔からだね」


 あの子の母親にして、日和の一族の末娘。怪異のなかでも僅かな異種婚姻を成し遂げた稀なる存在。


「…遅かれ早かれこの日が来るとは思っていたんだ。思っていたよりずっと早かったが。ふふ、時雨も初めは時期尚早だったと夫君を殺しかけたらしい。……でも、時期は今で良かったのかもな。正直な、あそこまで仕上げて来るとは思わなかった」


 彼女の独白に、ただ頷く。

 同意見だった。あの半透明には、自分も驚いた。


 赤子の彼女を見て以来の再会であった今日。

 理事長室に入室してきた彼女を見た二人は、内心驚きを隠せないでいた。



 まだ、齢十四。

 しかし少女は半透明化をオリジナルとはいえ、修得していたのだ。

 まだ、事実を知らされて一週間ばかりだというのに。



 透明人間というのは、実は正式な呼称にあたらないとされている。

 ここオカルト界においても、極稀なる怪異。純血で存命しているものは、彼らが知る限り今や一人。

 理由はおそらく、その能の危うさにある。


『色無の化生』

 化生とは、神が地上に現れた姿の総称と云われる。

 色無し、つまり無色。

 固有の色を持たない、例外中の例外。


 これは、根底を揺るがしかねない存在でもある。

 重要であるのは、倫理を保てる器の有無。

 適性がないものは、端から消滅していった。

 透明であることへの、傲慢。孤独。倫理の喪失。

 誰の目にも映らず、狭間で生きる怪異。

 断罪の瞬間まで自我を保っていられたものも過去に僅かだ。


 少女の父親はその点で特異な存在だ。

 彼は未だに自我を喪わないばかりか、家庭を築き上げた例外中の例外だ。

 果たしてその過程で見てきたものが、彼を支えるものであったのか。

 もしくは生来の気質であったのか。

 彼自身をおいて知るものはいないが、あらゆる善行にその能を使おうとする姿勢が彼を生き延びさせているものだろう。


 彼らは願っていた。彼の娘であり、彼らにとっての姪である少女にその器が受け継がれていることを。

 彼らの観察眼は並外れている。先程まで少女が若干退いていた位に優れた性能だ。

 今日この日を迎えることを、彼らは恐れてさえいた。

 それが、杞憂で終わったのだ。

 十数年ぶりに見えた彼女の双眸に、彼らは心から安堵していた。



「良い子に育ったな。…真っ直ぐで、芯の強い。とても優しい娘だ」


 彼女は一度も、父親を責める発言をしなかった。理不尽だと呆れてはいても、赦している。


「元が賢い子だから、あと数年で父親から継いだ能を使いこなせるようになるだろうね。だから、近いうちに話しておかないと…『あれ』は、遅かれ早かれ接触してくる」


 穏やかに細められていた眼差しが、緊張を孕むのも無理はない。

 今はまだ、気配を感じ取れない先の不安は幾重にも存在する。

 まだ、怪異としての認識が浅い少女の為に彼らは叔父叔母としても、学園側としても双方の面から力を貸していきたいと考えている。

 それは、少女の両親と話した十数年前の約束だ。


「あの両親にして、この娘あり。まさにそんな感じだったろ。あの様子なら、大抵のことではめげないし、折れない。信じても良いんじゃない…?」


 まだ憂いが僅かに残った目元を擦って微笑む彼に、彼女は軽く苦笑して頷いた。


「そうだな。信じて見守ろう。何せ、あの子は私たちの姪なのだから」




 二人がそうして言葉を交わしている背後で、徐々に騒がしさを増していく学園。

 黄昏時には、学園はその名の通りに変貌を遂げる。


 少女はそれをまだ知らない。











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