176 八戸政栄、現る
俺ーー不破武親は名久井城に来ていた。
根城陥落から3日後、七戸城陥落の知らせを受けた俺は部隊を率いて三戸城を目指し進軍再開。閉伊郡の南部側国衆の襲撃に備えて、根城には押さえの兵を置いた。
そして名久井城にて、七戸城攻略に当たっていたヴィクトリア率いる別働隊と合流した。
「七戸城、無事に攻め落としましたわよ」
「いやー、日本の城の構造はなかなか慣れないッスね。蝦夷地の館と違って本格的な城となると、攻め方のコツがいまいち掴めないッス」
到着早々、ラウラが攻城戦の愚痴をこぼす。だがその割に攻城にあまり時間をかけなかったところを見ると、七戸城の守りは固くはなかったようだ。
すると、ヴィクトリアの横に見慣れない男の姿があった。ずっと目をつぶったまま彼女の横に立ち尽くすその男は、しかしながらキリッと背筋が伸びた姿勢の顔立ちの良い武士であった。歳は俺とそう離れてはいないだろう。にもかかわらず、若くして既に悟りを開いたかのような雰囲気を醸し出していた。
もう一つ奇妙な点があるとすれば、彼は一切縄に縛られていなかったことだ。彼が七戸城主の七戸家国であれば反抗や逃亡の恐れからこのような扱いはしないはず。だとすれば、彼の正体は一体……?
「ヴィクトリア、その人は?」
「紹介しますわ。彼は根城の主、八戸政栄ですわ」
「……八戸薩摩守政栄だ。よろしく頼む」
彼は瞼を閉じたまま一礼した。目は見えずとも、俺達の立ち位置は把握しているようだった。
八戸政栄? 根城の主が何故ヴィクトリアと一緒に?
本来なら俺達は彼と根城で一戦交えているはず。だから俺が彼を捕縛してヴィクトリアに会わせるなら話はわかる。だが現実には、ヴィクトリアが彼を俺に会わせているのだから意味がわからない。
ともあれ『盲目の軍師』と後世呼ばれるほどの男だ、何か企みがあるのかもしれない。注意して彼の言葉に耳を傾けないとな。
しかし自己紹介直後、彼は思いがけないことを口にした。
「実は、不破殿にお願いがあってここに参った」
「俺に?」
ますます訳がわからない。俺は政栄の居城を落としたばかりか、彼の一族郎党を多く殺している。戦で止むを得ないとは言え、俺は彼に恨まれても仕方ないはず。その彼が俺にお願いとはどういうことなのか?
いや、そのお願いの裏に何かあるかもしれない。よくよく中身を吟味して彼の真意を探ろう。
だが続く彼の言葉に、俺はまたも意表を突かれることとなる。
「三戸の殿ーー晴政殿に、蠣崎に降伏するよう促していただきたい」
「……え?」
晴政が降伏するよう説得したいだって? 政栄、一体どうしたんだ?
かつて南部家惣領の地位を争ったことから、晴政率いる三戸南部氏と政栄率いる八戸南部氏の関係は微妙なものがある。が、彼らは同じ「南部家」の人間のはず。蠣崎に降伏するなど、屈辱以外の何物でもないはずだ。
俺達にとっては願ってもない話だが、もしも降伏したら南部は蠣崎だけでなく安東の下に付くことになる。そうすれば南部の名誉はがた落ちだ。
「不破殿は存じていよう。我らが領内の困窮ぶり、そして乱れぶりを」
「まあ少しだけなら。でもそれがどうかして……」
「八戸一族の没落後、南部は晴政殿の下で領地を大きく広げた。わたしも最初は安心していた。されど彼は外征に熱を上げるばかりで、自らの足元を全く見ていなかった。戦費は嵩み、傘下の国衆どうしの争いは増えるばかり。税は際限なく上がり、民の暮らしは先代安信公の治世より悪くなっている」
「確かに、親が子を殺める場面にも出くわしたでござる」
「致し方あるまい。この地の国衆は大半が南部の傍流ばかり、世が世なら自分が惣領の地位に着いていたとばかりに意地を張り、民草の暮らしにはほとんど目を向けていない。おかげでわたしは居城を壊され、籠城すらできなかった」
「だから、根城であんな無謀な軍略を……」
「晴政殿の立場を考えると、彼の力のみでは国衆のいがみ合いを抑え切れん。ここは別の権威と権力が必要だとわたしは考えた」
「だから、俺にそんなお願いを……?」
「うむ。根城が落ちた後、わたしは三戸城へ戻った。されど城中は都合の良い時のみ南部の名にしがみつき、南部の不滅を疑わない者が依然多かった。それでも和睦の動きはあり、わたしは使者の1人に立てられたが、南部の行く末を考えると和睦より降伏がよいとわたしは考えた」
「そうでありましたか……」
「まずは攻城戦をやめさせるため、不破殿に会おうと根城を目指した。そして名久井城に到着したところで、ヴィクトリア殿に出会ったのだ」
南部領の惨状は既に知っての通り。だから彼の主張が一理あるのも十分わかっている。
が、会ったばかりの、それも一族の仇の俺にそこまでぶっちゃけて良いものだろうか?
「でも薩摩守さん、俺はあんたの……」
「祖父や家来の死は存じている。それを討ったのが不破殿ということもな」
「知っていたのか……」
「彼らには幼き頃から盲目のわたしを育ててくれた恩がある。が、今は戦乱の世、死ぬも生きるもすべては時の運。彼らも猛将と名高き不破殿と槍を交えられて本望であっただろう」
これが本当に俺と同じ戦国武将なのだろうか?
史実に照らし合わせれば、彼は今年で齢25、まだまだ若い。でも両親や一族の死を歎いて精神崩壊を起こした俺と違い、政栄は実に達観している。
彼の前半生は波瀾万丈に満ちている。眼疾患で視力を失い、さらに早くに親を失い、挙げ句の果てには名門八戸家の主になってから同じ南部一族に城を攻められる。そんな辛く厳しい過去に立ち向かったからこそ、悟りのような境地に達したのだろうか?
「八戸薩摩守の話、しかと心得た。されどこのまま五郎と薩摩守が説得に向かったところで、降伏するとも思えん」
「うむ。だから一つ秘策を考えた」
「秘策?」
「これは後で蠣崎殿にも伝えようと思っているのだが、それはーー」
政栄は主だった将を集め、こっそりと耳打ちした。
政栄の秘策。それは実に大胆かつ優しい企みであった。