174 南部信直と九戸政実
九戸城の地下牢--
連合軍を前に敗れた政実と実親は地下牢へと入れられた。
九戸党の頭である2人は、慶広の配慮により他の一族郎党から隔離された広い独房に入れられた。
「まさか、蠣崎めがこれほど強かったとは……不覚!」
「致し方あるまい。九郎はかような敵を相手にしていたとはな……」
敗戦の悔しさを滲ませる九戸兄弟。
「我の苦しみ、そなたもようやく心得たようだな」
その向かい、2人のいるところと同じ広さの独房に甲冑姿の若武者がいた。爽やかな顔立ちからは育ちの良さが窺える。
「九郎殿、まさかここにおられたとは」
「本当は鬱陶しく感じているのだろう、政実。殿のご長女を娶っただけで世継ぎになり、結局戦では役に立たなかったこの我を」
「まさか、鬱陶しくなどとは……」
政実は表情を取り繕うが、彼の真意は明らかであった。
そもそも信直が晴政の後継ぎとされたのは、信直が晴政の長女を妻に迎えたため。実親も晴政の次女を妻としているが、もし逆の立場なら実親こそが南部家の次代の後継者と目されるはずであった。そのもどかしさを、政実は日頃から漏らしていた。
そのことは、信直の耳にもいつしか入るようになっていた。
「まあよい。今は我もそなたも捕虜同士。いかにしてこの場を抜け出せるかを考えねばな」
「……九郎殿、南部がこの先蠣崎に勝てる見込みはあると思いか?」
「なに?」
「九郎殿も知っておられよう。蠣崎と蝦夷、そして異国の力を。私もこの戦が始まるまで、九郎殿が蠣崎に負けたのは単に軍略に問題があると思っていた」
「……」
「だがそうではなかった。蝦夷の弓の腕、’魔法’なる異国の妖術、統率の取れた備、そして若くして鋭敏なる大将・蠣崎慶広。かように屈強な兵を用いて、巧妙な策を仕掛けられては太刀打ちできん。此方の兵は寄せ集めで、互いにいがみ合うばかり。いかに私や九郎殿とて、蠣崎相手では、とてもとても……」
「政実! 敵ばかり褒めて我らが南部を侮辱するとは何事か! それ以上はこの我が……!」
「そこで何を大声出しておるか!」
政実の物言いに怒りの声を上げる信直。しかし、牢屋番が近づいてきたため、信直は慌てて口を抑えた。
「何でもない。ただ戦に負けたことが悔しくて、それを発散しておっただけだ」
「ならばよいが。せいぜいそこで悔しがっておれ」
政実が上手く言いくるめたため、牢屋番はすぐに独房の前から去っていった。
次期当主の口から思わず出た怒声。それが南部の苦境を示す何よりの証であった。
「……政実、そなたもしや蠣崎に寝返るつもりではあるまいな? 精強なる南部武士が安東の犬に下ることなどあってはならぬ」
「それはない。むしろ私は南部を憂いているのだ」
「南部を憂いているだと?」
「津軽が落ち、比内も落ち、九戸城も落ちた。さらに田名部領と根城も敵の手に渡った。七戸では彦三郎(七戸家国)が戦っておるそうだが、そこもじきに落ちるだろう。さすれば残るは三戸城ただ一つ。三戸城は並の将兵相手では簡単には落ちぬが、周りの領地をすべて奪われた状態で蝦夷の弓と異国の妖術を喰らえばそれもわからぬ」
「まさか、南部が……殿が負けると申すか?」
「さあな。三戸の殿とて絶対ではない。国衆どもも単に利があるから殿に従っている連中ばかり。早く手を打たねば、不利を悟った国衆が勝手に寝返ることもだろう。さすれば、攻撃を受けずとも城は中から崩壊する」
「……ならば、そなたは如何すれば良いと考えるか?」
「慶広に掛け合い、私が捕虜で居続ける代わりに九郎殿を三戸城に返していただく。さすれば三戸の殿も安心し、寝返りを考えている国衆の心も変わることだろう。九郎殿は蠣崎の軍略に直に触れておられることだし」
政実が持ち掛けた策。それは事実上、戦が終わるまで知勇に優れた政実抜きで連合軍の大軍勢と相手取り、勝たねばならぬものであった。
「三戸で勝利したのちは九戸城を奪還し、私と九戸党を救い出せば良い。その時は蠣崎も撤退を最優先に考えているだろうから、私らがいれば奴らを糠部から追い出すのは容易い」
「……」
政実の言うことは一理ある。糠部と津軽は本来南部家の領地、今は蠣崎になびく国衆もひとたび南部有利となれば、晴政や信直の元に戻る可能性は高い。
さらに九戸城を攻めた連合軍は蝦夷地から離れた陸奥国の真ん中にあり、撤退するときは陸奥国内の拠点をすべて捨てたほうが合理的である。
破竹の勢いで南部領を蚕食する連合軍。だが一方で、勢いが止まれば士気が落ちやすい状況でもある。ただでさえ、敵の本拠にあって民百姓の抵抗もある中、将兵には疲労も溜まっている。政実は連合軍の隙を見逃さなかった。
「だが、そなたは信用できぬ。私が去った後、九戸党もろとも蠣崎に寝返るつもりではないのか?」
「確かにこの状況で寝返るのは容易いこと。されど寝返ったとなれば、南部が蠣崎を追い払った時に私や九戸党の立場は危うくなる。私も南部一族の1人、安東の犬ごときに頭を垂れたりはせん」
「……その言葉、忘れるでないぞ」
かつて信直が晴政の養子になることに反対した政実。そんな彼の言葉の信用性には疑問が残る。
だが、連合軍の勢いを考えれば時間が残されていないのも事実。信直は政実の策に乗ることにした。
翌日、政実の訴えが通り、信直の三戸城帰還が果たされた。信直は急ぎ足で三戸城に向かい連合軍を迎え撃つ準備に取り掛かったのであった。