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172 九戸城に向かう

 1567年(永禄10年)3月上旬。比内郡と鹿角郡が安定した頃合いを見計らって、連合軍は糠部郡へと侵入した。

 険しい八幡平の麓を越えた彼らは、まず平舘城(現・岩手県八幡平市)を攻略。南部家攻略後を考え、同盟する斯波家の取り分を減らすため岩手郡の一部も占拠する。近いうちに斯波家も攻略対象となる。優位に征服活動を進めるためにも領土は多く取った方がよい。


 なお、平舘城主・平舘政包は九戸城方面に撤退したため、下国直季が臨時の平舘城代に任命された。


「背後は任せたぞ加兵衛」


「斯波の南部領攻めは進んでおらぬと聞く。業を煮やした斯波が盟を破って攻めてこないとも限らぬからのう」


「心得ました」


 鹿角郡の攻略中、斯波詮真は沼宮内城(ぬまくないじょう)一方井城(いっかたいじょう)(どちらも現・岩手県岩手郡岩手町)を一度は落とし所領を広げた。ところが九戸城に帰還した九戸政実の軍勢が両方の城を攻撃。斯波勢は一方井城は守り通せたものの沼宮内城を失い、蠣崎家と比べて一歩も二歩も後退する結果となっていた。


 それに蠣崎が南部を併呑すれば、斯波にとっては南部以上の脅威となる。順調に攻略が進む蠣崎の現状を知れば、保身のために南部側に寝返る可能性がある。直季は万が一の時の抑えとして、平舘城に配置された。


「だが現状最大の脅威は九戸政実だ。南部家に靡いているというが、勢力は晴政と同等かそれ以上。武勇にも戦術にも優れる男と聞く」


「それに信直と同じく晴政の後継者候補の実親(さねちか)を弟に持っておりまする。晴政を討ったところで、政実や実親を南部の当主に担がれれば戦いはまだまだ続くことでしょう」


 九戸政実。南部一族の九戸氏の当主である。

 九戸氏は一般には南部家の配下と見られることが多いが、室町幕府は九戸氏と南部宗家を同等に扱っており、政実も晴政の家来と言うよりは盟友に近い存在であった。

 史実では晴政の死後、信直と後継者争いを行ない敗北。家中は政実の弟・実親を推す声が強かっただけに政実の無念は強く、南部家当主となった信直にたびたび反発。彼自身が南部の主を自称するようになった。

 そして1591年(天正18年)、ついに5000の兵で南部家に反旗を翻す。後に「九戸政実の乱」と呼ばれる戦では、豊臣秀次率いる九戸討伐軍6万を相手に互角以上の戦いぶりを繰り広げたが敗北。政実をはじめ九戸一族は斬殺され、九戸氏は滅亡した。


 なお、斯波家に婿入りする予定の九戸弥五郎は政実の末弟である。

 九戸氏と南部宗家が同等だとすると、弥五郎の婿入りは家来に命じて行ったものというより、盟友の婚約を斡旋・仲介したと言った方が実態に近い。


「できれば戦いたくない男じゃのう。此方に上手く引き込めれば良いのじゃが……」


「そう言えば、政実は晴政の側近の北信愛を嫌っていると聞きます。奴に『晴政は信愛の讒言で貴公と縁を切った』とでも書いた偽の書状を送れば、案外寝返るかもしれませぬ」


「単純な策じゃのう。そう簡単に引っかかるのか?」


「『蠣崎につけば南部家当主の地位を用意する』とでも付け加えておきましょう」 


「ならば、やってみる価値はあるか」


 信直との後継者争いでは、政実は北信愛と激しく対立。他にも信直派の重臣とそりが合わなかったことから、慶広はその弱点をついて南部勢の切り崩しを行おうとした。

 かくして、偽の書状は九戸城にいる政実の下へと届けられたのであった。



 ◆◆◆◆◆


 3月中旬。

 書状が届けられてから10日以上。政実からの返事はまだ無かった。


「九戸城からの知らせはありませぬな」


「奴め、書状を握り潰しおったか。まあ、あんな書状で簡単に寝返っては武士としての器量を疑うが」


「これ以上の待機は作戦に響きます。ここは諦めて九戸城に兵を進めましょう」


 九戸城を落とした先は南部家の本拠地・三戸城。武親やヴィクトリアのいる田名部方面隊が三戸城を攻めてもおかしくない頃合いであった。彼らと一緒に三戸城を包囲するつもりであったため、慶広としても長期間平舘城に籠るわけにもいかなかった。

 慶広は糠部を目指して進軍を再開した。

 

「だが、書状を送った効果が全くなかったわけでも無さそうだ。あれを送ってから今日まで、政実が軍事行動を起こしたという報告はない。おかげで斯波も沼宮内城を再び奪い取れたようだ」


「政実も迷っているのかもしれませんね。どちらに靡くかを」


 ただこの時点では、政実が寝返るか寝返らないかを知る術はない。平舘城と九戸城は約10里(約40km)離れており、瞬間兵力検索(セコンドサーチ)による索敵の範囲外だからだ。

 沼宮内への援軍が無かったのも、単に支援する余裕が無かっただけとも言える。


 連合軍は浄法寺城をはじめ、政実所領の城を落とし九戸城に迫った。すると慶広は、九戸城周辺に敵性反応の群集を発見した。


「政実、やはり九戸城で私めたちを待ち構えていたのですね」


「例の書状は意味が無かったか……」


 敵性反応の発見に落胆する連合軍。だが慶広は、九戸城周辺の敵性反応のゆらぎ(・・・)を見逃さなかった。


「……そうでもありませんぞ父上。政実の敵性反応、かなり薄くなっております。奴の心が我らに傾いているのは明らかです」


 通常、敵性反応は赤い丸で示されている。その位置情報をもとに、慶広や武親は兵を動かし戦を優位に進めている。

 その赤い丸が今回は緑色を呈していたのだ。これは味方でも敵でもない人物を表す兆候。鹿角郡でも国衆が寝返る直前、同様の兆候が見られた。


 政実の心が揺れ動いているのは確かであった。


「なんと? ならば何故、城の前で我らを待ち構えておる?」


「――恐らく、試しておられるのでしょう」


「試す?」


「九戸一族は鎌倉殿の時代より九戸領を治める名族。一方、我らはここ数十年で蝦夷代官に伸し上がった成り上がり者。簡単に寝返っては、『九戸』そして『南部』の名が廃ると考えたのでしょう」


 政実の軍勢を遠くに眺めながら、慶広はさらに続ける。


「だが我らが南部領を蚕食するうちに政実としても我らの実力を試したくなった。それに相応しい戦いの地に自らの塒を選んだ。そのようなところでしょうか」


 慶広の言葉は、あくまで彼が知覚した情報に基づく推測。政実自身が本当に彼の言葉通りに思考しているとは限らない。

 ただ、前世で陰陽師の名家の跡継ぎだった慶広は、名族である政実の心中を察していた。


「ならば応えねばならぬな。奴のその心持ちに」


 彼の言葉は連合軍の戦意を上げるには十分であった。

 蠣崎の大殿として季広は馬上で槍を握る拳の力を強くし、前方の敵に向かって高らかに気勢を揚げた。


「皆の者! 九戸党(くのへとう)と正面から一戦交えようぞ!」


 彼の咆哮とともに、連合軍は政実の一族郎党にして南部勢の精鋭――九戸党に戦場で正面対決を挑んだのであった。

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