154 蠣崎家、ついに立つ
第8章・開始。蠣崎家が本州進出に向けてついに動き出します。
1566年(永禄9年)12月。
俺は季貞やレスノテク、ヴィクトリアなどと共に、宇須岸館周辺の視察を行なっていた。
「いやぁ、一時は蝦夷地に和人の集落は二度と現われまいと思ってたが、杞憂に終わって何よりでござった!」
「なんだかんだ言って、和人にとっても重要な交易地として、蝦夷地は無くてはならない存在だったということですね」
エルフ族の反乱で現地の和人、アイヌの大半が死に絶えた蝦夷地。
アイヌは移住政策を実施したことで人口を回復しつつあったが、和人の数は反乱鎮圧直後の1562年(永禄5年)に100人を切ってから、しばらく増えることはなかった。おそらくはアイヌと異世界人の移住に伴う文化の変化に、和人側が敬遠していたことも理由の一つだろう。
だが、アイヌや異世界人の交易関係者が本州の各港を訪れるようになると、珍奇な舶来品に目をつけた商人を中心に和人の移住者が急増。現在、蠣崎領には4000人余の和人が各所で集落を形成している。
領内では、現地の和人とアイヌ、異世界人の間で文化が交わり、パトロヌス教へ入信する和人やアイヌの数は増加。街には和風建築や洋風建築、アイヌのチセなどが混在するようになっている。
「最近だと、シュムクルだけでなく、メナシクルのアイヌの来訪者や移住者も増えてるからね。地域統合が進んできた分、他の地域にも気軽に行けるようになってきたし」
「この前、シラリカさんから贈られたハスカップ、おいしかったもんね~」
ピパウシコタンでの妖怪退治以来、長であるフモタケシを中心にシュムクル各部族の統合が行なわれている。時には蠣崎家、王国軍の力を借りながらではあるが、西はシラウオイから東はシベチャリに至る太平洋側沿岸は彼の勢力下にある。
また、領内の港には樺太や千島のアイヌの姿も見えており、益々の繁栄を見せている。
前世では、シベチャリの首長シャクシャインが試みたアイヌの政治統合が、史実より1世紀も早く実現しようとしている。
その感謝の意を込めて、先日シラリカから「不老長寿の実」とされるハスカップが贈られ、魔導師3人組の手ほどきを受けてジャムを作り、領民から好評を得ている。それもあって、来年から年貢と運上金の増収を目的に、領内でのハスカップの栽培が検討されている。
和人や王国軍に感謝するようになったということは、彼女も和人に対する態度を幾分軟化させてきたってことだろうか?
領内の発展に大いに喜ぶ一同。一方で気がかりな案件も存在した。
「なあ、ヴィクトリア。結局、カレリア連合は俺を毒殺しようとした犯人の引き渡しに応じてないんだよな?」
「……ええ。それどころか、連合は『そんな人物の存在は確認していない』の一点張りで。なにか政治的取引を企んでいるのか、あるいは別の目的があるのか」
「ライモント・フェルセン。武親さんを殺そうとしたあの男だけは、絶対に許せないッス!」
「けど、貴族の派閥事情に疎かった俺にも落ち度がある。女神たちから貰ったこの身体に感謝するほかないな」
「じゃあ、もっとたくさんハスカップを食べて、武親も不老長寿になれば安心だねっ!」
「リシヌンテちゃん、さすがにハスカップだけじゃ猛毒には対処できないんじゃないかなー……」
カレリア連合。王国の北東部に隣接する小国家群の集まり。
単独では周囲の大国に対抗できないため結成されたそうだが、そんな彼らの中にも老獪な政治家や指導者がいるようだな。王国内で大規模反乱が起こる兆候がない事だけが、不幸中の幸いと言ったところか。
なお事件後、イングリッドの戴冠式は予定通り1565年の10月に行なわれた。事件の発生による国内の混乱が発生してないことを内外に示すためだという。さすがに俺達は事件の当事者であり、背景にある派閥闘争のこともあって欠席となった。
またフェルセン男爵の領地は王国直轄領として接収。今後、貴族の嗜みであるワインへの毒物混入を防ぐため、ヘスト地方のワインは国が直々に管理するとのことであった。
「そう言えば、まもなく徳山館で新年の評定が行なわれますな。噂では殿から重大発表があるのだとか」
「慶広がそう言うってことは、世界征服に向けて大きな動きがあるってことだろう。もしかしたら宗継の汚名を雪ぐ絶好の機会になるかもしれないぞ」
「それは是非、奮闘せねばなりますぬな。……さすがに、いつまでも謀反人の息子と呼ばれたくないでありますから」
南条宗継。
蝦夷地荒廃の原因を作った謀反人・鷹姫の息子として、家中の一部では今も彼に対する悪口が止むことはない。彼の身近にいた季貞や季遠はその中に入っていないが、宗継への誹謗中傷は彼自身の胸にいつまでも刺さり続けている。
それもあってか、慶広からの下知で俺は宗継を自分の家臣としていた。
「よし、俺も宗継の汚名返上に協力するよ。今度の戦でも俺達が戦功第一だ!」
「はい!」
俺の励ましの言葉で目に輝きを取り戻す宗継。
そして俺の言葉通り、彼の名誉を挽回する機会はすぐに訪れることになる――
◆◆◆◆◆
「これより、南部家の攻略を始める」
年は開けて1567年(永禄10年)正月。
徳山館で新年最初の評定が始まって早々、慶広の言葉に評定の場が一瞬の間を置いて大いにどよめく。
それは、今までアイヌや異世界との戦争や外交、家中の内乱鎮圧などで蝦夷地を動けずにいた蠣崎家にとって、待望の下知であったからだ。
「おお! ついにご決断なされたか!」
「いつまでも蝦夷地に籠ってばかりいられませんからな。内憂外患ともに無い今こそが好機!」
「しかし、大大名にして古くから糠部に根を下ろす南部に攻め込むのは至難の業でございますな……」
糠部とは、21世紀の日本でいう青森県東部から岩手県北部に置かれた糠部郡のこと。南部家は平安時代もしくは鎌倉時代から糠部軍に土着し、史実では明治初期までの約7世紀もの間、同じ土地で領主として君臨し続けたという。
糠部郡自体は、江戸時代前半の1634年(寛永11年)に、北郡、二戸郡、三戸郡、九戸郡に分割されている。
余談だが、本州最北端の下北半島の地名は、北郡が1878年(明治11年)に下北郡(下北半島北部)と上北郡(下北半島南部と付け根のあたり)に分割されたことに由来する。そのため、戦国時代の人に「下北半島」と言っても通じないため、「田名部領」と呼ぶことにしている。
「して、殿は南部をどのように攻略されるおつもりで?」
「まず、いきなり攻め込む前に使者と書状を晴政に送る。して、その役目を……」
書状を評定の場にいる全員に見せた後、慶広が側に座る俺に視線を移す。
「武親、お前に任す」
慶広の強い意志が込められた口調に俺は黙って頷き、小姓から書状を受け取る。
「お前は使者として書状に書かれた要求を晴政に伝えよ。中身は主に、100年以上前に奪われた安東家旧領の返還についてだ」
「安東家旧領……つまり津軽や田名部領のことか。けど、力づくで領地を切り取った南部が、100年以上も統治している領地の返還に応じるとは思えないけど……」
「その通り。使者はあくまで、旧領返還に応じなかった南部を安東家の家来である蠣崎が成敗するという大義名分を得るためのもの。むしろ今回は、敵情視察のほうが重要といってもよい」
「つまり、前世で得た知識をもとに、南部の内情を調べろということだな?」
「そうだ」
だから慶広は俺に使者を任せたわけか。敵情視察のことを考えたら、俺が適任と考えるのも頷けるな。
さらに慶広は、俺にもう一つ役目を追加する。
「それと……攻略を優位に進めるため、晴政に会いに行くついでに檜山城(現・秋田県能代市)の愛季様と、高水寺城(現・岩手県紫波郡紫波町)の斯波詮真にも会って協力を取り付けてもらいたい」
「なるほど、どちらも南部の勢力に押され現在は劣勢。安東は旧領奪還のため、斯波も全盛期の勢威を取り戻すため、協力してくれるだろうという算段だな?」
「いかにも」
安東家は1561年(永禄4年)の王国軍との戦争で大量の兵を失って以来、勢力を衰退。事実上、蠣崎の独立や出羽比内郡における南部家の勢力伸長を許し、苦境に立たされている。
それでも、史実では「北天の斗星」の異名を持つ英主・愛季の采配もあって、近頃は勢力を持ち直しているという。
また陸奥岩手郡・紫波郡の領地を持つ名門斯波家も、詮真が当主となってからは南部氏との圧力が強まり、安東家同様苦しい状況。愛季と違い、史実ではお世辞にも有能とは言えない詮真は有効な手を打てず、領土を蚕食されているという。
両家とも版図拡大が著しい南部家とは対照的な様相を呈しており、蠣崎とは反南部家で利害が一致。同盟が結びやすい状況であるのは間違いない。
また、今回の使者は南部領だけでなく安東領や斯波領の偵察も兼ねているということになる。
「他の者も、いつでも攻め込めるよう軍備を整えて待機せよ!」
「ははっ!!」
慶広の下知を受け、強い意気込みを見せる一同。雌伏の時を経て、俺達は本州進出に向けて動き出す。