117 農地開発 その1 主君への嘆願
年を越して1563年(永禄6年)。
数々の集落で必死に呼び集めた結果、3000人ものアイヌが移住計画に参加した。
一部人員拠出を拒否した集落もあるが仕方ない。俺も全集落が蠣崎家に協力するとは思っていなかったから。
その功が認められ、俺達3人は評定の場で称えられることとなった。
「武親、大儀であった。これで廃村の復興も少しは進むであろう」
「お褒めに預かり、光栄に存じます」
慶広に向かって改まるのもこそばゆいが、親しき中にも礼儀あり。俺は敬語を使って、慶広に平伏した。
何はともあれ、これで人口不足も幾らか解消……と言いたいところだが、まだまだ元の人口水準にはほど遠い。
それにオシャマンベの民もそうだったように、全員が和人に友好的というわけでもない。長老の命令で参加した人も何人もいる。
そんな彼らに対するケアも必要だし、何よりこの人口ではまだ十分な兵力を捻出出来る状態ではない。
今は王国軍が駐留しているが、万が一彼らが突然手を切ろうとでもしたら、領土防衛も世界征服も自分達だけでやることになる。
だが、現状で出せる兵力は最大でも2、300人。これでは両方とも不可能だ。
それに陸奥の南部晴政の勢力は今が最盛期。海には強くない彼らだが、転生者がいてその知識を取り入れたら大軍を率いて侵攻……も有り得る。
「確かに五郎殿の働き、誠に立派にござりましょうぞ。斯様に若き者の仕事としては些か出来過ぎとも思えるほどに。されど……」
「どうした、季儀?」
「此度の移住で蝦夷のほうが我ら和人より多くなりました。しかれど、蝦夷としては大将も同じ蝦夷が望ましいと思っている筈。数少なき和人が支配者側とあって、蝦夷が皆承服しますかな?」
季儀の言う通り、少数派が多数派を支配するのはかなり難しい。
そもそも和人とアイヌは異なった文化を持つ者同士。
支配者としての権威を示そうと無理をすれば直ちに軋轢が生じ、和人は蝦夷地から完全に追放される。
武力なしに勢力は維持できないからな。
「ふむ、三河守殿の申すこともご尤もにござるな。あの小娘2人は協力的でござるが……」
「アイヌの統治は首長だったレスノテクにやらせるとしても、和人も別の場所から移住してもらうしかありませんね」
「やはり、蠣崎領以外にも蝦夷地各地に散らばっている和人を集めるか?」
「いや、交易のための繋がりが無くなるから止めた方が良い。やはり海の向こう、本州から呼び寄せるしか……」
「だがこの荒れた領内に喜んで移り住む者がいるのか? そもそも蝦夷地は農耕には適さない土地柄ではないのか?」
「近海は豊富な漁場。漁師なら呼び寄せられると思いますが」
史実でも、函館や江差は交易のほかに漁業――特にニシン漁で栄えた町。江戸時代後期には人口面でも松前を追い抜いている。
それに農耕も不可能ではない。アイヌが農耕を行っていた話は既にしているし、江戸時代中期以降は函館平野で米も作られるようになった。
もっともこの時代は、蝦夷地での栽培に適した稲はまだ存在しない。だったら――
「農耕に適さないのであれば、適するように作物を改良し、気候を調整すれば済む話です」
「適するようにって、如何致すつもりにござるか? 作物の改良などそう簡単にはいかぬ事では無い。ましてや気候の調整など神仏の業としか……」
「それは承知の上。ですが、方法はあります」
「まさか、新三郎様や武親殿が神々と交われる存在とは言っても、神そのものではないでありますが」
まあ、魔法を扱えること自体、この日の本の人間には神仏の業と言えるだろう。作物の品種改良も、遺伝子の概念が無い人達には同じ事。
ただ品種改良はともかく、気候の調整は俺や慶広だけでは出来ない。
だから俺は1つ提案した。
「そこで俺をもう1回、ミュルクヴィズラント王国に連れて行ってくれないか?」
「何っ?」
評定の場にいた武将の殆どが驚きの表情を見せた。
「世迷言をほざくな。家老がわざわざ領内を出て赴かずとも、左様な事は配下に任せればよかろう。今は和人と蝦夷の関係を安定させることこそ肝要にござる」
「いえ、今回は俺にやらせて下さい。俺にしか出来ないこともあるので」
「もしや、未来の技術とやらを用い候か」
「その通りです、藤兵衛尉さん」
「だから、実用化の可能性が低い方法など取り入れても無意味であろう。王国の書籍を翻訳したものも多数ある。それではいけないのか?」
「勿論、そっちも当たってみる。でもそれと平行してやりたいことがあるんだ」
「平行してやりたいこと? それは何であるか?」
「――開発者を直接訪問してみる」
「開発者だと?」
かつて使節団だった時に訪れたカル地方ヴェーテ村。
蝦夷地と同じく寒冷過ぎて農業に不向きだった土地を穀倉地帯に変えた、1人の魔導師。
50年も昔の人物なので生存の可能性は低いが、せめて関係者――例えば弟子に会って、開発の経緯等を教授してもらうつもりだ。
あわよくば、開発の一部始終を記した秘蔵文書があれば、それを獲得したい。
ただ、それだけでは不十分。慶広の言うとおり魔法に不慣れな蝦夷地で活用は出来ない。
だからこそ未来の技術等を駆使し、蝦夷地でも、いや日本中どこでも使える技術や仕組みの開発を目指す。
「許可してくれ。どうかこの通り」
俺は再び慶広に向かって頭を下げた。慶広の許しが無ければ、幾ら友人で家老でも行動を起こすことは出来ないからだ。
「――わかった。許可しよう」
「有り難い。では早速手配を」
「新三郎様!」
「確かに今、蠣崎家が生き残るために和人・アイヌ間のわだかまりを無くすのは重要だ。だが人口回復を考えれば、自力で領民を養う仕組みも必要である」
「されど、もし頓挫したら……」
「失敗したら別の方法を試せば良い。どのみち、余達に失う物は何も無いのだから」
慶広のこの一言で家臣全員が押し黙る。失う物が無い以上、失敗しても損害は殆ど無い。
むしろその経験を元に、何か勢力伸長・世界征服の役に立てれば万々歳である。
そして2日後。俺は慶広を除くかつての使節団の仲間とともに、王国の船で再びアイオニオン大陸へ出発していった。