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リリィ

リリィ -the last visitor-

「はい、カフェラッテ。あったかいのね」


 そう言って、その童顔の青年は、僕の前に湯気の立つカップをことりと置いた。


 時刻は深夜零時を回っている。ひどく疲れきっている割に何故だか家に帰ろうとも思えなかった僕は、繁華街の路地をふらると曲がって見付けたこの喫茶店に入り、メニューも見ずにカフェラッテを注文した。店内には僕のほか客の姿はなく、店員もカウンターの中に立つこの青年ひとりだけ。深夜なのだから当たり前だが。


 僕は黙ってカフェラッテに口をつけた。



「…………」

「美味しい?」

「……、うん」


 彼がフランクな喋り方をするので、僕も自然と同じような調子になる。別に腹は立たなかった。確かに青年は下手をすれば17,8歳にも見えるが、こんな時間の喫茶店でコーヒーを淹れている以上未成年ということはないだろう。つまり、僕とそう年齢は変わらないということだ。


 僕がそのままカフェラッテを飲み続けていると、ふと青年が、「あのさ、」と声を発した。


「……?」

「ちょっと聞いても良いかな」

「……いい、けど」

「何か嫌なことでもあった?」


 どきり、とした。


 僕が今日家に帰りたくないと思うのは、ひとりになってあれこれ考えてしまうのが嫌だったからだ。カウンター席を選んだのも同じ理由。少なくとも店員の目があれば、どんよりと落ち込みすぎることもないだろうと僕は踏んだ。


 それなのに。


 この、名前も知らないバリスタは、無邪気にも見える笑みで今夜の僕の核心を突いた。



 ……気がつくと僕は、今日あったことを洗いざらい青年に喋っていた。


 彼は僕の話を適当な相槌を挟みながら聞いて――彼が頷くたびに栗色がかった猫っ毛がふわふわ揺れた――、それから、


「ふうん……彼女と、ねえ」


 感想なんだか何なんだか、よくわからない言葉を発した。


 僕は真っ白になった頭で、彼に問う。


「君は彼女、いるの」

「いないよ。僕、恋愛って苦手なんだ」


 おくて、ということだろうか。それにしては眉間の皺が本気だ。


 青年は僕の前に新しいカフェラッテを置いて、自分でも同じデザインのカップに満たしたコーヒーをゆっくりと飲んだ。


「修ちゃんはしょっちゅう女の子ひっかけてるけどさ」

「修ちゃん?」

「うちのシェフパティシエ。今は奥で明日の仕込みしてるよ」

「へえ……」



  あまりにも気のない声だったか、と僕は一瞬焦ったが、彼はそんなことなど全く気にならないらしく、大きな眼を瞬かせて僕を見ながら言った。



「で、君はどうしたいの?」

「……え」


「彼女とディナーして、つまんないことで喧嘩して、せっかくのプレゼントも渡し損ねたまんまで別れちゃった。そこまでは聞いたよ。僕が知りたいのはその先なんだけど」


 ほんとはこういうこと聞くのってマナーだかモラルだかに反してるよね、と彼は続ける。

 だったら聞かなきゃいいのに、と僕は思ったけれど、でも、


「……わかんないよ」


 溜め息交じりの答えを、彼に返していた。


「そりゃ仲直り……っていうとすごく子どもっぽいけどさ……したい、っていうのが本心だけど。あいつ、すっごい怒ってたし、多分無理……」

「無理とか言わないの。そういうこと言ってると、できることもできなくなっちゃうよ?」


 心底呆れかえった、といった表情で、彼はまたカップを口に運んだ。

 僕は、上目遣いに青年を見る。


「でも、さ、」

「でも?」

「変に希望持っちゃって、それでやっぱりダメってなるより、最初から無理だって思っといたほうが良い気がしない……かな」


 心の底からの弱音だった。

 そして、そんな弱音をぽろっと吐いてしまった自分にびっくりした。

 

 しかしそんな僕を余所に、青年はあっさりと、


「君はずいぶん後ろ向きなんだね」


 と、言った。


 否定はできない。確かに僕はどちらかと言えばネガティブな人間だ。でもそれを指摘されることはやっぱり気持ちの良いことではなかった。

 

 僕はむっとして言い返す。


「じゃあ、どうしろって言うんだよ。もう別れてから2時間も経つんだ、どうせ僕のことを最低な男だと思ったまま、アパートでドラマでも見てるさ」

「でも君は、彼女のことが忘れられなくて、こうやって僕に彼女の話をしてる。そうでしょ」

「…………」

「後ろ向きなのは悪いことじゃないと思うけどさ、やっぱり後悔って、するの辛くないかなあ」


 青年の口調は、抑揚はあるのに淡々としていて、何か不思議な説得力のようなものがあった。


 そうして駄目押しのように彼は言う。


「もう一回、訊くけど。君は、どうしたいの?」


 僕は――、立ち上がった。


「……謝る。あいつに、きちんと」

「あ、何も自分が悪いと思ってないとこまで謝ることはないんだからね。そのへんはちゃんと線引かなきゃ」


 自己中心的にもとれる言葉を付け足した彼に、僕はうっかり笑みを漏らしてしまった。

 それを見た青年も、にこりと笑って頷く。


「ありがとう、ええと、」

「渚だよ。由利渚」

「ゆり……?」

「そ、珍しいでしょ。だからユリちゃんなんて言われるんだけどさ」

「そっか、そうだろうね。……僕は、金井浩太。また、来るよ」

「ぜひ。今度は彼女と一緒にね、それまでツケといてあげる」

「……なるほどね」


 つまり、次に来たときに僕がひとりだったら、今日の分を払うということだろう。何とも洒落た激励だ。



 僕はありがとう、と言って、旧来の友達のように手を振る彼に背を向けた。店を出ると、当然暗い路地に人通りは少なく、店内の灯りがぼんやりと拡散している。軒先に下がった木製の小さな看板には、クラシカルなレタリングで”LILY”と刻印されていた。

 それが先ほど名乗られた青年の変わった苗字に引っかけたものであることに気付いてひとり納得し、携帯電話をポケットから取り出す。


 着信履歴が一件残っていた。


「……!!」


 何を話すか考えてからにしよう、とか、いつもの僕なら浮かべてしまいそうなことは一切出てこなくて、とにかく僕はすぐにコールボタンを押していた。


「…………」


 待つこと、十数秒。


「……もしもし? 僕だけど」





 その翌日、喫茶”LILY”のドアを、ひと組の幸せそうなカップルが、ゆっくりとくぐっていった。









fin.




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