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タンク令嬢はもう泣かない

作者: かためのプリン
掲載日:2026/08/11


~prologue~



ねえ、今日もお話してくれる?


あら、まだ眠くないの?


うん、わたし、あくやく令嬢がざまぁするお話がいいな


ざ、ざまぁ?


ぼくはかっこいい剣士が敵をやっつけるお話がいい!


……そうね、じゃあ今日は戦う女の子のお話にしましょうか


ちぇ、女の子かぁ。強いの?


ええ、とっても


あくやく令嬢?


そうね、悪役……だったかもしれない、ちょっと可哀想な公爵家の令嬢のお話よ


公爵家の令嬢が戦うの?剣で?


ふふっ……ちょっと変わってるでしょ?彼女の婚約者は魔王と戦う英雄だったの。だから一緒に戦いたくて、一生懸命に剣や魔法を習ったのよ。でも、どっちも全然ダメだった


えーっ?強いんじゃないの?


剣や魔法では強くなれなかったけど、一つだけできることがあったの。かっこよくないし、華やかでもない。おまけにすごく大変。でもたった一つ自分にできることだけを一心に磨き続けて、彼女は最強のタンクになったのよ


タンク?


みんなの盾になって敵の攻撃を引き受ける人のことをタンクというの。彼女は敵をやっつけることは得意じゃなかったけど、大切な人を守るためにどんな攻撃にも耐えることができた。剣でも魔法でも、ドラゴンが吐く炎でもね


ドラゴンと戦ったの!?


ええ、魔王の正体はたくさんの頭を持つ不死身のドラゴンだった。それを倒せるのはエーテルランド王家に代々伝わる究極魔法の使い手、アルウィン王子だけ。そして王子を守ったのが婚約者のタンク令嬢マルグレットと、その妹で治癒魔法が得意な聖女シャルロット。三人は暗闇の森で出会った狼獣人バッシュの道案内で魔王の城に辿り着き、最後の決戦を挑んだの――――



~1~



 巨大なドラゴンの姿になった魔王は私たちを見下ろして嘲笑いました。


「これでも俺を倒せると思うか?ガハハハッ!ならばその究極魔法とやらを使ってみろ。ただし、この攻撃に耐えられたらな!」


 ドラゴンの口から灼熱の炎が噴き出して私たちに襲い掛かります。私はアルウィン王子とシャルロットの前に立ち、自分の背丈より大きな剣を体の前に構えました。私の剣「シールドソード」は分厚くて幅広なただの鋼の塊。刃はありません。敵の攻撃を防ぐためだけの特注品。剣の形をした盾です。


「王子は必ずあなたを倒します!それまでどんな攻撃も決してここを通しません!」


 全身をジリジリ焦がすような熱さに耐えながら、私は必死に二人を守ります。


「たかが人間一匹がこの俺の攻撃を止めるだと?ガッハッハッハ!身の程知らずめ、貴様ごときにこれが止められるか!」


 ドラゴンの巨体に次々と新しい頭が生えてきて、一斉に牙を剥きました。


「止めてみせます!ファイブスター・アーマー、全紋章開放フルブレッシング!」


 私の鎧に刻まれた五つの紋章がまばゆく輝き、精霊たちの力が宿ります。迫りくる巨大な牙をシールドソードで受け止め、渾身の力で弾き返し、私は一歩も下がりません。ファイブスター・アーマーの背中のパーツが開き、白熱した光が翼のような形に噴き出して私の背中を押してくれます。踏ん張りすぎて石の床が砕け、足が半分めり込みながらも、私はなんとか魔王を一歩後退させました。


「馬鹿な!この俺の全力攻撃をことごとく……コイツは一体何なんだッ!!」


 私は肩で息をしながらもう一度言いました。


「ここは、絶対に、通しません!」

「黙れ化け物め!!」


 怒り狂った魔王が再び炎を吐こうと大きく息を吸い込みましたが、吐き出したのは炎ではなく苦痛の叫びでした。


「グアアアアアアアアッ!!!」

「……足元ガ留守になっていルぞ」

「バッシュさん!」


 魔王が私に気を取られている隙に狼獣人のバッシュさんが背後に回り込み、大木のような脚に深手を負わせたのです。私がみんなを守り、バッシュさんが敵を足止めし、最後はアルウィン王子がとどめを刺す、それがいつもの私たちの必勝パターンでした。


「貴様らごときにこの俺が!不滅の魔王ボロディン様がッ!!」


 そして長い呪文の詠唱が終わり、とうとうアルウィン王子の究極魔法が完成しました。


「お前は不滅なんかじゃない。この僕の前では。この究極魔法、ヴァルフレア・プロテシオンの前ではな!」


 轟々と燃え盛る炎の渦がドラゴンの巨体を呑み込んでゆきます。勝利を確信したアルウィン王子は後を振り返り、出番のなかったシャルロットに微笑みかけました。


「無事だったかい?」

「王子、お怪我は……」


 王子の隣に寄り添い、手を取ったシャルロットは、そこに軽い火傷を見つけて癒しの魔法を使います。私も全身に酷い火傷を負っていましたが、王子の治療が最優先、それは仕方のないことです。でも……


「ありがとうシャルロット。無事に魔王を倒して使命を果たせたのは、すべて君のおかげだ」


 そう言って婚約者である私の前で妹を抱き寄せる王子。私はいつものように二人からそっと視線を逸らしました。



~2~



 エーテルランドには四大精霊の加護を受けた四公爵家があり、王家に子供が生まれると、いずれかの公爵家から婚約者を迎える慣わしでした。アルウィン王子は火の精霊の力をとても強く生まれ持っていたので、相性がいいのは大地の精霊の力を司るドゥーブル家。その長女である私が婚約者となるのは、生まれた時から決まっていたことでした。


 でも、ドゥーブル家にもう一人、娘が生まれました。まるでみんなから愛されるために生まれてきたような特別な女の子が。妹のシャルロットは五歳で癒しの魔法を覚えて以来、天才聖女として国中にその名を知られるようになりました。才能にも美貌にも恵まれ、社交的な妹はいつもみんなの中心。私はいつも妹の陰で目立たない存在。お父様もお母様も、世間の人たちもみんな、どうして妹ではなく私が王子の婚約者なのかと、いつもため息をついて残念がりました。


 せめて少しでも王子の魔王討伐のお役に立てればと、私なりに魔法の勉強や剣の稽古に打ち込んでみたものの、どちらも才能は皆無でした。ただ、魔法も剣も失敗ばかりでしょっちゅう怪我をしていたせいか、私の体はどんどん頑丈になり、あらゆるダメージを受け付けなくなってゆきました。才能……と言えるかどうか微妙ですが、私は神様から授かったこのたった一つの能力をひたすら磨き続け、王子を守るタンクとなったのです。


 やがて魔王軍との戦いが始まり、たくさんの強力な魔物と戦うようになると、何度も死にかけるような酷い怪我を負いましたが、そのたびに私の体はまた強くなりました。そして気が付くと、魔王の攻撃さえ寄せ付けない圧倒的な防御力がこの身に備わっていました。


 諦めずに頑張ってきてよかった。何の取り柄も無かったこんな私が、やっと王子のお役に立ててよかった。そう思いました。でも、王子の口から出た感謝の言葉はシャルロットだけのものでした。私がどんなに傷付きながら二人のためにこの身を盾にしても、その姿は誰の目にも映っていなかったのです……



~3~



 戦いが終わって王都ティターニアに戻ると、街じゅうの人々が王宮の周りに集まって二人の英雄、アルウィン王子と聖女シャルロットを讃えていました。私たちが魔王討伐に出かけている間、王都では二人を主役にしたお芝居が大流行していて、そのお話の中では二人だけで魔王を倒したことになっていたのです。


 一応、私も登場します。惹かれ合う二人の仲を邪魔する悪役として。戦いでは何もできないくせに、いつも王子に付きまとってシャルロットに嫌がらせばかりする意地悪な姉…………一体誰がこんな酷い脚本を考えたんでしょうか。


 集まった人々の前で王子は言いました。「魔王を倒すことができたのは、いつも側で支えてくれた聖女シャルロットのおかげだ」と。その隣にお妃様のように寄り添うシャルロットは嬉しそうに頬を染めています。


 王子の婚約者であるはずの私はポツンと離れた席に座って二人が喝采を浴びる姿を見ていました。魔王との戦いで負った傷がまだ残っていて、全身包帯だらけ。肌の出るドレスは着られず、ガウンを羽織っています。シャルロットの癒しの魔法はなぜか私にだけ効かなかったのです。


 シャルロットは言いました。「姉は魔王の呪いにかかっていて、私の力では癒すことができません。このままでは全身を呪いに蝕まれ、王国に災いをもたらす新たな魔王となってしまうでしょう」と。それを聞いた人々は口々に「出て行け!呪われ公女!」と怒号を上げ始めました。


 呪いなんてまったく身に覚えがありません。シャルロットは一体何を……訳が分からずただただ狼狽えていると、アルウィン王子はシャルロットを庇うように私の前に歩み出て言いました。「マルゴ……悪いがお前をここに置いておくことはできない。呪いが解かれるまで辺境の修道院に入り、決して戻らぬように」と。


 まるで最初からすべて仕組まれていたかのように話がどんどん進み、私はその場を連れ出されます。王子とシャルロットが抱き合うように寄り添ってこちらを見ていました。シャルロットは……妹の口元は笑っているようでした。その時私はすべてを悟ったのです。呪いなんて嘘。だから決して解かれることはないし、私はずっと修道院から出られないのだと。


 連れ出そうとする兵士さんたちに抵抗することもできます。魔王でさえ私を退かせることはできなかったんですから。でもそれをしたところでどうなるでしょう。どのみちここにはもう私の居場所はありません。私は大人しく従い、馬車に乗せられました。窓の外は真っ暗な夜の闇。きらびやかな王宮の光がみるみる遠ざかってゆきます。


「…………ぐすっ」


 不意に鼻の奥に熱いものがこみ上げてきて、慌てて目元を拭いました。幼い頃泣き虫だった私は、初めて王子とお会いした時に誓ったのです。立派な王子と並んでも恥ずかしくないように、もう絶対に泣かない。泣き虫を卒業して強くなろうと。どんなに大変なタンク修行も挫けずにやり抜くことができたのは、その誓いがあったからだと思います。


 ……でももう我慢する意味なんて無いんですよね。私が王子の隣に並ぶ日はもう来ない。そう思うと、今まで閉じ込めてきた十数年分の涙が一気に押し寄せて来て止まらなくなりました。


「……ぐじゅっ…………ひっく…………うっ……うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!…………うぇぇぇっ……ふぐぅっ……ううぅぅぅっ……ふわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!!!わああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああん!!!!!!」


 止まらない。止まらない。止まらない。止まらない。ようやく気が付きました。私、全然強くなんてなってない。体はどんなに頑丈になっても、魔王と戦えるようになっても、中身は子供の頃の泣き虫のまま、ずっと泣きたい気持ちを我慢してきたんです。


 いつも妹と比べられてきました。どんどん魔法の才能を開花させてゆくシャルロットと、魔法の才能ゼロの私。華があって愛嬌があって、自然と周りに人が集まってくるシャルロットと、地味で口下手で引っ込み思案な私。そんな自分を変えたくて、人一倍努力だけはしてきたつもりです。ちょっとやりすぎなくらい。でもどんなに頑張っても、王子の目が私を見ていないのは分かっていました。いつも主役はシャルロット。洋服もお人形も誕生日のプレゼントも全部シャルロットの物。私はたった一つの夢さえ叶わない……


「うぇぇぇ……ひぐっ…………ふっ、ふえぇぇぇぇっ…………うえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!!えええええええええええええええええええええええええええん!!!」


 連れ出される私を見て、シャルロットは笑っていました。王子を手に入れるために、私を追い出す機会をずっと狙っていたのでしょうか?あの子は昔から何もかも与えられて育ってきたせいで、自分が持っていないものを他の誰かが持っているのは我慢できないのです。たとえそれが国のしきたりによって定められた婚約者でも。


 王子も一緒にあの筋書きを考えたのでしょうか?嫌な考えばかりが頭に浮かんできて、ますます自分が嫌いになりそうです。もう何も考えたくない。とめどなく溢れてくる涙で何もかも流れて無くなってしまえばいい。暗い夜の中、私は一人でいつまでも泣き続けました。



~4~



 そのまま泣き疲れて馬車の中で眠ってしまった私は、鳥のさえずりの声で目を覚ましました。窓の外はまだ薄暗く、朝もやが立ち込めています。森の中……でしょうか?馬車はどこかに停まっているようです。


 外に出ると少し肌寒く、近くでパチパチと焚き火が燃えています。その前で若い男の人が一人、薪を火にくべていました。この馬車の御者さんでしょうか?でも体は大きくガッシリしていて、黒革のコートの下は軽装ですが武装しているようです。どちらかというと旅の冒険者さんのようにも見えます。


「起こしてしまったか?まだ休んでいていいぞ」


 こちらに気付いた男の人が顔を上げました。無造作に伸ばした銀色の長い髪と、同じ色の瞳が印象的で、不思議とどこかで会ったような気がします。


「あ、いえ!あ、あの、おはようございます」


 彼は火にかけていたお茶を木のカップに注いでこちらに差し出しました。


「美味くはないが体は温まる。その格好じゃ冷えるだろう」

「あ、ありがとうございます」


 私はカップを受け取り、立ったまま周囲を見回しました。


「あの、ここは……?」

「東の国境を出てすぐの森の野営地だ。入国許可で待たされた旅人や商人がよく使う」


 国境の外?修道院に向かう街道を外れています。一体どこに向かっているんでしょうか?私の頭に浮かんだ疑問を察したように、彼は冗談とも本気ともつかない顔で言いました。


「お前を誘拐した。俺と一緒に来てもらう」

「えぇぇっ!?」


 まさか寝ている間に馬車強盗に攫われていたなんて……全然気が付きませんでした。


「き、来てもらうってどこに??私なんか誘拐してどうするんですか???」

「別に取って食おうってわけじゃない。ただ、お前の力が必要なんだ」


 その言葉にすごく聞き覚えがあって、私は思わずその人の目をじっと見返しました。まっすぐこちらに向けられた銀色の瞳の輝きに既視感を覚えます。


「……バッシュさん?」


 彼は驚いて目を見開きました。


「分かるのか?」

「えっ!?だって……えぇっ!?本当にバッシュさん???」


 自分で言っておいて頭が混乱してきます。私たちと一緒に魔王と戦った狼獣人のバッシュさん。さっきの言葉は暗闇の森で初めて会った時と同じでした。でも、いま目の前にいるのは人間の男の人で、鋭い爪や牙も、銀色の毛並みもありません。


「バッシュさんって、人間の姿になれるんですか?」

「なれるというより、これが本来の俺の姿だ。魔王の呪いで姿を変えられていたんだ」


 バッシュさんは私たちと出会う前に一度、魔王と戦い、敗れています。その時、魔王はバッシュさんの命を奪う代わりに記憶を奪いました。「俺を倒せば記憶は戻る。もっと強くなってもう一度挑んでこい」と言われたそうですが、不滅の魔王を倒せるのはアルウィン王子の究極魔法だけ。だから私たちと協力して戦ってくれたのです。


「もしかして記憶が戻ったんですか?」

「ああ、少しずつだが、姿が元に戻ってくると記憶も蘇ってきた。俺の本当の名前はバスティアン。バスティアン・ベルフローゼンだ」

「バスティアン・ベルフローゼン……って!!ベルファリア王家のバスティアン王子!?」

「……そういうことだ」


 バッシュさん……バスティアン王子は苦い顔で頷きました。隣国ベルファリアは数年前に魔王軍の手に落ち、王国騎士団を率いていたバスティアン王子は戦いの中で行方不明になっていました。まさか獣人に姿を変えられていたなんて……


「知っての通り、魔王を倒してもベルファリアはまだ魔物どもの支配下にある。奴らを追い払い、平和な国を取り戻すためにお前たちの力を借りに来たんだ。だが……」


 バスティアン王子は私を見て言い淀みました。そうですよね。私が追放されたことも、もう知ってるんですよね。


「アルウィン王子には会ってもらえなかった。俺がバッシュでもバスティアンでも会う気は無いらしい。そしてお前に対するあの仕打ちを見て、俺は決めた。修道院送りになどさせるか。お前は俺がもらっていく」

「も、もらっていくって……」


 そういう意味じゃないのは分かってますけど、あまりに揺るぎのない目で見つめられて動揺してしまいます。


「まだ王宮に戻りたいなら力を貸してやる。手荒でもいいならな。修道院に行きたいならこのまま送ってやろう。だがもしそのどちらも望まないなら……俺と来て一緒にベルファリアを救ってくれ」


 真剣な顔でずいっと一歩迫られ、動揺が一気に限界を突破した私は「は、はいっ!!」と思わず直立の姿勢で答えたのでした。



~5~



 かつてのベルファリア王国は緑豊かな美しい国でしたが、国土の半分近くに及ぶ水の女神ハルシアの森は魔物が放つ毒で汚れ、危険な暗闇の森と化してしまいました。


 魔王軍との戦いで生き残った騎士さんや冒険者さんたちは、ベルファリア解放軍として魔物たちと戦い続けています。その最大の目標は、森の水源地に棲みついている大毒蛇ルドラを倒し、汚れを取り除いて元の美しい森を取り戻すことでした。バッシュさんと私も、解放軍の皆さんと合流するため水源地に向かいます。


 素性が分かった以上、さすがにバッシュさんでは失礼だと思ってバスティアン殿下と呼んだら、笑われてしまいました。


「いまさら他人行儀はよせ。バッシュでいい。俺もお前との話し方を変えるつもりはない」


 ということで獣人の時と同じようにバッシュさんとお呼びしていますが、まだ今の姿に慣れなくてなんとなく緊張してしまいます。着の身着のままで攫われてきて装備も何も無い私を、バッシュさんは森の中の古い祠に案内しました。


「ここは……」

「戦女神リュディオンの聖堂だ」

「戦の……女神様?」


 祠の地下には立派な石造りの聖堂があって、そこに祀られていたのは白銀の甲冑をまとった美しい女神様の像でした。


「ベルファリアには独自の古い信仰が残っている。よその国では大抵、戦の神は男の姿だが、俺たちは戦の勝利を女神に祈るんだ」


 バッシュさんは女神像に祈りを捧げてから、白銀の甲冑を取り外して私に手渡しました。


「着けてみろ」

「えっ!?でも……」

「バチは当たらない。お前にはベルファリアの勝利の女神になってもらわなきゃならないからな」

「そ、そんな滅相もない……」


 恐る恐る胸当てを受け取って自分の体に当ててみると、まるで測ったようにピッタリでした。


「初めてお前が戦ってる姿を見た時、どこかで見た覚えがあるのに思い出せなくてずっと気になってたんだ。記憶が戻った時、やっと分かったよ。まさか女神と見間違ってたなんてな」

「や、やめてください……私、女神様に怒られてしまいます」


 滅相もなさすぎて真っ赤な顔で小さくなる私を見て、バッシュさんは珍しく声を上げて笑いました。


 女神像は甲冑の他にも白銀の剣と盾を持っていて、私は一式まとめてお借りしていくことになりました。傷を付けたりしたら本当に申し訳ありません。でも私はタンクですから、きっと傷だらけになってしまうでしょう。その代わり、必ずベルファリアの人たちを守ってみせます。そう女神像に約束しました。


 そして約束を果たす時はすぐに訪れます。私たちが森の中でようやく解放軍の一隊を見つけた時、彼らは散り散りになって敗走中でした。


「モルゴーンです!三魔将の一角、眠らぬ骸の騎士モルゴーンが現れました!」

「本隊はどこだ!誰が指揮を執っている?」

「すぐそこです!ロレック隊長と本隊の数人が食い止めている間に戦線を後退させろと……」


 急いで本隊の方に向かうと、大きな骸骨の馬に乗った黒い甲冑姿の骸骨の騎士が解放軍の騎士さんたちを次々となぎ倒していました。傷付き倒れている騎士さんの一人を踏み潰そうと骸骨の馬が高く前足を上げたところに、私は慌てて飛び込みます。間一髪、女神の盾で蹄を弾き返し、骸骨の騎士と向かい合いました。


「ほう……我が愛馬を阻むとは……何者だ?」


 骸骨の騎士が虚ろな眼窩をこちらに向けました。


「まさか…………女神リュディオン様が降臨された??」


 背後で呆然と呟く騎士さんの声が耳に入り、私は兜の面当ての下でまた赤くなります。紛らわしくてごめんなさい……


「だらしがないなロレック。しばらく見ないうちに腕が落ちたか?」

「王子!?生きていらしたのですか!?」

「当たり前だ。だが積もる話はそこの死に損ないを片付けてからにしよう」


 バッシュさんが私の隣に並んで左右の腰に差した二本の刀を抜くと、骸骨の騎士も騎乗のまま黒光りする剣を構えました。


「バスティアン王子か…………どうにも信じられなかったが、やはり魔王様が討たれたというのは本当なのだな。隣の女は何者なのだ?」


 こういう時、私はかっこよく名乗ったりするのが苦手ですぐにモゴモゴしてしまうのですが、バッシュさんが代わりに答えてくれて助かりました。


「マルグレット・ドゥーブル公爵令嬢。この世で唯一、魔王の全力攻撃を一人で止める女だ」


 ……前言撤回。私だけ化け物みたいに聞こえるじゃないですか……


「と、とにかく!倒れている皆さんに手出しはさせません!」


 私も剣と盾を構えます。そういえばちゃんと刃のある剣を手にするのはいつ以来だったでしょう。


「相手にとって不足なし。女とて容赦はせぬぞ……幻影千刃乱舞ホロウブルワーグ!!」


 骸骨の騎士の姿がいくつにも分身し、振り下ろされる黒剣は何十通りもの軌跡を描いて同時に殺到します。目くらましの幻術の類でしょうか?どれが本物か全然分からなくて避けようがありません。どうしよう……とはなりませんよね。避けませんし。


 ガガガガガガガッ!!


 幻の攻撃も本物の攻撃も一つ残らず全部受け切りましたが、一撃一撃が軽くてダメージはありません。


「このぐらい、魔王の攻撃と比べたらっ……!」

「馬鹿め、今の技はただの布石……真の狙いはこっちだ!」


 剣の攻撃を受けて動きが止まった私に骸骨の馬が襲い掛かりました。肋骨が大きく左右に開き、噛みつく鋭い牙のように私に突き刺さります。ごめんなさい女神様。さっそく鎧に傷が付いてしまいました。でも……


「捕まえました!バッシュさん!」


 肋骨に挟まれたまま骸骨の馬を持ち上げると、待ち構えていたバッシュさんがその首を刎ね飛ばします。もう一本の刀で骸骨の騎士の首も一刀両断。電光石火の早業でした。


「マルゴにかかっては三魔将も敵ではないな」

「馬鹿な…………我が愛馬の必殺の一撃をまともに受けて怯みもしないとは…………」


 首だけになった骸骨の騎士は呆然と呟きながらボロボロと崩れ去りました。見ていた解放軍の皆さんが歓声を上げます。


「バスティアン王子万歳!女神リュディオン様万歳!」


 いやあの……だから女神様ではなくてですね…………バッシュさんの狙い通り、この格好のおかげですっかり皆さんから勝利の女神のように思われてしまったようです。でもこの国の平和を取り戻すためには格好だけじゃなく、本当にそういう働きをしなくてはいけないですよね。



~6~



 行方不明だった王子が魔王を倒して戻り、解放軍の士気は一気に高まりました。これまでバラバラに戦っていたいくつもの部隊が王子の下に集結し、一丸となって水源地の大毒蛇退治に向かいます。


 その前夜、解放軍の野営地で盛大に決戦前の夜宴が開かれました。バッシュさんは全部の部隊を回って隊長さんや隊員さんたちとお酒を酌み交わしています。王子様なのにほとんどの騎士さんと顔見知りで、まるで友達みたいに笑い合っている姿は、同じ王子でもアルウィン王子とは全然違います。


 所在なくバッシュさんの後について回っていると、私も皆さんからお酒を勧められましたが、とてもバッシュさんのようにはお付き合いできません。すると少々酔いが回ってきたのか、バッシュさんがこんなことを言い出しました。


「俺と勝負して勝った者には女神と踊る栄誉を授けよう。誰か俺に挑む勇気のある者はいるか?」

「ちょっ……バッシュさん!?」


 最初に手を挙げたのは骸骨の騎士と戦っていたロレック隊長さんでした。


「やはりお前かロレック。格好悪いところを見せるなよ?」

「手加減は無用ですよ王子。正々堂々と栄誉を勝ち取ってみせます」


 お互いに木剣を手に取ると真剣な顔で構えます。ロレックさんは本気の勢いで鋭く何度も打ち込みますが、バッシュさんは難なく受け流し、一瞬の隙を突いてロレックさんの木剣を叩き落としました。


「まだまだぁっ!!」


 すかさずロレックさんがバッシュさんに掴みかかり、今度は取っ組み合いが始まります。何度投げ飛ばされても立ち上がってかかってくるロレックさんに、苦笑いしながらもどこか楽しそうなバッシュさん。子供みたい……


 とうとう根負けしたバッシュさんを地面に転がすと、ロレックさんは両手を突き上げて勝利の雄叫びを上げました。本気すぎませんか……?取り囲んだ野次馬の皆さんは拍手喝采。なぜかバッシュさんも拍手しています。


「踊っていただけますか?女神様」


 泥だらけの手をゴシゴシ拭ってから差し出され、お断りするわけにもいきません。拍手が手拍子に変わり、誰かが楽器をかき鳴らし始めました。結局、ロレックさんの健闘のおかげで次々と挑戦者が名乗りを上げ、バッシュさんはヘトヘトになって何度も地面を転がされ……たぶんわざとだと思いますけど、私もヘトヘトになるまで皆さんと踊ることになったのでした。


 ようやくダンスから解放されて戻ると、私の疲れた顔を見たバッシュさんは「次は俺と踊るか?」と笑いました。すみません、明日でもいいでしょうか……


「これで奴らはどんな時でも勝利の女神がついていると信じて戦える。誰一人死なずに戦いを終えられたら、間違いなくお前のおかげだ」

「バッシュさん……」


 私のおかげではないと思いますけど、私が何かの役に立って皆さんが無事に戻れたらそんなに嬉しいことはありません。


「そうやって一人一人のことを大切に考えてくれるから、みんなバッシュさんを慕って、心から信頼してるんですね、きっと」

「買い被るな。誰だって見知った顔がいなくなるのは嫌だろう。だから今日、全員の顔を見ておきたかった」


 大きな戦いになるとなかなか全員無事というわけにはいきません。知らない人が知らないうちにいなくなっても胸は痛まないかもしれませんが、全員の顔を知っていれば一人を失う心の負担はとても重くなります。バッシュさんはそれを自分に課しているんだと思います。誰かを失うことは避けられないと分かっていて、それでも誰も失いたくないと思えるように。私もその重さを少しでも一緒に背負いたいと思いました。


「私も……今日知り合えた皆さんを守りたいです。一人でも多く……できれば全員無事で帰れるように、全力を尽くします」


 意気込む私を見て、バッシュさんは少し表情を曇らせました。


「お前はそういう奴だと分かっていた。自分の痛みには鈍感なくせに、目の前の他人が傷付くのは耐えられない奴だ。だから……そんなお前の優しさにつけ込んでこの国の戦いに巻き込むべきじゃないと……本当は分かっていた」

「巻き込まれたなんて思ってません!エーテルランドに居場所がなくなって、どうしたらいいか分からなかった私を強引に連れ出してくれて感謝してます!…………本当、強引でしたけど」


 顔を見合わせて少し笑うと、バッシュさんは銀色の目を優しく細めました。


「そういうところだよ。俺がお前に……」

「?」


 何か言いかけた言葉を途中で飲み込み、また真剣な表情で私に向き直ります。


「この戦いでお前を絶対に死なせない。平和になったこの国で生きて、幸せを見つけてくれ。お前を連れてきてよかったと思わせてくれ」


 バッシュさんの言葉はまっすぐ胸の奥に届いて、暖かさがじぃんと伝わって、なんだか胸がいっぱいになります。


「もちろんそのつもりです!」


 私は思わずちょっと涙ぐんでしまったのをごまかすように夜空を見上げました。バッシュさんの目と同じ色の月が、まだ続いている宴の喧騒の上に優しい光を注いでいました。



~7~



 水の女神ハルシアの森の水源地は、大小百以上の泉とその間を流れる清流、その周辺の湿地帯も含めた広大な聖域で、たくさんの生き物たちの楽園でした。ところが魔王軍が侵攻し、ここに一匹の魔物を放つと、ひと月と経たないうちに水は黒く濁り、生き物たちが死に絶える毒の沼地となったのです。


 その水を吸い上げた木々は黒々とした瘴気を放ち、森を暗闇の中に閉ざしてしまいました。沼地には何千、何万という数の毒蛇が巣食っているように見えますが、実はこの蛇たちはすべて網の目のようにつながった一匹の魔物、大毒蛇ルドラなのです。私たちはこの無数の蛇の頭の中からたった一つの本体を見つけ出し、倒さなければなりません。


「こんなにたくさんいるのに、どうやって本体を探したら……」

「簡単だ。この森で一番でかい蛇を見つけたら、そいつがルドラの本体だ」


 自信満々に教えてくれたバッシュさんでしたが、そう簡単ではありませんでした。沼地の奥には、おそらくこの森で一番大きいと思われる……大体同じような大きさの蛇が六匹。いえ七匹?八匹かも……


 頭は私たちをひと呑みにできそうなほど大きく、鎌首をもたげると森の木々に並ぶような高さです。しかも尻尾は水中なので正確な体長は分かりません。


「バッシュさん!一番大きいのはどれですか!?」

「右の……いや、真ん中のか?…………まあいい。全部倒せばどれかは当たりだ。噛み付いてきた頭を潰せ!」


 そんな大雑把な……でも確かにそれしか無さそうです。私は皆さんの前に立って大蛇の攻撃を誘います。


「気をつけろ、毒を吐いてくるぞ!」

「大丈夫です!私、猛毒に耐える訓練も積んでいるので!」

「どんな訓練だそれは……」


 バッシュさんの警告通り、大蛇の頭が一斉に毒々しい紫色の粘液を吐きかけてきました。後に飛び散らないように慎重に盾で受け止めますが、一部は防ぎ切れず服にかかってしまいます。肌に直接かかったわけでもないし、目や口の中に入らなければ大丈夫……と思ったら、急に体が痺れてガクッと水の中に膝をついてしまいました。


「マルゴ!!」

「女神様!!!」


 背後でバッシュさんやロレックさんたちが驚いた声を上げます。私も驚きました。服にかかった粘液の臭気でしょうか?まさか匂いを吸っただけで体が動かなくなるなんて……


「大丈夫!足が滑っただけです!」


 少しだけ呼吸を整えるとなんとか脚に感覚が戻ってきて、急いで立ち上がります。私は勝利の女神……と皆さんが信じている以上は、決して倒れるわけにはいかないんです!


 毒が効かないとみた大蛇の頭たちは、次々と私に噛みついてきました。剣と盾で交互に受け止めますが、まだ毒でふらついている足では踏みとどまれず、ヨロヨロと後退してしまいます。


「今だ!頭を潰せ!女神様をお守りしろ!!」


 ロレックさんの部隊が反撃し、頭の一つを斬り落としました。でも本体ではなかったらしく、まだ蛇たちの動きは止まりません。


「大丈夫かマルゴ!……お前、なんて顔色だ」


 隣にやってきたバッシュさんが私の顔を覗き込んで絶句しました。そんなに酷い顔になってしまってるんでしょうか……


「全然平気れす!……わ、私が全部止めますから、バッシュさんは本体を見つけてくらさい!」


 ろれつが回っていないことにも気付かず、私はまた大蛇たちの前に立ちます。最後まで立ってさえいられたら、皆さんが本体を仕留めてくれるはずです。私は立っているだけでいいんです。また一つ、騎士さんたちが頭を潰してくれました。あと二つ?三つ?いくつあったでしょうか?視界がぼやけてよくわからない……


 その時、ビリビリと空気を震わせるような獣の雄叫びが聞こえました。この声は……


「こレ以上モタモタしてらレるカ!まとめてブッ潰してやル!!」


 目の前に躍り出た銀毛の狼獣人が、私を狙ってきた蛇の頭を鋭い爪の一撃で吹き飛ばしました。


「バッシュさん、また獣人の姿に……!?」

「ぐルルルルルルルルァァァああああああっ!!!」


 まだ動いている頭に飛びかかり、引きずり倒しては力任せに叩き潰します。動かなくなるまでなおも徹底的に爪を突き立てる姿は、魔王と戦った時よりずっと荒々しく、まるで本当に獣になってしまったようで怖くなります。


「バッシュさん、今のが本体みたいれす!蛇たちの動きが止まりました」

「ガァァッ!はァァッ!はァッ、はぁっ、はぁっ……」


 荒い呼吸を静めながらこちらを向いたバッシュさんの銀色の目は、まだ理性と凶暴性が入り混じって、なんとか自分をコントロールしようと葛藤しているみたいでした。だから気付けなかったのでしょう。背後の水中からもう一つの蛇の頭が忍び寄っていたことに。


「バッシュさん後ろっ!!!」


 その影に気付いた瞬間、私は無我夢中でバッシュさんに飛びついていました。


「っ!!?」


 バッシュさんを狙った蛇の牙は私の鎧の胸当てと肩当ての間に突き刺さり、そこからゾッとするほど冷たい何かが体の中に流れ込んでくるのが分かりました。激痛を感じたのは一瞬で、その後は全身が一切何も感じなくなって、自分が水の中に倒れ込んだことにも気がつきませんでした。


「マルゴ!!おいマルゴ!!こっちを見ろ!!マルゴ!!!」


 少しの間ぼんやりと意識だけは残っていて、バッシュさんが私を呼んでくれている声がずっと聞こえていました。ルドラの本体は倒せたんでしょうか?ごめんなさい、私、全然体が動かなくて……このまま意識が無くなったらもう戻ってこれない気がします。約束……守れなかったらごめんなさい。でもあなたを守れてよかった。この国で生きろって言ってくれて、嬉しかったです…………



~8~



「いやいやいやちょっと待って。何やり遂げたみたいな顔してさっさといなくなろうとしてんの?」

「…………?」


 ぼんやりとまどろんだような意識の中で、キンキン甲高い誰かの声が響きます。相変わらず体は動かせず、目も開けられないけど、その声の主は私の心の中にいて、私の思ったことがそのまま伝わるみたいです。


「…………あなたは?」

「質問してるのはこっち。あんたの魂が本気で戻ろうとしないと、あたしがいくら引っ張っても蘇生できないの!そうやってすぐ諦めて自分を納得させようとするの、癖になってない?」

「べ、別に諦めてなんか……」

「そう言いながらどんどん離れて行こうとしてる。魔王を倒したら用済みになって追い出されたから?また今度もそうなると思ってる?」

「そっ……そんなこと!」

「自分がいなくなってもどうせ誰も悲しまないし?みんなを守って役目は果たしたからもういいかなって?このままひっそり逝きますから、私のことは忘れてくださいって?」

「そんな……こと…………」


 思ってない。思ってないはずですけど、その言葉にどこか納得してしまう自分もいました。私が何かを望んでもきっと叶わないから…………あんな幸せも、こんな幸せも、きっと私のものではないから…………せめて誰かの幸せを守れたら、それで満足しなくちゃって…………


「ふざけんな」

「えっ?」


 少しずつ遠ざかっていた声が急にグッと近づいて、強引に私をどこかに連れて行こうとしています。


「あんたは絶対に死なせない。エーテルランドのクソ王子とうちのバッシュにいを一緒にすんな!自分が死んでも誰も悲しまない?そんな寝言はこの顔を見てから言え!!」

「!!!?」



~9~



 うっすら目を開けると、誰かの顔がすぐ近くにありました。逆光がまぶしくてよく見えないけど、抱きしめられた時にバッシュさんの匂いがして、それがすごく心を落ち着かせてくれました。


「バッシュ……さん?」

「…………よく戻ってきてくれた。必ず目を開けてくれると信じていた」

「ごめんなさい、私……ご心配をおかけして……」

「そんなことはどうでもいい。お前が生きていてくれたらそれでいい。言いたいことが山ほどあるのに、お前が目を覚まさなきゃ何も伝えられないだろう」


 抱擁が離れてやっとバッシュさんの顔が見えました。それで「この顔を見てから」の意味が分かりました。ひどく疲れ切った血の気の無い顔に、放心したような安堵の笑み。一体どれほど私は眠っていたんでしょう?その間ずっと側にいてくれたんでしょうか?こんな顔色になるまで。


「わかったでしょ?あんたは生きなきゃダメだって」


 バッシュさんの後から、同じ銀色の髪の女の子が顔を出してフンと鼻を鳴らしました。その勝ち気な仕草が似合っていて、すごく可愛らしい少女です。


「私に呼びかけてくれたあの声……」


 バッシュさんが彼女の髪をクシャッと撫でながら紹介してくれました。


「水の女神ハルシアの巫女、フィナンシュ・ベルフローゼン。俺の腹違いの妹だ」

「聖域の森の巫女姫様…………あなたが…………」


 ベルファリアのフィナンシュ王女は、シャルロットに勝るとも劣らない癒しの魔法の天才として有名です。彼女の蘇生魔法が私を死の淵から連れ戻してくれたみたいです。


「あんたの魂に直接触れて呼びかけたから、嫌な記憶とかも覗いちゃったし……その、キツい言い方もしちゃったかもしれないけど……悪く思わないでよね」

「そんな…………あの言葉が無かったら私、自分の殻に閉じこもったまま戻れなかったかもしれません。本当にありがとうございます、フィナンシュ様」

「フィーナでいい」


 プイッと横を向いてツンとした顔を取り繕っています。なんて可愛らしい方でしょうか。王女様らしからぬお転婆な口調もすごく似合っていて微笑ましく感じられます。


「本当にありがとうございます、フィーナ様」


 私は半月近くも眠り込んだまま、生死の境を彷徨っていたそうです。幸い、フィーナ様とハルシア神殿の皆さんが沼地のすぐ近くまで負傷者の救護のために来てくれていたおかげで、辛うじて解毒と蘇生が間に合いました。


「お前を絶対に死なせないと誓ったのに……結局は俺のせいでお前を死なせるところだった。マルゴ…………お前にはどれだけ感謝しても足りない。この国を救ってくれたことも、俺を救ってくれたことも、生きて戻ってくれたことも」

「バッシュさん……」


 こんなにも私を心配してくれていたことが申し訳ないけど嬉しくて、またじぃんとして涙ぐんでしまいます。恥ずかしいから我慢しますけど。


「そういえばあの時、また獣人の姿に……」

「ああ。呪いは完全に消えたわけじゃない。魔王に負けた時のように自分の無力さに怒り、なりふり構わず力を求めた時、あの姿に戻れるのは分かっていた。力を制御できるか自信は無かったが、あれ以上時間をかけるとお前が危ないと思ったからな」

「そんな!私のために危険を冒して……」

「お前が言うな。お互い様だ」


 バッシュさんは苦笑しながら少し横を向き、銀色の長髪をかき上げて首の後ろの方を見せます。そこには髪と同じ色の獣人の体毛がまだうっすらと残っています。


「だが、なんとか使いこなせそうだと分かった。この先まだ残りの魔物どもを森から一掃しなきゃならないが……もうお前に無理をさせることもない。ここでフィーナと茶でも飲んでてくれ」

「ダメです!私がいなかったらバッシュさん一人で無理するじゃないですか」

「じゃあ一緒に戦ってくれ、でも無理はするなよって言ったらお前は無理をしないのか?」

「そんなの……場合によります」

「だよな」


 言い合う私たちを見てフィーナ様が呆れたように笑います。


「なんか二人って似た者同士だよね」


 そう言われて私たちは思わず顔を見合わせたのでした。



~10~



 大毒蛇ルドラがいなくなっても、水源地の水が完全に浄化されて元の美しい森に戻るには長い年月がかかる……と思ってました。でもフィーナ様が浄化の祈りを始めると、たった数日で見渡す範囲の沼地はみるみるきれいな泉に変わり、ひと月も経つと木々から立ち上っていた瘴気が止まりました。


 暗闇の森にまた陽の光が差し込み、梢で歌う鳥たちの声も戻ってきました。私は初めて見るベルファリアの森の美しさにすっかり心を奪われました。魔王軍の魔物たちが我が物顔で闊歩していた頃とはまったく別物の景色です。


 瘴気が晴れると暗闇に潜んでいた魔物たちは陽の光から逃げるように姿を消していきました。私たちは広大な森に囲まれるように点在するベルファリアの街や村を一つひとつ巡り、周辺にまだ残っている魔物がいれば全部排除して、これまで辺境や他国に避難していた人々が戻って来れる場所を取り戻していきました。


 手強い魔物はもうほとんどいなくて、私はかすり傷一つ負うことはなかったのですが、バッシュさんはなんだかすっかり過保護になってしまい、私に向かってくる魔物をあっという間に倒してしまうので何もすることがありません。無理して怪我をしないか、見ていてハラハラします。でもそれを言うとムスッとなって「俺を信用しろ」と言うばかり。私だってちょっとは信用してほしいんですけど……


 そんなモヤモヤをフィーナ様に相談すると、少々お疲れの様子で取り合ってもらえませんでした。


「……あたしは森の浄化で忙しいの。ノロケを聞いてほしいだけならまた今度でいいかな?」

「のっ、ノロケ!?……なのでしょうか?これは???」

「バッシュ兄に心配されて、大事にされてるんでしょ?よかったじゃない」

「……フィーナ様は言い方がちょっと意地悪すぎます」

「性格悪いからね。知ってるでしょ?」


 可愛らしい顔をわざと意地悪そうにしかめてニシシッと笑うフィーナ様。そういう素振りがいちいちチャーミングで憎めないお方です。でも私は真面目に悩んでるんですけど、いまひとつ伝わっていない気がします。


「まだ不安?自分が役に立ってないと、また追い出されるんじゃないかって」


 心の奥を見透かすようにズバッと聞かれ、私は一瞬言葉に詰まります。


「……私はタンクです。守るしかできないので、守ってもらっていたのでは一緒にいる意味がありません」

「一緒にいたいからいる、じゃダメなの?」

「えっ……?」

「別に必要ないならタンクじゃなくたっていいじゃない。ただの相棒でも恋人でも、一緒にいる意味はあるよ」

「こっ!?恋人!!?」


 思いもよらない言葉に頭が真っ白になった私を、フィーナ様は呆れ顔でジトッと見ています。


「まさかとは思ったけど……あれだけいつも一緒にいて、ホントにそういうの無いんだ?二人とも」

「そ、そういうのって……バッシュさんが私にそんなこと……」

「あー……バッシュ兄も同じこと言いそう。マルゴはどう思ってるのよ?バッシュ兄のこと」

「どっ…………どう??……想って…………???」


 フィーナ様は私の中の開けてはいけない扉を開けてしまったかもしれません。今まで本当にそんな風に考えたことは無かったんです。バッシュさんをどう思うとかよりも、自分がそんな立場になることを想像もしていなくて。でも突然そんなことを言われてバッシュさんの顔を思い浮かべたら…………あ、あれ??なんだか急に心臓が異常な速さで……あれっ?……え……えっ??えっ???


「あー…………いいよもう。その顔見たらもう分かったから」


 どんな顔でしょう?私、今どんな顔をしてるんでしょう?顔が熱くて、頭の中も熱くなっててもうパニックです。


「自分の気持ちに鈍感な人たちって面白。後でバッシュ兄にも聞いてみよっ」

「そっ、それだけは絶対にやめてください!私のことなんて何とも思ってないに決まってるじゃないですか!」

「決まってないよ。バッシュ兄って昔から女を寄せ付けないっていうか、私の他に気安く話す子なんかいなかったのに、マルゴには気を許してるじゃない」

「それはただ一緒に戦ってきたパートナーというか……」

「戦いが終わったらパートナーは終わり?冷たいなー」

「そ、それはバッシュさんが決めることで、私がどうこう言えることじゃ……」

「だから聞いてみようって言ってるんじゃない」

「だからやめてください!お願いします!」


 騒いでいる私たちに気付いて、間の悪いご本人がやってきてしまいました。


「ずいぶん仲がいいな。俺がどうしたって?」

「っっっ!!!!?」


 また一気に心臓の鼓動が速くなって、顔と頭に上る血が沸騰したみたいになります。


「バッシュ兄、ちょうどいいところに。あのね、マルゴがね……」

「ひああああっ!わあああああああああっ!!」

「お、おいどうしたマルゴ?……お前、また顔色がおかしいぞ?」

「~~~~~~~~っ!!!!!!?」


 ずいっと近くで顔を覗き込まれ、パニックが頂点に達した私は、自分でも何を言っているか分からないまま「だっ!だだだだだいじょぶっっ!!大丈夫ですっ!!!私は大丈夫ですから〜〜〜っっっ!!!!!」と意味不明な言葉を残し、その場を全力逃走したのでした。


 後日、フィーナ様はお腹を抱えて笑いながら、会う人ごとにその時のことを言いふらしていました。本当に酷い方です。あの後、私を心配したバッシュさんから事情を聞かれたフィーナ様が一体何を話したのか、恐ろしすぎてとても聞く勇気がありません。


「聞きたい?」

「聞きたくありません!」

「えっ?ホントに聞いとかなくていいの?だってバッシュ兄ったら真顔であんなこと……」

「えっ??」

「……やっぱり聞きたい?」

「もうっ!!」


 完全に遊ばれてます。結局フィーナ様はニヤニヤしながらもったいぶるばかりで何も教えてくれませんでした。バッシュさんも特段、これまでと変わった様子は無く、私だけ変に意識してしまって恥ずかしい……


 自然に振舞おうと思えば思うほど余計にギクシャクしてしまって、バッシュさんの顔を見て普通に話せるようになるまで、しばらくの時間と心の鍛錬が必要でした。



~11~



 ベルファリアにやってきてから早くも半年が過ぎ、王都フラン・ビアシュの城下にはすっかり人の活気が戻ってきています。魔物がいなくなったことで交易が再開し、市場にはたくさんの品々が並ぶようになりました。壊れた建物の再建も進み、改修された女神リュディオン様の神殿にはなぜか私にそっくりな像が建っています。


 私はほとんど毎日バッシュさんと一緒に街を歩き回り、困っている人がいればお話を聞いて、お手伝いしたり、必要な物を差し入れたり、ささやかながら自分にできることを探しています。日暮れが近くなるといつも二人で王宮の前の高台に上り、ポツポツ灯り始める街の灯りを眺めながらその日の出来事を話し合いました。


「ベルファリアって本当に染物が盛んなんですね。あんなにたくさんの工房があるなんて」

「ハルシアの森は何百種類もの染料の元が採れるからな。工房ごとに秘伝の配合レシピがあって、そこでしか出せない色があるんだ」

「どれもこれも素敵な色の布地ばかりで……見ているだけでも楽しかったです」

「あちこち引っ張り回されて疲れただろう。みんなお前に見てもらいたくて色々新作を用意してたみたいだぞ」

「疲れるどころか、いくら見ていても飽きないですよ。私なんかでよかったらいつでも見に行きたいぐらいです」


 急にバッシュさんがまじまじと私を見て、フッと笑いました。


「お前がそうやって楽しそうにしていると少しホッとする。戦いが終わった後も街の復興の手伝いばかりで、ろくに休んでなかったからな」

「それはバッシュさんも同じじゃないですか」


 私が笑い返すとバッシュさんは言われて初めて気付いたような顔で頭を掻きます。


「こき使うためにこの国に連れてきたみたいで時々心配になるんだよ。来るんじゃなかったと後悔してないかって」

「思うわけないじゃないですか、そんなこと。前にも言いましたけど、ここに連れてきてもらって感謝してます。来てよかったと思ってますし、ずっとここにいたいと思ってます。この街も、街の人たちも大好きですし、何より……」


 うっかり口を滑らせかけて慌てて口をつぐみました。何よりバッシュさんがいるから、私にとってここはもう、世界中どこを探しても他に無い特別な場所なんです。タンクでも女神の化身でも、どんな役でもいいからずっとここにいてもいいですか?これからもずっと……バッシュさんの側にいてもいいでしょうか?


「どうした?」


 急に黙り込んだ私の様子にバッシュさんが怪訝な顔をしました。私は勇気を振り絞って顔を上げ、一言だけなんとか口に出しました。ちょっと声が震えてしまいましたけど。


「……バッシュさんがいるから」

「ん?」


 間が空きすぎて伝わりませんでした。ああ、女神様。リュディオン様。どうか私にあと少しだけ勇気をください。


「……バッシュさんがいつも側にいてくれたから、私はここが大好きになりました。この国に来て後悔したことなんて一度もありません」

「マルゴ……」


 バッシュさんが私を見て何か言おうとして、少し言葉を探しています。その少しの間が恐ろしく長く感じて、心臓が痛いほどに強く速く鳴っています。私はもう自分が口に出した言葉を後悔し始めました。だってこれまで私が強く願ったことで、叶ったことなんて一つも無いのに。


 その時でした。高台に続く坂道を駆け上ってくる馬の足音が聞こえてきたかと思うと、あっという間に私たちの前を通り過ぎ、王宮の方へと駆け去って行きました。緊急事態を伝える早馬のようです。


「ずいぶん飛ばしていたな。何かあったのか……?」

「バッシュさん、王宮に戻らないと」

「ああ、一緒に来てくれ」


 さっきの話は一旦忘れて、私たちは嫌な胸騒ぎを覚えながら早馬を追って王宮に向かいました。そして、そこで思いもよらなかった知らせを聞くことになったのです。



~12~



「エーテルランドの王都が陥落しただと!?」


 あまりに唐突で予想外な知らせに、王宮は騒然としていました。魔王が滅び、ベルファリアに残っていた魔物たちも一掃され、もうどこにも脅威は存在しないと思われていました。一体何があったというのでしょうか?


「三魔将の一角、黒鎚の巨人ジャガラッドが北の関門峡谷を破って侵入しました。魔物の軍勢はわずか数百ですが、黒鎚の一振りで城壁さえも吹き飛ばすジャガラッドを止める手立ては無く、わずか数日で王都まで……」

「アルウィン王子は何をしている?」

「近衛騎士団を率いてジャガラッドと交戦したようですが、護衛の騎士たちが持ちこたえられず、撤退を繰り返し……やむなく王都を放棄したようです」

「民を残して逃げたのか、あの馬鹿!王都は今どうなっている?」

「魔物どもが好き放題に暴れ回り、逃げ遅れた者に多くの犠牲が出ていると思われます」


 呆れた様子で報告を聞いていたバッシュさんが私の方を振り返り、心配そうに肩に手を置きました。まさかエーテルランドが……王都ティターニアがそんなことになるなんて想像もしていませんでした。お父様やお母様、家の人たちはみんな無事でしょうか?シャルロットはアルウィン王子と一緒でしょうか?街の人たちは……ベルファリアと同じように、今度はエーテルランドの人たちが魔物に襲われ、恐怖に震えているのでしょうか?いても立ってもいられなくて、私はバッシュさんにすがりつきました。


「ごめんなさい!バッシュさん、私……エーテルランドに戻ります!」

「分かってる。止めはしないさ。もちろん一人で行かせる気も無い」

「えっ?」

「俺も行く。いつでもお前の隣には俺がいる。そうだろう?」

「はい!」


 すぐにエーテルランドへの援軍が編成され、その日のうちに私たちはフラン・ビアシュを出発しました。大きな部隊ではありません。百騎に足りるかどうかというぐらいでしょうか。


 かつてベルファリアが魔王軍に攻められた時、エーテルランドは援軍を出しませんでした。アルウィン王子がまだ究極魔法を習得できておらず、魔王と戦う準備が整っていなかったのです。そのことがあって、ベルファリアの人たちの中にはエーテルランドへの援軍に反対する声もありました。国内の守りが手薄になれば、いつまた魔物たちが攻めてくるかもしれない、そう恐れる人たちの気持ちも分かります。


 でも、ベルファリア解放軍で一緒に戦った騎士さんたちや冒険者さんたちのほとんどは援軍に志願してくれました。


「ベルファリアの民だろうとエーテルランドの民だろうと関係ありません。守るべき者がいるなら守る。あなたがそういう御方だから、我々はどこへでもついて行きます」

「ロレックさん…………皆さん、ありがとうございます!」


 翌日、エーテルランドの国境に着くと、国境を守る守備隊の皆さんは関門を開いて私たちの援軍を迎え入れてくれました。どういうわけか、魔王討伐の時に一緒に戦った騎士さんたちが何人も国境に配属されていて、顔見知りの方が多かったので、すぐに話が通じたのです。


「マルグレット様、よくご無事で…………ベルファリアにいらっしゃったのですね」

「ジェリクさん!?どうしてあなたが国境に?」


 国境守備隊の隊長さんも顔見知りの若い騎士さんでした。魔王討伐の時の働きが認められ、王宮を守る近衛騎士団の団長に昇進するはずだったのですが……


「アルウィン王子の命令ですよ。あなたが王都を追放された時、あの決定に異を唱えた者は全員国境送りになりました。おかげで王都が襲われているのにここで何もできず、むざむざと敵に明け渡してしまう始末です」

「そんな……」


 私だけじゃなく、ここにいる皆さんまで王都を追われていたなんて…………悔しそうに俯いたジェリクさんの肩を、バッシュさんが軽く拳で叩きました。


「すぐに取り戻してやるさ。アルウィン王子は今どこだ?」


 獣人の姿だった時のバッシュさんと一緒に戦ったことがあるジェリクさんですが、もちろんそんなこと知る由もなく、慌てて床に片膝をついて深々と頭を下げました。


「バスティアン・ベルフローゼン殿下、この度の援軍に心より感謝申し上げます」

「困った時はお互い様だ。ってのはもちろん皮肉だが、今回は貸しにしといてやる」

「……恐れ入ります。アルウィン王子はこの国境近くまで軍を退いて兵を集めていますが、千や二千の寄せ集めがいたところであのジャガラッドに太刀打ちできるとはとても……」

「だったらここでまだ留守番をしてるか?」

「まさか!馬鹿な命令に付き合うのももう我慢の限界です。お供させてください、バスティアン殿下」



~13~



 私たちはジェリクさんをはじめ元魔王討伐軍の精鋭を何人か加えて、国境近くの街に布陣しているアルウィン王子の騎士団に合流しました。あの追放の日からまだ一年と経っていませんが、なんだか随分と月日が経ったような気がします。でも久しぶりにお会いした王子はちっともお変わりなく、私の心は一気にあの日に引き戻されたように、ずっしりと重くなりました。


「何をしていた?マルゴ…………誰がこの国を出てベルファリアに行けと命じた?」

「それは……」


 問い詰められてうまく言葉が出てこない私を守るように、バッシュさんが前に出てアルウィン王子に向かい合います。


「相変わらずだな、アルウィン王子。自分の務めも果たさず王都を見捨てて逃げてきたお前が、恥ずかし気もなくマルゴに八つ当たりか?」

「馴れ馴れしいぞ狼もどき。マルゴを置いてさっさと僕の国から出て行け」


 睨み合う二人の間に、私は勇気を出して割って入りました。


「ここで言い争っている時じゃありません!私は後でどんなお咎めを受けても構いませんから、今は一刻も早く王都に……」


 思えば私が王子に向かって自分の意見を口にしたのはこれが初めてかもしれません。でもその言葉を一方的に遮って、アルウィン王子は冷ややかな目をこちらに向けました。


「お前のせいだぞ、マルゴ」

「えっ……?」

「お前ならあの程度の魔物、一人でも止められたはずだ。それがあの近衛騎士団の役立たずどもときたら……僕が魔法を唱えるほんの数秒の間さえ持ちこたえることができないんだからな」


 とても勝ち目のない相手に必死で立ち向かって自分を守ろうとしてくれた人たちを、役立たずなんて……


「王都を奪われたのはお前がいなかったせいだ。お前が僕の命に背いてベルファリアなんかで遊んでいたせいだ。守れなかった者たちに償え!責任を取れ!」


 私に指を突き付けて詰め寄るアルウィン王子。全部私のせい。本当にそう思っているのでしょう。以前の私だったら俯いてじっとその言葉に耐え、そのうち本当に自分が悪いと信じ込んで、自分を責めていたかもしれません。素直だからでも謙虚だからでもなく、ただ臆病だったから。


 でも今、私の隣にはバッシュさんがいてくれます。私が誰よりも信頼する人、誰よりも私を信頼してくれる人が。そのことが何より私に勇気を与えてくれます。自分を信じる勇気を。


「……分かりました」

「なんだと?」

「バッシュさん、行きましょう。急げば今日中に王都に着けると思います」

「そうだな。時間が惜しい、すぐに出るぞ。ついて来たい者はついて来い!ベルファリアでもエーテルランドでもどちらでもいい。王都を救いたい者は俺たちに続け!」

「おい、貴様ら勝手に……」


 アルウィン王子はバッシュさんの肩に手をかけて止めようとしますが、その手が触れる前にバッシュさんが振り返り、低く唸るような声で言いました。


「マルゴに感謝しろ。あれ以上話を続けていたら本気でお前を殴っていた。これ以上お前と話すことは何も無い」


 銀色の目がギラリと野性味を帯び、口の端から犬歯がのぞき、獣人化の兆候が表れた姿。そこに滾る怒りの強さに気圧されて、アルウィン王子は後退りました。それ以上何も言えず、再び背を向けたバッシュさんを呆然と見送ります。


 ロレックさんたち、ベルファリア軍の皆さんがバッシュさんの後に続きます。それを見てざわつき始めたエーテルランドの騎士さんたちに、ジェリクさんが呼びかけました。


「何に従い、何のために剣を捧げるのか…………騎士ならば自分の心で決めろ!」


 それだけ言って、ベルファリア軍の後に続きます。それが合図となったように、エーテルランドの騎士さんたちが一人、また一人とジェリクさんの後に続きました、


「ありがとうございます、ジェリクさん、皆さん……」

「あなたのおかげです、マルグレット様。迷うことなどない、私たちは自分が守りたいものを守るだけです。その道を示してくださったのはあなたなのですから」

「よくぞお戻りくださいました。またあなたと共に戦えることを誇りに思います」

「マルグレット様がいてくだされば魔将など恐れるに足りません!」

「我らの勝利の女神、マルグレット様と共に!」


 魔王討伐軍で一緒に戦った皆さんが私のことをこんなに信頼してくださっているのはとても嬉しいのですが、とうとうエーテルランドの騎士さんたちにまで女神と呼ばれ始めました……


 それを聞いたロレックさんが「ベルファリアの女神様だぞ!」と抗議すると、ジェリクさんも負けじと「エーテルランドのご令嬢だぞ!」と張り合います。


「あ、あの、皆さん……?」


 謎の板挟みに困惑してオロオロしていると、後ろからよく聞き馴染んだ声が私を呼びました。


「姉さん……」


 振り向くと、目にいっぱい涙を溜めたシャルロットが感極まった様子で抱きついてきました。


「無事でよかった!ベルファリアにいたならどうして知らせてくれなかったの?修道院に向かう途中で行方が分からなくなったって聞いて、ずっと心配してたのよ!」


 シャルロットが私を心配??どんなに幼い頃まで記憶を遡っても、妹が私のことでこんな風に泣いたりするのを見たことがありません。


「あ、あの……シャルロット?ごめんなさい。向こうで落ち着いたらいずれは連絡しなきゃと思っていたんだけど……」

「いいのよ!姉さんが無事だったならそれでいいの。ベルファリアで魔王の呪いが解けたのね?」

「えっ……?」


 解けたのでしょうか?ベルファリアにいる間は呪いの話なんてすっかり忘れていましたし、特に何かしたわけではないんですけど、かかった覚えのない呪いはいつの間にか解けていたようです。


「あの、バスティアン王子……姉を救っていただいてありがとうございます!こうして姉がまたエーテルランドに戻って来られたのも、ベルファリアの皆さんのおかげです」


 バッシュさんに近付いてしおらしく頭を下げるシャルロット。その仕草や声色にはすごく覚えがありました。子供の頃からいつも、シャルロットがこうして下から遠慮がちに上目遣いで微笑むと、その健気で愛らしい表情にみんな心を掴まれ、この子の言うことをなんでも聞いてしまうのです。アルウィン王子もそうでした。いつも王子の隣に寄り添っていた妹のあの姿が重なって、急に私の胸がザワザワしてきます。


 ところが、バッシュさんの返事はいたって冷淡でした。


「俺が獣の姿だった時は話したことが無かったな、聖女シャルロット。マルゴのことでお前に礼を言われる筋合いは無い」


 おそらく生まれてからこれまで誰からも一度も向けられたことのない素っ気ない態度に、シャルロットの笑顔は凍りつき、ほころんだ花びらのような唇は引きつってフルフルと震えました。


「……いえ、大切なたった一人の姉のことですから、感謝してもしきれません。それにこうしてわが国のために駆けつけてくださった皆さんに、どうして感謝せずにいられましょう。力を合わせて、共に魔物の脅威に立ち向かいましょう!」


 また一歩近付いて手を取ろうとしたシャルロットからスッと身を離し、背を向けながらバッシュさんは言いました。


「王都から逃げ出す前にアルウィン王子にそれを言うべきだったな。相手の姿や状況次第で態度が変わる人間を俺は信用しない」


 歯牙にもかけないその様子にシャルロットの手は行き場を失くし、それ以上近寄ることはできませんでした。


「マルゴ、行くぞ」

「は、はい!」


 バッシュさんに呼ばれて慌てて後を追おうとすると、シャルロットが「待って!」と私の手を掴んで、引き止めました。


「姉さんのことだから大丈夫だと思うけど……くれぐれも気を付けてね。思わぬ敵がどこに潜んでいるかも分からないから」


 そう言って自分が首に提げていた護符のペンダントを外し、私の首にかけてくれます。


「あ、ありがとうシャルロット……」


 あなたは昔から、たくさんの人目があるところでは私にも天使のように優しい言葉や笑顔をくれた。その姿を本当だと信じたい……いつもそう思ってた。だけどあなたのその透き通った空色の瞳は私を映してない。みんなが憧れる聖女シャルロットの姿を演じているだけ。きっと自分でも気付いてないのかもしれないけど、子供の頃からあなたにとって私は常に、あなたを引き立てる舞台の背景の一部でしかなかったんだと思う。だから私も本当の意味であなたと向き合ったことはなかったんだと思う。今この時も……


「大丈夫よ、王都はきっと取り戻してみせる」


 そして私は妹に背を向け、王都の戦いへ赴きました。



~14~



 日が暮れる前になんとか王都ティターニアに着いた私たちは、想像していた以上の惨状に言葉を失いました。美しかった石畳の通りには逃げ遅れた人たちの骸がそのまま放置され、建ち並ぶ家々やお店はあらゆる物が持ち去られた廃墟と化していました。そして通りの向こうにそびえていた歴史ある白亜の王宮はもうそこに無く、ただの瓦礫の山があるばかり。わずか数日でこれほど破壊の限りを尽くしたのは、瓦礫の上にどっかりと腰を下ろしてこちらを見下ろしているあの黒鎚の巨人なのでしょう。


「アルウィン王子はどうした?家来どもに囲まれていないと何もできんあの腰抜けは?魔王様に勝った男がこの俺様に恐れをなして逃げ出したってことは、この世で一番強いのはこの俺様だってことだよなぁ?」


 ベルファリア軍とエーテルランド軍の先頭に立って巨人と対峙したバッシュさんは、呆れたような笑いを噛み殺しながら答えます。


「魔王を倒したのはアルウィン王子じゃない。あいつは最後にとどめを刺しただけで、実際に戦ったのは俺とマルゴだ。お前がこの世で一番強い?ほんの数日だけでも、身の程に過ぎた夢が見られてよかったな」

「お前たちが魔王様を?ガハハハッ!口先だけなら何とでも言える。誰が強いか、戦ってみれば分かることよ」


 そう言うとジャガラッドは自慢の黒鎚を杖代わりにして立ち上がり、瓦礫の山を下りてきます。それを合図に、街のいたるところに潜んでいた大小さまざまな魔物たちが私たちを包囲するように押し寄せました。


「恐れるに足りん烏合の衆だ。日が暮れる前にすべて片付けろ!功を挙げ損なうな!」


 バッシュさんの号令にベルファリアとエーテルランドの両軍が大きな声で応え、陣形を組んで魔物たちに立ち向かいます。その中央で、バッシュさんと私の二人が見上げるような巨人と向かい合いました。


「魔王やルドラと違ってコイツはただデカいだけだ。はっきり言って敵じゃない」

「油断は禁物です、バッシュさん」

「分かってる。だが俺にはお前がついている。お前には俺がついている。何も怖れるものはない」

「はい!」

「いくぞ……」


 バッシュさんの体がみるみる銀色の毛皮に覆われ、獣の姿に変わっていきます。前傾して両手を地面につくと、ほとんど狼そのもののように姿勢を低く伏せ、私はその上に飛び乗って盾だけを構えました。人馬一体ならぬ人狼一体、それが私たちの辿り着いた答えです。どちらかがどちらかを守るのではなく、常に離れることなく攻防一体となって戦う。お互いがお互いを信じて補い合う時、私たちは一番大きな力を発揮できるのです。


「女の尻に敷かれていい格好だな!曲芸でも見せてくれるのか?」


 嘲笑う巨人に向かって、バッシュさんはまっすぐ走り出します。


「お前を倒すのに曲芸など必要なイ。ただ正面かラ叩き潰すだけダ」

「叩き潰す?潰れるの間違いだろう!」


 頭上から巨人の黒鎚が唸りを上げて襲い掛かりますが、私は傘のように盾を掲げてそれを防ぎます。さすがにまともに受け止めると私は無事でもバッシュさんが潰れてしまうので、黒鎚の威力をうまく横に受け流します。雨粒を受け流す傘のような形の盾を、ベルファリアで作ってもらいました。この人狼一体のスタイルで戦う時のために。


 そしてこの盾の使い方はこれだけではありません。バッシュさんがそのまま巨人に向かってぐんぐん加速し、矢のような速さで飛び掛かります。


「行きます!シールドランスッ!!」


 私は盾を構えて思いきり巨人の体に衝突しました。全身に伝わるものすごい衝撃。でも私はびくともしません。同じ衝撃でも壊れるのはより弱い方、つまり……


「グオオォォォォォォォッッッ!!!」


 巨人は地獄の底から漏れ出たような叫びを上げてその場に崩れ落ちました。


 不器用で守ることしかできない私ですが、獣人フォームになったバッシュさんの突進力と私の頑丈さが合わさると、最強の防御力は最強の攻撃力に変わるのです。


「あの巨人を……三魔将をたったの一撃で……」


 周囲で戦っていた騎士さんたちも魔物たちも、あまりに呆気ない決着に呆然となり、少しの間、時間が止まったようでした。特にジャガラッドと直接戦って歯が立たなかったエーテルランドの騎士さんたちにとっては衝撃だったようです。


 やがて我に返った魔物たちは散り散りになって逃げ出し、それを騎士さんたちが追いかけて掃討していきます。バッシュさんが言った通り、日が暮れる前に全部片付き、勝利の凱歌が上がり始めました。狼の姿から元に戻ったバッシュさんが、荒れ果てた街の様子を見回して呟きます。


「この街もここから復興だな」

「はい。私に何か少しでもできることがあったら……しばらくここに留まってお手伝いしたいです」

「そう言うと思ったよ。だが俺はベルファリア軍を連れて引き上げなきゃならない。他国の軍がいつまでも居座ってるわけにはいかないからな」

「はい……」


 バッシュさんの銀色の目が少し心配そうに私の表情を窺っていました。私は王都を追放され、しかも命令を破って他国に逃げた罪があります。アルウィン王子の許しがなければここに留まることもできません。側で守ってくれるバッシュさんがいなくて、私一人でうまくやれるでしょうか?正直、不安です。


 でも、それでも私はここでやらなくちゃいけないことがあります。魔物に平和な暮らしを奪われた人たちのために、きっとできることがあります。大丈夫。不安だけど、自分のやるべきことは分かってます。ずっとバッシュさんを側で見てきて、教わったことがたくさんあります。だから大丈夫。私は自分に言い聞かせるように決心を固め、力強くバッシュさんの目を見返しました。バッシュさんは優しく目を細めて頷いてくれました。


「言っておくが……お前をエーテルランドに返す気は無いからな。街の復興支援を手伝うために、ベルファリアの使節としてここに残るんだ。お前が帰るべき国はベルファリアだし、お前がいるべき場所は俺の隣だけだ。約束してくれ、必ず俺の元に戻ってくると」


 まっすぐな眼差しと真剣な口調。それは私がこれまで聞いた中で、何よりも嬉しい言葉でした。嬉しくて嬉しくて、胸がいっぱいで、止めようもなく涙が溢れてきます。


「決まってるじゃないですか…………必ずベルファリアに戻ります。だって私、ここにいる時が一番幸せなんですから」


 私はバッシュさんの腕の中に身を寄せ、涙でくしゃくしゃになった顔をバッシュさんの胸に押し当てました。バッシュさんの腕がギュッと強く私を抱きしめてくれて、幸せでため息が出ます。


「マルゴ……俺も約束する。いつでもお前を尊重し、大切にすると」

「もう大切にしてもらってます」

「これからもずっとだ」

「はい!」


 ベルファリア軍の皆さんの歌が勝利の凱歌から婚礼の時の祝いの歌に変わり、エーテルランド軍の皆さんもそれに合わせます。冷やかしの声や口笛に囃し立てられながら、私たちは照れ笑いの顔を見合わせて、初めてのキスを交わしたのでした。



~15~



 それがこの日起きたことのすべてだったら最高のハッピーエンドだったのですが、残念ながらこの直後、起きてはいけないことが起きてしまいました。私たちは一人も犠牲を出すことなく戦いを終えられたことにホッとしていて、いつの間にか紛れ込んでいたその敵に誰も気が付かなかったのです。


 それは細い枯れ枝を寄せ集めて作った人形のような姿をしていました。大きさは人間の子供ぐらい。自分からそう名乗らなければ魔物だとさえ気が付かないほど、殺気も威圧感も何も無く、ただ、まるで最初からずっとそこにいたかのように、忽然と私たちの目の前に現れました。


「やれやれ。とうとう三魔将も儂だけになってしまったか」


 その声を聞いて初めてそこに魔物がいると気付き、バッシュさんは驚きながらもとっさに腰の長刀を抜いて斬り払いました。


「さすがに反応が速い。だが儂を捉えることは誰にもできんよ。たとえ魔王様であってもな。それがこの三魔将、姿無きヨルムのただ一つの能力。他には何の力も無い」


 少し離れた場所から乾いた笑い声がして、見るとそこに枯れ枝の魔物がいます。まるで最初からそこにいたかのように。


「コソコソ逃げ隠れするだけが取り柄なら何のために自分から現れた?」


 警戒するバッシュさんの問いかけに答えず、その魔物はブツブツ独り言を呟くように自分の話を続けます。


「儂らは皆、勘違いをしていた。敵はアルウィン王子なのだと。王子さえ倒せば儂らを阻む者はいなくなるのだと。儂らは順番を間違えたのだ。まず倒すべきは王子ではなかった。たった一人、お前さえいなければすべては簡単に片付いたのだ」


 枯れ枝の魔物、三魔将のヨルムの目が私を見ました。その手には小さな短刀が握られていて、その黒い刃は私の胸に提げられた護符のペンダントの上に深々と突き立てられていました。動いた気配も、短刀を抜き放った音も何も無く、気付いたら魔物が私の前にいて、もう短刀が突き刺さっていて、私はそのまま仰向けに倒れました。


 バッシュさんが何か叫んで斬りかかった時、魔物はもうずっと離れた所にいて、愉快そうに笑っていました。


「言われただろう?思わぬ敵がどこに潜んでいるかも分からないと。おかげで非力な儂でも簡単にお前を貫くことができた。良い贈り物をもらったな」


 この護符のペンダント…………信じたくないその言葉が私の心を黒く塗りつぶしてゆきます。勝ち誇った高笑いを残して悠然と去っていく姿無きヨルムを、誰も止めることができませんでした。そして……


「姉さん!!」


 まるでこの時を待っていたかのような妹の声。周りに集まった騎士さんたちの間をかき分けるように私の元に駆け寄ってきて、倒れた私にすがりつきます。


「ああ……こんなに深々と突き刺さって……姉さんしっかりして!お願い姉さん!!」


 泣きじゃくるような悲痛な声。でも、覆いかぶさるように私の上から覗き込んでいるその顔は……やっぱり笑っていました。


「シャルロット……」


 私はこんな酷い結末をなんとなく予期してしまっていました。いくら私のことを邪魔に思っても、自分の思い通りにならない筋書きに苛立っても、妹がここまでのことをするはずがない、人の道を踏み外すようなことだけはしてほしくないと、祈るような気持ちでいましたが…………こうなってしまった今、胸を満たすのは「ああ、やっぱり……」という諦めにも似た残念な思いだけです。


「あんなに気を付けてって言ったのに、簡単に隙を見せるなんて!ダメよ!死なないで姉さん!」


 笑顔を隠して声だけ泣きじゃくるシャルロットの姿を、その場のみんながしぃんと見守っていました。バッシュさんも、ベルファリアの騎士さんたちも、エーテルランドの騎士さんたちも、誰一人口を開きません。その白々しい空気を破ったのは、甲高い勝ち気な少女の声でした。


「死んでほしくないなら治癒魔法ぐらい使ったら?あんた蘇生もできるんでしょ?」


 顔を上げたシャルロットは、まったく泣き腫らしていない目を訝しそうに声の主に向けました。


「この短刀には強力な呪いがこめられていて、治癒や蘇生の力を打ち消してしまうのです」


 シャルロットを見下ろす銀色の髪の少女、フィーナ様は意地悪そうにニンマリ笑います。


「さっすが呪いに詳しいね。でも大丈夫だよ、刺さってないから」

「えっ?」


 私はゆっくりと体を起こし、短刀の刺さったペンダントを外してシャルロットに差し出しました。刃には一滴の血も付いていません。それどころか、ペンダントを貫いた刃先が消えて無くなっています。


「どうして……」


 呆然とするシャルロットに、フィーナ様は待ってましたとばかり、種明かしを始めました。


「あんたが寄越したペンダントなんて絶対何か仕込んであるに決まってるじゃない。すぐにマルゴから取り上げてあたしが解呪した。でもって逆に呪い消しの魔法をこめておいた。マルゴに何かあった時、あんたの狙いの逆を取れるようにね。あの魔物を逃がしちゃったのは残念だったけど」


 フィーナ様に嫌味っぽく言われてバッシュさんは頭を掻きます。


「あれは無理だ。魔王でも捉えられないって自慢してただろう。だがこれ以上小細工はさせない。魔物とのつながりがはっきりした以上、お前は終わりだ。偽りの聖女シャルロット」


 バッシュさんに長刀の刃先を突き付けられ、周りを両国の騎士さんたちにずらりと取り囲まれ、シャルロットはポロポロと涙をこぼします。


「誤解です!私はただ本当に姉を心配して……ペンダントだってずっと前から自分で着けていた物で……きっとあの魔物にすり替えられたんです!」

「往生際が悪いなー。あんた呪いには詳しいじゃない。自分が着けてたペンダントが呪いのアイテムにすり替えられてて気が付かなかったって、さすがに無理があるんじゃない?」

「皆さん、騙されないでください!この子こそ魔物の仲間です!私たち姉妹の仲を引き裂こうとありもしないことばかり……」


 パンッ!


 思ったより大きな音がして、私は思わず自分の手を見つめました。生まれて初めて妹の頬を叩いた自分の手を。びっくりした顔でこちらを見つめるシャルロット。涙が止まって、何か言いたげに口を半分開いたまま、でもそれ以上の嘘が口から出てくることはありませんでした。


「もうやめよう?これ以上嘘を続けても、あなたが傷付くだけでしょ?」


 妹はしばらくの間、叩かれた頬を押さえて私を見つめていましたが、やがて下を向いて静かに肩を震わせ始めました。泣いているのかと思ったら、その口から漏れ出したのは堪えきれなくなったような笑い声でした。


「……ふふっ…………くっ……ははっ……あははっ!」

「シャルロット……?」

「……いいわ姉さん、もうやめる。くだらない聖女のふりなんて、馬鹿馬鹿しくてやってられないもの」


 顔を上げたシャルロットは……美しかった空色の瞳が真っ黒に濁り、まるで別人のようでした。艷やかな金色の髪も輝きを失い、一気に年老いたような白髪に変わってゆきます。額に浮かんだ鱗状の痣は、明らかに彼女が人外の何かに染まろうとしている証でした。


「シャルロット……その姿は…………」

「私はね、姉さん……ずっと我慢してきたの。馬鹿な王子を優しく教え導いて、その他大勢のどうでもいい人たちにも笑顔を振りまいて、あなたたちが期待した通りの聖女の姿をちゃんと演じてきたでしょう?」


 シャルロットは冷笑しながら憎しみに満ちた漆黒の瞳で私たちを見回しました。


「なのにこれはどういうこと?聖女はもうお払い箱で、今度は姉さんが女神様ですって?あなたたちみんな頭がどうかしてるんじゃないの?」


 バッシュさんが再び長刀の刃先をシャルロットに突きつけ、周囲の騎士さんたちに捕縛を命じました。


「ただお前が自分から醜い本性を晒しただけだ。マルゴはお前と違って何かを演じるほど器用じゃない。だからみんなが信頼する」


 取り押さえられながら、シャルロットは笑い声を上げます。


「信頼?あはははははははっ!ただ便利に利用されてるだけよ、馬鹿な姉さん。せいぜい浮かれているがいいわ。あなたたち全員、すぐに後悔することになる。この女は女神なんかじゃない、ただの役立たずの案山子だって。立ってるしか能が無い案山子を信じて、縋って、何もできずにこの国が魔物に食い荒らされていくのを見ているといい。ふふっ……あははははははははははははっ!」


 ヒステリックな笑い声を上げ続けるシャルロットをそれ以上見ていられませんでした。騎士さんたちが抑えつけて口を縛るまで、とても聞くに堪えないような呪いの言葉を撒き散らし、自分で創り上げてきた完璧な聖女のイメージを自分で完膚なきまでに壊し尽くした末に、堕ちた聖女シャルロットは囚われの身となったのです。



~epilogue~



 その数日後、厳重に警備された牢獄からシャルロットの姿が忽然と消えました。おそらくあの姿無き魔物ヨルムの手引きでしょう。そしてやがて、新たな魔王の影がまた少しずつエーテルランドと周辺の国々を覆ってゆくこととなります…………って、あらあら、いつから寝ちゃってたのかしら?ごめんね、ちょっとお話が長くなりすぎたわね


 私は本を閉じて、ベッドの上でスヤスヤ寝息を立てている可愛らしい銀毛の子犬たちを眺めます。読み聞かせるうちにすっかり自分がお話に入り込んでしまって、子供たちが寝てしまったのに気付きませんでした。


「眠ったのか?」


 静かに寝室のドアを開けて、子供たちを起こさないように囁くような声。私は振り向いて微笑みます。


「もうぐっすり」


 彼は子犬たちのフワフワした頭をそっと優しく撫で、目を細めます。


「相変わらず寝てる時はこの姿なんだな」

「不思議ね。安心して無防備になるとこうなってしまうみたい」

「だんだんコントロールできるようになるさ」

「だといいけど……」


 ベッドの隣に腰を下ろして、彼はぐっと私の肩を抱き寄せました。


「お帰りなさい」


 静かに口づけを交わして、彼の腕の中に身を預けます。


「もう何年もお前に会ってなかったような気がする」

「三日離れてただけじゃない…………でも、私も同じよ」


 もう一度口づけを交わして、私は彼の隣に横になりました。私が一番安心して私らしくいられる、彼の隣に。



~fin~



******************************


 最後までお読みいただきありがとうございました。元々は長編として書き始めたお話をギュッと短編にまとめたので、短編としてはだいぶ長めになってしまいました。もし反響がよかったら連載で長編の方も公開していきますので、気に入っていただけたら感想や評価をいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。



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