表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/29

第27話 ひよりの無邪気さは、ときどき本命より強い

小日向ひよりは、自分がわりと空気を壊しがちな人間だということに、ようやく気づき始めていた。


 遅い。

 本人もそれは分かっている。


 でも、分かったからといって急に器用になれるわけではない。

 むしろ、自分が“変なタイミングで変なことを言う”と自覚したせいで、余計に緊張するようになってしまった。


「……よし」


 昼休み、一年の教室の後ろでひよりは小さく気合いを入れた。


 今日は二年A組に行かない。

 行ったとしても、長居しない。

 先輩たちの文化祭準備の邪魔にならないようにする。


 そう決めたのだ。


 決めたはずなのに。


「先輩、これ落としてましたよ」


 五分後、ひよりは二年の廊下で白井真央にハンカチを差し出していた。


「……ひより」


「はい!」


「なんでいる」


「落とし物届けに来ました!」


 満点の笑顔だった。

 その笑顔のせいで、真央は頭を抱えたくなる。


 しかも今は、ちょうどことりとみずきも近くにいた。

 文化祭準備で使う小物の確認をしていて、二人ともその場にいたのだ。


「また来たんだ」


 みずきが言う。


「“また”って言わないでください」


 ひよりが少しだけ頬を膨らませる。


「ちゃんと理由ありますし」


「理由はあるんだろうけど」


 ことりがやわらかく言う。


「タイミングは選んだほうがいいかも」


「……やっぱりそうですよね」


 ひよりがしゅんとする。


 そのしゅんとした顔が本気なので、逆に強い。

 無邪気さで突っ込んできて、反省もちゃんとする。こういうタイプは責めづらいのだ。


「いや、責めてるわけじゃない」


 真央が言うと、ひよりはすぐに顔を上げた。


「先輩、優しいですね!」


「そういうとこだぞ」


 みずきとことりの声が綺麗に揃った。


 ひよりがきょとんとする。

 真央は額に手を当てた。


「……もうだめだろ、この流れ」


 つばさがちょうど通りかかって、その様子を見て吹き出した。


「ひよりちゃん、今日も才能あるね」


「才能?」


「うん。空気を一発でラブコメに変える才能」


「嬉しくないです!」


 ひよりが真顔で言い返す。

 その全力さがまた可笑しくて、つばさはさらに笑った。


 ことりはそんなやり取りを見ながら、小さく息を吐く。

 以前ならもっと素直に落ち込んでいたかもしれない。だが今は、ひよりの危うさも分かるし、自分だけが特別に振り回されているわけではないと知っている。


「ひよりちゃん」


 ことりが声をかける。


「はい?」


「先に言っておくけど」


「はい」


「白井くんって、たぶんすごく優しいけど、思ってるより鈍いから」


「え?」


 ひよりが目を丸くする。


「だから、真正面から言わないとたぶん伝わらないこと多いよ」


 その言葉に、みずきが少しだけ横目でことりを見る。

 つばさは“おお”という顔をする。

 真央は「なんの話だ」と言いたげだったが、半分くらい分かっている顔でもあった。


「……七瀬先輩、それ」


 ひよりが少しだけ考え込む。


「経験談ですか?」


 ことりが固まる。


「おまえ、今そこ行くのか」


 真央が思わず言う。


「だって、そういう言い方だったので」


「まあ、そうだけど」


 つばさが面白そうに頷く。


 ことりは頬を赤くして視線を逸らした。


「……否定はしない」


「うわあ」


 ひよりが素直に感嘆の声を漏らす。


「え、じゃあ、やっぱりみなさん本気なんですか?」


 その問いは、教室前の廊下には少し大きすぎた。


 ことりも、みずきも、真央も、一瞬だけ言葉を失う。


「本気、って」


 みずきが言う。


「なんていうか」


 ひよりは少しだけ迷いながら続けた。


「最初は、私だけが“先輩すごい!”ってなってるのかと思ってたんですけど」


「……」


「でも、見てるとそうじゃないじゃないですか」


 ひよりはことりを見て、みずきを見て、それから真央を見る。


「先輩の近くって、みんなちょっと本気っぽい」


 その表現は雑だ。

 でも、雑なぶん核心に触れている。


 みずきは深く息を吐いた。


「……ひよりちゃん」


「はい」


「そういうの、今はあんまり言語化しないほうがいい」


「なんでですか?」


「みんな心臓に悪いから」


 その返しに、つばさが吹き出した。


「朝比奈さん、今日ちょっと素直じゃん」


「うるさい」


 だが、その空気は以前よりも少しだけやわらかい。

 ことりも、みずきも、ひよりに対してただ苛立っているわけではない。


 ひよりはようやく、真央の近くにはもう“ただの憧れ”では立てない場所があるのだと理解し始めていた。

 その理解は、少し遅いけれど、軽くはない。


「……でも」


 ひよりが小さく言う。


「それでも、やっぱり好きかもしれないです」


 今度の声は前より静かだった。

 勢いではなく、ちゃんと自分の中に落としたあとで言っている声だった。


 ことりは唇を結ぶ。

 みずきは少しだけ眉を寄せる。

 真央は何かを言おうとして、結局言えない。


 つばさが小さく呟いた。


「はい、後輩ちゃんも本格参戦、と」


「藤宮さん」


「はい」


「そういう実況やめて」


「今日はちょっとやめとく」


 つばさは珍しく素直に引いた。


 ひよりは最後にぺこりと頭を下げる。


「とりあえず、今日はもう戻ります」


「それがいい」


 レナが通りすがりに言った。


 ひよりは真面目に頷き、それから真央を見た。


「先輩」


「ん?」


「また来るかもしれないですけど、今度はもう少し空気読みます」


「そこは“来ない”じゃないんだな」


「努力目標です!」


 そう言って、ひよりはぱたぱたと廊下を戻っていった。


 残された四人の間に、少しだけ疲れた沈黙が落ちる。


「……ほんと、すごいなあ」


 真央が言う。


「何が」


 ことりが聞く。


「ひより」


「それは、まあ」


 みずきも認めざるをえない顔だった。


 ことりは少しだけ困ったように笑う。


「でも、あの子なりにちゃんと考え始めてるんだと思う」


「うん」


 みずきが頷く。


「最初のころより、言葉選んでる感じはあるし」


「選んだ結果があれなんだよな」


 真央のその一言に、ことりもみずきも少しだけ笑った。


 無邪気さは、ときどき本命より強い。

 でも、その無邪気さにも、だんだん本気が混ざり始めている。


 文化祭準備は、そういう曖昧な感情にも、次々と名前を与えていくのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ