第25話 文化祭ポスター制作、接近イベント多すぎ問題
文化祭準備の中で、地味そうに見えて一番危険な作業がある。
ポスター作りだ。
理由は簡単で、あれは基本的に机に向かってやる。
机に向かうということは、必然的に距離が近くなる。
紙を押さえる。
色を確認する。
見本をのぞき込む。
肩が触れそうになる。
手が重なりそうになる。
つまり、ラブコメ的な“接近イベント”が、雑務の顔をして大量発生するのだ。
そんな危険極まりない作業に、なぜ俺が巻き込まれているのか。
「白井くん、この文字の太さ、どっちが見やすいと思う?」
目の前で、ことりが色紙とマーカーを持ったまま聞いてきた。
放課後の教室。
前方の窓際に机を二つ並べ、そこにポスター用の大きな模造紙を広げている。宣伝担当のことりとつばさが中心になって進めているはずなのに、なぜか俺までそこにいる。
理由は、つばさ曰くこうだ。
「力仕事と客観的な目がいるから」
絶対、半分くらいは面白がっているだけだと思う。
「……太いほう」
俺が答えると、ことりが少しだけ考えた。
「こっち?」
「うん。遠くからでも見えそう」
「じゃあ、そうしてみる」
ことりは模造紙に向かい、大きめの文字で『二年A組 喫茶・春待ちカフェ』と書き始める。
集中しているときのことりは、言葉数が少なくなる。だが、その分、表情がよく動く。真剣な顔、ちょっと迷った顔、うまくいって少しだけ満足した顔。
そういうのが近くで見えてしまうのが、今の俺にはだいぶよくなかった。
「ねえ白井くん」
つばさが、わざとらしく低い声で言う。
「なに」
「さっきからことりちゃん見すぎじゃない?」
「見てない」
「見てるよ」
「見えてるだけだろ」
「便利な言い訳だなあ」
つばさはにやにやしている。
この人は本当にろくなことをしない。
ことりはその会話を聞いて、マーカーを持つ手を少しだけ止めた。
そして、止めたまま耳だけ赤くなっていく。分かりやすすぎる。
「……藤宮さん」
ことりが小さく言う。
「はい」
「今、わざと言ったでしょ」
「ちょっとだけ」
「ちょっとじゃないよね」
「でも、空気は動いたよ?」
「動かさなくていいの!」
そのやり取りが妙に楽しそうで、俺は口を挟むタイミングを失った。
すると、つばさはさらに楽しそうに言った。
「ほら白井くん、ことりちゃん怒ってるよ」
「怒ってない!」
「怒ってないらしい」
「おまえが全部悪いだろ」
「だって文化祭ポスターってさ」
つばさは胸の前で腕を組み、わざとらしく頷く。
「近いじゃん」
その一言は、ひどく正しかった。
今だって俺とことりは、模造紙の両端を囲むように立っている。
文字の位置を確認するために同時に身を乗り出せば、肩が触れそうな距離だ。つばさはそれを分かっていて、わざと俺を“この位置”に置いているのだろう。
「……つばさ」
「なに?」
「おまえ、ほんと最低だな」
「褒め言葉かな?」
「違う」
レナが少し離れた机で備品を整理しながら、淡々と言った。
「藤宮さん、やりすぎると本当に嫌われるわよ」
「榊さんがまともなこと言うと刺さるなあ」
「刺さればいいと思う」
その返しまで静かなのが怖い。
◇
ポスター制作は、思ったより地道だった。
文字を下書きして、太さを揃えて、装飾の配置を考えて、背景に淡い色を足す。
つばさは構図のセンスがあるらしく、「ここ空けたほうが見やすい」とか「この色足すと一気に文化祭感出る」とか、言うことがいちいちそれっぽい。
一方のことりは、丁寧さが強みだった。
線がぶれない。字がきれい。細かいズレにすぐ気づく。
つまり、つばさの勢いとことりの安定感で、ポスター自体はかなり良いものができつつあった。
問題は、その“良いものができつつある流れ”の中で、何度も接近イベントが発生することだった。
「白井くん、その端、ちょっと押さえて」
「ああ」
模造紙が丸まらないように押さえる。
ことりがすぐ隣で色を塗る。腕が近い。近すぎる。
「ここ、見本の花柄入れたいんだけど」
「どこ」
俺がのぞき込む。
ことりも同じタイミングで顔を寄せる。距離が一気に縮まる。
「……っ」
ことりが小さく息を呑んで、少しだけ後ろへ引く。
「ご、ごめん」
「いや、俺も」
「大丈夫」
「うん」
全然大丈夫そうじゃない空気だ。
つばさが小さく笑う。
「ねえ、今日だけで何回目?」
「数えるな」
「数えたくなるでしょ、これは」
「ならない」
「なるよ?」
つばさは楽しそうだが、俺にとっては心臓への負荷が高すぎる。
ことりもたぶん同じだった。
頬が少しずつ赤くなるのが、距離の変化のたびに分かる。
「……ことり」
不意に、俺は名前を呼んでいた。
「え?」
「顔、熱そうだけど大丈夫か」
言ったあとで、しまったと思った。
そういうのを口に出すと、余計に意識させるに決まっている。
案の定、ことりは一気に真っ赤になった。
「だ、大丈夫!」
「いやでも」
「大丈夫だから!」
「はいはい、そこまで」
つばさが割って入ってくる。
「白井くん、今のは完全に追い打ち」
「そうなのか?」
「そうだよ!」
ことりが珍しく強めに言い返した。
その顔がまた可笑しくて、つばさが笑いをこらえている。
俺は本気で頭を抱えたくなった。
◇
そんな空気の中で、みずきが様子を見に来たのは、だいたい予想通りだった。
「……なにやってんの」
教室の後ろから飛んできた声に、俺とことりが同時に振り向く。
みずきは腕を組んで立っていた。隣にはレナもいる。
「ポスターだけど」
つばさが答える。
「見れば分かる」
みずきはそう言いながら、明らかに“ポスター以外のもの”も見ていた。
俺とことりの距離。
模造紙を挟んだ位置関係。
少し赤いことりの顔。
それら全部をひと目で拾っている。
「手伝う?」
ことりが少しだけ声をかける。
「……いい。衣装のほう終わったから見に来ただけ」
「そう」
ことりは頷く。
でも、その“そう”の温度に、わずかに緊張が混ざる。
つばさが面白そうに言った。
「朝比奈さんもやる? ポスター」
「やらない」
「即答」
「こっちはこっちでやることあるし」
「そうだねえ」
つばさはにやにやしていたが、それ以上は煽らなかった。
たぶん今の空気が、笑いだけで済む段階じゃないと分かっているのだろう。
みずきは少しだけ教室の中へ入ってきて、出来かけのポスターを見た。
「……思ったよりちゃんとしてる」
「なんでそんな驚くんだよ」
「真央がいるから」
「そこ基準にするな」
「でも、白井くん意外とこういうの手伝うと使えるよ?」
ことりが言う。
「模造紙押さえる係としては優秀」
「押さえる係限定なのか」
「重要だよ」
「文化祭の名脇役だねえ」
つばさが言う。
みずきはそのやり取りを聞いて、少しだけ口元を引き結んだ。
たぶん気にしている。
ことりが“自然に俺を立てる”ような言い方をしていることに。
「……ふーん」
その一言に、ことりの肩がわずかに揺れた。
だが、そこへレナがさらっと割り込む。
「朝比奈さん」
「なに」
「その“ふーん”はだいたい空気悪くするわよ」
「榊さん」
「事実よ」
みずきは言い返しかけて、やめた。
その代わり、少しだけ不機嫌そうに視線を逸らす。
レナは続けた。
「ポスターが完成に近いなら、衣装のほうも後で見に来てもらえばいいじゃない」
「え?」
ことりが目を丸くする。
「白井くんに?」
「そう」
「なんで」
今度は俺が聞き返した。
「意見が欲しいんでしょ」
レナは淡々としている。
「だったらポスターだけじゃなくて、衣装の進行も確認してもらえばいい」
その理屈は正しい。
正しいのだが、みずきが一瞬だけ“それはそれであり”みたいな顔をしたのが見えて、嫌な予感がした。
「……それ、あとでやる」
みずきが言う。
「白井、逃げないでよ」
「なんで俺が逃げる前提なんだ」
「逃げるでしょ」
「まあ、ちょっとは」
「認めるんだ」
ことりが少しだけ笑う。
その笑いにみずきが気づき、また空気が微妙に動く。
本当に忙しい。
◇
ポスターの大枠が完成したのは、日がかなり傾いたころだった。
「できたー!」
つばさが両手を挙げる。
机の上には、白を基調にした柔らかな配色のポスター。『二年A組 喫茶・春待ちカフェ』の文字の周りに、小さな花柄とリボンの装飾。派手すぎず、でもしっかり目立つ。思った以上に文化祭らしい仕上がりだ。
「……いいかも」
ことりが少しだけ安心した顔で言う。
「かなりいいと思う」
俺がそう言うと、ことりがこっちを見る。
「ほんと?」
「うん。見やすいし、ことりの字もきれいだし」
「っ……」
またやってしまった、と思った。
だが、遅い。
ことりは一瞬で耳まで赤くなり、それから慌ててポスターへ視線を戻す。
「……ありがと」
「いや、ほんとのことだし」
「それがだめなんだよなあ」
つばさがぼそっと言う。
「藤宮さん、ほんと黙って」
ことりが小声で返す。
でも、その声には前ほど尖りがなかった。照れているだけだ。
「……で?」
みずきが少しだけ前へ出てくる。
「次、衣装の確認もするんでしょ」
「え」
「さっき言ったじゃん」
みずきは俺を見る。
「ちゃんと見てよ」
その言い方は、ことりに対する対抗心も混ざっていた。
でもそれだけじゃない。“自分のほうも見てほしい”という、もっと素直な感情がそのまま出ている。
つばさが口元を押さえた。
「うわ、いいね」
「何がいいんだよ」
「青春」
簡潔すぎるだろ。
俺は少しだけ息を吐いた。
ポスター作りが終わったら少し楽になるかと思ったが、ぜんぜんそんなことはなかった。
むしろ、ことりの距離の近さと、みずきの対抗心が、前より見えやすくなっただけだ。
文化祭ポスター制作。
たかが模造紙。
されど模造紙。
このイベント、たぶん想像以上に人の距離を変える。
そう思いながら、俺は完成したポスターを見つめた。
その柔らかな色合いの向こうで、俺たちの関係だけがやけに濃くなっていく気がした。




