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第24話 秘密の共有は、嫉妬の理由にもなる

放課後の買い出しを三人で終えた翌日、教室の空気は昨日までより少しだけ不思議だった。


 悪い意味で張っているわけではない。

 でも、完全に普通でもない。


 ことりとみずきが、前みたいにあからさまにぶつかる感じではなくなっていたのだ。

 その代わり、お互いをちゃんと意識しているのが、余計によく分かるようになった。


 文化祭準備の机を挟んで交わされる短いやり取り。

 メモの受け渡し。

 布の色の相談。

 そういう小さな会話の端に、“この子も同じなんだ”という妙な理解が混ざっている気がする。


 分かり合ってほしいわけじゃない。

 仲良くなってほしいわけでもない。

 でも、同じ方向を向いて揺れている人間同士には、敵意だけでは片づけられない空気が生まれることがある。


 たぶん今のことりとみずきは、そういうところに立っていた。


「このテープ、こっちのほうが貼りやすいかも」


 ことりが言う。


「え、そっち弱くない?」


 みずきが受ける。


「でも剥がすとき跡が残りにくいよ」


「あー……それはある」


 短い会話。

 でも、前ならここでどちらかが少し意地を張っていたかもしれない。今日はそうならない。


「じゃあ、こっち使う?」


 ことりが聞く。


「うん。文化祭終わったあと面倒なの嫌だし」


 みずきが答える。


 それを少し離れたところから見ていたつばさが、小さく呟いた。


「進歩だ」


「なにが」


 俺が聞くと、つばさはにやっと笑った。


「ことりちゃんと朝比奈さん、前よりちゃんと会話してる」


「ちゃんとって」


「“相手に勝ちたい”だけじゃなくて、“話を進めるための会話”になってるってこと」


 それは、たしかにそうかもしれない。


 第一章の終わりくらいまでは、二人の間にはまだ“相手に負けたくない”が先に立っていた。今もその気持ちはあるだろう。なくなったわけじゃない。

 でも、文化祭準備という共通の目的があるせいで、嫌でも同じ方向を見なきゃいけない。


 その結果、たぶん少しだけ、お互いを“ただの邪魔なライバル”では見られなくなってきている。


 ……と、そんなふうに俺が客観視していられたのは、昼休みまでだった。


     ◇


 昼休み。

 購買でパンを買って戻る途中、廊下の角でことりとみずきが二人で話しているのが見えた。


 俺が声をかける前に、ことりが先にこっちへ気づく。


「あ」


 その一瞬で、二人の会話が止まった。


「……悪い」


 思わず言うと、みずきが肩をすくめる。


「なにその反応」


「いや、話の途中だったろ」


「途中だったけど」


 みずきはそう言って、ことりをちらっと見る。


「別に、聞かれて困る話じゃないし」


「そうなのか」


「……半分くらいは」


 ことりが小さく言う。


 その“半分くらい”に、なんとも言えない気配を感じた。

 いやな予感というほどではない。けれど、あまり軽い話ではなかったのだろう。


「白井くん、パン?」


 ことりが話題を変えるみたいに聞いてくる。


「そう」


「今日は何」


「焼きそばパン」


「また?」


「文句あるのか」


「ないけど、好きだよね」


「安定感あるだろ」


 そういうどうでもいい会話ができるくらいには、空気はいつも通りに戻った。

 だが、俺が教室へ戻ったあとも、ことりとみずきは廊下に残っていた。


 なんの話をしているのか。

 気にならないわけがない。


 でも、そこへ踏み込むのは違うとも思う。

 俺のことで話している可能性が高いからこそ、なおさらだ。


「うわ、今の顔ひどい」


 つばさが俺の前の席に座りながら言った。


「なにが」


「“気になるけど聞けない男子”の顔」


「……そんなに分かりやすいか」


「最近ずっとそう」


 つばさは頬杖をついて、廊下のほうへ目を向けた。


「でも、たぶん今はあの二人だけのほうがいいと思うよ」


「なんで」


「ことりちゃんも朝比奈さんも、白井くんがいると意識するから」


「それはまあ」


「たまには“白井くん抜き”で整理する時間が必要なんだって」


 その言い方は、少しだけ真面目だった。

 つばさは面白がっているようで、たまに妙に本質的なことを言う。


「……藤宮さん」


「ん?」


「おまえ、ほんとなんなんだろうな」


「褒めてる?」


「そこは受け取り方次第だな」


「ひどい」


 そんな会話をしているうちに、ことりとみずきが教室へ戻ってきた。

 どちらも大きく表情が変わっているわけではない。

 でも、ことりの頬が少しだけ熱を持っているように見えた。みずきは、何かを飲み込んだあとの顔をしていた。


 その日の放課後、俺はようやくその理由の一端を知ることになる。


     ◇


 文化祭準備が一段落したあと、ことりが珍しく「ちょっといい?」とみずきを呼び止めた。


 それを見たつばさが、露骨にこちらを見る。


「追わないでよ」


 俺が先に言うと、つばさはにやっとした。


「追わないよ。今日はことりちゃんの顔が本気だから」


「本気?」


「うん。あれは、ちゃんと自分から話したい顔」


 そう言われると、少しだけ気になる。

 でも、だからといって聞きに行くわけにはいかない。


 結局俺はレナに頼まれて、調理補助用の備品を別室へ運ぶことになった。

 レナはいつも通り淡々としていたが、廊下を歩きながら不意に言った。


「今日、ことりさんと朝比奈さん、だいぶ話してたわね」


「見てたのか」


「見える位置にいたから」


 その言い方が、つばさと同じでいて全然違う。

 つばさは楽しそうに言う。レナは事実として言う。


「何か変わりそう?」


 俺がなんとなく聞くと、レナは少しだけ考えた。


「変わるというより、確認するんじゃない?」


「何を」


「自分が何に嫉妬してるのか」


 その答えは、妙にしっくりきた。


 嫉妬。

 ことりもみずきも、もうそれを“なんとなく嫌”では済ませられないところまで来ているのだろう。


「ことりさんは、最初の秘密にまだこだわってる」


 レナが続ける。


「朝比奈さんは、昔からの距離にこだわってる」


「……」


「たぶん今日は、そのへんの話」


 俺は返事ができなかった。


 レナの言うことが正しいかは分からない。

 でも、正しそうだと思ってしまう自分がいた。


     ◇


 その日の帰り際。

 ことりとみずきが、二人で教室へ戻ってきた。


 空気は変わっていない。

 いや、少しだけ変わっている。以前より“相手をちゃんと見たあとの空気”になっていた。


「……終わった?」


 つばさが、机に座ったまま聞く。


「終わったというか」


 みずきが言う。


「少し話しただけ」


「へえ」


「そこは何も面白がらなくていい」


「面白がってないよ」


 つばさはそう言いながら、明らかに少しだけ嬉しそうだった。

 この人はほんと、物語を動かす何かを見ると元気になる。


 ことりは少しだけ迷って、それから俺のほうを見た。

 その視線に、何か言いたいものがあるのが分かる。


「白井くん」


「ん?」


「……ちょっと、残れる?」


「今?」


「うん。少しだけ」


 みずきがその言葉を聞いて、ほんの一瞬だけ目を細めた。

 けれど何も言わない。代わりに鞄を肩にかけて、つばさへ向かって言う。


「藤宮さん、帰る?」


「うん」


「じゃ、一緒に行こ」


「え、誘ってくれるの珍しい」


「今だけ」


「はいはい」


 つばさはニヤニヤしながら立ち上がる。


 レナも「私は先に行くわ」とだけ言って教室を出た。

 みずきは最後に一瞬だけことりを見る。その視線は、敵意ではなく“ちゃんと話してきなよ”に少し近かった。


 教室に残ったのは、俺とことりだけになった。


 夕方の光が窓から入って、机の影を長くしている。

 さっきまで準備で騒がしかった教室が、急に広く感じた。


「……で?」


 俺が聞くと、ことりは少しだけ息を整えた。


「みずきちゃんと、少し話してたの」


「何を」


「私が、何にこだわってるのか」


 ことりはゆっくり言った。


「最初の秘密のこと」


 そこで、俺は少しだけ姿勢を正した。


「ああ」


「みずきちゃんに、“やっぱりあの時のことが強いんだね”って言われて」


「……」


「最初は、そうだと思った」


 ことりは窓のほうを少しだけ見た。


「最初に助けてもらったのも、最初に白井くんのそういうところを知ったのも、たしかに私だったから」


「うん」


「だから、それを取られるみたいで嫌なんだって」


 ことりは自分で言ってから、小さく苦笑した。


「ちょっと独占欲みたいで、嫌だよね」


「嫌ではないだろ」


 俺が言うと、ことりは目を丸くした。


「え」


「いや、独占欲そのものがいいとか悪いとかじゃなくて」


 俺は言葉を探す。


「そう思うくらいには、ちゃんと大事なんだろ」


 ことりはしばらく黙った。

 それから、小さく頷く。


「……うん。大事」


「なら、それでいいんじゃないか」


「でも」


 ことりは続けた。


「今日、みずきちゃんと話して分かったの」


「何が」


「私が嫉妬してたのって、最初の秘密だけじゃない」


 その声は、静かだった。


「白井くんが、他の子にも普通に優しいこと」


「……」


「その優しさを、私だけが知ってるわけじゃなくなってること」


「……」


「それが嫌だった」


 ことりはそこで少しだけ笑う。


「でも、それって秘密のせいじゃなくて、ただ私が好きだからだよね」


 その言葉は、第一章の頃よりずっとはっきりしていた。


 “最初の秘密”は、たしかに大きい。

 でも、それだけでここまで苦しくなるわけじゃない。

 ことりはもう、ちゃんとそこに気づいている。


「だから」


 ことりは一歩だけ近づいた。


「前よりもっと、嫉妬するかもしれない」


「宣言かよ」


「うん、宣言」


 少しだけ冗談っぽく言うけれど、その目はわりと本気だった。


「みずきちゃんにも、それ言ったの」


「え?」


「“秘密だけじゃなくて、今の白井くんを取られるのが嫌”って」


 俺は少しだけ言葉を失った。


 みずきに、そこまで言ったのか。


「みずきちゃん、怒るかと思った?」


 ことりが聞く。


「まあ、少しは」


「私もそう思った」


 ことりは苦笑する。


「でも、怒らなかった」


「……何て?」


「“そっか”って」


 それだけだったらしい。

 だが、それだけの中に色んな感情があったことは、想像しなくても分かる。


「みずきちゃんも、たぶん同じだったんだと思う」


 ことりは言う。


「昔から知ってるっていう特別を、取られたくないって思ってる」


 俺は何も言えなかった。


 ことりの“最初の秘密”。

 みずきの“昔からの距離”。


 どちらも、俺にとっては自然にそこにあったものだ。

 でも、向こうからすれば、それは“他の誰にもない自分だけのもの”だったのだろう。


「……重いな」


 小さく呟くと、ことりが少しだけ笑った。


「うん。重いよ」


「自分で言うのか」


「言う。だってたぶん、これからもっと重くなるもん」


「怖いこと言うな」


「でも」


 ことりはまっすぐ俺を見た。


「それでも、軽くしたくない」


 その言葉が、やけに強かった。


 嫉妬も独占欲も、綺麗な感情ではないのかもしれない。

 でも、それをなかったことにしたくない。

 ことりは、そう言っているのだ。


「……ことり」


「ん?」


「今日、なんか強いな」


「うん。たぶんちょっとだけ強くなった」


 そう言って、ことりは少しだけ照れたように笑った。


「だって、好きって自覚してからのほうが、ちゃんと欲張りになれたから」


 欲張り。

 その言葉が、今日はやけにしっくりくる。


 文化祭準備が進むほど、みんな少しずつ欲張りになっている。

 もっと近くにいたい。

 もっと見てほしい。

 もっと自分だけの何かがほしい。


 その気持ちが、ややこしさの正体なのかもしれない。


「ありがとう」


 ことりが小さく言った。


「何が」


「ちゃんと聞いてくれて」


「聞くくらいはする」


「それがずるいの」


 またその言葉だ。

 でも、前より少しだけ意味が分かる気がした。


 ことりは最後に小さく息を吐いて、鞄を持ち直した。


「じゃあ、今日は帰るね」


「おう」


「また明日」


「うん」


 ことりはそう言って、教室を出ていった。


 残された俺は、夕方の教室の真ん中で少しだけ立ち尽くす。


 秘密の共有は、恋の始まりになった。

 そして今、その秘密は嫉妬の理由にまでなっている。


 たった一つの“誰にも知られたくない失敗”から始まったことなのに、どうしてこうも感情は広がっていくのか。


 でも、その広がりをもう“なかったこと”にはできない。


 教室の窓から見える空は、少しずつ夕方の色に変わっていた。

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