第23話 真央、人生初の“女子の買い物待ち”地獄へ
文化祭準備というのは、必要なものを一度で買い揃えたつもりでも、だいたい何かが足りなくなる。
紙ナプキンが足りない。
テープの色が合わない。
予定していた飾りが想像より地味。
そういう“あと少しだけ必要”が、後からじわじわ出てくるのだ。
そして、その“あと少し”が、俺にとっては全然少しではない問題になった。
「じゃあ、追加の買い出しお願いねー」
放課後、つばさが軽い声でそう言った瞬間から、嫌な予感はしていた。
文化祭の準備机の上には、足りないものリストが並んでいる。
紙ナプキン、カラーペン、装飾用の小さな造花、メニュー札用のクリップ、ついでに足りなくなった両面テープ。
「白井くん、また買い出しお願いしてもいい?」
ことりがメモを見ながら言う。
「いいけど」
「私も行く」
みずきが即座に言った。
その声が、あまりにも即答だったので、教室の空気が一瞬だけ止まった。
「……え?」
ことりが顔を上げる。
「え、じゃなくて」
みずきは少しだけ言いにくそうな顔をしながら続けた。
「内装で使う造花とか、私の担当でもあるし。色味とか見ないとだめでしょ」
たしかに正論だ。
正論なのだが、正論の顔をした別の何かもかなり混ざっている気がする。
「それは……そうだけど」
ことりが言う。
「じゃあ、二人で行く?」
「二人だと荷物多いかも」
つばさがにやりとする。
「はい、じゃあ三人で決定」
「おまえ、楽しんでるだろ」
俺が言うと、つばさは堂々と頷いた。
「少しだけ」
「少しじゃないだろ」
レナが横から淡々と口を挟む。
「三人で行くなら、会計役と荷物持ちと確認役で分ければ効率はいいと思う」
「榊さんまでその方向に乗るのか……」
「実務的な判断よ」
理屈は正しい。
だから余計に断りにくい。
ことりは少しだけ迷った顔をしたあと、こくりと頷いた。
「じゃあ、それで」
「うん」
みずきも短く答える。
その瞬間、つばさがすごく嫌な笑みを浮かべた。
「いやあ、買い出しってほんと青春だねえ」
「一回黙ってろ」
「でも、これ絶対おもしろ――いや、たいへんなやつじゃん」
言い直しが雑すぎる。
◇
三人で駅前へ向かう道中は、思った以上に静かだった。
いや、まったく会話がないわけではない。
ことりがメモを確認して「最初は百均でいいかな」と言い、みずきが「造花は雑貨屋のほうがよくない?」と返し、俺が「じゃあ先に百均、あとで雑貨屋」とまとめる。
そういう必要な会話はある。
だが、その合間に流れる沈黙が妙に濃い。
右にことり。
左にみずき。
俺はその真ん中。
なにこれ。
いつ人生でこんな配置になることを想定した?
「白井」
みずきが歩きながら言う。
「ん?」
「紙ナプキンって、前の店で柄なしにしたよね」
「ああ」
「じゃあ今回も合わせたほうがいいでしょ」
「そうだな」
「ことりちゃんは?」
「私もそっちでいいと思う」
会話は普通だ。
普通なのに、ことりが“ことりちゃん”と自分で呼ばれたことに少しだけ反応しているのが分かるし、みずきがいつもよりわずかに丁寧な言い方をしているのも分かる。
つまり、二人とも“表向き普通にしよう”をかなり意識しているのだ。
「……なんか、変に緊張するね」
ことりが小さく言った。
「え?」
俺が聞き返すと、ことりは少しだけ困ったように笑う。
「いや、三人で買い出しって初めてだから」
「そうね」
みずきが答える。
「初めてにしては、わりと濃いメンバーだけど」
「自分で言うなよ」
「事実でしょ」
たしかにそうだ。
ことりとみずきが、こうして俺を挟んで並んで歩いている時点で、どう考えても普通の買い出しではない。
通りすがりのクラスメイトに見られたら、たぶん一発で噂になる。
いや、もうすでに小さい噂くらいはあるのかもしれないが。
「……あとで藤宮さんに言われそう」
ことりがぽつりと言う。
「絶対言う」
みずきが即答する。
「しかも“これはもうデート選抜戦でしょ”とか言いそう」
あまりにもつばさが言いそうで、俺は思わず吹きそうになった。
「笑わないで」
みずきが言う。
「いや、だって想像つくから」
「つくよね」
ことりも小さく笑う。
その一瞬だけ、空気が少し軽くなった。
でも軽くなったのは、その一瞬だけだった。
◇
百円ショップに入ると、最初のうちはまだ順調だった。
「紙ナプキンはこれでいい?」
「うん、白で」
「こっちのクリップ、数足りるかな」
「二袋でたぶん足りる」
「カラーペンは太字もいる?」
「いるかも」
三人で棚を回り、必要なものを拾っていく。
ことりはメモを見ながら全体を確認する。みずきは色味や見た目を細かく気にする。俺はカゴを持つ係と、たまに高い位置の商品を取る係だ。
役割分担としては、かなり正しい。
問題は、その“かなり正しい”の中に、妙な牽制が少しずつ混ざり始めることだった。
「これ、可愛くない?」
みずきが造花コーナーで小さなピンクの花束を手に取る。
ことりが少しだけ首をかしげた。
「可愛いけど、うちのクラスの雰囲気にはちょっと甘すぎるかも」
「そう?」
「うん。もう少し落ち着いた色のほうが、全体に合う気がする」
「でも文化祭なんだし、少しくらい華やかでもいいでしょ」
「それはそうだけど……」
おっと。
これは危ない。
本人たちは冷静なつもりだろうが、こういう“文化祭の方針”に見せかけた小さな主張のぶつかり合いは、今の二人だと妙に意味が乗る。
「白井、どう思う」
みずきが聞く。
「え、俺?」
「今こっち見てたでしょ」
「いや、見てたけど」
ことりもこちらを見る。
やめてくれ。その“どっち?”の視線を向けるな。
「……うーん」
こういうとき、適当に「どっちもいい」で済ませたい。
でも、それをやるとたぶん二人とも納得しない。
「店の中で見た感じだと、みずきの持ってるやつのほうが目立つ」
「うん」
「でも教室全体に置いたら、ことりの言う落ち着いた色のほうがまとまるかも」
二人とも少しだけ黙った。
「つまり」
みずきが言う。
「どっちつかずってこと?」
「そうとも言う」
「言うんだ」
ことりが少しだけ笑う。
「でも分かるかも」
「……まあ、そうね」
みずきも渋々頷く。
助かった。
ギリギリで踏み抜かずに済んだ気がする。
だが、そのあとも同じようなやり取りは何度もあった。
リボンの色。
テーブルに置く小物。
メニュー札の飾り。
ことりは全体の統一感を気にする。
みずきは見た目の強さや華やかさを少し重視する。
そして俺はその間で「両方分かる」としか言えない。
「……普通に疲れるな、これ」
思わず呟くと、ことりが少しだけ吹き出した。
「まだ途中だよ」
「知ってる」
「白井って、こういうの苦手そうだもんね」
みずきが言う。
「苦手っていうか、正解がないのがしんどい」
「文化祭準備なんて全部そうでしょ」
「その通りすぎる」
それでも、なんとか百均で必要なものを揃え、次は雑貨屋へ移動することになった。
◇
雑貨屋は、百均よりさらに危険だった。
理由は簡単で、置いてある物がいちいち“かわいい”からだ。
「……これ、絶対時間かかるやつだ」
店の入口を見た瞬間に俺は察した。
「何その言い方」
ことりが笑う。
「だって、明らかに選ぶもの多いだろ」
「多いね」
みずきも認める。
「造花の色味もあるし、小物もあるし」
「ほら」
結局、店に入って十分後には、俺は完全に“女子の買い物待ち”役になっていた。
ことりとみずきが並んで棚を見て、少し下がって全体の印象を確認し、また近づいて色を比べる。
俺はその少し後ろで紙袋を持ちながら、ひたすら待つ。
いや、ただ待っているだけではない。時々「これどう思う?」と聞かれる。
聞かれるたびに、地雷原へ呼ばれている気分になる。
「白井、これとこれならどっち」
みずきが聞く。
ことりも同じタイミングでこちらを見る。
「……右」
「理由は?」
「左は少しだけ主張が強い」
「へえ」
みずきが少しだけ満足そうにする。
ことりは「たしかに」と頷く。
今回はたまたまうまくいったらしい。
だが、次はそうはいかなかった。
「このリボン、どうかな」
ことりが手に取る。
「可愛いけど、ちょっと甘いかも」
みずきが言う。
「でも、模擬喫茶ならそれくらいあってもよくない?」
「それだと、全体がラブリー寄りすぎる」
「でも少しくらい文化祭っぽさはほしいし……」
二人が真面目に話し合っている。
内容だけなら完全に文化祭準備だ。だが、声の端にほんの少しずつ別の感情が混ざっているのを、俺は感じ取ってしまう。
そのときだった。
「うわ、ほんとにデート選抜戦みたいになってる」
後ろから、聞き慣れた声。
「……おまえか」
振り向くと、つばさがいた。
当然のような顔で。
「何でいるんだよ」
「たまたま近く通ったから」
「嘘つけ」
「半分くらいは本当だよ」
お決まりみたいなやり取りに、ことりが少しだけ肩を落とし、みずきが露骨に嫌そうな顔をする。
「藤宮さん、暇なの?」
「そこそこ」
「来なくてよかったのに」
「そう言われると逆に来たくなるよね」
つばさは笑いながら、ことりとみずきの間に置かれたリボンを見た。
「うわ、ちゃんと牽制しながら選んでる」
「してない」
二人の声が綺麗に揃う。
「息ぴったりじゃん」
「それは嫌」
みずきが言う。
「私はちょっと面白い」
ことりが小さく言う。
「ことりちゃん、そこ最近ちょっと強くなったよね」
「藤宮さんに鍛えられてるのかも」
「それは不本意だなあ」
つばさは俺の隣に並び、袋を持つ俺を見てにやりとした。
「で、白井くんはどう?」
「何が」
「女子二人の買い物待ち」
「普通に疲れる」
即答だった。
「だろうね」
「何選ぶにしても、どっちか立てるとどっちかが気になるし」
「ちゃんとそこ考えてるのえらいねえ」
「褒めるな」
「いや、でも前の白井くんなら“どっちでもいい”で地雷踏んでそう」
「それは」
少しだけ考える。
「……あるかもな」
「最近ちょっと成長した?」
「したくてしたんじゃない」
「でもしてる」
つばさがそう言ったとき、ことりが振り返った。
「白井くん、これ」
差し出されたのは、小さな白い造花だった。
「入口に一つだけ飾るなら、どう?」
ことりの目はまっすぐだ。
みずきは少しだけ腕を組んだまま、横から見ている。
「……いいと思う」
「ほんと?」
「うん。派手すぎないし、文化祭っぽさもある」
ことりが少しだけ嬉しそうに笑う。
みずきはその顔を見て、わずかに目を細めた。
つばさがぼそっと言う。
「はい、そうやってことりちゃんに点入る」
「点数制じゃないだろ」
「朝比奈さんの中ではそうかもよ」
やめてくれ。
でも、みずきが完全には否定しない顔をしているのがまた嫌だった。
◇
買い物を終えて店を出るころには、俺は本気で消耗していた。
「……今日は普通に疲れた」
歩きながら本音が漏れる。
ことりが少しだけ眉を下げた。
「ごめん、付き合わせすぎた?」
「そういう意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味?」
「判断の連続がしんどい」
ことりが一瞬だけきょとんとして、それから吹き出した。
「白井くんらしい」
「笑うな」
「だって、本音すぎるんだもん」
みずきも少し遅れて、小さく笑った。
「まあ、それは分かる」
「おまえらは楽しそうだったけどな」
「半分は楽しかったよ」
ことりが言う。
「半分は?」
「……疲れた」
その正直さに、俺は思わず笑ってしまった。
みずきも肩をすくめる。
「私も。真央挟んで買い物って、思ったより消耗する」
「挟まれてる側の気持ちも考えろ」
「考えてる」
「ほんとか?」
「たぶん」
たぶん、か。
でも、その“たぶん”の温度が、少しだけやわらかくなっているのは分かった。
ことりとみずきは、敵同士みたいに見える瞬間もある。
実際、牽制しあってもいる。
でも同時に、“同じことで揺れている子同士”の共感も少しずつ生まれているのかもしれない。
買い出しの帰り道、三人で並んで歩くその空気は、行きよりはほんの少しだけ軽かった。
ややこしい。
でも、そのややこしさの中に、少しだけ人間らしい温度がある。
それがまた、文化祭準備という時間を妙に特別にしていた。




