第17話 買い出し初日、二人きりは想像以上に近い
文化祭準備の買い出し担当。
その言葉だけを切り取れば、たぶん普通だ。
クラスで役割分担をして、その流れで必要なものを買いに行く。ただそれだけの話。どこの学校でもありそうな、ごく平和な行事の一部だ。
なのに、俺――白井真央にとっては、ぜんぜん平和じゃなかった。
理由は言うまでもない。
相手が、七瀬ことりだからだ。
「……」
「……」
放課後、昇降口前。
俺とことりは、そろって無言だった。
べつに喧嘩しているわけじゃない。気まずいわけでも、たぶん前みたいには気まずくない。
ただ、何を話せばいいのか分からないだけだ。
いや、分かってはいる。
普通に話せばいい。
文化祭のこととか、買うもののこととか、道順とか、そういう無難な話題はいくらでもある。
でも、いざ二人きりで並ぶと、その“普通”がいちばん難しい。
ことりも同じことを考えているのか、鞄の持ち手を両手で軽く握ったまま、少しだけ視線を泳がせていた。
春の放課後の空気はやわらかいのに、こっちだけが変に緊張している。
「……行くか」
結局、先に口を開いたのは俺だった。
「う、うん」
ことりが頷く。
それだけのやり取りで、なぜか少しだけ心臓がうるさくなる。
昇降口を出ると、校門までの道には、部活へ向かう生徒や帰宅する連中がまだそこそこ残っていた。完全な二人きりではない。なのに、二人で並んで歩いているという事実だけで、普段よりずっと距離が近い気がする。
「えっと」
ことりが小さく言った。
「買うもの、メモしてきた」
「仕事ができる」
「そこ褒める?」
「大事だろ、買い出しで一番」
そう言うと、ことりが少しだけ笑う。
「白井くんって、そういう実務的なとこで褒めるよね」
「だめか」
「だめじゃないけど、ちょっと面白い」
ことりは鞄から折りたたんだ紙を取り出して、俺に見せた。
紙コップ、紙皿、ストロー、テーブルクロス、装飾用のリボン、メニュー札用の厚紙、値札シール。思っていたより細かい。
「ちゃんとしてるな」
「つばさちゃんが途中までまとめてくれて、そのあと私が書き足したの」
「藤宮、こういうとこだけ頼れるな」
「“だけ”って失礼じゃない?」
「本人の前で言ってないからセーフ」
「たしかに」
ことりがまた笑う。
その笑い方が、前より自然になってきた気がした。
もちろん、完全に“ただのクラスメイト”みたいな空気ではない。お互いに意識している。ことりが自分の気持ちを口にしてからは、なおさらだ。
でも、だからこそ逆に、少しずつ“普通の会話”に戻ろうとしている感じもあった。
「駅前の百均からでいいかな」
ことりが言う。
「たぶん一番安く揃うし」
「そうだな。足りない分だけ、雑貨屋かスーパーか」
「うん」
「買い出し、思ったよりちゃんとしてるな」
「だから何回そういうとこ褒めるの」
「普通に感心してるんだよ」
「……じゃあ、ありがと」
ことりが少しだけ照れたように言う。
たぶんこの“ありがとう”は、メモを褒められたことだけに向いていない。そういう気がして、俺は返事の仕方に少し迷った。
「おう」
結局、あまりにも普通の返事しかできない。
でも、それでことりが困った顔をしないあたり、今はそれでいいのかもしれない。
◇
駅前の百円ショップは、文化祭シーズンのせいか学生が多かった。
「うわ、人多い」
「みんな考えること同じなんだな」
「だよね」
店に入ると、すぐにカゴを取る。
ことりがメモを見ながら売り場を確認し、俺が大きいものを持つ。役割分担が自然に決まるあたり、こういうのはわりと相性がいいのかもしれない。
「紙コップ……あ、こっち」
「何個必要なんだっけ」
「えっと、クラス全体で三百くらい?」
「多いな」
「余るくらいでいいって言ってた」
「たしかに、足りないほうが地獄だな」
ことりが棚から商品を手に取り、数を確認する。
その隣で俺が残り個数をカゴへ入れていく。
それだけのことなのに、妙に“二人でやってる感”があった。
「白井くん」
「ん?」
「そっちの、柄なしのほうがよくない?」
「こっちか」
「うん。柄つきだと逆にごちゃつくかも」
「じゃあこっちにするか」
意見を出して、決めて、手を動かす。
こういう流れは不思議とぎこちなくならない。
むしろ、教室で何でもない話をしているときより自然かもしれなかった。
「……なんか」
ことりが小さく言う。
「買い出しって、もっと気まずいかと思ってた」
「俺も」
「だよね」
「でも思ったより普通だな」
「うん」
ことりが少しだけ笑う。
「普通に、ちゃんと一緒に準備してる感じ」
その言葉が、静かに嬉しそうだった。
俺は商品棚の値札を見ながら、少しだけ考える。
ことりにとって、“普通に一緒に何かする”ことは、もう結構特別なのだ。
たぶん俺にとっても。
「……よかったな」
そう言うと、ことりがこっちを見る。
「うん。よかった」
視線が合う。
ほんの二秒くらい。
でも、それだけでまた変に意識してしまう。
「次、リボン?」
俺が話を戻すと、ことりが少し慌てたように頷いた。
「う、うん。リボン」
「売り場どこだ」
「たぶん文具の奥」
「了解」
こういうとき、俺はほんとに大したことが言えない。
でも、今は大したことを言わないほうが楽なのかもしれない。
◇
買い物は思ったより順調だった。
途中、ことりが色で迷って少し立ち止まったり、俺が値段を見落として「そっちは高いよ」と止められたりはしたが、全体としてはかなりスムーズだ。
「会計どうする?」
レジ前で俺が聞く。
「クラス費から出す分と、立て替え分を分けたい」
「じゃあ、消耗品はまとめて会計して、細かい装飾だけ別?」
「うん。そのほうがあとで精算しやすいかも」
「了解」
ことりがすぐにスマホのメモを開いて金額を書き始める。
手際がいい。
「やっぱり仕事ができる」
「また言った」
「事実だし」
「……そういうの、今日ずっと言うつもり?」
「思ったことはわりと言うタイプだから」
「今さらそれ言う?」
ことりが少しだけ笑う。
その笑顔はやわらかい。
教室の中で見せる笑顔と似ているのに、少しだけ違う。もっと近い場所で見るからそう見えるのかもしれない。
会計を終えて、袋を持つ。
大きめの荷物は当然こっちに回ってきた。
「持つよ」
ことりが言う。
「いい」
「でも多いでしょ」
「多いけど、持てる」
「私も少しは持てるよ」
「分かってるけど」
俺は袋の持ち手を持ち直した。
「確認役が荷物で手塞がると、あとでぐちゃぐちゃになるだろ」
ことりが一瞬だけ止まる。
「……それって、私が確認ちゃんとする前提?」
「そういう役割分担だろ」
「そうだけど」
ことりは少しだけ俯いて、小さく笑った。
「なんか、信頼されてる感じする」
「実際そうしてるし」
さらっと言ったあとで、自分でも少しまずい気がした。
でも、ことりは困った顔ではなく、嬉しそうな顔をしていた。
「……今日は心臓に悪いなあ」
「え?」
「白井くんが、普通にそういうこと言うから」
「なんか最近そればっか言われてないか、俺」
「だって本当だもん」
ことりがそう言って、少しだけ俺の隣へ寄る。
人通りの多い歩道で、ぶつからないように自然と距離が縮まるだけなのに、意識しているせいで変に近く感じる。
駅前を歩く高校生の二人。
傍から見れば、たぶん普通だ。
でも、俺たちには全然普通じゃない。
◇
帰り道、少しだけ遠回りして学校へ戻る。
文化祭の買い出し袋が手に食い込む。
ことりは横でメモを見直して、足りないものがないか確認していた。
「大丈夫そう?」
俺が聞く。
「たぶん。紙ナプキンだけ、明日追加でいるかも」
「じゃあそれはクラスのやつに頼むか」
「うん」
そこで会話が切れる。
沈黙。
でも悪い沈黙じゃない。
しばらく歩いてから、ことりがぽつりと言った。
「……今日、すごく楽しかった」
俺は少しだけ足を緩める。
「買い出しなのに?」
「買い出しだから、かな」
「どういう意味だよ」
「だって、文化祭の準備ってみんなでするものだけど、買い出しってちょっとだけ特別じゃない?」
ことりは前を向いたまま続ける。
「二人で外に出て、ちゃんと相談して、何買うか決めて」
「まあ、それは」
「なんか、ちゃんと一緒に何かしてる感じがして、うれしかった」
その言葉は、少しも飾っていなかった。
俺はすぐに返事ができなかった。
否定する理由はない。むしろ、同じようなことを少し思っていた。
「……俺も」
やっとそれだけ言う。
ことりがこちらを見た。
「ほんと?」
「思ったより楽だったし」
「そこ、もっと言い方ないの?」
「あるかもしれないけど今は出てこない」
「もう」
ことりが少しだけ笑う。
「でも、ほんとにそれだけ?」
「それだけじゃない」
自分でも驚くくらい自然に、そう言っていた。
ことりがぴたりと足を止める。
俺もつられて止まった。
「……じゃあ、何?」
その問いは小さかった。
でも、ちゃんと期待が混じっていた。
春の夕方の光が、ことりの髪に少しだけ残っている。
言葉を選ばないとまずい。そう思うのに、うまい言い方は出てこない。
「ちゃんと、ことりと一緒に何かするの、初めてだったから」
それが、精一杯だった。
ことりは一瞬だけ目を見開く。
それから、ゆっくり笑った。
「……それ、ずるい」
「またそれか」
「だってそういう言い方するから」
ことりは小さく息を吐いて、それから少しだけいたずらっぽく言った。
「じゃあ、また買い出しあったら嬉しい?」
「文化祭準備としては、ないほうがいいだろ」
「そういう正論はいらないの」
「難しいな」
「ふふ」
ことりは本当に楽しそうだった。
その笑顔を見ていると、こっちまで肩の力が抜ける。
ただ、その瞬間。
道路の向こう側に、見覚えのある姿が見えた。
「……あ」
思わず声が漏れる。
ことりがそちらを見る。
少し離れた歩道の向こう。信号待ちの人の中に、朝比奈みずきがいた。
こっちを見ている。
いや、正確には、俺とことりが並んで立っているところを見てしまった、という顔だった。
目が合う。
みずきは一瞬だけ止まって、それからすぐに視線を逸らした。
けれど、逸らすまでのほんの一瞬で、胸の奥がざわつくような顔をしていた。
「……見られたね」
ことりが小さく言う。
「……見られたな」
信号が変わる。
人の流れが動き出す。
みずきはそのままこちらへ来るでもなく、逆方向へ歩き出した。
追いかけるべきか、一瞬だけ迷う。
でも、今ここで俺がことりを置いて行くのも違う。
ことりだって、そのことくらい分かっている顔をしていた。
「行かなくていいの?」
ことりが聞く。
「……今行っても、たぶん変だろ」
「そっか」
ことりは少しだけ寂しそうに笑った。
たぶん、みずきの気持ちも分かっているのだ。
楽しかった買い出しの余韻に、少しだけ苦いものが混ざる。
でもそれでも、今日の時間がなくなるわけじゃない。
ことりと一緒に買い出しに行ったこと。
ちゃんと楽しかったこと。
それは消えない。
「……学校戻るか」
俺が言うと、ことりが静かに頷いた。
「うん」
二人でまた歩き出す。
文化祭準備の買い出し初日。
ただの雑務のはずだったそれは、思っていた以上に特別で、思っていた以上に近かった。
そして、その近さを誰かに見られてしまった以上、
たぶんこのややこしい関係は、もう一段階先へ進んでしまう。
そんな予感を抱えたまま、俺たちは夕方の校門へ戻っていった。




