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第16話 ややこしい青春ラブコメは、ここから本番

文化祭準備を二人組で進める。


 たったそれだけの連絡で、どうしてここまで教室の空気が重くなるのか。

 いや、理由は分かっている。分かっているが、分かっていることと納得できることは違う。


 放課後の教室。

 日が少し傾き始めた窓際。

 途中まで賑やかだった文化祭準備の空気が、さっきの実行委員の一言で妙に張りつめてしまった。


 ペア。


 その言葉が、やたら具体的だ。

 誰と誰が一緒に動くか。

 誰が誰の隣に立つのか。

 それを決めるということは、今のこの微妙な関係性に、形を与えることでもある。


「……で、どうするの」


 最初に口を開いたのは、みずきだった。


 声は低め。

 でも、怒鳴っているわけじゃない。怒鳴らないようにしている、のほうが近い。


「どうするって言われても」


 俺が言う。


「担当ごとに分けるしかないだろ」


「まあ、それはそうだけど」


 ことりが小さく言う。

 いつもより静かな声だ。たぶん、自分でも余計なことを言わないようにしている。


 つばさは少し離れた机に腰をかけて、面白そうというより、完全に“観察者モード”に入っていた。レナは腕を組んだまま、騒がずに全体を見ている。


 空気が悪い。

 悪いが、逃げるわけにもいかない。


「とりあえず」


 つばさが言う。


「冷静に整理しようか」


「おまえがその台詞言うの、ちょっと怖いな」


「失礼だなあ。こういうとき意外と役に立つよ、私」


「意外と、な」


「そこは強調しなくていい」


 つばさは黒板の前に立って、さっき書かれた担当欄の下にチョークで線を引いた。


「今の担当はこう。ことりちゃんは接客と宣伝、朝比奈さんは衣装と内装補助、白井くんは買い出しと内装、榊さんは調理補助と救護」


「私の扱いだけ雑じゃない?」


 レナが言う。


「榊さんは単独でも安定してるから後回し」


「それ褒めてるようで便利に使ってるだけよね」


「半分くらいは」


「残り半分も便利に使ってるじゃない」


 こういうどうでもいいやり取りがあるほうが、逆に助かる。

 完全な沈黙のまま決めるのは、たぶん無理だった。


「で」


 つばさがチョークを回しながら言う。


「買い出しは白井くん単独だと荷物多いから、誰かと組むのが妥当」


 その瞬間、空気が一段階だけ重くなった。


 分かりやすすぎる。

 この話題がいちばん危ないのは、全員最初から分かっていたのだ。


「別に、男子と組めばいいんじゃない?」


 みずきが言う。


「確かにそれもありだね」


 つばさが頷く。


「でも実行委員、わりと男女混合でって言ってなかった?」


「言ってたっけ」


「言ってたよ。買い出しは“細かい確認役も必要だから”って」


 つばさはそう言って肩をすくめる。


「つまり、白井くんの買い出し相手は女子の可能性が高い」


 やめろ。

 そんな言い方をするな。現実味が増すだろ。


 みずきが露骨に眉をひそめる。

 ことりは何も言わない。言わないが、明らかに気にしている顔だ。


 レナが静かに言った。


「確認や会計が丁寧な人のほうが向いてるなら、ことりさんが妥当じゃない?」


 今度は、ことりがぴくっと反応した。

 みずきの視線が鋭くなる。


「えっ、私?」


 ことりが少しだけ目を見開く。


「向いてると思うけど」


 レナは淡々と続ける。


「落ち着いてるし、店員さん相手にもちゃんと話せそうだし」


「それは、まあ」


 ことりは困ったように視線を泳がせる。

 たぶん、嬉しいのと困るのが半分ずつ混ざっている。


「ちょっと待って」


 みずきが言った。


「それなら私でもできるけど」


「できるのと向いてるのは違うでしょ」


 つばさがすぐに返す。


「朝比奈さんは衣装のほうが向いてるよ。センスあるし」


「それはそうだけど」


「でも買い出しもできる」


「できるけど、内装も兼ねてるでしょ。白井くんの相方までやったら、逆に負担偏るよ」


 みずきが少しだけ黙る。

 正論だった。


 そしてことりは、まだ何も言わない。

 それが逆に目立った。


「七瀬さんは?」


 みずきが不意に言う。


「え?」


「自分でどうしたいの」


 ことりは少しだけ息を止めた。

 たぶん、そこを聞かれるとは思っていなかったのだろう。


「私は……」


 迷っている。

 その表情だけで分かった。


 行きたいのだ。

 でも、行きたいと言ったら自分の気持ちが露骨すぎることも分かっている。


「ことり」


 俺が呼ぶと、ことりがこっちを見る。


「無理なら別にいい」


 できるだけ平静な声で言ったつもりだった。


「買い出しって、普通に荷物重いし、歩くし、面倒だし」


「それ、フォローになってる?」


 つばさが小声で言う。うるさい。


 でも、ことりは少しだけ笑った。


「……無理じゃないよ」


「え」


 みずきが反応する。


 ことりは視線を落とさず続けた。


「私でよければ、やる」


 その一言は小さかった。

 でも、思っていたよりずっとはっきりしていた。


 みずきが唇を噛む。

 つばさは目を細める。

 レナは何も言わない。


 俺だけが、一瞬だけ言葉を失った。


「……いいのか」


 ようやく出たのは、それだけだった。


 ことりは少しだけ頬を赤くして、でも頷いた。


「うん。文化祭のためだし」


 その最後の一言は、たぶん照れ隠しだった。

 みんな分かっているのに、誰もそこは突かない。


「じゃあ、買い出しはことりちゃんと白井くんで仮決定」


 つばさがチョークで黒板にさらっと書く。


 その“仮決定”という文字が、やけに重たく見えた。


「……はい」


 自分でも妙に素直な返事が出たと思う。


 みずきはしばらく何も言わなかった。

 だが、その沈黙が怒りだけではないのも分かる。たぶん、みずき自身、ことりが適任だと理屈では分かっているのだ。


 それでも、納得と感情は別だ。


「じゃあ朝比奈さんは、衣装と内装の確認で私と組もうか」


 つばさが言う。


「は?」


「嫌なの?」


「嫌っていうか」


「でも私となら変な空気にならないでしょ」


「それは……まあ」


 つばさは軽いようでいて、こういうところは妙に気が利く。

 自分がクッションになれば、みずきも無理にことりとぶつからずに済む。


「榊さんは調理と救護で単独?」


 つばさが振り返る。


「調理補助なら誰か一年生借りるわ」


 レナが答える。


「そのほうが効率いいし」


「じゃ、そんな感じで」


 つばさがチョークを置いた。


 文化祭準備のペアは、いちおう決まった。

 決まったのだが、教室の中に漂う微妙な緊張感までは消えない。


「……じゃあ、今日はここまで?」


 ことりが小さく言う。


「そうだね」


 つばさが頷く。


「これ以上やるとまた空気が煮詰まるし」


 煮詰まるって表現、料理かよ。

 でも言いたいことはよく分かる。


     ◇


 みんなが少しずつ帰り支度を始める中で、ことりが俺の近くへ来た。


「白井くん」


「ん?」


「その……買い出し」


「ああ」


「よろしくね」


 ことりは少しだけ照れたように笑う。

 それだけのことなのに、さっきよりずっと距離が近く感じる。


「よろしく」


 俺もそう返す。


 するとことりが、ほんの少しだけ声を落とした。


「……なんか、ちゃんと一緒に何かするの、初めてかも」


「そうだな」


「うれしい」


 小さすぎて、周りには聞こえなかったと思う。

 でも俺にはちゃんと届いた。


「それ、今言うのか」


「だって今思ったから」


「心臓に悪い」


「白井くんも、そういうこと言うよね」


 ことりはくすっと笑って、それから先に教室を出ていった。


 残された俺は、少しだけその場で固まる。


 うれしい。

 そう言われて、嫌じゃないどころか、ちゃんと嬉しいと思ってしまった自分がいた。


 その一方で、後ろから視線を感じる。


 みずきだ。


 振り向くと、みずきは鞄を肩にかけたままこちらを見ていた。

 怒っているような、拗ねているような、でもそれだけじゃない顔。


「……なに」


 とりあえず聞く。


「別に」


「その“別に”は信用できない」


「じゃあ言うけど」


 みずきは少しだけ唇を尖らせた。


「悔しい」


「ストレートだな」


「今さら取り繕っても意味ないし」


 そう言ってから、みずきは少しだけ笑う。

 その笑いは苦いけれど、前みたいに尖ってはいなかった。


「でも、七瀬さんが適任なのは分かる」


「……うん」


「分かるから余計むかつく」


「それは、まあ」


「だからって文句言ってひっくり返したいわけじゃない」


「うん」


「ただ、悔しいだけ」


 みずきはそこまで言ってから、小さく肩をすくめた。


「ほんと、嫌になるよね。自分でも分かるのに、どうしようもないの」


 その言葉に、俺は何も返せなかった。


 たぶん今のみずきが欲しいのは、慰めじゃない。

 “そうだな”と認めることのほうだ。


「……そうだな」


 みずきは少しだけ目を細めた。


「うん。そういう返事でいい」


 それだけ言って、今度こそ教室を出ていく。


 みずきの背中を見送りながら、俺はふと気づいた。

 みずきもことりも、立っている場所は違うのに、同じくらい本気なのだ。


 どちらかが軽いわけじゃない。

 どちらかが遊びなわけでもない。


 その事実が、今さらじわじわと重くなる。


     ◇


 帰り道、校舎の昇降口を出たところで、ことりが待っていた。


「え」


「……待ってた」


 ことりが少しだけ照れくさそうに言う。


「みずきと話してたから、先に帰るかと思った」


「帰ろうと思ったけど」


「けど?」


「ちょっとだけ、話したくて」


 そう言われると、断れるわけがない。


 夕方の校門前。

 春の風はまだやわらかくて、部活帰りの声が遠くに聞こえる。


「買い出しのこと?」


 俺が聞くと、ことりは頷いた。


「それもあるけど」


「それも?」


「……今日、ちゃんと決まってよかったなって」


「うん」


「朝比奈さん、怒るかなってちょっと思ってた」


「怒ってはいたと思う」


「だよね」


 ことりが苦笑する。


「でも、思ったよりちゃんと受け止めてくれた」


「みずきなりに、だろうな」


「うん」


 ことりは少しだけ空を見上げた。


「私、たぶん前よりずっと欲張りになってる」


「欲張り?」


「白井くんと、もっと一緒にいたいって思うから」


 心臓がまたうるさくなる。


「だから今日も、買い出しの話が出たとき、ちょっと嬉しかった」


 ことりはそこで、少しだけ笑った。


「でも、嬉しいって顔しすぎたらだめだと思って、がまんしてた」


「がまんしてたのか」


「してたよ。かなり」


「全然分からなかった」


「うそ」


「少しは分かった」


「どっち」


「半分くらい」


「またその言い方」


 ことりが肩を揺らして笑う。


「……でも」


 笑いのあとで、ことりは少し真面目な顔になった。


「白井くん」


「ん?」


「あの日、助けてくれてありがとう」


「またそれ言うのか」


「言うよ」


 ことりはまっすぐ俺を見る。


「あれで終わりじゃなかったの、私だけじゃなかったんだね」


 その言葉の意味を、俺は少しだけ考える。


 たぶんことりは、“自分だけがあの日に囚われていたわけじゃない”と言いたいのだろう。

 俺も、あの日から少しずつ変わっている。

 それを確かめたかったのかもしれない。


「……終わってないよ」


 自然に、そう言っていた。


 ことりの目が少しだけ開く。


「うん」


 それだけで、ことりは十分だったみたいに笑った。


 告白でもない。

 約束でもない。

 けれど、今の俺たちにはその一言で足りた。


 その一方で、みずきも、ひよりも、レナも、まだ何も終わっていない。

 たぶんこれからもっとややこしくなる。


 けれど、それでも。


 ここまで来たら、もう戻れない。


 好きな子の秘密を笑わずに助けただけのはずだった。

 でも、気づけば俺の放課後は、美少女たちの感情と勘違いと修羅場の火種で埋まり始めている。


 そしてたぶん、これこそが本当の意味での“始まり”なのだ。


 ややこしい青春ラブコメは、ここから本番だった。

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