第15話 文化祭準備はラブコメを悪化させる天才装置
文化祭という行事を考えたやつは、たぶん青春ラブコメを発生させる気満々だったんだと思う。
放課後の居残り。
役割分担。
男女での作業。
買い出し。
衣装だの装飾だの、普段なら絶対にしない距離感の会話。
どう考えても、平穏な人間関係を維持する装置ではない。
そしてもちろん、今の俺たちみたいな“すでにちょっとややこしい”関係性にとっては、最悪の燃料だった。
「はい、文化祭実行委員からのお知らせー」
六限目の終わり、担任が教卓を軽く叩いた。
クラスのざわつきが少しだけ静まる。
「来月の文化祭に向けて、今日から本格的に準備を始める。うちのクラスは模擬喫茶に決まったから、内装、接客、衣装、買い出し、宣伝、そのへんを分担してもらうぞー」
前の席の男子が「ベタだな」と呟き、後ろの女子たちが「かわいいやつやりたい」と盛り上がる。
すごく普通の文化祭前の空気だ。
なのに俺だけは、妙に嫌な予感がしていた。
いや、俺だけじゃない。
ちらっと周囲を見ると、ことりもみずきも、そしてつばさまで、微妙に同じ顔をしている。
また放課後が増える。
たぶん全員、それを察したのだ。
「じゃあ、とりあえず仮の担当決めるぞ」
担任が黒板に大きく項目を書いていく。
接客。
衣装。
内装。
調理補助。
買い出し。
宣伝。
その文字列を見ているだけで、頭が痛くなりそうだった。
「白井くん」
横から小さな声。
ことりだ。
「ん?」
「どれ、やるつもり?」
「まだ何も考えてない」
「私も」
ことりが少し困ったように笑う。
「でも、接客はたぶん向いてない」
「それは分かる」
「即答なんだ」
「いや、ことりはできそうだけど、やると目立ちすぎるだろ」
そう言うと、ことりは少しだけ目を丸くして、それから照れたように視線を落とした。
「……そういうこと、さらっと言うよね」
「何が」
「もういい」
よくない。
たぶんまた何か踏んだ。
そのやり取りを、後ろからみずきが見ていた。視線が痛い。ついでに、数席離れたところのつばさが口元を押さえて笑っているのも見えた。最悪だ。
結局、仮の担当はこんな感じになった。
ことり――接客兼宣伝。
みずき――衣装と内装補助。
つばさ――宣伝と全体進行補佐。
レナ――救護係兼調理補助。
俺――買い出しと内装の力仕事担当。
「なんでそんなに地味なんだよ」
思わず漏らすと、担任が笑った。
「白井、おまえはそっちのほうが向いてる」
「否定はしづらいですけど」
「だろ」
くそ、正しいのが悔しい。
ただ、そのときことりがちらっとこっちを見て、小さく言った。
「買い出し、たいへんそうだね」
「まあ、楽ではないな」
「……一緒だったら、ちょっと楽しそうなのに」
その声は本当に小さかった。たぶん俺にしか聞こえていない。
「え?」
聞き返すと、ことりは首を振った。
「なんでもない」
なんでもない顔ではなかった。
◇
ホームルーム後、教室は一気に文化祭モードに入った。
机を寄せる音。
誰が何をやるかの再確認。
スマホで参考画像を見せ合う女子。
模擬喫茶のメニュー候補で盛り上がる男子。
普段よりずっと人が近い。
その時点で、もう嫌な予感しかしない。
「ねえ、真央」
みずきがさっそく机を引きずりながら言う。
「衣装、どう思う?」
「どうって?」
「メイドっぽいのと、カフェ制服っぽいの、どっちがいいと思う」
「俺に聞くなよ」
「なんで」
「地雷だから」
「自覚はあるんだ」
「最近かなり育ってきた」
「なにその成長」
みずきは呆れたように言いながらも、少しだけ笑った。
その横から、ことりが会話に入ってくる。
「でも、白井くんの意見も一応聞きたくない?」
「ほら、七瀬さんもこう言ってる」
「いや、“一応”って付いてる時点で信用できない」
「でも客側の目線って大事だし」
ことりが真面目な顔で言う。
「それはそうだけど」
「じゃあ言って」
「……カフェ制服っぽいほう」
「理由は?」
「メイドだと、なんか……いろいろ強すぎる」
言いながら、自分でも何を気にしてるんだと思う。
だが、ことりもみずきも、なぜか妙に納得した顔をした。
「分かる」
ことりが頷く。
「変に目立ちすぎるもんね」
「そうそう」
みずきも続く。
「ていうか、白井に見られる前提であんまり露骨なのはちょっと嫌」
「待て」
俺は反射で言った。
「なんでそこで俺が基準なんだ」
みずきがきょとんとした顔で止まる。
ことりも少しだけ目を見開く。
そして二人同時に顔を赤くした。
「いや、別にそういう意味じゃなくて!」
みずきが先に言う。
「そういう意味じゃないよ!」
ことりも続く。
「でも今の流れだと明らかにそう聞こえただろ」
「うるさい!」
「そこ自分で言うなよ!」
二人に同時に言われた。
なんなんだこれは。
「はいはい、いいねえ」
つばさが少し離れたところから笑う。
「文化祭準備って感じしてきた」
「おまえは他人事だな」
「他人事だからね」
清々しいほどにそう言い切るな。
つばさは椅子の背に腕をかけながら、面白そうに全体を見回した。
「いやでもさ、ほんとに分かりやすいよ」
「何が」
「白井くん中心に微妙な牽制入ってる感じ」
やめろ。
言語化するな。
見ないふりをしていたものを言葉にすると、一気に現実になるんだよ。
ことりは視線を逸らし、みずきは露骨にむっとした。
でも、どちらも否定しない。否定できないのだろう。
◇
その日は、模擬喫茶の内装案をざっくり決めるところまで進んだ。
俺は机や棚を動かしたり、黒板にメニューの候補を書いたり、だいたい力仕事か雑用で終わった。文化祭っぽい華はないが、性に合っているとも言える。
ただ、問題は“作業の合間”だった。
ことりが自然に俺の近くへ来る。
みずきがそれを見て、対抗するように別の用事を持ってくる。
ひよりまで、なぜか一年フロアから顔を出して「先輩、文化祭準備ですか!」と無邪気に割り込んでくる。
しかも今日はそこへレナまで加わった。
「白井くん」
「ん?」
「脚立、そっち押さえて」
「ああ」
レナが掲示用の布を留めるために脚立へ上がる。
俺が下で支える。
その横で、ことりが布の端を持つ。
さらに、みずきがテープを渡す。
「ちょっと待って、そこ斜め」
「どこ?」
「もう少し右」
「こっち?」
「違う、私から見て右!」
「それを最初に言え!」
ごたごたしたやり取りが続く。
レナは脚立の上から冷静に言った。
「みんな、近い」
「何が」
みずきが聞く。
「距離」
言われて初めて、自分たちの立ち位置に気づく。
狭い教室の後方で、脚立を中心に俺とことりとみずきがほとんど円を作っていた。確かに近い。
「……あ」
ことりが小さく声を漏らす。
「別にいいでしょ、それくらい」
みずきが言う。
「いや、いいけど」
レナは淡々と続ける。
「この状態でひよりちゃんが来たらさらに悪化するわよ」
悪化する、の意味があまりにも具体的で嫌だった。
そして、その予言みたいな言葉は、数分後に見事的中した。
「先輩ー!」
教室の後ろの扉が開き、ひよりが顔を出す。
元気だな、おい。
「やっぱりいました!」
「なにしに来た」
「差し入れです!」
手には小さな袋。どうやら購買のパンらしい。
「一年なのに入ってきていいのか」
「ちょっとだけなら大丈夫です!」
絶対その“ちょっとだけ”信用ならない。
ひよりはずかずか近寄ってきて、脚立の下で作業している俺たちを見て、きょとんとした。
「……あれ?」
「なに」
「先輩、すごい囲まれてますね」
その一言で、場が妙な静けさに包まれる。
やめろ。
おまえはそういう本質だけを無邪気に突くのをやめろ。
つばさが後ろで吹き出した。
「ひよりちゃん、いいセンスしてる」
「えっ、私何か変なこと言いました?」
「言ったよ」
俺とみずきの声が揃う。
ことりは顔を赤くしているし、レナは脚立の上で小さくため息をついている。
ひよりは少しだけ首をかしげたあと、なぜかにこっと笑った。
「でも、人気者みたいでいいですね!」
「その発想で来るな」
「違うんですか?」
「違う」
「いや、半分くらいはそうかも」
つばさが言うな。
ことりが小さく言う。
「ひよりちゃん、差し入れありがとう。でも今ちょっと作業中だから」
「あっ、すみません!」
ひよりは慌てて袋を差し出す。
「じゃあこれ置いて帰ります!」
「そうしてくれ……」
「先輩、ちゃんと食べてくださいね!」
「わかったわかった」
ひよりは元気よく手を振って去っていった。
嵐だった。
本当に、去ったあとにだけ静けさが分かるタイプの嵐だ。
「……つかれた」
思わず本音が漏れる。
すると脚立の上からレナが言った。
「まだ序盤よ」
「怖いこと静かに言うな」
つばさが笑う。
「いやあ、文化祭準備っていいね。関係性が一気に悪化する」
「“いいね”って言ったな今」
「言ってない言ってない」
みずきが呆れたように息を吐いた。
「ほんと、ろくでもない」
「でも」
ことりが小さく言う。
「ちょっとだけ、楽しいかも」
全員が一瞬だけことりを見る。
ことりは少しだけ照れたように笑った。
「だって、みんなで何かするのって、普通に文化祭っぽいし」
「それは、まあ」
みずきが不承不承頷く。
「分からなくはない」
「うん」
ことりが嬉しそうにする。
そのやり取りを見て、俺は少しだけ肩の力が抜けた。
ややこしい。
たしかにややこしい。
でも、ただ苦しいだけでもない。
こういう時間の中に、ちゃんと笑える瞬間もある。
それが余計に困るのだ。嫌なら嫌で簡単なのに、少し楽しいと思ってしまうから。
◇
作業がひと段落し、日が傾き始めたころ。
文化祭実行委員の女子が教室に顔を出した。
「ごめん、各クラスに連絡ー」
「はーい」
つばさが手を挙げる。
こういうときだけ、やたらクラスの中心っぽい動きをする。
「準備の効率上げたいので、今後はできるだけペアで担当作業を進めてください、とのことです!」
その一言で、空気が凍った。
「……は?」
真っ先に反応したのは、たぶん俺だった。
「ペアって何」
「そのまんま。二人組」
「なんで」
「知らないよ、実行委員が言ってるんだから」
女子は軽く肩をすくめる。
「買い出しとか装飾確認とか、二人のほうが動きやすいでしょ?」
理屈としては分かる。分かるが、今このクラスのこの空気でその制度を導入するのは、明らかに危険だ。
案の定、俺の周囲の温度が一気に変わった。
ことりが静かに息を止める。
みずきの視線が鋭くなる。
つばさは面白そうを通り越して、もはや興味津々だ。
レナだけが「やっぱりそうなるのね」という顔をしていた。
「じゃ、今日中に仮で決めといてねー」
実行委員は気軽にそれだけ言って去っていった。
残された俺たちは、しばらく誰も何も言えなかった。
ペア。
その言葉が、教室の空気に重く落ちる。
「……最悪」
みずきが小さく呟く。
「まだ決まってないから」
ことりが言う。
「でも決めるんでしょ」
「まあ、そうだけど」
俺が答えると、つばさがにやっと笑った。
「おもしろ――いや、たいへんになってきたね」
「言い直しが雑なんだよ」
つばさは肩をすくめる。
「だってこれ、どう考えても次回に続くやつじゃん」
「現実を物語みたいに言うな」
「でもそうでしょ」
否定できない。
文化祭準備は、やっぱりラブコメを悪化させる天才装置だった。
そして俺たちは今、そのど真ん中に立たされている。




