第14話 幼なじみは、負けたくないのにまだ戦い方が分からない
朝比奈みずきは、自分が器用ではないことをよく知っている。
勉強はそこそこできる。運動も平均より上。人付き合いだって苦手ではない。
でも、“本当に大事なこと”になると、いつも少し遅れる。
言わなくていい一言を先に言ってしまう。
言いたい一言は、喉の奥でつかえる。
そのくせ、相手の反応にはちゃんと傷つく。
面倒くさい。
自分でそう思うくらい、面倒くさい性格だ。
そして今、その面倒くささの中心にいるのが、白井真央だった。
「……最悪」
朝、洗面台の前で髪を整えながら、みずきは小さく呟いた。
昨日の放課後。
階段の踊り場。
あのあと真央と七瀬ことりが二人きりで話していたことを、みずきは知らない。知らないけれど、知らないままでも分かることはある。
七瀬ことりは、もう自分の気持ちを隠しきれていない。
“私だけが知ってる白井くんだと思ってた”。
あの言葉は、みずきの胸にまだ刺さったままだ。
「……ずるいのよ」
誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。
ことりに対してか。
真央に対してか。
それとも、自分自身に対してか。
どれも少しずつ正解だ。
◇
教室に入ると、真央はもう来ていた。
席に座って、珍しくぼんやり前を見ている。
あの顔は、何か考え込んでいるときの顔だ。昔から変わらない。小学校のころ、算数の文章題で詰まったときも、友達と喧嘩して何て言えばいいか分からなくなったときも、だいたいああいう顔をしていた。
そこだけ切り取れば、なんにも変わっていない。
なのに今は、その“変わっていないところ”が逆に腹立たしい。
「……おはよ」
少しぶっきらぼうになったのは、仕方ないと思う。
真央が顔を上げる。
「おはよう」
普通の声。普通の顔。
それがまた、むかつく。
「なによ」
「いや、別に」
「その“別に”ってほんと便利よね」
「昨日も似たようなこと言われた気がする」
「言われるようなことしてるんでしょ」
真央は少しだけ困ったように笑った。
その笑い方を見た瞬間、みずきはさらに腹が立つ。
そういう顔をするからだ。
困ったみたいに笑って、相手に強く出づらくさせる。昔からそうだ。本人は何も計算していない。していないのに、たまに妙にずるい。
「朝から機嫌悪いな」
「誰のせい」
「俺だろうな」
「分かってるならよし」
「よくはないだろ」
軽口の応酬。
昔から何百回もやってきたやつ。だからこそ、楽でもあるし、逃げ場にもなる。
でも今のみずきは、その楽さの中に隠れていたくなかった。
「真央」
「ん?」
「ちょっと、昼に時間ある?」
「あるけど」
「じゃあ、屋上前の廊下」
「また呼び出しか」
「嫌ならいいけど」
「嫌とは言ってない」
「じゃあ来て」
みずきはそれだけ言って、自分の席へ向かった。
背中に視線を感じる。
たぶんことりだ。つばさも見ている。レナも気づいているかもしれない。
もう、こういうの全部嫌になる。
嫌になるくせに、やめられない。
◇
昼休み、屋上前の廊下は静かだった。
鍵のかかった扉。少しひんやりした空気。窓の外には春の明るい空。
人が来ないわけではないけれど、教室よりはずっと話しやすい。
みずきが先に着いていて、窓枠に背中を預けていた。
真央が来る気配がしても、すぐには振り向かない。
「来た」
「来たよ」
「ちゃんと」
「呼んだのおまえだろ」
振り返ると、真央が立っていた。
いつも通りの制服姿。寝ぐせはない。ワイシャツの襟もきちんとしてる。そういう小さいところは昔から妙にちゃんとしている。
「で、何の話」
真央が聞く。
みずきは少しだけ黙ってから、言った。
「昨日さ」
「うん」
「七瀬さんと、あのあと二人で話した?」
真央の顔が、ほんの少しだけ止まる。
その反応だけで十分だった。
「……したんだ」
「いや、その」
「したんでしょ」
「まあ」
みずきは窓の外を見た。
青い空が、むかつくくらいにのんびりしている。
「やっぱり」
「何がだよ」
「何か変わってると思ったから」
真央は少しだけ眉を寄せた。
「そんなに分かりやすいか」
「分かりやすい」
「みんなそう言うな」
「じゃあ本当に分かりやすいんでしょ」
正論だ。
けれど、今はそんなことどうでもよかった。
「……好きなんだって?」
みずきはできるだけ何でもない声で言ったつもりだった。
でも、言い終わった瞬間に、自分の喉が少しだけ震えているのが分かった。
真央が黙る。
否定しない。
それだけで、答えになってしまう。
「そっか」
みずきは笑おうとした。
でもたぶん、全然上手く笑えていなかった。
「笑わなくていいぞ」
真央が言う。
「笑ってないし」
「笑おうとしてただろ」
「そう見えたなら気のせい」
「その気のせい、今日は無理がある」
みずきは口をつぐんだ。
悔しい。
ほんとうに悔しい。
だって、自分だって分かっていたのだ。ことりが真央を見る目が変わっていることも、真央がそれを完全には拒んでいないことも。
でも、分かっていたことと、はっきり言葉にされることは違う。
「……私さ」
みずきはゆっくり言った。
「別に、あんたが誰かに好かれるのが嫌なわけじゃないの」
「うん」
「そんなの今さらだし。昔から、あんたって変なところで人に好かれるし」
「変なところで、はひどくないか」
「ひどくない。事実」
真央が少しだけ笑う。
その笑い方にまた腹が立つ。なんでそんな普通に笑えるんだ。
「でも」
みずきは続けた。
「七瀬さんに先越された感じがするのは、むかつく」
言った。
言ってしまった。
けれど、一度口に出すと、もう止まらなかった。
「私のほうがずっと長くあんたのこと知ってるのに」
「みずき」
「なのに、七瀬さんのほうが先に“ちゃんとした何か”に気づいてる感じがして」
胸のあたりが熱い。
怒っているのか、泣きそうなのか、自分でもよく分からない。
「負けたみたいで嫌なの」
そこで、ようやく静かになる。
真央はすぐには何も言わなかった。
変に慰めないところは、こういうときだけありがたい。たぶん今、優しいことを言われたら余計に惨めになる。
「……負けたって、何に」
少しして、真央が聞いた。
「知らない」
「知らないのかよ」
「うるさい」
みずきはそう返したあと、少しだけ笑ってしまった。
泣きそうなときほど、変に笑えてしまうことがある。
「でもたぶん」
自分で言葉を探す。
「私、ずっと幼なじみって立場に甘えてたんだと思う」
「……」
「近くにいるのが当たり前で、何も言わなくても通じるって勝手に思ってて」
「みずき」
「そのくせ、他の子が真央に近づくと嫌になる」
情けない。
ほんとうに情けない。
「だったら最初から、ちゃんと好きって言える子のほうが強いじゃん」
それは、ことりへの半分の敗北宣言みたいなものだった。
真央はしばらく黙ってから、ぽつりと言った。
「みずきは、強いだろ」
「は?」
「少なくとも俺にはそう見える」
「今それ、フォローになると思って言ってる?」
「思ってない」
「じゃあなんで言うのよ」
「本音だから」
ずるい。
やっぱりこいつは、こういうところだけずるい。
みずきは唇を噛んだ。
「……そういうとこなんだよ」
「最近それ言われがちだな」
「でしょうね」
「何で」
「みんな同じところで引っかかってるから」
真央が少しだけ目を丸くする。
自覚がないのがほんとうに腹立たしい。
でも、その腹立たしさの中に、好きが混ざっているのももう誤魔化せなかった。
「私」
みずきはまっすぐ真央を見る。
「負けたくない」
「……何に」
「だから知らないって言ってるでしょ」
「雑だなあ」
「でも負けたくないの」
そう言い切ると、胸の中が少しだけ軽くなった。
勝負でもレースでもないのは分かっている。
ことりと争いたいわけじゃない。ことりを嫌いなわけでもない。
それでも、“ここで黙ったまま、幼なじみだからって場所に甘えて終わる”のだけは、嫌だった。
「じゃあ、どうするんだよ」
真央が聞く。
みずきは一瞬だけ黙った。
それが、いちばん分からない部分だった。
「……それがまだ分かんない」
「おい」
「だって仕方ないでしょ。こっちは昨日やっと自覚したばっかなんだから」
「自覚、したのか」
みずきはそこで、はっとした。
「……今の無し」
「無理だろ」
「真央最近その返し多くない?」
「気のせいだ」
「便利に使うな!」
二人で少しだけ笑う。
笑ったあとで、みずきはようやく息を吐けた気がした。
「でも」
少しだけ真面目な声に戻す。
「次は、ちゃんと言う」
「何を」
「その……いろいろ」
「雑だな」
「うるさい。まだ整理ついてないの」
「じゃあ、整理ついたら?」
「言う」
そこまで言ってから、みずきは自分でも驚いた。
でも、不思議と後悔はなかった。
真央も少しだけ目を見開いて、それから静かに頷いた。
「……分かった」
「なによ、その“分かった”」
「いや、宣言されたから」
「別に宣言したかったわけじゃないし」
「でもしただろ」
「結果的にね!」
また少しだけ笑う。
その笑い方が、今度はちゃんと自然だった。
◇
教室へ戻ると、つばさが明らかに“何か進展あった?”みたいな顔をしていた。
「何」
みずきが先に牽制する。
「いやあ、幼なじみ会談どうだったのかなって」
「その呼び方やめて」
「え、じゃあ何。幼なじみ首脳会談?」
「もっとやめて」
つばさは笑いながら、ちらっとことりのほうを見た。
ことりはこっちの様子を見て、少しだけ緊張した顔になっていた。
みずきはその顔を見て、ほんの少しだけ肩の力を抜く。
ああ、たぶん。
ことりだって同じなのだ。
余裕なんてない。
好きになってしまったから、強そうに見えても全然強くない。
それを思うと、少しだけことりに対する見え方も変わる。
むかつく。
でも、敵だとも思えない。
面倒くさい。
やっぱり、ものすごく面倒くさい。
その日の帰り際、つばさが珍しくまっすぐな声で言った。
「朝比奈さん」
「なによ」
「怒ってばっかりだと、好きな子には伝わんないよ」
みずきは一瞬、足を止めた。
「……分かってるし」
「ほんとに?」
「ほんとに」
そう答えた声は少しだけ強がっていたけれど、前よりはずっと本音に近かった。
好きだと、まだ真央には言えない。
ことりみたいに、まっすぐ言えるほど勇気もない。
でも、言わないまま負けるのは嫌だ。
だったら、次は自分の言葉でちゃんとぶつかるしかない。
そう決めたとき、みずきの中で何かが少しだけ変わった気がした。
幼なじみは、まだ戦い方が分からない。
でも、もう逃げるつもりもなかった。




