第12話 ヒロイン全員集めて話し合えば解決すると思うな
放課後、作戦会議。
その単語を、藤宮つばさはずいぶん軽く言った。
軽く言ったが、俺にはまるで死刑宣告みたいに聞こえた。
だいたい何だ、その名称は。
話し合いですらない。会議ですらない。最初から何かが起きる前提の名前じゃないか。
「いや、行かないけど」
俺は即答した。
昼休みのあと、次の授業へ移る直前の廊下で、つばさが当然のように「じゃ、今日の放課後ね」と言ってきたので、当然のように断ったのだ。
「えー、なんで」
「なんでじゃないだろ。絶対ろくな会にならない」
「でも、ろくでもないまま放置するほうがもっとろくでもないよ」
「正論っぽい口調で雑なこと言うな」
「正論っぽくじゃなくて正論」
つばさはひらっと手を振る。
「朝比奈さんとことりちゃんが今のままなの、白井くんもしんどいでしょ?」
「……それは」
「榊さんもたぶんそう思ってるし」
「榊まで巻き込むなよ」
「巻き込むも何も、あの人はもう半分こっち側でしょ」
その言い方はどうなんだ。
だが否定しきれないのも腹立たしい。
つばさは俺の顔を見て、少しだけ声を落とした。
「安心して。教室のど真ん中で修羅場にするつもりはないから」
「その言い方、逆に不安になる」
「じゃあ、空き教室借りる」
「用意が良すぎる」
「こういうときだけはね」
ほんとに嫌な才能だと思う。
俺が無言でいると、つばさは追い打ちをかけるように言った。
「ことりちゃん、今日かなり無理してたよ」
「……」
「朝比奈さんも、怒ってるっていうより、あれはもう苦しいやつ」
「……」
「白井くんが逃げても、たぶん楽にはならない」
そう言われると、返せなかった。
逃げたい。
できることなら全力で逃げたい。
でも、たぶん今の俺にそれは許されない。
「……何時」
観念してそう聞くと、つばさがにっと笑った。
「放課後、四時半。旧校舎の手前の空き教室」
「旧校舎好きすぎないか」
「静かで人来ないから便利なんだよね」
便利に使うな。
◇
その日の授業は、正直ほとんど頭に入らなかった。
ノートは取っている。
板書も一応写している。
でも、中身は全然入っていない。
放課後、作戦会議。
その響きが頭から離れない。
作戦も何も、俺には勝ち筋がひとつも見えなかった。
しかも教室の空気は相変わらず微妙だ。
ことりは、昨日までみたいな“頑張って笑う感じ”より、もう少し静かな笑顔をするようになっていた。
たぶん、自分でもいろいろ思うところがあって、少し疲れているのだろう。
みずきは、いつもよりずっと喋らない。
怒っているのはもちろんだが、それ以上に、昨日ことりが零した言葉を自分の中で処理しきれていない顔をしている。
つばさだけが不気味なくらい平静だった。
平静というより、腹を括っている感じだ。
そしてレナは、俺が見るたびに「逃げるな」という顔をしていた。
口にしないだけ優しいのかもしれないが、十分圧はある。
六限目の終わりが近づくほど、胃のあたりが重くなっていく。
この感じ、テストの返却より嫌かもしれない。
◇
放課後。
指定された空き教室は、旧校舎へ向かう手前の、今はほとんど使われていない小さな部屋だった。窓際に古い机と椅子が寄せてあり、黒板にはいつ書かれたか分からないチョークの跡が薄く残っている。
先に来ていたのは、つばさとレナだった。
「お、来た来た」
つばさが手をひらひらさせる。
「逃げるかと思った」
「最後まで迷った」
「正直でよろしい」
よくない。
レナは窓際の机に腰を預けていた。俺を見ると、小さく頷く。
「来たなら座れば」
「なんでおまえが進行役みたいなんだよ」
「藤宮さん一人に任せると危ないから」
「それはそう」
つばさが不満そうに口を尖らせる。
「ひどいなあ」
「事実だろ」
「白井くんまで言う?」
「一番被害受けそうなの俺だからな」
そんなやり取りをしているうちに、扉が開いた。
ことりだった。
「あ……」
部屋にいる顔ぶれを見て、少しだけ足を止める。
でも逃げはしない。小さく息を吸ってから入ってくる。
「こんにちは」
「こんにちは、じゃないんだよなあ今日は」
つばさが言う。
「藤宮さん、それ自分で雰囲気悪くしてるよ」
「はーい」
ことりは教室の中央あたりで少し迷って、それから俺の正面ではなく、少し斜めの席に座った。
真正面は避ける。そのあたりが今のことりっぽい。
最後に入ってきたのは、みずきだった。
扉を開けた瞬間、空気が少しだけ張る。
みずきは一瞬、ことりを見る。ことりも見る。
それだけで、十分しんどい。
「……ほんとにやるの」
みずきがぼそっと言う。
「やるよ」
つばさが明るく返した。
「ここまで来て解散したらもっと気まずいでしょ」
「それはそうだけど」
「じゃ、座って」
みずきは不承不承という顔のまま、俺から一番離れた席へ座った。
つまり、俺を中心にすると、ことりが斜め前、みずきが斜め後ろ、つばさとレナが左右から見ている形になる。
なんだこの配置。
裁判か。
「じゃあ、始めますか」
つばさが楽しそうに言った。
「始めなくていい」
俺が言う。
「議長に拒否権はありません」
「いつ議長になった」
「今」
「雑すぎる」
つばさは咳払いを一つして、わざとらしく真面目な顔を作った。
「本日の議題は、“最近の白井くん周辺がややこしすぎる問題”についてです」
「だから題名!」
俺が即座に突っ込むと、ことりが少しだけ肩を揺らした。
笑ったのか、緊張したのか、たぶん両方だ。
「で、まず確認だけど」
つばさが指を立てる。
「今ここで“誰が悪い”を決めるつもりはありません」
「……」
「責めるためじゃなくて、拗れる前に整理するため」
「もうだいぶ拗れてるけど」
みずきが言う。
「だからこそ」
レナが静かに言った。
「これ以上変な方向へ行く前に、一回言葉にしたほうがいい」
その言い方は穏やかなのに、妙に説得力があった。
つばさが頷く。
「はい、榊さんがまともなこと言ってくれたので採用」
「人を非常識みたいに言わないで」
「半分はそうでしょ」
「否定はしない」
するんだな、そこ。
俺は額を押さえた。
「で、何から話すんだよ」
「そりゃもちろん」
つばさがにやりと笑う。
「白井くんは誰かを特別扱いしてるのか問題」
空気が止まった。
たぶん、俺以外の全員が一瞬だけ息を止めた。
俺も止めた。
「……は?」
辛うじて出たのは、それだけだった。
「いや、そこ大事でしょ」
つばさは当然みたいに言う。
「困ってる人を助けるのはいいとして、その中に差があるのかないのか」
「そんなの」
言いかけて、止まる。
ない、と言い切れるか?
ことりのときと、ひよりのときが、まったく同じだったか?
みずきとレナまで含めて、本当に全部同じ温度だったか?
「ほら」
つばさが言う。
「その時点で、考えたことはあるんじゃん」
横から、みずきの視線を感じる。
斜め前では、ことりが息を詰めているのが分かる。
「……分からない」
結局、そう言うしかなかった。
「考えたことなかったし、今聞かれてもすぐには答えられない」
「そう」
つばさはそれを笑わなかった。
代わりに、ことりが少しだけ視線を落とす。みずきも何も言わない。
その沈黙が、逆に重い。
「じゃあ次」
つばさが言う。
「朝比奈さん」
「え、私?」
「うん。今いちばんイラついてる人代表」
「それ、言い方最悪なんだけど」
「でも合ってるでしょ?」
みずきは反射的に反論しかけて、やめた。
代わりに大きく息を吐く。
「……イラついてるのはそう」
「うん」
「でも、別に七瀬さんとか一年の子が悪いって言いたいわけじゃない」
「うん」
「ただ」
みずきはそこで、一度だけ俺を見た。
「真央が、誰かにだけ特別に見えるのが嫌」
その言葉は、予想していたよりずっと静かだった。
怒鳴るでもなく、責めるでもない。だから逆に本音だと分かる。
「誰かにだけ、って」
俺が反射で聞き返すと、みずきはすぐに言った。
「少なくとも私にはそう見える」
「……」
「しかも本人はそのつもりない顔してるから、余計むかつく」
最後の一文だけ、ちょっとだけみずきらしかった。
ことりが小さく目を伏せる。
「じゃあことりちゃん」
つばさが今度はそちらを見る。
「……うん」
ことりは膝の上で手を組んだ。
少しだけ指先が強ばっている。
「私、たぶん最初は……」
「最初は?」
「自分だけが知ってることがあるの、ちょっと嬉しかったんだと思う」
その言葉に、部屋がまた静かになる。
ことりは続けた。
「もちろん、あの日のこと自体は恥ずかしかったし、最悪だった。でも、そのあと白井くんが普通にしてくれて……それで、なんていうか」
「うん」
「私だけが見た白井くん、みたいなものができた気がしたの」
みずきが少しだけ唇を引き結ぶ。
でも口は挟まない。
「だから、それが他の子にも広がっていく感じが、嫌だった」
ことりはそこで少しだけ笑った。
笑ったが、その顔は全然楽そうじゃなかった。
「すごく勝手だって分かってる」
「勝手っていうか、普通じゃない?」
つばさが言う。
「え?」
「好きになり始めた相手の“自分だけが知ってる面”って、わりと大事でしょ」
ことりが固まる。
レナが小さく息を吐いた。
みずきは完全に顔をしかめる。
「藤宮さん」
「ん?」
「今そこ、さらっと言う?」
みずきが低い声で言う。
「え、でも本質じゃん」
「そうだけど」
みずきはそう言ってから、ことりを見る。
ことりは真っ赤になって俯いていた。
「……好き、なんだ」
みずきの声は、棘があるようでいて、どこか確かめるようでもあった。
ことりはすぐには答えなかった。
しばらく黙って、それから、小さく言う。
「たぶん」
「たぶん?」
俺が思わず反応してしまう。
ことりがちらっと俺を見た。
その視線が痛いくらいまっすぐで、俺はすぐに目を逸らせなかった。
「……まだ、ちゃんと名前つけきれてないけど」
ことりが言う。
「でも、嫌だって思うのは、それっぽいから」
その言い方は、あまりにも正直だった。
空気が重い。
重いのに、誰も茶化さない。つばさですら今は笑っていない。
「じゃあ、朝比奈さんは?」
つばさが聞く。
「は?」
「いや、ことりちゃんがそこまで言ったんだから、朝比奈さんも」
「なんで私まで」
「同じ場所にいるから」
雑だ。
だが、逃げ道を塞ぐ雑さだ。
みずきはしばらく黙っていた。
言うのか、言わないのか、その境目みたいな顔をしていた。
「……私は」
ようやく口を開く。
「昔から真央のこと知ってるし」
「うん」
「今さら“優しい”とか“変に面倒見いい”とかで驚いたりしない」
それはたぶん本当だ。
みずきは昔から俺のそういうところを知っている。
「でも」
みずきはそこで言葉を切った。
「それを他の子が、“自分だけの特別”みたいに受け取ってるの見ると、なんか腹立つ」
言いながら、自分でもひどいことを言っている自覚があるのか、少しだけ眉を寄せる。
「それは……」
ことりが何か言おうとする。
「分かってる。私も同じことしてるって」
みずきが先に言った。
「真央のこと、私だって“昔から私だけが知ってる部分ある”って思ってるし」
そこで、みずきが少しだけ笑った。
苦い笑いだった。
「だから、余計むかつくのかも」
ことりとみずき。
見ている方向が違うようで、たぶん根っこはかなり近い。
つばさが小さく「なるほどねえ」と呟く。
レナは腕を組んだまま、静かに聞いていた。
「……で」
俺が言う。
「結局、俺がどうすればいいんだよ」
それがいちばん分からない。
ことりが嫌なのも分かる。
みずきが腹を立てるのも分かる。
でも、だからといって今後誰にも関わらないなんて無理だし、困ってる人を見捨てるのもたぶん違う。
つばさが口を開くより先に、レナが言った。
「少なくとも、無自覚でいるのはやめたほうがいい」
その一言は、静かだが重かった。
「同じことをしてるつもりでも、同じようには届いていない。そこは知っておくべき」
「……」
「あと、曖昧に優しくするなら、曖昧に期待も持たせる」
「期待って」
「好意だけとは限らない」
レナは俺を見る。
「“この人は自分の味方だ”って思わせるのも、十分強い」
思い返せば、ことりにも、みずきにも、ひよりにも、たぶんそういう瞬間はあった。
俺にそのつもりがなかったとしても、向こうがそう受け取ることはある。
「だから」
レナは続けた。
「これからは少しだけ、自分が何を渡してるか考えたほうがいい」
それはきっと、今の俺に必要な言葉だった。
つばさが頷く。
「榊さん、今日いちばんまとも」
「今日“も”でしょ」
「はいはい」
つばさはそう言いながらも、少しだけ真面目な顔のまま俺を見る。
「あと白井くん」
「何」
「今すぐ誰かを選べとか、そういう話じゃないから安心して」
「安心できる要素どこだよ」
「でも、ちゃんと自覚して。今のままだと、また同じこと起きるよ」
小日向ひよりの顔が浮かぶ。
昨日の、まっすぐすぎる笑顔と声。
あれがまた起きるのは、たしかに勘弁してほしい。
しばらく、誰も喋らなかった。
空き教室の窓の外では、夕方の光が少しずつ色を変えている。
やがて、ことりが小さく言った。
「……でも、ちょっとだけよかった」
「何が?」
みずきが聞く。
「私だけじゃなかったって分かって」
ことりは苦笑した。
「白井くんに振り回されてるの」
「それ、俺が悪役みたいに聞こえるな」
「半分くらいはそう」
みずきが言う。
「半分なのか」
「残り半分は、こっちが勝手にぐちゃぐちゃしてるだけ」
その言い方が、少しだけ救いだった。
少なくとも今この場では、誰か一人を悪者にしようとしているわけじゃない。
ただ全員が不器用で、ちょっとずつ距離の取り方を間違えているだけだ。
それが分かっただけでも、意味はあったのかもしれない。
「じゃ、今日はこんなとこかな」
つばさが立ち上がる。
「ほんとに終わるのか」
「終わるよ。これ以上やると、今度は本当に誰か泣くから」
「最初からそうならないようにしろ」
「無茶言うなあ」
つばさは肩をすくめた。
みずきも立ち上がる。
ことりも、少し遅れて立つ。
レナは最後まで壁際にいたが、やがて「じゃあ帰る」とだけ言って鞄を持った。
解散しかけた、そのときだった。
ことりが、ほんの少しだけ俺のほうを向いた。
「白井くん」
「ん?」
「……まだ、私だけが知ってるところ、ちょっとはあるよね」
その問いは、独占欲というより、確認だった。
不安になった子どもが、まだ自分の席が残っているか確かめるみたいな。
俺は少しだけ考えて、それから言った。
「あるんじゃないか」
「曖昧」
「じゃあ、ある」
ことりはそれを聞いて、小さく笑った。
ようやく少し、ちゃんと笑った。
みずきはそのやり取りを横で見て、何か言いたそうにしながらも言わなかった。
ただ、視線だけは俺に向けたままだった。
たぶん、今日の話し合いで全部が解決したわけじゃない。
むしろ、名前のなかった感情に名前がつき始めただけだ。
それでも。
隠れていたものが少しだけ表に出た。
そのぶん、次に進むしかなくなった。
空き教室を出たあと、誰もいない廊下を歩きながら、俺はようやく理解した。
このややこしい青春ラブコメは、まだ本格的に始まってすらいないのだと。




