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吸血塾  作者: クオン
14/43

塾に戻る吸血鬼たち

その予兆はあった為、七緒は若生を制止しようとしたが、全く動きについていけなかった。

若生は本庄の後ろに回り込み、右腕を首に回し、顎をつかんで上を向かせたまま、その場を走り去った。

本庄は声を上げる暇もなく、エディーはたたんだナイフを出す暇もなく、七緒は走り去る方向に顔を向けるのが精いっぱいだった。

「まずい! 七緒! あなたしか追いつけません! 両方殺すことを躊躇ってはならない!」

エディーはそれでも若生の逃げた方向に不自由な体で追おうとしていた。

「ナイフを!」

七緒はエディーから投げられた、たたんだままのナイフを受け取り走り出した。

走り出して、すぐに暗がりの中でふらつきながら倒れる本庄を見止めた。

七緒は倒れ掛かる本庄を抱きとめた。

『両方殺すことを躊躇ってはならない!』とは吸血されてしまったらということの筈だが、本庄に噛まれた痕跡が無い事に七緒は安堵した。

「呼んでるって・・・『姉さんが呼んでる』って言いやがってさ・・・」

呆けたように本庄は言った。

七緒は塾に向かった。

「後ろから来る外人に『塾だ』と言っておいて!」

七緒は走っている足を止めた。

電信柱が折れている、若生とゴリノが文字通り激突した場所だった。

吸血鬼となった七緒の目からまだ生体反応のある落ちている腕を拾い上げた。

肘から先。

その肘部分が砕かれている・・・これはゴリノの右腕だろう。

すぐ近くに上腕からきれいに切断された腕が落ちていた。

これが若生の左腕。

七緒は両方の腕を持って塾の玄関口まで急いだ。

中から声が聞こえる。

「ちぃ~~」

「姉さん・・・」

「ちぃ欲しい~」

「俺だよ」



「いらない、血ぃ出ないし~」

「噛んでもいいから」

「噛めないし~」

「『ワッ君』って、言ってよ」

「血ぃ出るのがいい~」

「姉さん!」

そこは弥生を寝かしていたはずの浴室だった。

全裸で女座りしている弥生の首に右手を回して抱きついている若生がいた。

七緒は冷蔵庫のフリーザーにゴリノの腕を放り込んで、二人に近づいた。

弥生が七緒を見止めてバタついたが若生がしっかりと右手だけで拘束していた。

「血ぃちょうだい! 血ぃちょうだい! 血ぃ血ぃ血ぃ~」

と、言いながら弥生は金魚のようにパクパクと牙の生えた顎を動かしている。

一見あどけなく見えるところが哀れだった。

七緒は目をそらすように浴室から出た。

あれはPTSDか?

いや、若生を認識していないようにも見えた。

記憶喪失なのだろうか?

とにかく精神的疾患なのは間違いないようだ。

「専門外だわ・・・」

一人ごちて七緒は診察室から昨日入手したばかりの10センチ程の長さのあるステンレス製のピン・針の束を取って浴室に戻った。

戸口にはエディーが戻ってきていた。

七緒は部屋に入って若生の切り落とされた左腕の切断面を生理食塩水で洗浄した。

エディーの足を癒着させた時より少なめの硫黄溶液を注射しておいて若生の横に屈んで声をかけた。

「若生君、左腕を出して」

若生は黙って肩からわずかしかない左腕のつけねを持ち上げた。

「これから切られた腕を癒着させるわ。エディーさんの治療から診て事後経過がいいみたいだから麻酔無しで接合するわ。神経が復元すると、かなり痛むけど大丈夫ね?」

若生はコクリとうなづいた。

弥生は相変わらず若生に押さえつけられたまま駄々をこねている。

「今回は一時的に固定するために長針で皮膚や筋肉を固定するわ。癒着が終わったら抜くから」

七緒は若生の肩の側の切断面を洗浄し、骨の断面と血管の位置を確認しながら切られた腕を接続した。

これから長針を本体側と切断側を交互に、そして縦横に突き通して固定するのだ。

筋肉だけなら数分で癒着する吸血鬼ならではの処置である。

七緒が針を取って突き通そうとした時、若生の腕が思わぬ変化を起こした。

接合面から切断された腕に向けて皮膚が針のように突き出したのだ。

上腕から指にかけて波のように針ネズミのような硬質な毛が生えていく。

手の甲まで広がってから、左腕は指まで広げる動作をし、すぐにぐっと握りしめられた。

針毛は腕の先端から短くなっていき再び皮下に潜り込んでいった。

「それ、自分の意志でやっているの?」

若生はまたコクリとうなづいた。

「腕がつながる時、痛くはなかった?」

「痛みより、飢えと渇きの方が強かったのでしょう?」

言いながらエディーは中に入ってきた。

弥生はその後ろにいた本庄を見つけて更に暴れた。

「あれ! あれがいい! あの血ぃ、ちょうだい! ちょうだい!」

布が破れるような音がして弥生の背中から畳まれた傘のようなものが生えてきた。

A3用紙ほどの大きさのこうもり傘、まさにコウモリのような羽が一対力なく羽ばたいていた。

「我々の系譜の初源には、こうした翼を持つ吸血鬼がいたと聞いています。ずいぶん小さくなってしまっていますが・・・」



「そんなに欲しいのか?血で良けりゃやろうか?」

そんなことを言う本庄を振り返って七緒は言った。

「ふざけないで!本当に死ぬことになるわよ!」

「七緒!」

エディーが制した。

「いや別にー、二百㏄ぐらいなら毎月献血してるしー」

「本庄さんでしたね? もうしばらく、ここで見て聞いてから決断してください。我々に関わるか否か」

そう言ってエディーは若生に近寄った。

「弥生の記憶はかなり欠落してしまったようですね。完全に眷属化すれば安定した脳が記憶を再生するかも知れません。むしろ新しい記憶を与えることによって再生のきっかけになるでしょう」

「それは無駄だね」

「若生君?」

また暴走の予兆かと七緒は身構えた。

「吸血鬼になる前にマルリックを呼んだよ。俺の処分を依頼した。予定通りゴリノ・ベルケンバーガーを殺したから懸賞金が俺に掛かると思う」

「携帯を貸しなさい! そんな依頼はキャンセルするわ!」

再びエディーが七緒を制した。

「だから、姉さんには無事でいて欲しかった。姉さんだけは守りたかったのに・・・」

「どうやって、眷属、いや、Vアメーバを暴走させたのですか?」

エディーは若生の顔の前で音を立てる弥生の翼を押さえながら訊いた。

「注射器でね。姉さんの左腕から血を取って硫黄を混ぜて体中に皮下注射してから、最後に頸動脈に血を流しこんだんだ。その後はあっという間に『変わった』よ」

「まさか、最初から暴走するつもりで?」

七緒は泣きそうな顔で言った。

「ああ、暴走でも何でも良かった。即効で吸血鬼になれればね」

「頭の中はどうでしたか?考え方などは変わったという感覚はありましたか?」

「別に。クリアーなものだったよ。やたら腹が減って、喉が渇いて、歯が痒くなったけど」

「地面すれすれを移動していましたね? なぜ?」

「猫がね、ワイヤーの下を通っていたんだ。きっとワイヤーに余計なものが掛からないように、あのハンターはあまり低い位置にはトラップを仕掛けなかったんだろうね。実際あの姿勢ならフリーに動けたよ」

「ゴリノの足首の肉を噛み千切ったことを覚えていますか?」

「ああ、あの肉を食べてから、もっと喉が渇いた。歯が痒くなった。たまらなくなってあいつの首を噛み千切りたくなった」

「それは、クロス・ブラッドという現象です。吸血鬼の呪いと言ってもいい。吸血鬼が吸血鬼の血を吸うと大幅な能力上昇を得ますが、引き換えに飢えと渇きが倍増します。普通は狂戦士化して手が付けられなくなるのですが、あなたは良く平静を保っておられる」

「平静なのは頭の中だけだよ。体はいつ、どんな風に動き出すかわからない・・・狂戦士、バーサーカーか」

「マルリックが来るまでその状態をもたせることが出来れば交渉材料になるかも知れません。彼の目的はロード・フィルを倒すこと。あなたが有効な戦力になるのなら無下に殺すことは無い筈ですから」

「俺をハンターにするってか? 最初にあんた達を狩れと言い出すぜ」

「ゴリノは恐らくハンターという身分を隠れ蓑に使っていたのです。本庄さん達にしようとしたこそが彼の本性でしょう。そこを精査しなければフェアとは言えません。そういう点ではフェアでしたよマルリックは」

「あの男に両足を切断された、あなたがそう言うなら信ずるには足るということかしらね」

七緒は濡れたタオルで顔と首にこびり付いた自分の血をふき取りながら言った。



エディーは立ち上がって右足を引きずりながら戸口に向かった。

「本庄さん、ここには、ある者は望んで、ある者は屍とならぬように、ある者は追い詰められて仕方なく、そしてある者はその理由すら忘れてしまった吸血鬼です。血の恵みを与えていただける意思はありますか?」

本庄の横に立って訊いた。

「へ? ええー、4人?さすがに4リッターとか取られるとヤバイかも。噛み付かれるともっとヤバイとか?」

「注射器による採血で200ccでいいのです。七緒と弥生の分ですね」

「なんでー、献血と一緒じゃん。もってけ、もってけ!」

「私よりも若生君でしょ?」

七緒は渋い顔をしながら言った。

「七緒、今回あなたが一番出血しています。それに今、若生に血を与えたら、また暴走するかも知れません。人間が近くにいる時は危険です」

「それでは、いいのね本庄蓮夏?」

「蓮夏・さ・ん・だろう? 十海七緒。今度は婆あの金じゃなくて掛け値なし俺の一部なんだからよー」

「腕を出してくださいな。蓮夏さん」

七緒はゴムホースを手に持って蓮夏を睨み付けた。


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