獣たちの決着
「面白いことをする奴がいるじゃねーかー」
言葉遣いとは裏腹な美少女なのに、だるんだるんの残念なジャージ姿の本庄蓮夏は1年先輩3年男子の岡田登喜夫のSMLで呼び出されて結界内に来たのだった。
誰の悪戯かワイヤーだらけの道路を踏み込んで高架下まで来てみたら、目の前には両手を広げる形でワイヤーで吊るされた岡田がぶら下がっていた。
「中央高校の岡田さんに、こんな放置プレーかます奴がいるたー、この街もまだ捨てたモンじゃねーなー。ハハハハハ」
「馬鹿! 笑い事じゃねえ。早く下ろしてくれ。このワイヤーを解くか切ってくれ! なんか、この向こうでヤッベーことになってるんだよおっ!」
岡田は夜遊びの帰りに赤毛の外人に拉致されて胴から足から腕までワイヤーでぐるぐる巻きにされて高架鉄道の鉄筋に吊るされてしまったのだった。
右腕に絡んでいたワイヤーが緩んでいたのでなんとか自由にして、携帯やレールやSMLで出片っ端からダチを呼びつけたのだが深夜3時という時間のせいか来てくれたのは目の前の本庄だけだった。
「岡田さーん、これ取れねーよぉっ。なんでペンチかニッパー持って来いってSMLに書かないかな?うあーっ、左手紫色じゃん」
「左は引っ張るな!み、右の緩んだワイヤーから順に外れないか?」
「そうするしかねーか」
本庄は右上の鉄骨に巻き込まれた部分からワイヤ-を解きにかかろうと両手を伸ばした。
伸ばした途端、両腕がワイヤーに巻き取られた。
「ごらっ! 岡田あーっ! あにふざけてんだよ?」
しかし、岡田はワイヤーに絡み取られたまま正面、本庄の後ろを見ていた。
本庄も後ろを見ると赤毛の外人がふらつきながらこちらに歩いてくるところだった。
弛んだワイヤーが街灯の光でチラリと男の手元で光ったので本庄を縛り付けたのがこの男だということを二人は理解した。
右足を引きずりながら近づくにつれてその男がどんな状態か判別できるようになり総毛立った。
男の左頭部はごっそり頭蓋骨が削られ脳がはみ出ていた。
右腕が無く、口元からは黒い血をこぼし、左わき腹からも大量出血しているようだった。
[餌が増えている・・・しかも男女セットとは・・・まだ運に見放されていない・・・]
と、ロシア語で言われても本庄と岡田には理解できなかったが、尋常でない危機が迫っていることは察することが出来た。
見ているうちに男は歯をむき出して笑い、その牙が更に伸び出してくるのが見てとれた。
男は本庄のショートカットの髪を片腕で掴み、引き寄せた。
ワイヤーに絡んだ腕が引っ張られ、本庄は無理やり首を引き伸ばされる。
「やめッ!! ぎぃひぃぃぃぃー」
本庄は眼前に迫った牙が視界を通り過ぎ、自分の喉に血にまみれた涎が垂れてくるのを感じた。
その時だった。
男の頭部が瞬間、他の頭と入れ替わったように見えた。
本庄の首に噛みつこうとする隙だらけのゴリノの首に、追いかけてきた若生が牙を頚骨に深々と突き立て噛み付いたのだった。
噛み付いたまま、自分の体ごと剥き出しの鉄筋に向けて振り回した。
何かが潰れた音と同時に鉄柱で金属音が響きわたる。
その振動は本庄や岡田を吊るしていたワイヤーを伝ってくる。
それ程の衝撃だった。
叩きつけられ後頭部を砕かれたゴリノが鉄筋に血しぶきを撒き散らせて手足を力なくぶら下げていた。
その腕がピクリと動いた瞬間、今度は若生は咥えたまま、地面に叩きつけた。
すでに頭蓋の後ろ半分が損壊していたゴリノは殆どの脳内組織を撒き散らしたが、若生の顔面もアスファルトにめり込んでいた。
その時になって始めて本庄と岡田は自分たちを助けた者の左腕がない事に気づいた。
しかも右腕はワイヤーから強引に抜け出してきたため関節が滅茶苦茶な方向に向いて力なくぶら下がっているだけの状態だった。
それでも、若生は咥えたゴリノの首を離さなかった。
右足でゴリノの左肩を踏みつけ咥えたまま、腰を浮かし、上体を起こし、首を胴から引き抜こうとする。
鳥が足で掴んだ小動物を引っ張るように。
映画の肉食恐竜が足で確保した獲物を引きちぎるように。
しかし、人間の首は鳥や恐竜のように長くは無い。
若生の体勢はかなり無理なものがあった。
ぎぐぎぐぎぐぎぐぎぐ!!
若生の首が異音を発して伸びた。
若生の膝が伸び上体が起き、ゴリノの首を引っ張る力が大幅に強くなった。
若生の首の筋肉が限界を超えてみちみちと音を立て始める。
ゴリノの首も肉や筋がびちりびちりと音を立てて伸びていきかけた時、腕と足が不規則に動き始めた。
その時だった。
大きな異型の影、二本の複手と二本の人の腕で虫のような動きで迫ったエディーがハーピーナイフでゴリノの首を一閃した。
支点から切り離された若生は自分の力で後ろに吹き飛びかけたが、それを七緒が抱かかえて着地した。
「七緒!早く胴体に『とどめ』を!」
ふらつきながら七緒は手足を出鱈目に動かしている首の無い胴に近づいた。
まだ、呼吸がままならない七尾は口から左手に黒い窒素化合物を取り、胴体に付着させた。
さらに上着を脱いでそこに炭素化合物を付着させてその上着を胴体に叩きつけ爆発させる。
燃え盛りながら、なおも動きを止めなかったゴリノの胴体は、白煙を上げて融解し始めてようやく動きを止めた。
七緒は若生の方に振り返り、咥えていたゴリノの赤い髪を掴み、血まみれの口で掠れた声をかけた。
「若生君!もういいの!離して。口を開けて」
若生は七緒の顔を見て、口を開けた。
ゴリノの半壊した頭部がはずれ、若生の口が露わになった。
ああ、牙がある。
七緒はその牙を見続けることが出来ず立ち上がった。
窒素化合物を地面に吐き出しておいて、炭素化合物を付着させたゴリノの頭をそこに落とした。
地面が削れ、軽い爆風が起こってゴリノの頭部は炎上する。
その後ろで若生の伸びきっていた頚椎が元に戻り始めた。
「はがっ、あうっ、かはっ」
頚骨一個一個が繋がるごとに激痛が走っている若生に七緒が寄り添う。
「だい、じょぶ? うぐっはー」
呼吸が中々回復しそうにはない七緒にエディーが近づいて来て立たせた。
「荒療治ですが・・・」
エディーは七緒の鼻を左右から指で挟んで塞ぎ、七緒に口を合わせて息を吹き込んだ。
潰れた肺に空気が送り込み、内側から折れた肋骨を外に押し出すためだった。
エディーの唇が離れて七緒は血が逆流し何度目かの喀血を起こした。
しかし、潰れた肺はうまく膨張し、肋骨も定位置には戻らなかったものの肺の外に押し出されたようだった。
「吸血鬼の治療って、なんて大雑把なの」
七緒はしゃべりながら息を整えた。
「若生から目を放してはいけません。あれは暴走している状態です」
エディーは七緒にそう耳打ちして、ワイヤーに拘束された少年少女の方に向かった。
怯える岡田の脇を普通の両腕で持ち上げて、複手で頭上に吊ってあったワイヤーを外して歩道に下ろした。
続いて本庄が絡め捕られている反対側のワイヤーを外して、赤黒く血が乗っているナイフを取り出した。
「ひいい~」
と、情けない声を出す岡田を尻目に黙ってエディーを見上げている本庄の手首のワイヤーの弛みをループにし内側からナイフで切断した。
「いい度胸をしておられる」
エディーは涙もズボンの中も垂れ流し状態の岡田のワイヤーを切断しにかかった。
自分のワイヤーを外した本庄は七緒に歩み寄ってきた。
「よおー、見せつけてくれっねー。十海七緒!」
「本庄蓮花! よりによってあんたを巻き込むとはね」
「若生ってー? 一年の緋波かよ、こいつ?」
「ああ、3Kナミだよ」
うつむいたまま若生は口を開いた。
「俺、そのあだ名で呼んだ事ねーからな」
「そう、『ホネ』とか『カス』だったな」
「なんだー? 気にしてたんかー? 緋波後輩に昇格してやっからよー。許せや」
「そのくらいにしておきなさい! 死ぬわよ」
「この状況で洒落になんねーなー。いや、ちゃんと礼が言いたかったんだよー。なんか命の恩人っぽいからさー」
「そう思うのなら・・・」
若生は頭を上げた。
「くれない・か・な」
若生の牙が更に伸びた。
「血を!」
びき・びき・びちぃー!
若生の伸びきりバラバラになっていたはずの右腕関節が一気に復元した。
若生が本庄に迫った。




