ハンターに狙われる吸血鬼たち
十海七緒が眷属となった翌日、緋波弥生は彼女のスレイブとなった。
通常のスレイブ化で大きなトラブルもなかった。
その次の日の夜、空気を音を影を満喫している弥生だった。
昼間は紫外線を視覚で捉えてしまうようになって苦痛だったが、夜は打って変わってスレイブの弥生の感覚に全てが優しかった。
特に月明かりの影の中が弥生のお気に入りだった。
物質に残留した熱が赤外線となって見える不思議な風景は目新しく、しばらくは飽く事がないだろう。
弥生はそんなわけで大木が蔽い茂る古びた神社の鎮守の森を散策していたのだった。
これはお気に入りのスポットになりそうだ、などと思って石段を登っていたら、七尾は何か気配を感じた。
小動物ではない人の気配、人のはずなのに人が通らない所から発せられる気配。
不審な-
と思いかけた時、何かが自分に迫っていることを察知した時、その時には既に手遅れだった。
弥生は肩の上、肩甲骨と脊椎の間、首の下の背中に衝撃と激痛を感じた。
声が出ない。
息が出来ない。
激痛が走る箇所に手を伸ばそうとしたが動かなくなり、だらんと下にぶら下がる。
足に力が入らず倒れこむ。
石段を転がり落ちそうになったところを何かで止められた。
革靴の硬い靴底を腹に感じた。
止められたというより腹を踏み押さえられて石段に留め置かれているという状態だったが、弥生はその相手を見上げることは出来ない。
スカートの腰の部分を掴み取られ片手で持ち上げられた。
弥生はようやく相手の足だけを見ることが出来た。
ズボンと短い男物のブーツ、サイズから大男ではないようだが、弥生を肩に乗せるわけでもなく、軽々と腰から二つに折りたたまれたような状態で石段の途中の段差が無いところから横の林に運ばれて、うつ伏せに倒された。
軽い傾斜になっているその場で弥生はスカートをまくられ、七緒にもらったショーツをずり下げられる。
脱がされるわけではなく、太ももでまで下げられた状態で腰に男の吐息を感じた。
嫌だ。
嫌、嫌、いやあああ!!
しかし、弥生は声に出すことは出来ず臀部の上部に鋭い痛みを感じた。
この感触は初めてではない。
ごく最近味わったことがある。
そう、この後歯を抜かれて溢れる血を吸い取られるのだ。
しかしスレイブとなっている弥生の皮膚はすぐに傷口が塞がってしまう。
男はすぐに口を離して今度は右の太ももの裏側に噛み付いた。
さらに背面中を噛まれて仰向けにひっくり返された。
首も眼球も動かすことが出来なかったが、顔を覗き込まれて相手を見ることが出来た。
痩せた輪郭の尖った顎と鼻、あの嫌な父親に似ていた。
決定的な違いは赤毛の髪と灰青色の目をした異人であることだった。
男は血の滲んだ牙を剥き出しにして笑っていた。
不意に男は石段を挟んだ反対側の林の方を向いて銃を抜いて構えた。
拳銃ではなく肩当ての無い猟銃を短くしたようなハンドガンだった。
その数分前、十海七緒は塾の事務室で弥生の脳波をトレースしていた。
スレイブにした数時間後から弥生の脳波を感知出来るようになったのだが、今夜外に出たいと言う弥生に許可を出したのはどれ程の距離まで彼女の脳波を把握できるかを試すためだったのだ。
弥生の高揚ぶりが伝わってくるが、突然緊張した脳波を感じて、その後ぷっつりと感知することが出来なくなった。
七緒は脳波の途切れた東北方向に向かうべく外に出た。
斜面下側から黒い礫が二個続けざまに飛んでくるのを男は交わした。
バオッ!
二個の礫は避けられた後の木の幹に付着した途端、爆発を起こした。
右目が硝煙で塞がってしまった為、男は慌てて退避行動を取るが爆煙の脇から七緒が飛び出してきた。
銃を向けるが利き目ではない左目の照準に手間取り、七緒に肉薄されてしまう。
「フヒュッヒュッ!!」
七緒がすぼめた唇から二個続けざまに黒い唾を吐き出して飛ばした。
男は難なく、それをかわすが黒い唾が通り過ぎた処で、また爆発が起こった。
先の爆発より大きい。
吹き飛ばされた男はバランスをすぐに取り戻し銃を七緒に向け、トリガーを引いた。
軽い金属音だけで、銃声も閃光も硝煙も発しなかった。
七緒は胸の中央に激痛を感じ、その場に倒れこんだ。
しかし、男の追撃は無かった。
遅れてきたエディーがは背後から鋭利な刃物で切りつけたのだ。
男が横っ飛びに林の茂みにダイブし、足音が遠ざかる。
エディーは背中の二本の複手を松葉杖のように操って、両足を揃えながら斜面を登って倒れた七緒に近寄る。
エディーは持っていた刃渡りが15センチはあるハーピーナイフの刃をふき取り、折りたたんで左腕に巻きつけていた革ケースに収めた。
エディーは七緒の血の滲んだ胸元を開いて、胸骨に突き刺さって内部には入り込んでいない銀の針、いや、ほとんど釘のような銀を引き抜いた。
七緒は息を吸い込んで激しく肩で呼吸をした。
肩を貸そうとするエディーに手だけをつないでもらって弥生が倒れている場所に急いだ。
弥生は爆発の余波や破片で傷ついた様子はなかった。
「弥生さん!弥生さん!」
「麻痺しています。どこかに銀が刺さっているはずですが・・・」
エディーは複手と左足で斜面を登りながら言った。
七緒は弥生をうつ伏せにしてハッとする。
背中、でん部、太もも、ふくらはぎ、足首に、すぐには数える事が出来ないほど噛まれた傷があった。
傷跡は上下顎の歯形から上あごの二本の歯だけのものなど色々であった。
エディーは背骨にそって触れて、指先で探っていき、肩の間の隙間の小さな傷跡を見つけた。
親指と人差し指の長い爪をその傷口の両端から突き刺して金属製の釘のような物を引きずり出した。
とたんに弥生は咳き込んで、呼吸を始めたが意識は無い様だった。
「弥生さん!」
「意識は戻さないほうがいい。すぐに病院に戻りましょう。眷族にしないと助からないかも知れない」
既に麻痺から完全に回復した七緒は弥生を抱き上げて、石段に戻り、早足で降りた。
エディーは背中の複手を松葉杖のように操って、両足を揃えながら歩いて七緒に続いた。
元病院の塾に戻って弥生を診察台に寝かしていると若生が診察室に飛び込んできた。
「姉さん!!」
「今は出ていなさい!若生君!」
弥生をゆり起こそうとする若生を七緒が引きとめた。
「いえ、ここにいてもらいましょう。何を見ても聞いても受け止められますね?若生?」
と、エディー。
「な、なんだよ!何があったんだよ?」
「弥生は吸血鬼に襲われました。背中を多数噛まれています。このままにしておくとグールになるか、スレイブのままでいても襲ってきた吸血鬼に再び吸血されなければ、噛み傷が壊死して大量出血してミイラ化することになります」
「ベン・マルリックなのか?」
「いえ、ニードルガンを使っていました。あれがもう一人のハンターでしょう」
「ハンター?」
「我々を、いえ私を狩り出すのに有効な手段なのです。スレイブを噛んでおいて監禁し傷口が痛んでくると解放して主のもとまで案内させるのです。ただし、ここまで不必要な噛み傷を作ったのはハンターの悪趣味ですね」
「不必要な噛み傷って・・・」
「膝だけなら見せてもいいでしょう」
七緒が渋面で弥生の膝を持ち上げた。
その下の面に二対ずつの歯型が不規則に、すぐには数えきれないほどつけられていた。
「くそっ!! 何だよこれ!!」
「こんな風にされたスレイブの対策は眷属にするしかない、ということなのね?」
「しかし、かなり吸血されたようです。血圧が下がり過ぎています。スレイブだからなんとか生きている状態ですね」
「眷属にすべく吸血してもグールになるということ?」
「しかし、他に手立てはありません。もしグール化した時は早急に処分することが弥生のためです」
「冗談じゃねえ!! 他に方法はねえのかよ! 例えば冷凍して冬眠させるとかよ! なんとかしろよ!」
「・・・それだわ」
「七緒! 冬眠は問題の先送りです。記憶喪失の問題もあるし、そもそも『冷安室』を作るのには相応の準備が必要です」
「違うの! 冷水で眷属化を遅らせるのよ。血圧が低いから首からの出血も少ないはずだわ。浴槽に弥生さんを運ぶわ。若生君一昨日の道具を準備して!」




