6話 冬の気配
十一月も半ばに差し掛かろうとしていた。
そろそろ初雪が降り始める時期だ。
廊下の窓に体を預けて空を見上げれば、寒々しい灰色がいっぱいに広がっていり。
「なあ。夏生最近モテモテじゃね?」
隣の諫矢が口を開く。
見守るような優しげな顔つき。どうやら、いつもみたいに俺をからかっているつもりじゃないらしい。
「どういう意味なのかよくわからないんだけど」
「いや、最近は渡瀬さんだけじゃなく、美央からも興味持たれてないか? って思ってさ」
「そうかなあ」
「しらばっくれんなよ。最近俺と二人で話してるとあいつ、よく割り込んでくるじゃないか。夏生、お前興味持たれてるぞ」
そうやって肘で小突かれる。
「やめろって……」
冗談だとしても恥ずかしい。
放課後にあんなやり取りがあってから、諫矢といると山吹はちょくちょく会話に割り込んでくる。
「ほら噂をすれば」
諫矢が首で合図する。その方向を見ると今まさに西崎グループが教室に入っていく所だった。
背の高いモデル体型の山吹は一番最後尾。俺達の方を見てにっこり微笑む。
そのまま入っていく後ろ姿、長いサラサラストレートが靡くのを見送った。
「あいつがあんな風に男子にちょっかい出すのって珍しいんだぜ」
「俺じゃなくて諫矢にだろ」
言い返すと諫矢はわざとらしいため息をついて見せた。
「これだから鈍感系男子は」
「うるさいなあ」
憎まれ口を叩いてこの話題を終わらせようとする。どうにも女子の話題は中学から苦手だ。
諫矢が言うのも一理あるけど、それでもからかわれているような気がしてならないのだ。
普段まともな接点すら無いのだから。もし、可能性があるのなら渡瀬さん繋がりで興味を持たれているんだろう。だけど、それってつまり何か思惑があるんじゃないかと詮索してしまう。
そんな風に女子が関わるとあれこれ無駄に考えばかりめぐってしまうのだ。
「美央のやつ、夏生と仲良くなりたいんだってさ!」
そんな悩みに悩む心が顔に出ていたのだろうか。諫矢が単刀直入な言い方をしてくる。
「何を企んでる」
「あっはは」
本気にしない俺に諫矢がおかしそうに笑う。
「遊びに行こうって誘われたんだろ? 美央から聞いたぜ」
「反応見て面白がってるんだよ」
「違う違う、あれは本音だって」
諫矢が諭すように俺に続ける。
「だってあいつ、俺にもいろいろ聞いてくるんだぜ」
いまいち信じられない。
ただ、諫矢は嘘を付くタイプじゃないし、誰かを騙して陰で笑うような性格じゃない。
「本当かよ」
こいつの真意を知りたい。俺はもう一度確かめるように見返した。
「本当だって。今度カラオケ行くとき夏生も誘ってくれって。あいつそんな風に言ってきたんだぜ」
「カラオケ!?」
俺は人前で歌うのが得意ではない。寧ろ、嫌いな方だ。
「絶対行きたくないそれ」
「あっ」
露骨に嫌がる俺を見て思ったのか、諫矢が口元を抑える。
「何?」
「いやなんでもない。カラオケ……は絶対行かないよな、うん。そうだ。ファミレスだ、ファミレスに誘われたんだった。悪いな、訂正訂正」
あははと間の抜けた声で苦笑いを浮かべる。
「なんだそれ。まあ、カラオケ以外なら別にいいけど」
諫矢とはよく帰り道にハンバーガー屋に行ったりする。そういうノリの延長線なら別にいいか。
いろいろ不安な点もあるけど頷く。
「いいよ。諫矢の都合のいい時でいいから声掛けてくれ」
その答えを聞いた諫矢の表情が明るくなった。ぐっと肩に手を置きながら期待に満ちた諫矢の顔が近づく。
「よっし。じゃあ今日の放課後な! いくぞ夏生」
「ええっ、いきなり!?」
「でも、予定とかないだろ?」
「まあ、帰るだけだからな」
馬鹿正直に答えた所ではっと口を押さえるがもう遅い。
「でも、いくらなんでも急すぎるよ」
思ってもいなかった展開に俺は声を上げた。
「美央の方は良いみたいだけどな?」
諫矢に促されるまま教室内を振り返ると、山吹がこちらを見ている。
長く垂れた前髪の房を耳に掛け直しながら、笑顔で手を振ってくる。
やりづらいな、俺は視線をそらした。
「何かいいように遊ばれてる気がする」
「何か言ったか?」
「いや!」
たまらず言い返すと、しかし諫矢は全く気にしない素振りで続ける。
「ああそうだ。夏生にはもう一つお願いがあるんだけど」
「なんだよ、まだ何かあるのかよ」
「実は――」
諫矢が少しだけその長身をかがめて顔を近づけた。まるで、これから話す内容を周囲に聞かれたくないかのように。
「あのさ。渡瀬さんも誘ってくんね?」
「はあ……!? 何で俺が?」
「いやー、美央に頼まれたんだけどさ。渡瀬さんも交えた皆でカラ……いや、飯食いに行きたいって」
諫矢は何か言い直したけれど、そんな事はどうでもいい。
俺は気が動転していた。
「何で渡瀬さんに声掛けるのが俺の役回りなんだよ」
俺が女子を遊びに誘うなんて難易度が鬼過ぎる。
「すまん。ほんとの事言うと、俺も渡瀬さんに声掛けたんだよ。でも断られちった」
「だから、今度は俺の方から一声かけてみろって?」
「そゆこと!」
諫矢がすごい晴れ晴れした表情に変わる。
「でも、諫矢が誘って応じなかったんなら無理じゃない? 俺そこまで渡瀬さんに慕われてないと思うし」
どっちかというと良いように利用されている方だ。
それこそ、渡瀬さんは自分が可愛いの知ってるからな。俺みたいな男子なんて駒くらいにしか考えていないと思う。
「いやいや、夏生なら大丈夫。いけるはず!」
だが、そんな俺を見ても諫矢は首を横に振らなかった。それどころか両肩をがしっと掴みながら心強い事を言うのだ。
「期待はするなよ?」
「大丈夫、夏生が誘ってもダメなら流石に諦めるし」
「で、どこ行くんだっけ?」
「カ……いや、駅前のファミレスだ。あのでっかい緑の看板のとこ。わかる?」
「なんとなく」
田舎だし駅前のファミレスなんて間違えようが無いと思うが。
そんな事よりも俺はこれから渡瀬さんに声を掛けなくてはいけない、そんなハードミッションが待ち受けているという事だけで頭がいっぱいだ。
「集合場所はその店の前でいいよ。じゃあ、今日の放課後な」
「分かった」
丁度鐘が鳴る。諫矢は足早に教室に戻っていった。
授業が始まるまでのこの僅かな時間の間に渡瀬さんに声を掛けないと。
そう考えると気が気じゃなくなりそうだ。
「こんなのリア充なら息をするようにできるのにな」
思わず一人でそんな風にぼやいた。
♦ ♦ ♦
教室に戻ると、渡瀬さんは既に席に座っていた。
その後ろを通って俺は自分の席に着く。そして、教科書を出しながら様子を窺うと、渡瀬さんは手鏡を見てスマイルを作っていた。自分の可愛い角度を知り尽くしてそう。
カワイイに対する努力を感じる。それを隠そうとしないのがまたあざとい、あざとかわいい。
「ん? 一之瀬君どうしたのー?」
声を掛ける為にまずどう動くべきか。そのきっかけを探していたら渡瀬さんの方から話しかけてきた。
「私の事ずっとみてたみたいだけど」
その裏に計算高さがあるかどうかはともかくとして――天使のような笑みを向ける渡瀬さん。昼下がりの陽光が彼女の表情を淡く色づかせている。
諫矢、そして山吹から託された責務を今こそ全うするときだ。俺は覚悟を決める。
「今日の放課後、一緒にご飯食べに行こう!!」
「はいいっ!?」
素っ頓狂な渡瀬さんの声。周囲も何事かとこちらを見る。やべえ!
そこまでいってようやく、俺は事の重大さに気づいた。
――これじゃまるで、好きな女子に真っ向からアタックかけてる男子の構図じゃないか!
「あ、えと。これは……!」
「もー。いきなりびっくりするじゃん」
渡瀬さんが俺を見て手をぱたぱたと仰ぐ。さしもの小悪魔系女子もまさかこの発言は予想できなかったらしい。
「放課後だよね? うーん」
状況の把握が追い付いてきたのだろう。渡瀬さんはすっかりいつもの調子に戻っていた。ドン引きするファンを前にしても笑顔を崩さないアイドルみたいだ。ポーカーとかババ抜きめっちゃ強そう。
「それってもしかして、風晴君たちと一緒にってやつ?」
「ばれちゃったか。諫矢に頼まれたんだ。もっかい誘ってくれって」
嘘をつくわけにもいかず俺は正直に頷いた。
「山吹さんたちも来るんだっけ? うーん。私あんまりあの人たちと仲良くないからなあ」
「だめかな」
「あはは……」
ハッキリと答えは出さない。だが、その気まずそうな笑いが自分の意思だと言わんばかりに渡瀬さんは振舞う。
「そっか、そうだよなあ。俺も苦手な奴と飯食うのはごめんし」
無理強いするわけにもいかない。そっと身を引く俺。
すると、逆に渡瀬さんが距離を詰めてくる。
「気遣ってくれてありがと。一之瀬君やさしー」
「え?」
「てか、苦手な奴とはごめんって。いくらなんでも言い方ストレートすぎじゃない?」
俺の言い方が露骨すぎて逆にツボったのか、渡瀬さんはおかしそう笑う。さっきまでのスマイルとは違う、腹から抱え込むような笑いだ。
しばらくの間そうしていたらさすがに恥ずかしくなったのか。渡瀬さんは細い指を絡ませて俯いた。
「誘ってくれてありがと」
「お、おう」
厚手のカーディガンから覗かせている細い指に目が行く。綺麗にてっかてかに磨かれていて綺麗だと思った。
「ね」
「えっ?」
ささやくような声音で渡瀬さんが俺を覗き込んでくる。
「一之瀬君と二人だけで遊ぶ方が私はいいけどなあ、うん」
「二人って」
思わず問い返すと、渡瀬さんはあざとく小首を傾けツインテの片方をそっと摘まむ。
「そのままの意味だよ?」
「は」
いちいち含み持たせて期待させやがって。俺が目を逸らすと勝ち誇ったような渡瀬さんの表情が容易に想像できた。
「あはは。じょーだんじょーだん。……ちなみに、どこで食べるの?」
「駅前のファミレスだよ。ほら緑の看板の」
「あー、イタリアンのとこか! いいよね。でも、やっぱ今日はいいや」
店の名前だけ教えるが、やっぱり同行するのは難しいらしい。
俺は小さく頭を下げると次の授業の準備に入った。




