3話 とろけたアイスクリーム
体育の授業でトラブルになった俺だが、恐らくは諫矢が上手く立ち回ってくれたのだろう。あれからオラオラ系男子が俺に絡んでくることはなかった。
そして、秋の大型イベント体育祭を迎える。
俺達のクラスはそこそこの成績を残し、無事終了した。
閉会式を終えた放課後、教室に戻ったところで担任が箱一杯のアイスを持ってきた。
「これは俺のおごりだからな。一人一個ずつ持っていけー」
どうやら体育祭を終えたクラスの皆への差し入れらしい。
俺はスタンダードなバニラアイスを貰い、自分の席に戻る。
周りは皆、仲良し同士でアイスを食べながら雑談に興じていた。
「一之瀬君」
バニラアイスの蓋を開け、じっと机に座していたら急に前方に人影が現れる。
工藤かと思って顔を上げたが、代わりにいたのは何と渡瀬奏音だった。
「え」
「どうしたの? 何かびっくりした顔してるよ?」
渡瀬さんはまるで当たり前のように背もたれに手をまわし、こちらに体を向けた状態で椅子に座る。
「一之瀬君って結構足速いんだね」
渡瀬さんがじっと俺だけを見てそんな声を掛けてくる。思わずごくりと唾を飲み込んだ。
明るい髪の色と同じ、彼女の亜麻色の虹彩に驚き戸惑う俺の顔が映り込んでいる。
「短距離走、一位だったじゃん」
「ああ、あれか」
確かに俺は短距離走でグループ一位を取った。だけど、似たようなタイムの男子で固められた中でのレースだ。そんなに自慢できるものでもない。
「まあ、最初に上手く抜け出せたし……後は運だよ」
「そうかな? でも、一之瀬君って一学期の球技大会でも野球うまかったじゃん」
なんと渡瀬さんは一学期に開催された球技大会も見ていたらしい。確かに俺は中学時代の経験を活かし、野球で一年生ながらトーナメント優勝という快挙に貢献している。
「あ、あれも……一応中学で野球経験してたから」
「ふーん」
しどろもどろの俺を面白がるように渡瀬さんはチョコレートの色をしたソフトクリームをぺろりと舐める。
何なんだろうこの空気。ふと、こちらを見ていた渡瀬さんが机の方を見下ろす。
「ふふ。ていうか一之瀬君。アイス食べないの?」
くすくす鼻で笑いながら、渡瀬さんは机の上に置かれたままのバニラアイスを指さした。
カップの周囲からは零れた水滴の水たまりができている。
俺は思い出したようにヘラの袋を破り、バニラアイスにぶっさした。
「固いと食べられないから。と、溶けるの待ってただけ!」
「ふーん」
焦りまくるのは多分、アイスが溶けかけていたからだけではない。渡瀬さんにこんなに近距離で話しかけられるなんて。しかも滅茶苦茶焦りまくってるじゃないか。
だが、女性免疫の無い陰キャ男子丸出しの振る舞いだ。
「一之瀬君、かわいい」
「は……」
からかわれてしまった。渡瀬さんはチョコソフトをはむと咥えながら、小さく頷く。
先ほど述べた言葉に対する補足は一切無かった。
「もう少しで寒くなるね」
「まあ、この辺の冬はすごいって聞くからな」
言われるまま、相槌を打つしかない。
かわいいってどういう意味だ。だが、聞き返したかった言葉はずっと俺の脳内で漂うだけ。
窓の先には地方都市の街並みと、その向こうに緑の山の稜線がうっすらと見える。
ふと、会話が止まっている事に気づいた。顔を上げると渡瀬さんがソフトを片手にこちらをじっと見つめていた。
「な、なに?」
「そういえば、他の人から聞いたんだけど一之瀬君って中学まで他の町に住んでたって本当?」
「そ、そうだけど」
俺は元々、豪雪地帯として知られるこの街に住んでいたわけではない。
父の仕事の都合で高校入学と同時にと引っ越してきたのだ。
その事情はクラスでもよく話す数人くらいにしか話していないはずだが、渡瀬さんはそれを知っている様子だった。
もしかしたら、諫矢とか俺とそれなりに親交のある誰かから聞いたのかもしれない。
「ああやっぱそうなんだぁ! すごーい」
間延びした声で渡瀬さんがはしゃぐ。
「私、一之瀬君とこうやって話したのって初めてかも。もう二学期なのに!」
そこに不意に差し込まれた可愛らしい声は、ようやく鎮めた心を再びざわつかせる。
「ほら、私って名簿最後のほうじゃん?」
「え?」
会話のペースを完全に掌握しながら、渡瀬さんが顔いっぱいに笑顔を作る。
「一之瀬君は『い』だし、名簿も二番目じゃん。席も今まではずっと離れてたし、殆ど接点なかったね?」
「それはまあ、確かにそうだけど」
俺は女子とあまり話さない。愛想のいい女子が何かの拍子で話しかけてきてそれに答えるか、グループ学習で同じ班になった女子と話す時も必要な用件について交わす程度だ。
席も離れていて出身中学も違う渡瀬さんと入学してからずっと接点が無く、クラスメートとは言っても赤の他人みたいな関係だ。
それをこうも――心の距離も物理的な距離も含めて、こんなに一気に詰めて来るなんて。
「え、もしかして意識しちゃった?」
「俺が?」
「うんうん。めっちゃ身構えてるし。ね、もっとリラックスして」
ぽんぽんと肩を叩かれる優しい感触。
ボディタッチかよ――俺は内心穏やかじゃない。
「ふふ、一之瀬君。もしかして人見知りするタイプ?」
ころころと鈴を転がしたような声。
近づいた彼女の片手にあるチョコレート色のソフトクリームがほろ苦く香る。
鼻孔を通り抜けたその香りが、俺をようやく落ち着かせ、
「まあ、この性格だから――あと顔近い」
「なにそれーウケるー」
そっちがからかう気満々なら俺も遠慮する必要はない。つい強がって一言返す。
だが、そんな一言で渡瀬さんの笑顔が少し変化する。
「意外に一之瀬君って面白い」
先ほどとは明らかに違う声の調子。本心から笑い転げているような、そんな笑顔。
俺にはそんな風に見えた。
好きなだけ笑いながら、揺れていた渡瀬さんの小さな肩の動きがようやく収まった。
「それじゃあ、これからもっと仲良くなったら慣れてくれるかな?」
「ええ……」
驚く俺を面白がるように渡瀬さんは立ち上がった。
「あはは、じゃね」
そのまま他の女子の方へと言ってしまった。
「なんなんだ」
これからもっと仲良く、だと。彼女の意図がさっぱり分からない。
やっぱり俺みたいな男子をいじって面白がってるだけなんじゃないか。
そんな風な感情にさせたのは、紛れもなく工藤が見せてくれたあの掲示板の書き込みだ。
「いけね」
暫くの間放心状態になっていた。
ヘラを持っていることに気づいた俺はようやくアイスを食べようとしていた事を思い出す。
だが、机の上のバニラアイスの容器の中はトロトロに溶けきっていて。
「うぇ……なんだこれ」
生ぬるい液体と化したアイスは、いつも食べる時よりもずっと甘ったるくて、胸焼けしそうだった。




