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19話 動き出す

 ようやくカレーの完成まであと一歩というところまで来た。

 ルーを鍋に入れてあとは出来上がるのを待つだけだ。

 俺は使い終えた食器を洗いながら、廊下側を陣取る渡瀬さんのテーブルへと注意を向けた。


「案の定、他の連中に動きはないか」

 男子二人は机に座ったまま。一方の黒葛原は向かい側で食器を触っては元の位置に戻している。何とも退屈そうだ。

 あの班はやはり、渡瀬さんが率先して作るしかない。

 そう思っていた矢先、その渡瀬さんが動いた。


「六花ちゃん。手伝ってほしいんだけどいいかな?」

 黒葛原が手伝うとは思えない。

 俺はそう思ってみていたのだが……


「いいよ。何すればいい?」

「今からチキンライス作るんだけど、ご飯炊けたと思うから持ってきてほしいんだ」

「持ってくるだけでいいの?」

 口元だけで笑みを見せ、立ち上がる黒葛原の態度はどこかけだるげだ。

 まさか、彼女が渡瀬さんの言う通りに動くなんて……


「一応、進展してるのかな」

 そこからは渡瀬さん主導で本格的な調理が始まったようだった。他の殆どの班が完成間近なのを考えると随分とスロースタートだ。

 チキンライスを作りながら、渡瀬さんはオムレツ作りの準備に取り掛かる。台の上には大量の卵パックが積まれている。


「これ割る? 卵焼きならたまに作るし、何となくわかるよ」

「六花ちゃんありがと。助かる~!」

 やる気がないと思いきや、黒葛原は渡瀬さんの指示には従っていた。

 こっちの班の野宮といい、調理実習とは普段だるそうにしている女子の頼れる一面を見れるイベントなのだろうか。

 料理に勤しむ渡瀬さんと黒葛原だが、相変わらず男子二人はやる気を見せずに座ったままだ。

 いや、さすがに気になるのか。時折渡瀬さん達の方を気にしている。


「つーかさあ。あんたらやる気ある?」

 事態は唐突に急変した。


「渡瀬を手伝うくらいすれば?」

 男子二人にそうきつい言葉を浴びせたのは何と黒葛原だった。


「卵割るのだるいんだけど、あんたらも少しは貢献したら?」 

 言いながらなおも不機嫌そうに延々と卵を割り続ける。

 これまで関わり合う事の無かった両者の間に突如としてコミュニケーションが生まれる。


「え、俺?」

「あんたら二人以外、この班に人いないよ」

 だが、この会話は傍から聞いているだけでハラハラしてくる。黒葛原は渡瀬さんと違って直接物を言うタイプだからな。

 険悪な空気に周りも気づいたようで、渡瀬さん達のやり取りを固唾を飲んで見守っている。

 凪のように静まり返る家庭科室。時折鍋を揺らす調理音が何故か心を落ち着かせてくれた。


「何か言えば」

 固まったように動かない男子二人を黒葛原が追い打ちをかける。怖すぎる。

 渡瀬さんは何も言えない。ここで加わった所でどうなるか想像できずに動けないのだろう。


「どうした六花? 何か揉めてる系?」

 そこに割って入り助け船を出したのは山吹美央だった。

 山吹の登場に黒葛原はマイペースな調子でゆっくりと向き直る。


「男子二人がやる気なくってさ。うちらだけでオムライス作るのにムカついてきた」

 淡々と事実だけ述べる。黒葛原は言葉で飾るのが苦手なタイプらしい。

 ストレートに感情を表現する。

 だが、山吹は黒葛原の言葉を聞いてうんと小さく頷く。

 そして、男子二人の方を見ながら問いかけた。


「やらないの?」

 だが、山吹に詰められても尚、二人の男子は立ち上がろうとはしなかった。


「だって俺ら……手伝っても邪魔だし」

「そうそう。渡瀬と黒葛原がやってるから下手に邪魔しないように任せてるだけだって」

「あー、でもさ――」

「何言ってるか聞こえない。もう少しはっきり喋れば」

 何か言おうとした山吹だったが、それを遮るように黒葛原が言い返す。


「別に手伝わないならそれでもいいけど。目障りだからとりあえず準備室にでも行けば」

 ひええ。黒葛原ってこんなに怖い女子だったのか。俺は遠目に見ながら戦慄していた。

 気まずそうな男子二人は席に座ったまま何かもごもごしている。

 そして、山吹もまた隣で唖然としていた。

 山吹からしたら男子二人が調理に加わりやすくなるように動いたのだろう。

 だが、それは妙案とは言えなかった。

 教室のカースト上位の女子に圧力を掛けられ、それにはいそうですかと簡単に従う程この男子二人は言うとは思えない。

 北風と太陽の旅人じゃないけど、強い風に吹かれたらますます身構えてしまうだけだ。

 黒葛原と男子たちの溝は深まっていく。


「……」

 その中で、渡瀬さんだけが料理の手を止めない。今もチキンライスを炒めている。

 内心ではどう声を掛けるべきか戸惑っているのかもしれない。

 変に男子二人を渡瀬さんが擁護したらまたあらぬ噂が立ってしまう。だから、動けないのだ。

 じゃあ、ここで誰かが山吹と黒葛原を止めるか? 俺がそうするべきなのか?

 だが、これほどまでに注目が集まっている家庭科室で俺がいきなり動いたら――そんな風に迷っていた矢先の事だった。


「美央~。肉じゃができたよ~。こっち来て」

 これまでのやり取りを全く見聞きしていなかったかのような、そんな間の抜けた調子で。


「早く来てよ。せっかく味見用に盛ったのに冷めるよ?」

 家庭科室に響いた声の主は西崎瑛璃奈だった。

 三角巾を被った後ろ頭からはポニテに括られた金髪巻髪の尻尾が揺れている。


「ほら、早く」

 小皿におたまを添えて屹立するその立ち姿。山吹を呼ぶその物言いは唯我独尊の女王の姿そのままなのに、あまりにも家庭的なシルエットだ。

 相反する二つの要素を兼ね備えたクラスカースト最上位の存在に皆が釘付けになる。


「わ、わかった」

 山吹もその勢いには抗えない。何か言い残した事はあったのかもしれないけど、男子二人を一瞥した後に西崎班へと向かって行く。


「これでよかったんじゃね」

 いつの間にか隣に来ていた諫矢が俺の肩を叩き笑いかける。

 俺は不思議でしょうがなかった。

 渡瀬さんの事を嫌いだと思っていたのに。だが西崎の行動は俺の予想の斜め上過ぎた。


「西崎のやつ――いったいどっちの味方だ」

「あいつは誰の味方でもないと思うぜ」

 諫矢は飄々と言ってのけた。


「強いて言うなら、あいつは自分自身が一番だ。きっとクラスがこういうノリになるのはあいつの中で許せないんだよ」

「だから、この流れを止めようとしたって? でも、渡瀬さんと仲悪いんだろ?」

「瑛璃奈はきっと渡瀬さんよりも何もしない男子の方にムカついてる。でも、加勢するのもなんか嫌だったんだろうな」

「渡瀬さんを直接援護することになるから?」

 諫矢は俺を見て意味深な笑みを作った。

 まあ、プライドが高い西崎ならあり得る話だ。


「なんて強引な」

「だけど、それでよかったのかもしれないぜ?」

 見ろよ、そんな風に諫矢は遠くの方を指さす。


「あっ」

 渡瀬さんたちの調理台。そこに新たな変化が見られた。


「さっきは悪かった」

「やれる事あんま無いと思うけど、俺らも手伝うよ」

 気づけば男子二人が三角巾を身に着けて渡瀬さんに指示を求めていた。

 西崎のおかげで注意が逸れて男子二人が言いだしやすい空気ができたとでも言うのだろうか。


「ありがとう、私嬉しい」

 喧騒が戻った家庭科室に渡瀬さんの軽やかな声が確かに聞こえた。


「うん。じゃあ成田君はこっちの皿を――」

 そして、いつものあざといノリで男子たちに指示を飛ばし始める。すっかり調子も戻ったみたいだ。


「つーか奏音。こんなおしゃれなオムレツ作れるんだ」

「おお、すごい。店みたいだ」

 一皿目のオムレツに切り込みを入れ、チキンライスがとろとろ卵に包まれたところで黒葛原達が感嘆の声を上げている。

 ――これならもう大丈夫そうだな。そう思い、俺は自分の調理台に向き直った。


「うち、さっき余計な事したかも」

 その様子を遠巻きに見ながら戻ってくる山吹。柄にもなく反省したようにうなだれていた。


「普段感情をあまり出さない山吹がキレ気味だったからちょっと怖かった」

「あはは。ごめんね一之瀬」

 笑顔を見せながら、


「うち、そんなに怖くないよ?」

 小首をかしげて可愛さアピールだろうか。間近に迫るその表情にどきっとする。


「だけど、そのあとの西崎はもっと怖かった」

「それな!」

 山吹はそれを聞くと面白そうに手をたたいて見せた。


「でも奏音。上手くやれてるね。つかあのオムライスって……」

「そろそろ食べようか」  

 山吹が何を言いたかったか、何を推測したかは大体わかっていた。

 でも、俺はそれ以上言うのが何となく恥ずかしくてカレーを皿に盛りつけた。


「みんなうまくできたみたいだな」

「だね」

 そう言いながら山吹と広い家庭科室を見渡す。


「諫矢、おいしい?」

「おう、最高だ」

「でしょ?」

 諫矢が美味そうに肉じゃがをがっつくと西崎が頬杖をしながら微笑む。顎を肘に預け、とろんとした目で諫矢を見守る女王は、完全に恋する乙女の顔だ。

 渡瀬さんの班も全員分のオムライスを無事()()したようで、歓声が軽く起こっていた。四人で楽しそうに食事をしているのを見る限り何とかなったようだ。

 それにしてもあの男子二人、さっきまで死んだ魚みたいな目をして呆然としてたのに……渡瀬さんのあざとさが全てを帳消しにしたんだろうか。


「渡瀬さん。こんなに料理上手い人だったんだね」

「美味しいよ。一緒の班で俺よかったかも」

「あんたら調子よすぎ……」

 黒葛原が男子たちの手のひら返しっぷりに呆れていた。

 だが、渡瀬さんはそれを見て楽しそうに笑っている。


「六花ちゃん、どうかな? 甘すぎない?」

「うん……美味しいよ奏音」

 はっきりした物言いで男子二人を詰めていた黒葛原が恥ずかしそうに俯く。

 渡瀬さんの横で顔まで赤くさせてオムライスにスプーンを入れるギャル、そしてそれを仲睦まじげな表情で見ている渡瀬さん。尊いな。


「一之瀬さあ。あの中に入れなくて悔しい?」

 小脇をつつかれたので見ると、満足そうな山吹がいた。

 渡瀬班のやり取りを見ているのをしっかり観察されていたらしい。


「変な事言うな。そんなわけないだろ」

「めっちゃ妬いてんじゃん。一之瀬も嫉妬とかするんだあ」

 からかってくるギャル。しかし俺が何も言い返せず俯いていると軽く肩をたたいて励まされる。


「いいっていいって。一之瀬もカワイイとこあんだな」

 言いながら山吹はカレーライスを一口スプーンで運んだ。


「おいしー! 一之瀬もおいしいって言え、こら」

「はいはい美味しい美味しい」

 言いながら俺もカレーを食べる。

 素直においしいと思う。

 それなのに――腹の中にはカレー以外の味があった。


 この(わだかま)りは何だ。

 渡瀬さんが奮起するものの、黒葛原達はやる気を出すことなく無難に調理実習は終わるだろう。そう考えていたからだろうか。


「なに一之瀬、カレーに満足してないの?」

「普通に美味いけど」

 珍しく心配そうな野宮に思わずそんな返答をしていた。

 俺はこの瞬間も何を考えているんだろう。

 何もかも、全部上手くいったのに。


『妬いてる』


 先ほどの山吹の言葉が蘇る。

 俺は首を振りながら残りのカレーライスをかきこんだ。

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