18話 調理開始!
いよいよ調理実習が始まった。
家庭科室準備をしていたら、珍しく野宮がやってきて俺に話しかける。
「見なよ。あそこの余りものグループひどくない? あいつらと組まなくてよかったね」
エプロン姿の野宮は露骨に眉をひそめていた。
掲示板の一件もあってか、渡瀬さんに対する敵意を隠そうともしない。
渡瀬さんは野宮の悪口を書いていないと言っていたが、それを野宮に言っても信じてくれないだろう。
「……」
否定も肯定もせず、野宮の視線を追う振りをして渡瀬さんの班を見る。
メンバーがやる気なく調理テーブルに並ぶ中、渡瀬さんだけはスマホを見ながら真剣だ。恐らくメモでも見ているんだろう。
「休んでた割に全然気にしてなさそう」
野宮はそれが気に入らないらしい。
ここ数日の渡瀬さんはどこか吹っ切れたようだ。余りものグループとして笑われようが全く気にしていない。
「他の連中なんて知ったこっちゃなさそうな顔して、ムカつく」
恨み節を吐く野宮。一見ギャルとは程遠い黒髪ショートカットだけど、いちいち発言に棘があって怖い。
「それよりも野宮、料理苦手なんだろ? 人の事ばっか気にしてるけど自分は大丈夫なのかよ」
「なにそれ。何でうちが料理苦手だって知ってんの」
「山吹から聞いた」
野宮の怒りの矛先を変えようと、俺は普段ならあまり話さないこのきつい女子に敢えて会話を振った。
「は? まあ……苦手だけど。だから何? あんたらの邪魔しないように手伝うって言ってるじゃん」
憎まれ口を叩くものの、少し意外な反応だ。
「調理実習で料理が苦手だからサボるやつもいるけど、野宮はそういうタイプじゃないんだな」
「あ、当たり前じゃん」
野宮は口を尖らせながら言った。
班メンバーに任せて自分は何もしないっていう連中に比べたら野宮はまだ真面目に取り組もうとしている。
「もしかして、お前って意外と素直な所ある?」
「う、うるさい……お前って言うな」
強硬な姿勢を崩さないものの野宮は少し照れているのか頬が赤かった。
「この班はあんたと工藤頼みかもしんないし」
「俺と工藤? 何で男子二人?」
「料理得意だってそれこそ美央から聞いたんだけど。違うの?」
いや、違わないけど。これでも俺は料理だけは自信がある。
だけど、ここではっきり得意だと言い切れないのが俺だ。
「それに美央も愛理も料理はそんな得意じゃないし」
野宮はとっくに縛ってある筈のエプロンの紐を執拗に締めなおしながら俺を睨みつけた。
「だから、男子には頼りにしてるから……」
「お、おう」
「一応言っといただけだから」
そう言って頬を膨らませる。心底嫌そうな顔だ。
だが、野宮の意外な一面を見れた気もした。
普段男子やグループ外の女子には敵対的だが、根っこの部分ではそこまで性悪って程でもないのかもしれない。
「何黙ってんの? 馬鹿にしてない?」
「いや」
俺も野宮に倣ってエプロンの紐をきつく締めなおした。
「じゃあ野菜とか取ってくる!」
まだ野宮は何か言いたそうにしているが、上手く渡瀬さんへのヘイトは逸らせた。
俺は食材を共同管理している大きな冷蔵庫準へと急いだ。
♦ ♦ ♦
「一之瀬~」
冷蔵庫がある準備室から戻ると、今度はエプロン姿の山吹が近づいてきた。
ふと、俺の真向いで足を止めるとまじまじと見てくる。
「何だよ?」
「エプロンつけてると主夫っぽいなーって」
「なんだそれ」
ムッとしながら言うと山吹は白い歯を見せて笑う。
「照れてる照れてる」
「そういうのじゃないし。つか、山吹も似合ってるんだか似合ってないんだかわかんないよ」
「はいはい。この髪型?」
俺が頷くと山吹はふふんと笑いながらまるで決めポーズでも取るみたいにアップにした前髪を指さす。
長い髪も一つにまとめていて、これから料理しますっていう気概を感じる。
「やる気満々に見える」
「じゃあ今日は殆ど任していい?」
だが、山吹まで野宮みたいな事を言い出し始めた。
「なあ。野宮から聞いたんだけど山吹って料理苦手なの?」
「あはは、バレてる感じだなそれ」
あっさりと山吹は認めながら、西崎の班の方に遊びに行った野宮を見ていた。
「この班は俺と工藤に期待してるとも言われたよ」
「マジかそれ」
山吹はそれを聞いてくすりと笑う。
「あー。でも、一之瀬はいいとして。工藤は料理できないっしょ」
「いやでも野宮は工藤も料理できるって――」
「ないない。絶対ないからそれ」
山吹は笑いながらも、有無を言わさぬ勢いで否定した。全然言い返す余地がなくて普通に圧強めのギャルのノリだ。
素に戻った俺は黙ってそれを聞く。
「炊事遠足の時、あいつと同じ班だったけどさ。殆ど風晴にやらせてたよ」
「ほんとかよ」
つまり、この班でまともに料理できるのは俺一人だけだと?
「ほんとほんと。あはは、プレッシャー感じる?」
「いや」
だが、落胆しつつも俺はそこまで悲観していない。
テーブルの上に並んだジャガイモを一つ手に取りながら山吹を見返す。
「所詮はカレーライスだし。何とかなると思う」
カレー自体は簡単だ。班メンバー全員の腹を満たす分の大容量を作るのが少し大変なだけ。
特に野菜とか肉の下ごしらえは家でやるより大掛かりになりそうだ。
「皆さん準備できたかしら?」
教師用の炊事テーブルに陣取った教科担の女教師が手を叩き、調理実習が開始した。
「じゃあはじめよっかー」
同じ班の竹浪の一声で俺達も次々と準備を始める。
「とりあえず米炊いてくる。工藤と竹浪さんは野菜の皮むきとか頼む」
「おう、分かった。んじゃやるか――さんきゅ」
俺が二人に同じ仕事を頼んだのに他意はない。野宮や山吹に比べてやわらかめの性格の二人に指示しやすかっただけだ。だけど、工藤は竹浪と組むのがうれしいのか、俺に礼を言ってきた。
野菜の皮むきを始める二人。山吹と野宮もたまねぎを切り始めた。
多分このメンバーなら大丈夫そうだ。安心した俺はそのまま炊飯器が置かれた前列へと向かった。
「よう夏生。結構順調みたいだな」
米を研いでいると隣にやってきた諫矢に声を掛けられた。
「美央たちから聞いたよ、カレー作る事になったんだって?」
「諫矢の班は?」
「肉じゃが」
「なんか微妙にかぶってない? それ」
肉じゃがとカレー。ルーの有り無しくらいしか違いが無い。その指摘に諫矢が苦笑する。
「瑛璃奈が言ったんだよ」
ちらりと諫矢たちの班のテーブルを見ると、エプロン姿の西崎が指示を飛ばしていた。
見た感じ、結構料理は得意そうに見えた。
「あのギャルが発案したとか意外過ぎる」
「ほんとそれ」
水切りをしながら諫矢は続ける。
「夏生んとこもカレーだなんて良いセンスしてるよな」
「一番ありきたりだってか? 得意とか不得意とか関係ないメニューだしいいじゃないか。それよりも……」
米を研ぎ直しながら、ふと思った。
諫矢のやつ、西崎の事を下の名前で呼んでたな。
「どうした?」
「い、いや」
なんて事を考えていたがここで問い詰めてもしょうがない。雑念を消して黙々と米を研ぐ。
それを見ている諫矢は相変わらず俺に構う気満々だった。
「夏生。料理だいぶ慣れてる感じだな~」
「親と離れて暮らしてるから自然と身に着いたんだよ。んじゃ炊飯スイッチ押しとくから」
「おう、助かる」
諫矢や西崎達の班とこの炊飯器は共有だ。後は任せて自分の班へと戻る。
「……」
その途中、目で追った先に渡瀬さんがいた。
彼女は一人釜を持って立ち尽くし、他の班の女子の米研ぎが終わるのを待っているようだった。
誰とも目を合わせる事なく、ぼんやりとした瞳。
あれでは誰かとコミュニケーションを取る事も難しい。
他の班の連中と何かしら関わり合いになる可能性、そこからの会話をきっかけに渡瀬さんが新たな親交を深める。そんな期待も消えた。
「てか、マジで一人でやらせる気かあいつら」
渡瀬さんの班をちらりと見る。相変わらず暇そうにスマホをいじっている黒葛原以下、着座している残りの班メンバーが見えた。
渡瀬さんはやる気満々だったけど、果たして本当に全部一人でやりきれるだろうか。
だけど、俺もあまり人の心配をしている余裕はなかった。
「……やるか」
パック詰めされた牛肉をまな板に乗せ、上にラップをかける。
そして、この場に持参してきた綿棒で叩き始める。
「おうおう、どしたどしたー?」
結構音がするので周りで気にしている連中もいるのがはずかしい。でも肉をやわらかくするためなんだ。
俺は必死に肉をたたき続けた。
そうしていたら竹浪さんが寄ってくる。
「あれ、一之瀬。何で肉叩いてんの? 日頃の恨みを晴らしてる?」
「こうすると肉が柔らかくなる」
からかうつもりだったようだが俺の話を聞いた竹浪は感心したように首を縦に振った。
「へー。一之瀬さあ、マジ料理慣れてんじゃん。一人暮らししてるって聞いてたけどさあ」
山吹も手を止めて俺の作業を観察し始める。女子二人にじっと見続けられて手元が鈍る。
「何かやりづらいんだけど……」
「一之瀬マジでやる気じゃん」
「頼りにしてるからね、一之瀬♪」
竹浪に便乗するように俺を茶化す山吹。だけど、その一言に体が熱くなるのを感じた。




