13話 憂慮
西崎に衝撃の事実を突きつけられた放心状態の俺。渡瀬さんも学校を休んだまま、激動の一日が終わった。
HRが終わり担任が教室を去っていく。しかし、俺は机の上に置きっぱなしの鞄を放置して座ったまま。クラスメートが徐々に減っていく教室をただ呆然と眺めていた。
いつからいたのだろうか。視界の端、すぐ近くに山吹美央が立っていることに気づく。
「やっ」
山吹は元気そうな笑顔でそんな風にちょっかいをかけてくる。
しかし、俺は上手く返すことができないでいた。
「瑛璃奈に呼び出しくらったっしょー?」
そのまま椅子を引き、座る。
「そこ、渡瀬さんの席」
「知ってるよー」
山吹が初めて俺にちょっかい出してきた時もこんな風に渡瀬さんの席に勝手に座ってたっけ。
「気にしないでね」
「え?」
突然のフォロー。山吹が何の事を言っているのかは考える必要もなかった。
「この前カラオケでせっかく相談したのにね。バカみたいにめんどーな事になっちゃったっぽいね」
そういって山吹は悪戯がバレた子供みたいに笑う。渡瀬との関係を考えれば、山吹だって落ち込んでる筈なのにその片鱗すら俺には見せない。明らかに一日ずっとテンションを落としている俺に比べたら遥かに大人びてると思う。
「発見したのは紫穂らしいよ」
「え?」
「ほら、奏音の掲示板の自演の話」
「ああ」
ボケっとしている俺を見て、山吹は半ば呆れたように笑っていた。
「あはは。聞いてるかー? 一之瀬。ほんと今日落ち込みっぱなし」
「そう見える?」
「何なら今日一日ずっと話しかけづらかったし」
「そりゃ悪かったな」
俺の反応を見て少し満足したのか、山吹は足を組み替えながら続ける。
「紫穂から教えられて瑛璃奈がキレちゃってさ。奏音呼び出して直接言ったんだ。そういうダサい事やめろって」
「やっぱな。渡瀬さんは何て?」
「言い返せなかったよ。横で見てたけど結構きつかった」
軽口混じりに言うけれど、山吹の表情はどこか暗い。
「奏音以外にもここのクラスの女子の悪口があったんだ。紫穂も書かれてたらしくて、そういうのも瑛璃奈を動かしたのかもね」
「女子同士の戦いか」
聞いてる分だとずっと西崎のターンだったっぽいけど。
渡瀬さんが面と向かって西崎と口論できるような性格だとは俺には思えない。
「特に瑛璃奈って友達だと認めた子はすごい大切にするから。紫穂の悪口も奏音が書いてたんじゃないかって問い詰めまくってたよ」
奏音は違うって言ってたんだけどね。そんな風に付け加えて山吹は黙ってしまった。
窓からは遠く小さく、夕焼け空を飛んでいくカラスが二羽見えた。
「でも、渡瀬さん以外にもあの掲示板を見てる人はいるだろ」
「ほんとそれ。でも私が瑛璃奈に言っても聞かなかったんだよね」
工藤だっていつも見てるし、書き込んでいる可能性もあると思う。
それ以外にもこのクラスには俺のあまり知らないクラスメートがたくさんいる。その内の誰かが書いていても分からない。ネットの書き込みって基本匿名だし。
「冷静に考えれば分かる筈なんだけどね。瑛璃奈そんなに頭悪くないし」
「ヒステリー起こしちゃった感じか?」
まあね、と。山吹は小さく首肯した。
「まー。とにかく怒った自分を瑛璃奈自身もう止められなくなった感じ?」
山吹は参ったと言わんばかりにくたっと肩を落としてみせた。
「んで、西崎は? 先に帰った?」
「紫穂と愛理と一緒にね。だから私が一之瀬とこうやって話してんだろ?」
つん、と指先で肩を小突かれた。不思議といつもみたいな強引さはない。どこか弱さを感じるその行動。
俺にちょっかいでも出さないと山吹自身の気が落ち込んでしまうとか、そんな勘ぐりをしてしまうほど。
「渡瀬さんの事は何とかするよ」
「一之瀬」
山吹がこれ以上気を落とさないように、俺はなるべく彼女の目を見て勇気づける。
「だから、山吹は西崎の行動がこれ以上エスカレートしないようにしてほしい」
「うん」
驚く程素直に頷く山吹。普段大人びてるイメージがあったので反応に困る。
「じゃあ、帰るわ」
そう言って立ち上がる山吹。
諫矢みたいなできる男なら付き添って一緒に帰って愚痴の一つでも聞くとかやるんだろう。
でも、生憎俺には無理なムーブだ。
「何とかなるといいな」
そのまま見送る体勢で俺は山吹を見上げた。
だが、着席したままの俺を見ながら、山吹は一向に帰ろうとしない。
「……なに」
「ないわ」
「は?」
「いや、だから一緒に帰る流れでしょ、これ」
そういってまだ机の横に掛けられたままの俺の鞄を指さした。
「それに奏音に伝える事あるし。一緒に来てくんない?」
「ええっ!?」
思わぬ展開だった。
「マジか。渡瀬さんと会うの?」
山吹は何も答えずに自分の鞄からクリアファイルを取り出した。
「これ。奏音に渡す課題。多分あの子明日も学校来ないし」
「そんなに重症なの?」
「子供のころからずっと一緒だったから奏音の行動なんて読めるし」
山吹は言いながらファイルをしまう。
「まあ、三日くらい余裕で休むと思うけど」
「三日って……」
高校でそんなに休んだら結構授業とか遅れてしまう気もする。
だけど、山吹はそんなの気にしてない風にいつもの自信にあふれた顔で予想してみせるのだ。
「ま、そうなったら一之瀬が奏音に勉強教えてあげれば。頭いいっしょ?」
「そうか? 俺そんなに良くないよ」
「いや、普通にうちらより頭キレるじゃん。謙遜すんな」
ふざけた口調で俺を見て笑う山吹。
「それに実際仲良いでしょ? 奏音もめっちゃ懐いてるじゃん」
「懐いてる? あれはそうなのか」
どっちかというと良いように手駒にされてるだけの気もするけど。
「でも、一之瀬悪い気はしてないっしょ?」
山吹はそう言って全てを見透かしたような顔で笑った。
「ほら、帰るよ。あくしろよ一之瀬」
「わかったよ」
急かされるまま帰り支度を始める俺。
ふと、心の中でこうも思った。
――確かに。山吹の言う通りかもな。
渡瀬さんに話しかけられると嬉しい事は、否定はしない。
♦ ♦ ♦
「美央ちゃんに一之瀬君だったかしら。今日は奏音の為に来てくれてありがとね」
渡瀬さんの母親は彼女とよく似て小柄で可愛らしい感じの人だった。
見送られた俺と山吹はそのまま渡瀬さん宅を後にした。
マンションのカーペットが張り巡らされた廊下を歩く。外の寒さがここでは殆ど感じられなかった。
「結局、奏音出てこなかったね」
玄関先で渡瀬さんの母親と言葉をいくつか交わし、クリアファイルを渡すだけで終わった。
「渡瀬さん、家族にも何で休んでるのか言ってないのかな」
風邪ではないのに何故学校を休むのか。彼女の母親もこれには戸惑っているようで逆に俺達に何か知っていないかと尋ねるほどだった。だが、俺も山吹も曖昧に誤魔化すしかない。
まさか、娘さんが学校の裏サイトに自分の悪口を書いて自演して、他の生徒から同情を買っていたなんて。挙句、他のクラスメートの悪口を書き込んでいたと疑われ女子達に敵対されているなんて口が裂けても言えない。
「どうした? 一之瀬」
薄暗いマンションの内廊下を歩いていたら山吹が声を掛けてくる。
「なに、もしかして奏音の事心配してる? まーた悩んじゃってんのかお前は」
「そういうわけじゃない」
だが、山吹は俺の虚勢などお見通しだ。にやりと笑って肩をぽんぽん叩く。
「ああ見えて奏音って結構強いし。大丈夫だって」
「それならいいんだけどな」
時間が解決してくれるならそれに越したことはない。
「こういう悪い噂って結構すぐ広がるよな」
「まーね。サイト見てない人も友達から聞いたら信じちゃうだろうし」
はあーあ。そんなため息が山吹と重なった。
「また被った」
ぷっと噴き出しながら山吹が言う。
「また?」
「ほら。カラオケで風晴を止めようとしたとき」
「ああ。あのときか」
思い出しながら俺は少し笑ってしまった。
「案外うちらって同じようなポジションの苦労人なのかな」
「そうなのかなあ」
エレベーターに乗る。
昇降中、互いに言葉を交わすことはない。それでも俺達は多分同じ結果を望んでいる。
この面倒な出来事が何とかなりますように。
「明日は学校来てくれるといいんだけど」
言ったところで外に出ると冷たい風が顔を撫でつけた。
「――でも、まあ。無理だろうなあ」
山吹は寂しそうに呟き、そして俺達はマンションを出たところで別れた。




