1話 教室のあざと女子の悪口がネットに書かれていた件
二学期が始まってから間もなくの事だ。
「なあなあ一之瀬。これ見てみろよ」
友人の工藤舞人は話しかけるなり、スマホを見せてきた。
画面に表示されているのはどこかのサイト。掲示板だろうか、古臭い角ばったフォントでこう書かれている。
『一年三組の渡瀬はクズ女。男で遊ぶの大好き。チヤホヤされる自分に酔ってる』
書き込まれていたのは俺も良く知っているクラスの女子の悪口だった。
「なにこれ」
「裏掲示板だと」
「へえ」
そう流したけど気が気じゃない。
どこか気だるげな眠気を誘う午後の昼下がり。窓からは夏の終わりを感じさせる涼風が吹き込んでくる、それなのに。
――渡瀬さんが? 嘘だろ。
心の中が何かに酷くかき乱される感覚がする。
教室の反対、廊下側の席を見ると、悪口を書かれた渡瀬奏音本人が他の女子とはしゃいでいる。
「リカもこれ聞くんだぁ。私もこの曲すき」
もう一人の女子と一緒に動画を見ているんだろう。顔をぎゅっと寄せてリズムに酔いしれるように体を揺らしている。
渡瀬さんの短く結わえられた亜麻色のツインテールが跳ねた。丸い瞳が二度瞬き俺と合う。
「あ」
その瞬間、俺は目を逸らした。
男女分け隔てなく接する明るい性格の女子。二学期最初に席替えをして隣になって以降、彼女は不愛想な俺にもフレンドリーに接してくれる。
少なくとも悪い印象はなかった。
それなのに――
「渡瀬のやつ、実はやべー女らしい」
工藤がスマホを眺めながら言う。
「やばいって?」
「お前だってこれ見たろ?」
「というか工藤。そのサイト消されたりしないの? よく問題にならないな」
「放置されてるのは見てるやつが少ないからだろ」
言いながら工藤は指先で画面をスワイプさせていく。
「携帯電話が出た頃はこういうのたくさんあったらしいぜ。ちょっと引くよな」
「とかいいながら面白そうに書き込み見てるけど?」
掲示板にはまだ何人かの悪口が書かれているようだった。
どこのクラスの誰が誰かに告白した、振られた。それが身の程知らずだとか。
どこの誰々が中学時代は万引きして補導されていたらしいだのとにかく沢山。
そのどれもが根拠のなさそうなゴシップばかりだ。
特に、最後のやつは嘘だったら名誉棄損とかにならないのだろうか。
「ある事ない事よくもまあ。工藤、そんなサイト見ない方がいいよ」
「俺もあんま本気にしてないし」
「ほんとかよ」
工藤は軽い口調で言うけれど、絶対この後も掲示板に見入っちゃうんだろうな。
本気にしていないというより、興味のほうが勝っている。そんな感じだ。
見てはいけない物を見たくなる気持ちを止めるのはなかなか難しい。
「で――」
工藤はスマホをしまいながら、俺の方に改まった様子で向き直る。
「一之瀬は渡瀬の噂、どう思う?」
「どうって」
どうもはっきりと答える気にはなれない。
さっきの書き込みはきっと渡瀬さんを妬んだ他の生徒による誹謗中傷だ。だけど、そんな風にはっきり否定すると逆に工藤にからかわれそうだったから。
「正直言うと、俺には関係のないしな」
「隣の席の癖に一之瀬は冷たいやつだな」
工藤は俺を茶化す。
「渡瀬さんの事、良く知らないんだよ。だから俺がどうこう言える立場じゃないだろ」
生憎俺はこのクラスでそこまで強いポジションにいる生徒じゃない。ここで否定や肯定をしたとして、その反応を見た工藤が誰かに面白おかしく言いふらす事だってあり得る。
だから、内心とは裏腹に無関心を装った。
そういう空気を読んで生きていくのが俺みたいな男子にはお似合いだから。
「まあ……渡瀬ってかなり可愛い部類だし、妬みとかも凄そうだしな。お前が言いたいことはそんなとこだろ?」
工藤の言う通り、渡瀬さんは相当顔立ちの整っている女子だと思う。
さっき見た掲示板には調子乗っててムカつくだとか、そんな悪口もあった。だけど、どうみても妬み僻みだろう。
あざとい感じは否めないけど、間違いなくクラスどころか学年でも知らない人はいない美少女。
「けどさ一之瀬。お前気を付けろよ」
「はあ?」
工藤がじっと俺を見ながら、どこか面白げに口角を緩ませていた。
「一之瀬みたいなお人好しはああいう女に騙されるタイプだからさっ」
「うっさい」
からかう工藤に言い返したその時、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「いけね」
そそくさと前を向く工藤を始め、教室中が慌ただしい空気へと一変する。
「あ、やば! 次の英語の教科書忘れてる―!」
渡瀬さんも声を上げながら俺のすぐ隣の机に戻ってくる。
俺はずっとその間も前を向いていたが、気配をして隣を見ると渡瀬さんがあざとい笑顔でこっちを見ていた。
「ねえ、一之瀬君」
渡瀬さんは両手をいっぱいに合わせて顔を下げた。
「お願いお願い。教科書忘れてきたっぽいんだあ――」
そういって、ちらりとウインクしながら上目で俺を見つめてくる。
『さっき大きな声で言ってたの、聞いたからわかるよね?』
心の中に直接訴えかけてくる。
「ああ……」
「ありがと!」
だが、このツインテあざと女子は俺が返事を言う間もなく机を寄せてくる。
「じゃ、見せて見せてー!」
明るい口調でそんなおねだりをされたら断れるはずも無い。
気づけば俺は小さく頷いていた。
「一之瀬君はやっぱり優しいなあ」
歓喜の声を上げる渡瀬さんの肩が触れそうな距離にある。
隣り合った机の間に置かれた俺の教科書を渡瀬さんが楽しそうな顔でめくっていく。
「この例文に出てくる話って有名な洋楽の事だよね? 一之瀬君知ってる?」
「あんまり」
彼女の横顔をちらと窺うと、ショートツインテが揺れていた。
――我ながら酷い反応だ、俺。
渡瀬さんへの自分の応対に情けなくなる。
男子同士ならここまでじゃないのに女子が相手だと身構えてしまうこの性格、何とかできたらなあ……
ふとそんな事を思っていたら工藤から見せてもらった掲示板、その最後にあった取るに足らない一文が脳裏にフラッシュバックした。
そこには確か、こう書き記されていた。
『渡瀬奏音に気をつけろ。あの女は男子なら誰にでも媚を売る、性悪ビッチだ』




