そして恋を諦めた
その日、アユリカは意を決していつもと違う行動に出た。
見習い仲間と居る時は絶対に近寄るな声をかけるなと言われているが、今日のアユリカはそれを守る気はなかった。
早朝から祈りや訓練などハードスケジュールな予科練生の長い昼休憩。
ハイゼル達予科練生の多くはいつも気晴らしのために学校の敷地外へ出る。
それを知っているキラキラ女の子たちや恋人の称号を勝ち取った女性が校門の前で待ち受けており、彼らと合流してランチタイムのひと時を過ごすのだ。
時折差し入れをする時、アユリカは校門から離れた場所でハイゼルを待つ。
いつもは校門を出てすぐにアユリカの姿を見つけるハイゼルが、彼の方から足早にその場所に来るのだ。
そしてほんの少しだけ会話をし、差し入れを受け取ってすぐに仲間の所に戻る。そんな感じで僅かな交流をしていたのだが、今日はアユリカは校門のすぐ前で堂々と立ち、ハイゼルが出てくるのを待っていた。
今日は差し入れは持ってきてはいない。
近くにいるキラキラ女の子たちが品定めをするような目線をアユリカに向けてくる。
不躾な眼差しに晒されて正直、居た堪れない。
だけど今日は、今日だけは怯んでなどいられなかった。
そして午前の授業が終わり、予科練生たちがわらわらと校門を出てくる。
その中にハイゼルと仲間たちの姿も見つけた。
(来た……!)
アユリカはきゅっと気持ちを引き締めてハイゼルに声を掛けようとしたが……
ドンッとキラキラ女の子たちにわざとぶつかられ、よろけた拍子に先を越されてしまった。
キラキラ女の子たちは一直線にハイゼルと仲間たちの元へと向かい、きゃいのきゃいのと騒いでいる。
予科練生たちも「お待たせ」とか「今日はどうする?」とか慣れた様子で彼女たちを迎えていた。
そこにアユリカは負けじと声を掛ける。
ちゃんと聞こえるように、声が届くようにハイゼルの名を呼んだ。
「ハイゼル!」
一瞬、しんと静まり返り、一同がアユリカへと視線を向けた。
「っ……お前……」
アユリカを見て、驚いたような怒ったようなハイゼルの声が聞こえた。
アユリカは怯みそうになるのを堪え、ハイゼルに言う。
「た、大切な話があるのっ……少しでいいから時間をちょうだい……!」
アユリカのその言葉に女の子の一人が吹き出し、笑いながら言った。
「ぷっ……え?なぁに話って?まさかハイゼルさんに告るつもり?あなたみたいな地味な子が?ねぇ、鏡見たことある?」
「やだ言いすぎよ。ふふ、まぁ私も思ったけど」
「でしょでしょ?」
女の子たちは口々にそういって楽しそうに笑う。
見習い仲間たちも面白がってハイゼルを揶揄ったりひやかしたりした。
ハイゼルはそんな彼らに対し、
「うるせぇよ。とくに女ども、お前ら何様だ?……とりあえず先に行っててくれ」
と告げて彼らの側から離れた。
そしてアユリカの元へと来てぶっきらぼうに言う。
「アユ、ついて来い」
「……うん」
足早にその場から移動するハイゼルの後をアユリカは追った。
後ろからはまた笑い声や囃し立てる声が聞こえたが、ハイゼルは振り返りもせずに進んで行く。
いつもは歩幅を合わせてゆっくり歩いてくれるのに、今はアユリカを気遣うことなくずんずん歩くハイゼル。
アユリカは軽い駆け足になりながらもハイゼルの後について行った。
近くの公園まで来ると、ハイゼルが不機嫌そうな態度を露わにしてアユリカに言う。
「仲間と居るときには近寄るなと言ったはずだよな」
「そうね、言われていたわ」
「じゃあなんで……まぁいい。それで?大切な話ってなんだよ」
アユリカに対する苛立ちを隠そうともせずにそう言い放つハイゼルを見て、アユリカはなんだか悲しい気持ちになる。
そんなにも自分は疎ましい存在なのだろうか。
なにか、彼に嫌われるようなことをしたのかな。
でも、それでも……
「私は……ハイゼルが好き」
「は?」
ハイゼルにとっては突拍子に何の脈絡もなく気持ちを伝えられただけである。
それを理解した上で、アユリカは彼に想いを伝え続けた。
「幼い頃からずっと、ずっとハイゼルのことが大好きなの」
「……アユ?どうした?何かあったのか……?」
アユリカの様子を見て、ハイゼルもさすがに何かおかしいと感じたのだろう。
不機嫌が鳴りを潜めて、訝しげにアユリカを見た。
アユリカはありったけの想いをハイゼルにぶつける。
「幼馴染のままじゃ嫌なの。ずっと幼馴染のままでいて、あなたを他の女に取られるのを黙って見ていることなんてできないの……」
「なんだよ、それ……俺にそんな女なんていないことは知ってるだろ」
「知らないわよっ……近寄るなって言われて……まともに話せるのはポム小母さんの家だけでっ……それでどうやってハイゼルのことを知れるというの?」
「落ち着けアユリカ。どうした?なんだよ急に……」
その言葉を聞き、アユリカはハイゼルを睨みつけた。
「急じゃないわよ!ずっと、ずっと好きだって言ってるのに……!……ねぇ、私のこの気持ち……ハイゼルには迷惑なの?」
「……」
アユリカがそう尋ねてもハイゼルは何も答えない。
そしてようやく彼の口から出た言葉に、アユリカは小さく息をのむ。
「迷惑じゃねぇけど、正直困ってる」
(……!)
“困る”その言葉がアユリカの心を打ちのめす。
大好きな人を、大切な人を困らせたかったわけじゃない。
幼い頃から寄る辺のない者同士、肩を寄せ合い心を寄せ合い生きてきた。
その半身のような存在を困らせたいわけがない。
だけど……アユリカが胸に抱く想いは、ハイゼルを困らせてしまうだけのものなのだ。
今度は大きく、アユリカは息を吐いた。
そして静かに告げる。
「……そっか、ごめん」
「アユ……?」
先程までの思い詰めたような声から一転、急に力が抜けたような声になったことに、ハイゼルが怪訝な顔をする。
アユリカは力無く眉尻を下げて言った。
「困らせたかったわけじゃないんだ」
「アユリカ?」
「ただ、ハイゼルの特別な女の子になりたかっただけなの」
「……い、今でもお前は俺にとって大切な女の子だよ」
「そっか、うん、そうだよね、ありがとう……」
それは妹みたいな存在、としてね。
「アユ?急に……どうした?」
「ううん。なんでもないの。……話を聞いてくれて……ありがとう。ごめんね、貴重なランチタイムの邪魔をして。お友達の元に戻ってくれていいよ」
「いやでもお前……」
「私ももう行くね。市場に行く途中なんだ。……それじゃ……!」
「おいアユリカっ?」
引き止めるようにハイゼルに名を呼ばれるも、アユリカは振り返ることなくその場を立ち去った。
足早に歩くアユリカの瞳から涙が溢れ出た。
それを拭いながらも足を止めることなく歩き続ける。
やっぱりダメだった。
今日、最後に想いを伝えて、それでダメならこの恋を諦めようと決めていた。
結果はわかっていたけれど、どうしても最後にもう一度彼が好きだと言いたかったのだ。
──これが、本当に最後だから。
もう二度、困らせるようなことは言わないから。
ごめんねハイゼル。
もう、この恋は諦めるから。
だから……
だけどアユリカには到底、何もなかったようにこれまで通りハイゼルと接するのは無理だと思った。
この恋を諦めるためには、このままではいられないと思ったのだった。