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本当に大切なもの

ポミエ開店当初からの常連客で、てっきり退役した老騎士だと思っていたザウル・カーマインは、実は大陸国境会の副司教であった。


副司教ともなると、よほど信仰心の篤い人間でこの街で年に二度ほど行われる大きなミサに出席でもしない限りは、一般の平民などがご尊顔を拝する機会などあまりない。

敬虔な信者の間では絵姿などが出回っているらしいが、幼い頃からぼんやりとなんとなく周りに合わせてお祈りする程度のアユリカがその容姿を知るはずもなかった。

ただなんとなく、そういえば副司教のご尊名はホニャララカーマインだかカーマイルだったかしら?という程度しか認識していないアユリカである。


そんなアユリカが知った、ザウル・カーマインの正体に驚く余韻に浸る暇もなく、店に入って来たザウル()自身が中に居た皆に言う。


「店の外にまで声が聞こえてきましたからね。何事かと思っていたら、林檎の木に宿る精霊がやって来て事情を説明してくれましたよ」



「え……?」


林檎の木の精霊……もしかしてその林檎の木とは“魔女の林檎の木(ポミエ)”なのだろうか。

あの特別な林檎の木であれば、精霊が宿っていたとしても不思議ではない。

それよりも気になった事をアユリカは口にした。


「カーマインさん……あ、いえ、副司教様は精霊を見ることが出来るんですね」


これまでの呼び方を改めて、アユリカがそう言うとザウルは優しげに微笑んだ。


「この店の中では一介の客にすぎませんから、今まで通りの呼び方で構いませんよ。むしろそうしていただきたい。ええそうなんです。私は幼い頃から精霊と接する事ができるのです」


ザウルは言った。

先祖返りかはたまた特異体質か、なぜか一族の中で自分だけが精霊と交流ができるのだと。

本来なら精霊魔術師としての資質があるのだが、代々聖職者を輩出する家門の惣領家に生まれたために聖職者となるしかなかったのだと。


「まぁ本心を言えば、聖職者よりも精霊魔術師よりも騎士になりたかったんですがね。精霊騎士ザウル・カーマイン、叶わぬ夢でした」


だがザウルは己の立場を嘆くことはなく、精霊と仲良くしながら聖職者となり、そして体を鍛えて騎士のような強靭な肉体維持に努めたそうだ。


「左手に聖典、右手に剣を持ち、鍛錬をしながら聖学を学んだのは、家門の中では私くらいなものでしょうね」


ザウルがそう言って笑う。

彼の真っ白な歯が(まばゆ)く輝く。


「副司教様……尊敬します……!」


ハイゼルは瞳を輝かせながらザウルを見た。

マジリスペクトというヤツである。

聖騎士であれば当然なのかもしれない。多分。


話が逸れてしまったが、ザウルは精霊にセィラとラペルの事情を事細かに聞いたそうだ。

その事についてアユリカがラペルに意見したことまでも(つぶさ)に。


そして諸々を理解した上で、ザウルはラペルに「人生の選択は、往々にして訪れる」と言ったのであった。


ラペルは突然現れた副司教の存在に狼狽えるも、自身の心情を吐露する。


「副司教様っ……!私には理解できませんっ……妻か妹かどちらかを選ぶなんて。そもそもその必要性を感じないのですっ……!」


ラペルのその言葉を聞き、ザウルが穏やかな口調で言う。


「だが……精霊が強く感じると言っています。キミの妹がキミの妻を異物として排除したがっていると。キミが妻と離婚して、以前のように父や母と家族だけで暮らせるようになる事を望んでいると」


「そ、そんなっ……バカなっ……」


「精霊は嘘を言いませんよ。まぁそれを証明する(すべ)を私は持ち合わせてはいませんが、この状況に陥っていることが何よりもその証であると思います」


「サーニャが……セィラを異物と……?」


動揺を露わにしてラペルがセィラを見る。

セィラ(彼女)は何も言わず、ただ悲しそうに目を伏せた。

それが肯定であると物語っている。


「ちょっ……待ってくれ……じゃあサーニャが頻繁に家に来るのは……?」


「……セィラさんとラペルさん、お二人の邪魔をしたいのでしょうね……」


アユリカがそう答えると、ラペルは尚も懸念を口にする。


「まさか……寝室を分けた方がいいと言ったのも、家を飛び出したセィラを追わなくてもいいと言ったのも……」


「やっぱりあの時、義妹が引き止めとったんかいっ」という誰か(読者)の声が聞こえた気がしたが、アユリカはまたラペルに返す。


「セィラさんを追い出したかったんでしょうね……」


「そ、そんなっ……まさかっ!」


自分にとっては只只可愛い妹であるサーニャの真意を信じられないと訴えるラペルに、今まで沈黙を続けていたセィラが口を開く。


「信じられないというなら仕方ないわ……それを信じるも信じないのも貴方の自由だもの。でも私はサーニャさんの敵意を、少し前から感じ初めていたの。そして寝室の件でハッキリとわかったわ。サーニャさんは、私を家族だと認めたくないのよ。……だから無理だと思ったの。そんな考えを持つ義妹とは共存できないから。離れて暮らしているならまだしも、頻繁に家に居座られるのでは、到底やっていけない……」


「セィラ……」


「選べないというのは、ある意味選んでいることと同じだと思う。選べない……選ばないのはイコール現状維持を望むことよね?貴方はこの状況がいいのよ。それはつまり、サーニャさんを選んでいるということだわ……」


「どうしてそうなるんだ!僕はセィラも大切だから選びたい!そう思ってるんだっ!」


「だからそれでは何も変わらないわ。これから先、それでは困るのよ……だから私は選んだわ」


「何を……選んだと言うんだ……?」


(貴方)ではなく子どもを。お腹の子が心穏やかに、健やかに暮らせるために、実家に戻ることを選んだの」


毅然として夫にそう告げるセィラの顔は、子を守る強い母親のそれであった。

対してラペルはそんな妻の言葉に激しく動揺する。


「そんなっ……!セィラっ……!」


突きつけられた現実と妻の言葉に打ち(ひし)がられるラペル。

そんな彼に掛ける言葉も見つからず、皆はただ黙って見つめていた。

やがてザウルの穏やかな声がその沈黙の中に落とされる。


「よく考えてご覧なさい。これから先も続く長い人生を誰と共に歩みたいのか。本当に守りたいものは誰なのか。抜けるような青空を眺めた時、驚くほど美味しいものを食べた時、美しい花に触れた時、それを一番に誰に話したいのか。そしてその時、その人が側に居ないのをどう感じるのか……それを考えて、誰のことが思い浮かぶのか。それがキミの心の奥底にある本当の答えなのだと私は思いますよ」


そう説いたザウルの顔をラペルは仰ぎ見る。

そしてザウルのその言葉に従っているのだろう。

しばし思考に耽る様子を見せ、そしてやがてゆっくりとセィラの方へと顔を向けた。


「セィラ……」


ぽつりとつぶやくように妻の名を呼ぶラペル。

ふいにその目から涙が零れ落ちた。

それを見たセィラが小さく息を飲む。

ラペルは涙を流しながら、一心にセィラを見つめた。


「嫌だ……セィラが居ない毎日なんて……考えただけで無理だ……朝起きておはよう、とセィラに言えないなんて。ありがとうも、行ってきますも、ただいまもおやすみも言えないだなんてっ……セィラの笑顔が、声が聞けないなんてっ……そんなのっ……そんなの死んだ方がマシだっ……」


「ラペル……」


「僕は、本当に幸せなんだ……セィラと出会えて、セィラと結ばれて、僕たちの子どもが愛するセィラに宿って。生まれくるのが楽しみでっ……セィラと共に子どもを育てていくんだと、そう思うだけで本当に幸せでっ……」


涙ながらにセィラにそう告げるラペルの肩に、ザウルはそっと大きな手を乗せた。


「セィラさんが居ない毎日が辛いと感じる、それがキミの答えなのでしょう」


「副司教様……」


確かに……、とラペルは思った。

妹のサーニャが大切である気持ちは変わらないが、毎日顔を見ないと耐えられない……という事はない。

元気で幸せでいてくれるならそれで充分だ。

だがセィラは違う。

彼女と会えない日があると思うだけで辛く悲しく、そして言いようのない焦燥感に駆られるのだ。

それが解った時、自分の中で何かがすとんと音を立てて落ちていった気がして、腑に落ちるとはこういう事を言うのだろうとラペルは思った。


ラペルは袖口でぐいっと涙を拭う。

そして迷いのなくなった眼差しでセィラを見る。

セィラは夫のその眼差しを真っ直ぐに受け止めた。


ラペルがゆっくりセィラに歩み寄り、彼女に告げる。


「セィラ……すまなかった……不甲斐ない、情けない夫で、本当に悪かった……謝っても謝りきれないけど……どうか僕にチャンスを与えて欲しいんだ。もう僕は間違えない。本当に大切な人は誰なのか、もう迷わないよ。僕は必ず、キミと僕たちの子を守ると誓うから……」


「……ラペル……本当……?本当に信じてもいいの?」


「すぐに信じられないのは仕方ないよな……だけどこれからは、夫として再びセィラに信じて貰えるように頑張るから……だから、僕を見捨てないで……」


最後の方は情けない声になるラペルを見て、思わずセィラは笑みを浮かべてしまう。


「ラペルったら……なんて情けない顔をしてるの」


いつも聖騎士としての己に自信を持ち、ポジティブでのん気な気質のラペルが初めて見せた表情に、セィラは冷たく凝り固まった心が解れた心地がした。

要は夫の情けない泣き顔で溜飲が下がったわけである。


そして自ら一歩、ラペルの方へと踏み出して彼の背中に手を回し身を寄せた。


「っ……セィラっ……!」


セィラからの抱擁に感極まったラペルの涙が更に溢れ出す。

そしてぎゅっと包み込むように、セィラを抱きしめ返した。


その光景を、アユリカもハイゼルもザウルも、やれやれ良かったと安堵の表情を浮かべて見守っていた。



その後、ラペルはサーニャときちんと話をすると言って自宅へと戻って行った。

セィラに余計な負担をかけないために、アユリカにセィラを預けて。

全てが片付いたら必ず二人を、セィラとお腹の子を迎えに来ると約束をしてラペルは店を後にした。





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