ポム小母さんと魔女の林檎の木
「ポム小母さん、薬材のシナモンをひとつ貰ってもいい?牛スジ肉が安かったから赤ワイン煮込みを作ろうと思ったんだけどシナモンを買うのを忘れてしまったの」
居住部分にしている二階から降りて、アユリカは魔法店のカウンターに立つポム小母さんにそう尋ねた。
「ああいいよ。好きなの取っていきな」
ポム小母さんはそう言って、シナモンが入っている保存瓶を指差す。
「ありがとう。形が崩れてるとか割れてるので充分だわ」
アユリカは薬材棚から保存瓶を手にして、中から割れて底に溜まっていたシナモンを取り出した。
その姿を眺めながらポム小母さんが笑みを浮かべる。
「今日は赤ワイン煮込みか。すっかり秋めいてきて夜は肌寒くなったから嬉しいねぇ」
「ふふ。牛スジ肉の下処理が面倒だけど、あとは赤ワインに蜂蜜と塩コショウとシナモンを入れて煮込めばいいだけだから簡単なの。これから冬にかけてたくさん作ってあげるね」
「そりゃ楽しみだ。アユリカの料理は絶品だからねぇ。金を出してでも食べたい腕前さ」
「ありがとう。ポム小母さんに教わった中で、魔術よりも料理の方に才能があったみたいね」
「料理に活かせる魔術の習得は早かったじゃないか」
「だって色々と美味しいものを作りたかったから」
アユリカがそう言うと、ポム小母さんはしたり顔で言う。
「アユリカがひとりで台所に立つようになったのは……たしか十三の年くらいだったか。その当時、まだ一緒に暮らしていたハイゼルが食いしん坊だったもんねぇ。あの子に美味しいものを食べさせてやりたくて、料理の腕を磨いたんだろ?」
その言葉を聞き、アユリカはほんのりと頬を染める。
「だって……」
「ふふふ、わかってるよ。その時にはもうハイゼル坊やのことを好きだったんだろ?甘酢っぱいねぇ初恋だねぇ」
「もう、揶揄わないでポム小母さん。それに、ハイゼルのことをまだ坊や呼ばわりするなんてポム小母さんくらいよ」
「そうかい?」
「そうよ。ハイゼルは今や立派な聖騎士見習いなんだから」
「生意気な。鼻水垂らして近所を走り回ってたくせに」
「ぷっ、ふふふ」
その当時のことを思い出し、アユリカが笑う。
そしてシナモンを手に階段へと向かいながら言った。
「あ、そうだ。赤ワイン煮込みに林檎も入れたいの。“魔女のポミエ”の林檎をひとつ貰ってもいい?」
「ああいいよ。取れば取るほどいくらでも生るからねぇ。好きなだけ使いな」
「ありがとう。でもすごいなぁ……古の森は林檎の木にも魔力が宿るのね」
「いや?あれは私のお祖母さんが子どもたちのために創ったものさ。家の中に居ながらいつでも捥ぎたての林檎が食べられるようにってね」
「それをポム小母さんが譲り受けたのね」
「まぁね、形見分けってやつさ」
そこまで二人で話していたところで店に客がやってきた。
ドアベルの付いた深いグリーンのドアを開けて、近所に住む主婦が入ってくる。
いつもお姑さんのためにリウマチの薬を買いくる常連客だ。
「「いらっしゃい」ませ」
アユリカとポム小母さんの声が重なる。
接客の邪魔をしてはいけないとアユリカはそのまま二階へと上がり、そして居間の出窓に置いてある“魔女のポミエ”の元へと行った。
「本当に不思議な林檎の木……」
出窓には大きなトランクが置かれている。
そのトランクの中を苗床として、樹高1メートルほどの林檎の木が生えているのだ。
その林檎の木には年がら年中赤くて艶々の林檎が生っている。
捥いでも捥いでも、全部収穫してしまっても次の日にはまた林檎が鈴なりに生るのだから本当に不思議である。
そしてそれが魔女が創った林檎の木であることを如実に物語っていた。
アユリカはその林檎の木から林檎をひとつ取った。
明日にはきっと、同じ場所に新たな林檎が生っているのだろう。
鮮やかなようで深みのある赤い林檎。
昔、まだ幼い頃。
ハイゼルはこの林檎を見て、アユリカの頬と同じだと笑った。
あの頃はいつもすぐ隣にはハイゼルがいた。
アユリカが料理の方に才能を見出したのと同じく、
ハイゼルは聖騎士としての才能を見出し、あれよあれよと聖騎士の予科練学校へと入学して家を出てしまった。
その当時も今も寂しくて堪らないけど、聖騎士になりたいというハイゼルの夢を応援したいという気持ちの方が大きい。
だけどこんなにも会える日が少なくなるとは思わなかった。
今でも月に一度か二度はポム小母さんのこの家に帰ってきて食事を共にするが、普段は差し入れを理由にアユリカの方から会いにいかなければなかなか会えないのだ。
それも、昼休憩や放課後などハイゼルが予科練学校から出てきたところを待ち伏せしなければならない。
なぜならハイゼルに学校には近付くなと言われているからだ。
「はぁ……」
アユリカは大きなため息をつき、手にした林檎とシナモンを持ってキッチンへと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇
関連作品
『夫婦にまつわるすれ違い、または溺愛を描く短編集』
・古の森の魔女の恋
・古の森の魔女の恋~魔女が番う季節~
『魔女は婚約者の心変わりに気づかないフリをする』