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ここで生きる充足感

店の常連客であるセィラが第一子を妊娠した。


悪阻はわりと軽いらしく、図書館司書という仕事をいずれ退職するのかそれとも産休と取るのかはまだ決めてはいないようだが、働けるうちはとセィラは仕事を続けていた。


そんな身重の妻のために、セィラの夫であるラペルがひとりで近頃惣菜屋ポミエを訪れるようになった。


仕事帰りに夕食の一品にする惣菜を買いにくるのだ。

妊婦の体には何がいいのか、アユリカと相談しながら惣菜を決める。


「悪阻が軽くてもサッパリしたものが食べたいらしいんだ」


ラペルがアユリカにそう言いながらショーケースを熱心に覗いている。


「そうですねぇ……それなら、ブロッコリーと林檎のヨーグルトサラダはいかがですか?ヨーグルトに自家製マヨネーズを少しまぜているので酸味が効いて食べやすいと思います。ブロッコリーも林檎も妊婦さんの体にはよい食べ物ですから」


「なるほど。じゃあそれと……この“肉団子のトマト煮込み”とチキングリルを買うよ」


「はい。ありがとうございます」


アユリカはそう返事をしてショーケースから惣菜を取り出していく。

そしてパック詰めをしながらそれとなーくラペルに訊いてみる。


「あの……妹さん……サーニャさんでしたっけ?まだお家によく来られるんですか?」


「え?サーニャ?うん、あの子は病気のせいで友達がいないから、気分転換にしょっちゅう来るよ」


なんの屈託もなくそう答えるラペルに、アユリカはまたまたそれとなーく言ってみる。


「でも、セィラさんは妊娠初期でとてもデリケートな時期だと思うんですよ。いくら旦那様の妹だからって、そうしょっちゅう来られるたら落ち着かないんじゃないかな~と」


「セィラなら平気だよ。彼女はとても優しいからね。サーニャのことを実の妹のように可愛がってくれている」


「そりゃ優しくて思いやりのあるセィラさんならそうでしょうけど……だからこそ遠慮して言い出せないこともあると思うんです」


「言い出せないこと?なんだろう?」


「だから妹さんのこととかですねぇ」


「じゃあ何も問題ないんじゃないかな?」


「いえだから、あのですねぇ……」


ダメだ。

この問題に対する考え方が違う分、話は平行線だ。

しかもアユリカは部外者であるから何を言っても真剣には捉えて貰えない。


「……とにかく、セィラさんを大切にしてあげてください」


「もちろん。彼女は僕の大切な妻だからね」


「サーニャさんは?」


「僕の大切な妹さ」


「……そうですよね……」


大切な家族に優劣はつけられない。

それはわかる。

わかるけど、その中でも一番大切にしなくてはならない人は必ずいると思う。

それがラペルにとってセィラなのかサーニャなのか、当たり前だがアユリカにはわからない。






セィラのことが気にかかるも、店を訪れる客は後を絶たない。


ラペルが帰った後はまた別の常連客がやって来る。


「いらっしゃい。ザウルさん、今日は何をお求めになられますか?」


アユリカは最も古い常連客の一人(惣菜屋ポミエ開店時からの客)であるザウル・カーマインに笑顔でそう告げた。


「こんにちはアユリカさん。お惣菜を買いに来たのですが、貴女のその笑顔だけで充分満たされた心地になりますね」


ザウルが柔らかな笑みを浮かべ、そう返す。


「ふふ。ありがとうございます。今日のオススメはですね、“チキンのハニーマスタードソース”と“林檎と人参のラペ”ですよ」


「やぁそれは美味しそうだ。歳をとると食事しか楽しみがありませんからねぇ」


「そんなこと言って、筋トレという生き甲斐があるじゃないですか」


「筋トレはライフワーク、昔から体に染み付いた習慣のようなものですよ」


(よわい)六十を過ぎても筋骨隆々としているザウルが笑い、白い歯がキラリと光る。


自ら自分のことをペラペラと話す客以外、もしくは自然な成り行きで話題になる以外は、客の細かい素性はわからない。

だからアユリカはこの穏やかな筋肉老紳士が何者なのかは当然知らない

ただ、メラがひとりで惣菜屋()を切り盛りしていた頃からの客ということだけはわかっていた。

そしてアユリカは、ザウルは退役した騎士なのではないかと推測していた。

まぁただそれだけの話なのだが。


「じゃあ今日はそのオススメの二品と、いつものクロックムッシュを頼みます」


「毎度ありがとうございます」


ザウルを含めたセィラやイリナたち常連客や、評判を聞いて買いに来る客や頻繁ではないがたまに惣菜を買うならポミエ(ここ)と決めてくれている客たちのおかげで、店はなかなかの繁盛だ。


ここでいつまで働けるかはわからないが、アユリカはこの店が、この街がとても気に入っていた。


この街(ここ)でなら、きっとひとりでもやっていける。

自分の力で生きていける充足感を、アユリカは確かに感じていた。


かつての自分はとても狭い世界にいたのだとわかる。

ポム小母さんの家の中、ハイゼルとポム小母さんと三人だけの世界。


もちろん学校の友達や近所の人など関わる人も大勢いたけれど、アユリカの世界はあの小さな家の中が全てだったのだ。


“ポムさん(ところ)のアユリカちゃん”

それだけの存在だったのだ。


それが今は自立してひとりで生きている。

その自信が気付かせてくれた、かつての自分がいかにハイゼルとポム小母さんに依存していたのかを。


「これじゃあハイゼルが私を一人の女性として見れなくて当然よね」


アユリカはくすりと自嘲した。


でも次に会えた時はきっと胸を張ってハイゼルに会える。


初恋は残念な結果に終わり諦めたけど、ある意味そのおかげで今の自分がある。

何者にも(おもね)ない、自分らしく在れる新しい自分が。



と、ポミエでポエム的に考えていたのに……




「…………ハイゼル……?」


「……久しぶり……」


「え?どうしてこの街に?」



突然、聖騎士の騎士服に身を包んだハイゼルが、


惣菜屋ポミエに現れたのであった。



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