小さな奇跡の家
1074番は、夜なのに暗くならない街を歩いていた。
空は夜のはずなのに、昼間のように明るく、看板や街灯が絶え間なく瞬いている。街は想像以上に広く、人々は笑い声をあげながら行き交っていた。
「ねえ見て、あの人コスプレみたい」
「ほんと、可愛い~」
すれ違った若者たちが、1074番の服装を囁く。
高等部の制服に、長い黒のコート。内側の世界では普通の服も、外の世界では魔術師の衣装に見えるらしい。
だが、1074番の目には、この街の鮮やかな服の方がずっと可愛く、眩しく映った。
人の視線を避けるように歩くうち、人混みのざわめきに酔い、足は自然と住宅街へ向かっていた。
脱出の緊張が解けた途端、疲労が一気に押し寄せる。膝が震え、視界が揺れた。もう立っていられない――。
ふらつきながら休める場所を探していると、背後から優しい声がかかった。
「あらあら、あなた大丈夫? そんなにふらふらして」
振り返ると、六十代半ばほどの女性が心配そうに立っていた。
「家はどこ? 送っていってあげる」
「……家はありません」
「そう。じゃあ名前は? 私は千代っていうの」
千代――? 外の世界の人は番号ではなく、名前を持っているのか。
「……1074番です」
千代は悲しげに目を細めた。
「とりあえず、うちにおいでなさい」
こうして1074番は、千代の家に向かうことになった。
千代は夫の玄と二人で暮らしているというが、今夜は玄が出張で不在。家には千代ひとりだけだった。
1074番はイハのことには触れず、自分の事情だけを話した。
親はいないこと、施設で育ったこと、そしてその施設が嫌で逃げ出してきたこと。
千代は優しく頷き、1074番の手をそっと包む。
「ここまで大変だったわね。よく頑張ったね」
その言葉が、1074番の胸にじんわりと温かさを届けた。
千代が用意してくれた温かい食事を口にし、お風呂に入る。
ふかふかのベッドも用意されていて、1074番にとっては初めての「家庭」だった。
1074番は胸の奥が熱くなるのを感じながらベッドに入った。
「1070番、1073番たちはあれから罰を受けていないだろうか……」
思い出すたび、胸が締め付けられる。
「1072番たちのように、殺されたりしないよね……?」
急に不安が襲い、布団にくるまり声を押し殺して泣く1074番を、千代は優しくさすった。
「大丈夫。きっと大丈夫。今は休みなさいな」
翌朝
目を覚ますと、千代が朝食を作っていた。
「おはよう!」 優しい笑顔に、1074番も思わず笑みを返す。
香ばしいパンの香り。
昼は街の食堂で、人々の笑顔を眺めながら食事をとる。
夜は暖かい布団で眠る。
これまで隔離された日々とは全く違う、当たり前の“日常”がそこにあった。
夫の玄が帰宅し、事情を説明すると、
「しばらくはうちで過ごしたらどうか?」
「それじゃ名前を決めましょう!」千代は嬉しそうに事典を持ってきた。
1074番は少し緊張して身をすくめる。
守護神になると名前がもらえるという話を聞いたとき、ワクワクしたのを覚えるいる。でもそれとは全く異なる感情で、自分だけの名前――
千代がページをめくり、「天音」と指を差す。
「天……空の上のように広く、自由な世界を感じられるように」
「音……あなたの存在が、周りに優しさや希望を伝えられるように」
千代の言葉を聞いた瞬間、1074番の胸に温かい光が広がった。
「天音……」口にするたびに、まるで自分の心が少し軽くなるのを感じた。
「いい名前ですね」1074番の笑顔を始めみた千代は、嬉し涙を流した。
「うん、貴女は今日から天音ちゃんよ!よろしくね」
そこから天音は外の世界を学び始める。
スーパーの自動ドアや信号機、電車の乗り方――
一つひとつが新鮮で、歩くたびに好奇心が膨らむ。
買い物、洗濯、料理。すべてが初めてで、最初は手間取ったが、少しずつ手際よくこなせるようになっていった。
でもやはり気掛かりなのは、1070番や1073番。
2人は今どうしているだろうか……




