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子供の泣き声

作者: 広之新

夏のホラー2023に参加させていただきます。

今回は女刑事(日比野美沙刑事)が経験した不思議な出来事です。

彼女が活躍する「盗聴する隣人」や「真夜中の銃弾」と併せて読んでいただければ幸いです。

 夜になっても汗ばむほどのうっとうしい暑い日が続いていた。それに今夜は雲が覆っているのか、空を見上げても月も星も見えない。無限に広がる漆黒の闇が気持ちをも圧迫していた。

 お盆とはいっても事件は起こる。この日、私は捜査で帰りが遅くなった。駅からの家への道にはもう人影が見えなかった。その道は決して寂しいわけではない。わきに立ち並ぶ民家からの灯りや()()()()と点滅する電灯がそこをちゃんと照らしている。だがなぜか気味が悪いほど薄暗くて静まり返っているのだ。

 だがこんな感じの日はよくある。私ははっとため息をついて家まで一気に通り抜けようと早足で歩いた。流れる汗が肌にまとわりつき、より蒸し暑くなって気分を不快にさせた。

 だがしばらく歩くと何かひんやりした風を体に受けた。いや、そう感じただけなのかもしれない。その時、私は子供の泣き声を聞いたのだ。


「一体、どこで・・・」


 しゃくり上げる、その悲し気な声はただ事ではないように感じた。不審に思った私は耳を澄ませてその泣き声の方に向かった。すると道の傍らに4,5歳くらいの男の子がうずくまっていた。私は(こんな時間にどうしたのだろう?)と思ってやさしく声をかけた。


「ぼく。どうしたの?」


 すると男の子は泣くのをやめて顔を上げた。涙で頬が濡れている。


「家に帰りたいの・・・」


 どうも家への帰り道がわからなくなったらしい。いやこの道が怖くて泣いていたのか・・・。それにしてもこんな時間まで小さな子供を一人で放っておくなんて・・・。


「もう大丈夫よ。お名前は?」

「りょうすけ・・・くわのりょうすけ」

「りょうすけ君ね。お名前が言えるのね、えらいわ」


 私はハンカチを取り出して涙を拭いてあげた。電灯に照らされたその顔は青白く、体はひどくやせていた。


「家はわかるの?」

「うん・・・」


 りょうすけ君はうなずいて道の向こうを指さした。そっちなら帰り道と同じだ。私はこの子を送って行こうと思った。


「お姉さん家までが送って行ってあげるわ」

「うん。ありがとう・・・」

「じゃあ、一緒に帰りましょう」


 私は手をつなごうと右手を出した。りょうすけ君は左手でつないでくれた。その手は細く、冷たかった。そして半袖から見える腕に私は見た。


(あざがある!)


 それは確かに内出血のあとだった。髪の毛に隠れて見えなかったが、下からのぞきこむとおでこにも傷があった。私ははっとしてすぐに彼の服をめくった。するとそこにも無数のあざがあったのだ。


(この子、虐待されている!)


 私にははっきりわかった。そうならば対処しないと・・・。するとりょうすけ君は嫌な顔をして服を元に戻した。私の顔が刑事のそれになっていたことを敏感に感じていたのかもしれない。


「大丈夫だよ。転んだだけだから・・・」


 りょうすけ君はそう言った。だがそれが嘘だということは誰にでもわかる。そしてその嘘は虐待している親から吹き込まれているということも・・・。

 私はこのままりょうすけ君を家に送っていいのかと迷っていた。虐待が疑われるのなら児童相談所に保護してもらわねばならない。だが彼のことは名前と体にあざがある以外、何もわからない。もしかしたら急に家からいなくなって母親がかなり心配しているかもしれない。詳しい話を聞いてからでも遅くない・・・私はそう思ってりょうすけ君の家に向かうことにした。その奥底には虐待など何かの間違いであってほしいとの願望があったのかもしれない・・・。


 私はりょうすけ君と手をつないで薄暗い道を歩き始めた。


「家はどんなところなの?」

「アパートの2階」

「家には誰がいるの?」

「ママとおじさん・・・」

「3人なの? そう・・・。りょうすけ君は昼間、どうしているの?」

「いつもは家にいるの。ママは昼間いないけど。おじさんがいる・・・」


 話を聞いていると、りょうすけ君は母親とその内縁の夫と暮らしているようだ。ここからは肝心なところだ。慎重に聞いていかねばならない。


「どうしてあんなところにいたの?」

「わからない・・・」


 それに対してりょうすけ君ははっきり答えようとしない。それならばと質問を変えた。


「ママはやさしい?」

「うん。とっても。大好きなんだ!」

「そう・・・おじさんは?」

「う、うん・・・」


 りょうすけ君は言葉を詰まらせた。言いたくないことがあるようだ。でも他のことはいろいろと話してくれる。頃合いを見て私は言った。


「ねえ、お姉さんだけ、本当のことを聞かせて。転んでケガしたんじゃないでしょ」


 するとりょうすけ君は黙りこんだ。私は(しまった!)と思った。あまりにもストレートに聞きすぎたかもしれない。これでりょうすけ君は私に心を閉ざしてしまうかもしれない・・・。

 だがしばらくしてりょうすけ君が少しずつ話し出した。


「誰にも言わない?」

「ええ、約束よ」

「誰にも言わないでね。おじさんがぶつの。悪い子だって・・・」

「そうなの。ママは? 止めてくれないの?」

「ママもぶつの。僕のせいだって・・・」


 私は決定的なことを聞いてしまった。これで虐待されていることがはっきりわかった。


「お姉さん。僕が悪いの。ママは悪くないの・・・」


 また刑事の顔になった私を見て、りょうすけ君はそう言ったのだろう。ひどい虐待を受けたはずなのにりょうすけ君は母親をかばおうとしている。子供にとって母親は絶対的存在なのだ。だからこそ虐待が疑われるときは介入して子供を救わねばならないのだ。


「ごめんね。怖がらせて。でもお姉さんはりょうすけ君の味方よ」


 私の心は決まった。虐待する大人から引き離さねばならない。一応、りょうすけ君を送り届けるが、事情を聞いて児童相談所に通報してすぐに保護してもらおうと・・・。




 私はりょうすけ君とともに彼の住むアパートに来た。老朽化して外壁がはがれかけ、外の電灯に照らされて凸凹の模様を浮かび上がらせていた。私はりょうすけ君の手を引いて、錆びた手すりのついた階段を上って行った。ギシギシと階段と外廊下がきしむ音が鳴る。2階の1室が目的の部屋だ。その部屋の窓から明かりが漏れていた。

 部屋のドアの前まで来て私は呼吸を整えた。警察官として毅然とした態度を取らねばならない。そして虐待を受けたりょうすけ君をそのまま帰してはいけない。この手をしっかり握って彼を保護しなければならない。

 私は「コンコンコン!」とノックして声をかけた。


「こんばんは」


 しばらくしてドアが開いた。中から陰鬱そうな顔をした若い女性が顔を出した。この人がりょうすけ君の母親に違いない。


「どなたですか?」

「警察の者です。お話を伺いたいと思いまして・・・」


 私は警察バッジを出してそう言った。すると奥から男が出てきた。無精ひげでだらしないスウェット姿、見るからに「ヒモ」という感じだった。


「警察に用はねえよ!」

「あなたになくてもこちらにはあるんです!」


 男の威嚇する声に負けぬように私も声を張り上げた。


「十分話したじゃねえか! これ以上、何だ!」


 男の態度は少しおかしかった。彼は警察で取り調べを受けるようなことをしているのかもしれない。だが今回は子供の虐待の件だ。私は冷静に静かに言った。


「りょうすけ君のことです」


 すると女の方は悲し気に言った。


「りょうすけのことはもう言わないでください」

「そうはいきません。お話を伺いに来たのです」


 すると男が大声で喚いた。


「お前に関係ないだろ!」

「いえ、こんなことを見逃せません! あなた方はりょうすけ君を虐待しているのですか!」


 私はなぜか、感情的になってしまっていた。横でりょうすけ君が聞いているというのに・・・。すると女は泣き出した。


「ううう・・・。りょうすけは・・・りょうすけは・・・」


 一方、男はさらに声を張り上げた。


「帰ってくれ! 俺のせいじゃない!」

「じゃあ、誰がやったというのです!」

「知らねえよ!」

「とにかくりょうすけ君は連れて行きます。こんな時間まで外で一人で放りだしておいて・・・。児童相談所に通報して保護してもらいます。いいですね!」


 すると男は(えっ?)と怪訝な顔をした。 


「りょうすけを連れて行くって言ったって・・・」

「ええ。ここには置いておけません。りょうすけ君の身に危険が及ぶ可能性がありますから・・・」

「そんなことを言ったって・・・」


 男の反応はおかしかった。この期に及んでまだ言いつくろうというのか・・・。


「あんた、何か勘違いしている。りょうすけならあそこにいる」


 男は部屋の奥を指さした。するとそこには小さな机があった。子供の写真が置かれ、その前には線香が供えられていた。緊張していて気付かなかったが、確かに部屋からは線香の香りが漂ってきていた。


「りょうすけは死んだ。警察は虐待で俺が殺したって・・・もうたくさんだ!」


(そんな馬鹿な・・・)


 私は隣を見た。手をしっかりつないだりょうすけ君がいるはずだと・・・。だがそこには誰もいなかった。つないでいた右手はじっとりと濡れていた。


「もう帰ってください! 帰ってください!」


 女が泣きながらわめいていた。男は私をにらめつけ、ガチャンと乱暴にドアを閉めた。私は訳が分からなくなっていてしばらくその場で茫然としていた。


 ◇


 しばらくして私はまた帰り道に戻った。歩きながら考えてみたがよくわからない。私が見たりょうすけ君は幻だったのだろうか・・・。だが彼の泣き声がまだリアルに耳に残っている。はっきり覚えているのだ。今も頭の中で・・・いや、実際にまだ耳から聞こえている。

 やがて私にはそれがわかった。今夜の私には見えているのだ。聞こえているのだ。その存在が・・・。道のわきにはうずくまって泣く子供の姿がまた見えた。その子は頭にケガをしている。そして向こうにも全身にやけどをした子供が・・・。虐待されて死んでいった子供が泣きながらお盆に家に帰ろうとしていた。自分たちを傷つけた大人のいる怖い家に・・・これほどまでに多くいるのだ。

 私は背筋が凍るような感覚に襲われていた。だから辺りを見ないようにして漆黒の闇の中を駆けていった。


お読みいただきありがとうございました。評価や感想などいただけましたら幸いです。

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