塾を辞める理由
「どうして……」
辞める理由が知りたかった。
急に言われても心の準備が出来ない。
愛里紗が一旦落ち着きを見せると、理玖は目線を外して鼻をすすった。
黙った時間は5秒とない。
二人の間には冷たい空気だけが吹き付けている。
「以前、将来の夢を聞いてきたよね」
「うん」
「それから考えたんだ。将来どんな職業に就きたいとか、どんな勉強をしていこうかとか。……そこで行き着いたのが留学。イギリスに留学してもっと家具について学びたいと思った」
「もしかして家業を継ぐの?」
「将来的にはそのつもり」
涙でうっすら視界がぼやけ始めた愛里紗から目線を外した理玖は、後ろを向いて夜空を見上げた。
「まずは語学学校から。手始めに小さな所から少しずつやっていくつもり」
「うん」
「塾と語学学校。さすがに両方通うとなると経済的な負担をかけちゃうし、自分の時間がなくなる。……だから、塾は辞める。今後は語学勉強に集中するよ」
背中からは表情が伺えない。
ただ、風に揺られて靡いている髪を眺めるだけ。
理玖……。
いまどんな気持ちで話しているの?
真っ直ぐ見つめているその先に未来は見えているのかな。
決意は揺るぎないんだね。
理玖が塾を辞めちゃうのは寂しいけど、夢を応援したい。
中学生の頃からの大切な友達として……。
でも、やっぱり嫌だ。
本音は行って欲しくない。
留学したら、日常的に会ったり、冗談を言ってふざけ合ったり、時にはバカみたいにはしゃいだり出来なくなる。
塾を辞めるだけでもショックなのに、日本からいなくなるなんて。
最近ようやく友達として再スタートを切ったばかりなのに……。
最近の事を思い返していたら、今まで伝えてくれた言葉が鮮明に蘇ってきた。
『俺は久しぶりに会えて嬉しいのに、お前は逃げてばかり』
『お前の誕生日忘れてないから』
『明日から毎日愛里紗に会えなくなるから超寂しい』
『上着くらい持って来いよ。女なんだから、もうちょっと身体に気ィ使って』
一つ一つの言葉を掘り起こしてみたら、私を大切に思う言葉ばかり。
あの時は聞き過ごしていた言葉が、今は胸に響いてくる。
バカ……。
どうして日本から居なくなっちゃうのよ。
愛里紗は留学というスイッチが押された瞬間、心の中でひっそりと眠っていた感情に新たな局面を迎えた。
「ありがとう。こうやって自分と向き合えたのは全部お前のお陰……」
そう言いながらゆっくり振り返った途端、言葉を失わせた。
何故なら、月光を浴びている愛里紗の瞳からは、ダイヤモンドのようにキラキラと輝せている涙が頬へと流れ落ちているから。




