見つからないネックレス
ーーバレンタインの日の朝を迎えた。
大雨から一晩経った今朝は、薄雲が隙間なく敷き詰められていた。
足元に溜まっている水溜りが、通勤通学の足を映し出している。
今日は早い時間に家を出て、マフィンの入った紙袋をカバンの中で揺らしながら駅までの道のりをくまなく目で追ってネックレスを探した。
通り道で見つからなかったから、駅前の交番や駅の窓口に出向いて落し物で届いてないかを聞き回った。
勿論、見つからなかった。
紛失した場所の見当がつかないから、広範囲を探す覚悟をしている。
とりあえず学校帰りにもう一度気を配りながら探し歩いてみようかな。
落ち込んでいる気持ちを立て直しながら、定期をかざして改札口を通り抜けた。
昨日翔くんの一件があったせいか、咲とは顔を合わせづらい。
二人の別れに自分が関与してると知ってしまったから余計に。
でも、私は親友だから内情を知らない自分を演じなければならなくなった。
教室に到着すると、先に登校していた咲に「おはよ」と作り笑顔で挨拶してから席に着く。
すると、咲は背中を追いかけてきて前の席に座ると、15センチ四方のピンクの箱を私の机の上に置いて両手で蓋を開けた。
「じゃじゃーん。お手製の手作りクッキーだよ~! 何と今回はチョコチップ入り。ねぇ、今から一緒に食べよー」
咲は、昨日翔くんが私に告白したという事実を知らないまま、純真無垢な笑顔で箱に入ったクッキーを勧めてきた。
咲に罪はないから、私は心にしこりを残したままいつも通りの自分を振る舞った。
「うわっ! すっごい山盛り。こんなに沢山作って大変だったんじゃない? もしかして昨日バイト休みだった?」
「じゃなきゃ作る時間がないよ〜。いっぱい作ったから後で他のクラスの友達にもおすそ分けに行くんだけど、まずは愛里紗にと思って」
「やったぁ! 親友の特権。いただきィ!」
30個くらい入ってる箱の中から、3センチ程度の見栄えがいいクッキーをつまみ上げて口の中へ。
噛み砕いた瞬間、ふと思った。
咲が作ったクッキーは、私がバレンタイン用に作ったマフィンとは天地の差。
見栄えはいい上にめちゃくちゃ美味しい。
柔らかさと甘さと塩加減のハーモニーが絶妙だ。
きっと、これが普通の女子が作るお菓子。
いや、パティシエレベル?
……まさか市販のクッキーじゃないよね。
さっき手作りだって言ってたもんね。
じゃあ、私が作るのはお菓子じゃなくて、毒……かもね。
「本当に美味しい。延々と食べられるくらい絶妙な甘さと塩加減! プロのパティシエも頭が上がらないよ」
「それは褒めすぎ。ほら、お代わりも沢山あるよ」
「マジで最っっっ高! あ、私も咲にバレンタインあるよ。ちょっと待ってね、いま渡すから」
「うそーっ! 嬉しい!」
期待を寄せる返事は地味に胸が締め付けられる。
何故なら、私が作ったマフィンは誰がどう見ても地獄行きだから。
鼻からチョコの香りが抜けていくクッキーを噛み砕いたまま、咲用に用意した猫柄の紙袋をカバンから出して渡した。
咲と比べると私のマフィンは食べ物以下だから、そんなに喜ばれてしまうと逆に困ってしまうけど、何もないよりはマシかな。
……いや、逆に忘れたフリをした方が迷惑をかけずに済んだのかもしれない。
私は最終的にどんな方向からも、咲に迷惑をかけているだろう。
咲は紙袋を受け取ってから両手で開いて中を覗き込むと、ワッと喜んだ。
「うわぁ、ありがとう! 愛里紗は何作ったの?」
「い……一応、チョコレートマフィンを」
「すご〜い! ねぇ、今から食べてもいい?」
「えっ……。いっ、今?」
それが毒マフィンだと知らない咲は、私の目の前で地獄に向かおうとしている。
思わず声がひっくり返ってしまったが、幸運にも咲はマフィンに気を取られていて不審な様子に気付いていない。
「早く食べたいなぁ」
「あっ……あのね、マフィンは1日置いた方がしっとりして美味しいんだよ」
「ふーん、そうなの? じゃあ、明日家でいただこうっと!」
「あ、あはは……。そうして」
咲の期待を裏切りたくなくて寿命を1日だけ延ばしてみた。
でも、咲とは違って静止が効かない理玖は、きっと今日中に地獄へ落ちて行くだろう。




