本当の気持ち
翔くんの香りを忘れた代償は払ったのに。
理玖も咲もいるから早く忘れなきゃいけないのに。
これ以上、大切なモノを壊したくないって思っているのに。
大切なものが山積みの今になって恋心に気付いてしまうなんて……。
異変に気付いた瞬間から軌道修正していたのに、心はちっとも騙されてくれない。
だが、愛里紗は言い返してから再び逃げようとした瞬間。
ガバッ……
翔は後ろから愛里紗を抱きしめた。
すると、愛里紗の身体はブワッと香りに包まれて、驚くあまりに大きく目を見開いた。
「好きだ。……もう、二度と手離したくない。返事を待ってただけの頃のように後悔したくない」
彼は耳元でそう囁く。
身体いっぱいに恋の香りをまとった瞬間……。
まるで自分の在るべき場所がここだと指し示しているかのように。
自分の中の常識が全て覆されてしまったかのように、無理矢理軌道修正していた私を虜にした。
街は快速電車も停車するくらい乗降車率が高い駅。
夜でも一人一人の顔が鮮明に見えるくらい街明かりは眩しく照らし続けている。
帰宅の途につく人々は、道端でバックハグをしている私達を横目で見ていく。
より多くの視線が集まっている中、人に見られて恥ずかしいと思う以前に胸の高鳴りの方が勝っていた。
愛里紗が気を取られてる一方で、翔が抱きしめた衝撃でフックが緩んでいたハートのネックレスは首から外れてしまい、耳に入らないほど小さな音を立てて地面へ叩きつけられた。
愛里紗は意識が遠退きそうなほど全身の力が抜けていくと、翔は小さな声で優しく囁いた。
「俺はお前じゃなきゃダメなのに、他の女なんて有り得ないから」
「……」
「さっきは『幸せ』と答えたら潔く諦めるつもりだった。再会するまで長い歳月が存在してたし、それぞれ違う人生を辿っていたから。でも、神社で抱きしめてくれた時の事を思い出したら気が変わった。やっぱり誰にも渡したくない」
街明かりはスポットライトのように私達二人を照らしている。
呼吸が乱れるほど興奮しているせいか、彼の言葉以外耳に入らない。
恋する衝動を煽るかのように彼の全てを間近に感じたら、つま先状態で寸止めしていた恋心は限界を迎えた。
「もう、何もかも遅いんだよ。どうして今更現れるの……」
「愛里紗……」
「翔くんに会いたかったのは今じゃない。迎えにきちゃダメだよ……」
零れる本心に溢れる大量の涙。
これでも、一線を超えないように最後まで気持ちをロープでくくりつけていた。
辛かった時間は涙と共に消えてくれればいいのに。
そしたら、今よりもっと楽になってたかな……。
思わず本音が漏れて心が振り子のようにグラグラしていた、次の瞬間。
シュッ……
ドカッ……
彼の手が身体からするりと解けた後、地面に鈍い音が響き渡った。
すかさかず振り返ると、そこには理玖の姿が。
「てめぇ! 俺の女に何すんだよ。離れろよっ」
「……っく」
理玖は地面に倒れ込んでいる翔くんの襟元を掴み上げて、血走った目つきで右拳を振り上げている。
私は想定外の地獄絵図にサーッと血の気が引いた。
「う……そ…………」
思い返してみると、今日は英会話教室の日。
理玖と会えないからラッピング材料を買いに来た。
怯えた目を横に向ければ、英会話教室が入っているビル。
理玖は授業を終えてビルを出たところに私達と遭遇したんだろう。
このシーンどこかで見た事がある。
そうだ、夢……。
悲しみの表情を浮かべている理玖と。
誰かに罵声を浴びせながら馬乗りになって、胸ぐらを掴み上げて右拳を振り上げ、今にも殴りかかりそうになっている理玖。
あの時は相手の顔がぼんやりしていて誰だか判明できなかったけど、まさか相手が翔くんだったなんて……。
幸先悪い夢だから早く忘れたいなと思っていたけど、それが正夢になるとは……。
どうしよう。
早く割って入ってケンカを止めなきゃ。
このままだとお互い身も心も傷付けあっちゃう。
きっと、翔くんは理玖が彼氏だと気付いたはず。




