第2話 デマに殺された彼女はデマで医者を殴っていた
「えぇ!? 菅野 環奈さんが亡くなった!?」
都内にある佐竹法律事務所にその一報が飛び込んできた。
菅野 環奈……SNSのプロフィールによると21歳の大学生なのだが、彼女は医者のSNSアカウントに対し繰り返し暴言を吐き続けていた。
「ワクチンで人を殺すのはやめろ! 私は知ってるんだぞ! ワクチンにはマイクロチップやハイドロジェルが入っていて『国民管理計画』の下地になっている!
しかも2回目のワクチン接種では危険因子や不要因子のワクチンにはスパイクたんぱく質を入れて失明や死亡させる毒を注入してるんだろ!?
国と結託してワクチンを打つのを辞めろ! 医者だからって人の命をもてあそんでいいと本気でも思っているのか!? この人殺しめ!」
彼女の暴言の内容はいつもこんな感じで、医学的根拠などカケラたりともない完全な妄想、一昔前で言えば「怪電波」と言っていいものだった。
「私は優しくてフェアだから言っておく。田辺、お前娘さんがいるんだろ? 彼女専属のボディガードでも雇った方がいいんじゃないの?
そうしなければ念仏を唱えなくてはいけなくなる事もあり得ないわけじゃないからね」
決定打となったのはこの発言。被害を受けた医者である田辺には確かに9歳になる娘がいて、環奈が田辺の娘に被害を与えることをほのめかす以上、黙って見過ごすわけにはいかなかった。
田辺は佐竹法律事務所に相談のうえで訴訟の準備を進めていたのだが……その矢先に環奈が死んだという話が来たのだ。
田辺から相談を受けていた弁護士は彼に電話することにした。
「もしもし、佐竹法律事務所の佐竹です。そちらは田辺さんでよろしいでしょうか? 今お話しても大丈夫でしょうか?」
「はい大丈夫です。田辺ですけど佐竹さんですか? 何かあったんですが?」
「ええ。訴訟の話について大事な事があるので今回ご連絡させていただきました。実をいうと訴訟の相手である菅野 環奈さんが亡くなったんですよ」
「!? ええ!? 亡くなった!? じゃあ訴訟はいったいどうなるんですか!?」
「こうなるとこちら側としては訴訟自体を無かったことにするしかありませんね。何せ訴訟を起こす前に相手が亡くなったんですから、我々としてはもう手の打ちようがありません」
訴訟を起こす前に被告が死亡したとなると、基本的にはそれ以上の追及はできない。
「訴訟中」の場合なら親類に継がせることもできるが何せ今回は「訴訟前」の話。佐竹の言う通り、手の打ちようがない。
「……わかりました。では訴訟は立ち消えなんですかね?」
「そういう事になりますね。処理はこちら側でいたしますのでご安心ください。では失礼します」
佐竹は電話を切った。
彼は彼女が亡くなったのは一般的に言えば「不幸」な事だし、こんなことを公の場で言ってしまったら大問題になるが、正直ほっとしていた。