第三十五話 エミールガレを注文された
時代はバブル期に入っていた。
みんなお金が使いたくて仕方のない頃だった。
みんと虎郎はやっぱり貧乏のままだったけれど、世間はどこからお金が湧いてくるのか聞いてみたくなるほど、リッチな人が増えていた。
仕入れに行き始めて1年程たった冬だった。
「美容室 さわこ」は跡形もなく更地になっていた。
みんは、国立駅から少し歩いた住宅地の隙間に建った小さな店を借りていた。店内は一応アンティークショップに見える品ぞろえに変わっていた。
ふらりと「ラリック」を45000円で買ってくれた作業着の男の人が入ってきた。
「がんばっているみたいだねぇ。今夜店が終わったら、家に来てくれないかなぁ。頼みがあるんだ」
「わかりました」
こういうのをきっと「閑静な住宅街」というのだろう。
国立の高級そうな一軒屋が並ぶ一画にその家はあった。新築のにおいがプンプンした。
畳の10畳間にヨーロッパ調のやたら装飾のあるサイドボード、真ん中にはケヤキの無垢材で木目が磨き上げられた座卓が置いてある。窓にはピンクのドレープカーテンとレースのカーテンが「ベルサイユのバラ」みたいなたくし上げ方でかかっている。
奥さんが、金彩に人が宮殿で踊っている柄の、底がきゅっと細くなったコーヒーカップでミルクティを出してくれた。
奥さんは全然金持ちに見えない。家政婦さんかな?と思ったくらいだった。
男の人は、紺色のゆったりとした部屋着に着替えていた。
虎郎とみんは、かしこまってミルクティを飲んだ。
「君は、ガレって知っているかい?」
いきなり聞いてきた。
「エミール・ガレのことでしょうか?」
みんは買えもしない西洋アンティークの勉強を始めたばかりだった。エミール・ガレは、アールヌーボーの巨匠といわれ、特に数多くのガラスの作品を残している。
「そう、そのエミール・ガレだ。1本でいい、手に入れたいんだ。僕は毎日アンティークの本を見ているのだけれど、あの『ガレのカメオガラス』がどうしても欲しい。でも僕のような田舎者は、銀座とか赤坂にある西洋骨董の店に入る勇気がないんだよ。それに銀座や赤坂の店の値段はロンドンの5倍も10倍も付けているらしい」
「そんなぁ、こんな素敵な家があって、お金持ちなのに・・・」
「4年前までは、工場で油だらけになってネジをつくっていたんだよ。ただの町の鉄骨屋のおやじだよ。だけどこのネジが、急に売れてね。いつの間にか工場が建っていた。気が付いたら社長さんだ。金ができるとね、家も建つし、海外旅行も行ける。今年の初めに、こいつとヨーロッパ旅行に行って、パリやロンドンもまわったんだ。だけど自分でアンティークなんて探せるはずもない。ツアーで連れまわされて、はぁーすごいな、へぇーきれいだ、ってね。ところがどうだ、彼から聞いたが、君は平気でパリやロンドンにひとりで行って、アンティークを買ってくるっていうじゃないか。だから、たのむ。僕に『ガレのカメオガラス』を買ってきてくれ」
「はぁ、でもそんな高いもの、私じゃ」
「わかっている。仕入れ金が必要だ。だからここに百万円用意した。これで、ガレ1本。余ったお金は君の仕入れ金にすればいい。50万円も出せば、いいのが買えるはずだ」




