第三十四話 訳のわからないガラクタはよく売れます
平和島骨董祭というのは、浜松町から羽田に向かうモノレールの駅ある「流通センター」で開催される。
会場は、にぎわう、というよりは、殺気立っているといった感じで、搬入の日には、駐車係が叫び、さまざまな注意を呼びかけている会場アナウンスが果てなく響き渡る。
与えられた2、5×2メートルのスペースでピラリと1枚布を敷いた上にヨーロッパのガラクタアンティークを並べた。
商品のひとつひとつが、いきなりライトを浴びた舞台に引っ張り上げられて、有名な俳優さんに挟まれてしまったシロウトのように、キョトキョトしている。
と、いきなり「あーら」と声がした。
「これ、おもしろいわ。え? 千円なの?あらこれも、これとこれ、6つで5千円にしてくれる?」
「これが2千円か、いいなぁ、買っておこうか」
次々におねえさん、お兄さん、おじさん、おばさんがやってきて買ってくれる。
まだ搬入日の筈である。
買ってくれる人たちは、みんなこの骨董祭に出店している業者さんなのである。
お客が見る前に、業者同士で売り買いするこの行為を「こむかい」という。
見る目のある業者が、自分の店ではもっと高値が付けられる商品を仕入れることである。
商いをする業者としては、当然の行為というものの、これが必要以上に行われると、実際のお客が入った時には、「掘り出し物」は姿を消していることになる。
けれども、その時のみんは「こむかい」なんて言葉、知る由もなく、ただ、あのパリやブラッセルやロンドンで買い漁ってきたガラクタ達が、プロの骨董屋さんたちに見初められていくのを、ただ呆然としながら、お金を受け取っていた。
でも、始まる前に商品が・・・なんて、ちょっと心配になったが、業者さんとお客さんの区別さえついていなかった。
そんな心配をよそに、初日、2日目、3日目と店はなかなかの盛況ぶりだった。
狙った通り、わざわざヨーロッパから買ってきた品は、どんなに安くても2千円や3千円、5千円は付けられた。仕入れた値段の5倍、10倍だけれど、買うほうにすれば「お買い得」だと思ってくれた。
当時、わざわざこんな訳のわからないガラクタを買ってくる業者はいなかった。
今でこそ、いろんな「アンティーク雑貨」を海外から買い付けてくる若い業者も大勢いるが、その頃はまだ、「西洋アンティーク」といえば、「手の届かないほど高い、貴重な品」だった。
だから、お客は随分珍しがって、面白がってくれた。
搬入日を含めて、売上は75万円だった。おまけに買ってきた商品の半分はまだ残っていた。
国立の店代も払えた。ボロ屋の家賃も払えた。電気代もガス代も水道代、電話代まで払って人間らしくなっても50万円があった。
「平和島骨董祭」の5日後には、もうロンドン行きの飛行機に乗っていた。今度は「マレーシアエアー」だった。
アンカレッジを経由する北回りの「コリアンエアー」やソ連(その頃はまだロシアではなかった)の「アイロフロート」は、まだ乗れなかった。「JAL」なんて、夢のまた夢だった。
けれど、それもひとつの面白さになった。
様々な国での6時間や8時間、たまには1日2日のトランジットの間も、市内に出ては各国の「骨董街」を歩き回った。
すると、妙なことに気が付いた。
アジアでも、アラブの国でも、ヨーロッパでも、「骨董街」というのは、同じにおいがするのだ。いいにおいではないが、嫌なにおいでもない。一種独特なにおい。
このにおいの発見は、その後も世界中の骨董街を求めて歩く時に随分役立った。
極端な「方向音痴」で、どこに行くのも道を間違えるのに「骨董街」へ向かう道だけは、迷うことがなかった。アンティークがが「こっちにおいでと手招きしてくれる。
1年目は、月に1度、多いときには2度でもヨーロッパに仕入れに行った。
手元のお金が50万円になったら、必ず飛ぶと決めていた。




