第二話 帰り着いたらアイスクリーム屋の車を押していた
結局日本に帰りついたのは年の終わり頃だった。帰るのはいいけれど、泊まる家がなかった。東京での一人住まい、アパート代もバカにならないから、全て処分して旅に出た。別に「帰ってこない」なんて意気込んでいた訳じゃない。3か月とか4か月なんて霧のかなた。考えもしないし、考えたって仕方ない。
そして、全財産使い果たして、一文無し。
それでも、頭を下げて誰かに助けてもらうのもごめんだった。
日本に着いて、いばって誰かの所に転がり込む手はないだろうか?
1980年代といえば、安い飛行機チケットは「南回り」だった。ヨーロッパから帰ってくるには、アラブの国や東南アジアをゆっくり回って乗り換えて、3~4日かかったものだった。みんは、途中下車したマレーシアから、虎郎の事務所にコレクトコールをしてみた。コレクトコールというのは、掛ける側は無料で、電話の交換手を仲介し、受信した側が電話代を払うことを承諾したら繋がるシステムである。親にお金を送ってもらう時などは、よく使ったものだ。
ドライバーをしていると聞いていたが、虎郎は事務所に居た。
「みんちゃん?ほんとにみんちゃんなんですか?どーしたんですかぁ?」虎郎はすっとんきょうな声をあげた。
成田にやって来たのは、アイスクリーム販売用の冷凍車で、全身緑色の軽自動車だった。
虎郎は陸送屋だった。車をあっちこっちに運ぶ仕事である。
「アイスクリーム屋さん、しているの?」
「いえ、ちょうどこの車を千葉まで運ぶ仕事があったんです。だからすみません、ちょっと寄り道します」
別に急いでいるわけじゃない。
「すぐ近くです。この車を成田市内に納めたら、幸運にも別の車を引き取る仕事があって、こういうのを『帰り車』っていうんですけどね。だから、ずっとみんちゃんを車で送ることができます」
後ろの冷凍庫がガタガタ揺れている。のどかな千葉の土手を走っていた。
「帰ってきたんだなぁ、もうすぐ日本の正月なんだなぁ」
そんなことを考えていたら、車がストンと気の抜けた音で停まった。
「すみません、ガス欠です。もうすぐだから、何とか足りると思ったんですけどね」
虎郎がしきりに謝っている。何がどうしたのかわからないけど、ともかくガソリンがないらしい。
「JAF呼ぶの?」
「まさか、そんな高いもの。すみません、ほんとすみませんけど、納車場まであと1キロくらいです。だから、あのぉ、後ろ押してください」
「はぁ?」
知らなかった。けっこう力がいるけれど、車は押して移動させる方法もあったんだ。
「すみません、ビンボーで」虎郎は大声で謝り続けながら、フロントドアの窓を開けてハンドルを操作しながら押している。
「すみません、ほんとすみませんけど、もっと左側を力入れて押してください」
「何でガソリンがなくなっちゃったりする訳?」
緑のペンキが剥がれて、錆びた塗料が手にへばりついてくるのを感じながら、叫んでみた。
「すみません」
「すみませんはいいから、何でよ?」
「いや、よくあることなんです。陸送屋は目的地までのギリギリの燃料しか入れないんです。あまったらもったいないからね。それに、あなたから電話があったから、俺、舞い上がっちゃって、ハハハ。成田空港から市内までの距離を計算しなかったみたいなんです。すみません。それより、外国行っていたんですか?楽しかったですか?」
「楽しかったですよ。重たいよ」
千葉の冬の空は、からりと高く晴れ上がり、ひやりとした空気が、熱くなったほほを冷やしている。うんしょと車体を押しながら「今日から、あんたん家に泊まるから」と叫んでみると、「よろこんでー」という声が返ってきた。