第十八話 美しき軽井沢公民館その実態
「軽井沢公民館」は、見事にボロな建物だった。
イメージとしては、昭和の初めの木造の小学校。
おしゃれな表通りをまがって、皇室の方々もやってくるというテニスコートを抜けたところにそれはあった。
入り口には、巾50センチ、高さ2メートルくらいのテントに、「軽井沢骨董市」とペンキで手描きした看板?が掲げられていた。
その看板のまわりには、売り物の甕や火鉢や錆びた椅子が、雨ざらしに置かれている。多分、去年の夏から置きっぱなしなのだろう。
入り口を入ると、古ぼけた大きな靴箱。その前にはダンボール¬に無造作に入ったいくつものぺったんこの緑色のスリッパが重ねられている。
そして長い廊下。
その廊下の右側には、これも見事に古めかしいトイレがけっこう大きなスペースを占め、トイレの横に6畳の部屋がひとつある。
左側には8畳、4畳半の小部屋があり、16畳の中部屋に続き、風呂のドアをはさんで、3畳の小部屋があり、廊下のつきあたりが60畳の畳敷きの大広間になっている。奥には高さ1メートル位の大きなステージもある。
みんに与えられたのは、大広間の細長い6畳分のスペースだった。
みんは、拾得屋の裕ちゃんに相談して、この6畳分を二人で使わせてもらうことにした。
1ヶ月6万円というスペース代がみんには高すぎたのと、みんの商品が少なすぎたのと、裕ちゃんの車で行けば、交通費が折半にできるというケチな理由からだ。
セッティングに1時間もかからない、見事に貧相な店である。
何年か後に、おやじさんから「あんたは、牛乳瓶しか売ってなかったのになぁ」と言われたそのものの店である。
裕ちゃんは、古ぼけた足踏みオルガンとか、古い帽子とか、ちゃぶ台とかをパラパラと並べていた。人のことは言えた義理じゃないけれど、開業して5年もたつというこの人、1ヶ月でいくら売るつもりなんだろう?
二人の店は「パッとしない店」だけれど、大広間は見る見るうちに商品でいっぱいになった。
大広間の半分はおやじさんの店だった。
おやじさんは、畳の上にスチールの棚や装飾のない文机をいくつも設置し、真っ黄色のホロの宣伝カーから、ざっくざっくと商品を運び出して並べては、名刺大に切ったチラシの紙にセロテープをつけただけの値札に、マジックで値段を書いて貼り付けている。
百円の皿もある、500円の贈答品のハンパものもある。5000円の花瓶もあり、20万円の箪笥もあり、50万円の蒔絵箱もあり、100万円する屏風もある。新しいのも古いのもごっちゃまぜである。
おやじさんは夏の間、各地の業者市場がある度に、真っ黄色のホロの宣伝カーを軋ませて、軽井沢を降りては、商品を満載にして帰ってきた。
そして、また並べては、ぴらぴらの値札を貼り付ける。
それらは、おもしろいようによく売れた。
おやじさんが軽井沢の公民館に帰り着いて荷おろしを始めると、公民館に出店している業者が手伝っている。
「みんな偉いなぁ」と思ってみんも手伝っていたけれど、どうも、みんが手伝うのとは意味が違ったようである。
みんな、おやじさんの荷物を並べながら、自分に向く商品をさっさと選り分けている。つまりおやじさんの荷物から「抜く」訳である。
つまり仕入れだ。
おやじさんは、市場で買った端紙(領収書と明細書が一緒になったもの)で買った値段を平気で見せて、それに10%乗せて、実に気前良く売ってしまうのだ。
公民館の出店者たちは、軽井沢に居ながらにして1ヶ月、商売が出来る仕組みである。
一度おやじさんに「10%の利益じゃ、おやじさん、儲からないじゃないですか」
と言ってみたことがある。
「いいんだ、いいんだ。業者はまとめて買うから、一般の客に比べると金額は10倍も多いだろう。だから手間が省けて、元金が早く回収できる。商売は回転が一番だ。それに、業者に安く売ると業者が儲かる。そしたら、また買う。また儲かってまたまた買う。俺の店員がいっぱいいるのと同じじゃないか。それに『業者商品争奪戦』の後でも、まだまだ商品は山のようにある」
確かに、おやじさんが新しい商品が入る日時を「軽井沢骨董市」の客はちゃんと知っていて「待ってました」とやって来る。
もちろんそれらは10%利益なんかじゃ売らない。




