フィリップ・J・ディヴィス:ケンブリッジの哲学する猫
この本の著者はアメリカの応用数学の専門家で、一般向けの書物としても「デカルトの夢」などを著しているそうです。彼がケンブリッジ大学を訪れた際の経験を元にトマス・グレイという雌猫と古代数学史を専攻するルーカス・ファイストを主人公とした物語です。
トマスは田舎の村に生まれたのですが、地元の職業カウンセラー(もちろん猫)のところに行き、「あんたの知っているいちばん大きな数、いくつだい?」と訊かれて、「あたしの知っているいちばん大きな数というと、おばさんの知っているいちばん大きな数よりも、ひとつだけ多い数ですけど」と答えて(N+1ですね)、ケンブリッジに行くことを勧められます(生意気だと、体よく追い払われたということでもあるんですが)。
ファイスト(こっちは人間)は研究上の必要から、現代のヨーロッパの主要言語に加え、ラテン語、ギリシア語、アラビア語、サンスクリット語、ペルシア語、古代エジプト語、コプト語、ヘブライ語、少しのアラム語を身に付け、純粋な気晴らしから、古い英語、つまりアングロサクソン語、ゲール語、ウェールズ語、コーンウォール語などを習得したとなっています。
お話の中では、ラテン語がケンブリッジの雰囲気を出すために、ゲール語の詩がトマスとの関係で出てくるくらいですが、こうした多くの言語が「ちょうど10月の森を犬がうろつけば、全身に薊のとげがくっつくのとおなじ」だというように比喩されているのはとてもおかしかったです。また、彼は「テレビを嫌悪し、ラジオを軽蔑していたが、それでもレコードプレイヤーは所持していて、ただしそれにかける音楽は、ペルゴレージよりも古いものに限られていた」と描写され、一般には退屈極まりない書物と思われているウィルキー・コリンズや『コンスタンツ公会議公式記録 1414-1418年』を愛読しているのです。
つまり浮世離れしたケンブリッジとその中の学者たちのありようをイギリスふうのユーモアと諷刺と、何よりペダントリーで描いたものです。その雰囲気をより高めているのが子羊のあばら肉ロースやズッキーニの玉ねぎソースといったいかにもイギリスらしい(でもフランス語で書かれた)もったいぶった、あんまりおいしくもなさそうな料理だったりするわけです。
このお話はそうした雰囲気を楽しみ、随所に散りばめられた作者の知的なウィットににやにやすればいいのであって、ストーリー自体は他愛もないものなので、紹介しない方がいいような気がします。原題は“Thomas Gray, Philosopher Cat”なので、哲学的な内容はどうかと言えばヴィトゲンシュタインやホワイトヘッドの名前は出てきますが、作者が哲学についてわかっているとは思えません。
わたしは、大学の哲学科ってなあにって訊かれれば、言語学科に他ならない、現代哲学は言葉の意味や使われ方を、古代中世哲学は古代中世語の文献を勉強する所だからと皮肉に答えていますが、作者はまさにそのように考えているふしがあります。しかし、それはもちろん皮相的な見方です。
読了するまで、最初に書いた作者のバックグラウンドは知らなかったのですが、数学か物理あたりの先生で、哲学が専攻とは全く思いませんでした。シュレディンガーの猫やアンデルフープの平方根のカタツムリのエピソードなどにおいて生彩を放っているのでそう思ったのです。――哲学についてもおもしろく語れないとダメなんじゃないですか?