五話・幼なじみ現る
「さて、これからの事なんだけど」
京都合宿の翌日、橘は自室で朧月夜と向き合っていた。合宿を抜け出した橘の携帯には安倍からの連絡があり、「黙って合宿から抜け出すとは何事だー!」なんて言われたので体調が優れないとか言って誤魔化した。
そして今、橘が貸したブカブカのパジャマ姿の朧月夜と向き合って今後の事を話そうとしていた。
「まず一つ確認だけど、月夜ちゃんは元の世界に戻りたいの?」
「・・・・・・よく分かりません。戻りたいとは思いますが、その気持ちはどれ程のものなのか・・・・・・正直戻りたいとは・・・・・・」
「なるほど・・・基本的には戻りたくはない?」
「橘様と出会わなければ、きっと戻りたくないとは言わなかったでしょう・・・・・・」
顔を赤らめて、手で口元を隠す仕草をしてこちらを見てくる。まだ橘が悪い輩から朧月夜を助けたと思っているらしく、恐らくそんな橘に惚れている。もちろん橘も惚れられているとは思ってない。そこまで自意識過剰では無いが、その視線がただならぬものなのは感じていた。しかし今更「助けてません」なんて言えない。
「さ、さいでございますか・・・・・・じゃあ、もし『戻る方法』が見つかったら戻る?」
「・・・・・・」
少し酷な質問だったか。不本意とはいえ彼女は貴族という縛りから抜け出せた。そんな彼女に戻ることを強制しても良くないのかもしれない。
「もしそんな方法が見つかったのならば、きっとそれは運命でしょう。橘様と出会い、それ以上の関係にはなれない。なってはいけない。千年の時を超えるというにわかに信じ難いことが起きたのも運命の仕業なら、その時は抗えないでしょう。受け入れるしかありません」
寂しそうに語る彼女を見て彼女は本気で戻るつもりはないと確信した。戻る方法が見つかったら仕方ない、とは言っているが実際、見つかっても帰らないかもしれない。
まぁ戻る方法なんて皆目検討もつかないが。
「そっか・・・ま、とにかく今は戻る方法とかは後にして、今後の生活のことを考えよう」
「はい!心も身体も橘様に捧げる覚悟はできております・・・」
源氏物語の中の人ってそんなに軽いのか?朧月夜も確か光源氏とは何度も不倫をしてるし、悪く言えば「軽く」良く言えば「一途」なのかもしれない。もちろん朧月夜のことは尻軽なんて思ってないし、思いたくもない。
身体はいいです、と断って考える。
「全く外に出さないのもダメだよなぁ・・・」
「橘様は昨夜、どうしてあのような場所に?」
「ん?あぁ、その日は大学のサークルの合宿でさ。酒が回って来たから夜風に当たりながら散歩に・・・」
そこまで言ってあぁ、と思う。朧月夜は「だいがく?さーくる?」と首を傾げながら日本語を覚えたての外国人のようにカタコトで繰り返す。
「えっと、大学っていうのは俺みたいな沢山の人が勉強する・・・寺院みたいなところで、サークルっていうのは・・・気の合う仲間の集まり?」
「見ず知らずの方たちと勉学を共にするのですか?寺院の事は聞いたことはありますが、行ったことはありません・・・」
「ん?じゃあ月夜ちゃんは勉強とかは?」
「学問の師がおりましたので、外で学ぶことはありませんでした」
やはり貴族のお嬢様。外で学ばせるのではなく、専属の家庭教師をつけていた。平安時代で教養を学べる人は殆どおらず、できたとしても貴族の子どもとかだったらしいので、そんな中で家庭教師がついてまで勉強できたのやっぱり朧月夜はとても身分が高いのだ。
「しかし多くの方と寺院に集まって勉学をする・・・とてもをかしな所なのでしょう。わたしも是非赴きたいものです・・・」
「んー・・・それはまぁ、どうだろうね・・・」
「それにさーくる?というものは同じ志を持つ者が集まってその仲を深めてらっしゃるのですね!」
嬉々として話す朧月夜を見て、連れて行ってやりたいが色々問題があるよなぁ、なんて思ってしまう。
「橘様!是非わたしもその大学なる寺院とさーくるにお供させて頂きたいです!」
「待って待って!そうなったら色々と説明しなきゃならないし、サークルはともかく大学は関係者以外は入れないと思う・・・」
「ならわたしもその大学とやらに入ります!」
「無理だって!月夜ちゃんを無闇矢鱈に外に出て悪い人にでも捕まったら・・・」
とにかく留守番してもらうしかない。生活のこともあるし、何よりこの世界で暮らす以上朧月夜にこの世界の事を理解してもらわねばならない。彼女には悪いがしばらく大人しくしてもらわないと。そう伝えようと朧月夜に声をかけようとする。
「一人は嫌なのです!」
朧月夜が叫ぶ。細く綺麗な声だが、その声には強い心がこもっているような気がした。
「外に出ることも儘ならないなど、わたしがいた場所と何ら変わりが無いではないですか。何故外に行きたいのに他人にそれを縛られなければならないのです?その上わたしの元にはわたしの事をどう思っているか分からない人達ばかりがいました。そんなの、一人でいるのと同じです」
強く言葉を放つ。橘は何も言わず、静かにその言葉を受け止める。
「しかし今いるのはあの時とは違う世です。橘様は仰いましたよね?わたしを貴族とか関係ない『ただの朧月夜』として接してくれると。そんな橘様でさえ、わたしを一人にするのですか・・・?」
そうだった。橘は自分の勝手さを恨む。朧月夜の為とか言って結局は自分の事しか考えてなかった。自分がどう見られるとか、どう言われるとか。昨日の夜、朧月夜をただの一人の女性として接すると約束したではないか。
それを一晩で破るなど男として恥じるべきだ。
「ごめん、月夜ちゃんの気持ちのことちゃんと考えてあげられなかった。・・・・・・わかった!大学もサークルも何とかする!だからそれまでは待っててくれる?」
「橘様・・・・・・こちらこそ橘様のお気持ちも考えずに我儘を申し上げてしまいました・・・・・・お許しください」
「いや、気にしないで。・・・・・・よし、それじゃ月夜ちゃんの服でも買いに行こうか!いくらなんでも十二単じゃね」
「まぁ!橘様が選んでくださったものなら喜んで!」
喜んでくれる朧月夜を見て橘も少し嬉しくなる。ちょうど朧月夜の十二単のスーツケースと橘の荷物が届いたところで朧月夜が「では交換にはわたしの服を・・・」なんて言い出したので慌てて橘がお金の心配はいらない旨を伝える。
そういえば平安時代はまだ貨幣は流通しておらず、源氏物語の中でも貨幣はほとんど出てこない。当時の買い物はおそらく物々交換だったのだろう。下手すれば朧月夜がその場で服を脱いで交換しかねないのでそこは気をつけなければ、と思う。
「あー、靴は・・・・・・俺のでいい?」
「もちろんです。もう我儘など申しません」
玄関で靴を探す。見る限り朧月夜の足のサイズは女性なのでかなり小さい。比べて橘の靴のサイズは26センチなので仕方ないが新しいのを買うまでは我慢してもらう。
「これはこちらの世の鼻高履ですか?とても低いのですね・・・」
「やっぱり履物は変わってくるか。でもこればかりは慣れてもらわないと。もちろん少しずつでいいからさ」
「お心遣い感謝します、やはり橘様はお優しいのですね」
優しい笑みを向けられ顔を逸らす。すごい美人だ。こんな人に今自分が靴を履かせているのか。要らぬ気を起こして頭を振って邪念を取り払う。
「よし!行こうか!」
扉を開けようとした瞬間、誰かが扉を勢いよく開ける。
「みっちー!久しぶりー!元気にしてた?!」
元気な女性の声が聞こえる。そこに居たのはセミロングの明るい茶色の髪、はっきりとした顔立ち、そして左目の下辺りにほくろがある女性。橘はしばらく固まったまま、朧月夜は二人を交互に見ながら、女性は橘を見てから朧月夜に目を向けて固まっている。
「・・・・・・・・・いっちゃん?」
「みっちー?その女性・・・だれ?」
女性の目が一気に冷める。橘がいっちゃんと読んだ女性は橘の小学生の幼なじみだった、式部和泉だった。
「橘様?こちらの女性は・・・・・・」
二人の女性が向かい合う。別に幼なじみが橘に好意を寄せている感じもないし、やましい事はないのだが、幼なじみの目を見てとてつもなく嫌な予感がした。
彼女いない歴=年齢の橘が一晩で女性を部屋に入れて、速攻で修羅場になるとは思いもしなかった。
「やましい事はしてないし・・・・・・大丈夫だよね・・・?」