四話・おぼろ月の月夜ちゃん
京都で源氏物語の中から現実に出てきてしまった朧月夜なる女性と出会ってから、ほぼ記憶が無い。
ホテルにとりあえず逃げ込んだ後、朧月夜をこのまま放ってはおけないと考えた橘はとりあえず閉店ギリギリの生活用品店に飛び込み、簡単な女性ものの服を購入し、ホテルで着替えてもらうことにした。その際困ったのは、朧月夜は洋服の着方など知らない事だった。同性なら一緒に着せてあげたのだが、橘は男であり、何より朧月夜はとても美人だったので尚更だった。
服を脱いで着替えてくれ、と言ったら顔を赤らめて「なんて大胆なお方・・・」なんて言われたので、ここに腕を通して足を通して・・・と丁寧に伝えてから部屋を出て着替え終わるのを待った。
着替え終わったと聞いて部屋に入ると素肌を晒した状態で前のボタンを閉めてない格好だったのでギリギリ見えないように視界の端にボタンだけを捉えながらボタンを閉めた。
女性ものと言ってもスーツパンツとワイシャツというなんとも言えないチョイスだったが、美人は何着ても様になるのだからすごい。
そうして着替え終わった朧月夜の十二単は彼女に畳んでもらい、洋服を買ってきた時に同時に買ったスーツケースに入れた。最終手前くらいの新幹線をギリギリ取り、サークルのホテルに戻り自分だけチェックアウトして、十二単ケースと橘の荷物を一緒に宅急便で送り、新幹線に乗り込んだ。
そして今に至る━━━━━━━━━
「橘様!橘様!こ、この牛車はとても速いです!しかも大きくて・・・・・・一体どんな牛が?!」
新幹線を見るなりホームから落ちそうな勢いで新幹線を見て、乗るなりどう座ったら良いか分からず通路に座ったりしてしまっていた。
何とか席に座らせ、橘も一息つく。
「あんまり外を見ない方が・・・目が慣れてないから・・・」
と言ったところで朧月夜は口に手を当て、こちらを見る。
「も、申し訳ありません・・・・・・わたし・・・粗相を・・・」
すぐさま目隠しをやり、楽な姿勢にする。ギリギリでは粗相をまのがれた朧月夜は顔を上に向けている。
「悪いことしちゃったな・・・・・・創作上の存在とはいえ平安時代から来たんだからいきなり新幹線に乗せたりとかはまずかったか・・・・・・」
平安時代だと移動手段は徒歩か牛車か?なんて考えていきなり時速300キロくらいで走る乗り物に乗せたのは間違いだったと後悔する。
音も慣れてないと考え耳栓をしてあげて東京に着くのを待つ。
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「な、なんと巨大な御所なのでしょう・・・それにとても眩しいです・・・」
初新幹線を無事終えた朧月夜は東京駅に降り立つと頭を真上に向けてビル群を見る。それを見て東京の大学に通いだした当時の自分を思い出して笑う。
「?何かわたしが可笑しいでしょうか?」
「あ、ごめんなさい、つい・・・」
「?」
朧月夜を連れて駅を歩く。朧月夜はその人の多さと歩く速さにとても驚いていた。
「この都の民は皆とても忙しなく歩かれているのですね・・・それに皆とても気難しいお顔をなされています・・・何かお辛いことが・・・?」
「あぁ・・・いや、これが普通なんですよ。千年後の日本ではね」
「そうなのですか・・・」
少し困惑したような顔で歩く。少し歩くのが遅いと感じたが、平安のそれも貴族となれば走ることなんかほとんどなかっただろうし、歩くのだって早く歩く必要なんてなかったのだから仕方ないのか、と思う。
不安そうに歩く朧月夜の手をしっかり掴む。
「しっかり握っててください。じゃないと人混みにのまれてしまいますから・・・」
「っ・・・・・・ありがとうございます・・・」
手を握ると朧月夜は少し顔を赤らめて握り返す。
白く透き通るような細い手、何だか今自分が握っているのが同じ人の手とは思えないくらい暖かった。
歩いていると道行く人が皆朧月夜の事を見ていた。
「何あの人・・・めっちゃ美人」
「モデルさんかな?」
「彼氏羨ましー・・・・・・」
「あの・・・皆様どうやら私たちの事を見ているようですが・・・」
「見てない見てない!気にしないで行きましょう!」
別に言われても気にしないのに、何故か自分のような者が朧月夜みたいに綺麗な人と歩いていると悪い気がした。なので目を極力逸らして歩く。
駅前で何とかタクシーを捕まえ、家の前まで帰った。
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橘は足立区の大学に通っている。なので一人暮らしするとなった時も部屋は足立区のマンションにした。
「ここが橘様のお住いになっている邸宅・・・・・・とてもお部屋が多いのですね!」
「いや・・・なんて言うか・・・この建物には俺以外の人がそのたくさんの部屋に住んでて、俺はその部屋の住人の一人なんです」
「?見ず知らずの人と壁一枚隔てて暮らしておられるのですか?其れはまぁなんとも・・・」
とても大きい、と言われたがマンションは四階建てで部屋数も一階につき四部屋ずつなのでそこまで大きくない。なら朧月夜がいた弘徽殿の方が敷地は圧倒的に大きいだろうに、と思ったが朧月夜が大きいと言ったのは広さではなく高さのことだろう。
階段を上ると朧月夜もぎこちない動きで階段を登っていた。なんか危ない感じがしたので手を貸した。
「ただいまーって誰もいないか。どうぞ」
「失礼します・・・・・・ここが橘様がお住いになっている・・・・・・」
足音すら立てずに静かに歩くのはなんか平安時代って感じがして、本当に平安時代の人、源氏物語の中の人なんだなと思った。
一般的な1DKの部屋であり、玄関から入るとすぐに右側にはトイレと浴室、右にはキッチン、そのまま進むとソファとテレビが置いてあるリビング的な部屋になる。ちなみにキッチンとソファ部屋の間には壁がないのでキッチンからテレビも見れる。奥の右には自室兼寝室がある。
「あ、ソファ・・・・・・そちらにお座りください・・・」
変にかしこまった言い方をしてソファに座るように促す。
「まぁ・・・とても柔らかい・・・木ではないのですね」
朧月夜はソファに座るとソファを押している。
「橘様、先程から斯様なおかしな話し方をされていますが、気を使わないでください・・・何よりわたしはこれからお世話になる身・・・何でもお申し付けくださいませ・・・・・・」
「いやいや!貴族で超お嬢様のあなたに向かってそれは・・・・・・」
ソファの上で土下座じみたお辞儀をしてきたので必死に止める。誰が見てる訳では無いのに。すると朧月夜は少し寂しそうな顔をする。
「よく言われました。貴族、右大臣の六女、弘徽殿女御の妹人・・・ですがわたしにはそんな肩書きは要らなかったのです。わたしが欲しかったのは、誰に決められるのでもない、ただ自分が本当に求めた人・・・肩書きなど取り払ってわたしと接してくれる人が、欲しかったのです」
そう言って呟く。彼女は寂しかったのかもしれない。貴族だから、位が高い人の妹だから決められた人と結婚して決められた人生を歩まなければならない。彼女自身が心から好きになった人と人生を歩めない。
今でもそんなのは息苦しい。自分の生きたいように生きられないなんて苦痛だろう。だから朧月夜は朱雀帝の女御にはならず、光源氏と密会を重ねたのかもしれない。
「それに今わたしがいるのは千年後の世。もうわたしを縛るものはないのです。わたしは、わたしが望む様に生きたいのです・・・・・・どうか、この朧月夜の我儘を聞き入れては頂けないでしょうか?」
涙を流しながら言う朧月夜を見て思う。今いるのは千年後の世だ。右大臣も、女御も、誰も見てない。朧月夜を縛り付けていたものは何も無い。なら少しくらい彼女の我儘を叶えてもいいのではないか。
「わかった。君は貴族でも、右大臣の娘でも、弘徽殿女御の妹でもない。ただの朧月夜という女性。そうだよな?」
「っ!」
貴族としてでは無い。朧月夜という「対等の女性」として彼女に接する。これが橘が朧月夜の為にできる数少ない事だった。
「ありがとうございます・・・!橘様・・・お心遣い感謝します・・・!」
涙を流して礼を言う。そんな彼女の頭を撫で、顔を上げさせる。
「これからよろしくな、朧月夜」
「不束者ですが、どうぞよろしくお願い致します・・・」
ん?と何か不穏な言葉を聞いたが、彼女がようやく笑顔になったので良しとする。
時刻は夜中の十一時を回ったが眠気が不思議とこなかった。
「でも戻れるなら戻りたいよな・・・・・・?見つかるのか?戻る方法なんて・・・」
「何か・・・?」
「ん、いや、何でもない」
そう言ってベランダに出る。隣に朧月夜も来る。コレからどうしようか。大学はまぁ仕方ないので留守番してもらうとして、全く外に出さないのもな・・・と色々考える。そしていつまで彼女をここに置いておくべきなのか。戻る方法が見つかるまでか。しかし見つかるのはいつ?
そもそも戻りたいのか・・・いや、戻りたいよな、とまた多くを考えてしまう。考えれば考えるほど課題が出てくるが今はとにかく明日をどうするかだけ考えよう。
「朧月夜・・・」
「何でしょう?」
「あ、いや、なんかいちいち朧月夜って呼ぶのもなと思って。なんか親しい人から呼ばれてた名前とかない?」
「呼び名ですか・・・・・・六の君、有明の君、尚侍君等と呼ばれておりましたが・・・・・・」
「んんー・・・・・・なんか違うよなぁ・・・古風すぎる・・・」
本当なら貴族の娘に向かってあだ名なんて失礼な話だが彼女の為だ。悲しませない為にも普通の、対等に接していこうと決めた。考えて呼び方を決める。
「じゃあ・・・月夜ちゃん、でどう?」
「月夜、ちゃん?ですか?・・・・・・ふふ、やはり橘様は逸興な感性の持ち主ですね。しかしわたし、気に入りました。月夜ちゃん・・・月夜ちゃん・・・ふふ」
嬉しそうに笑う朧月夜を見てハッとする。月明かりに照らされた朧月夜の横顔はあまりに美しかった。その笑顔も。本当にこんな人がいたらな、なんて考えて今現実になってるんだったと我に帰る。
静かに笑い合う二人をおぼろ月が照らしていた。