三話・その女性、朧月夜
京都北区。
紫式部縁の地である雲林院の門前で男女が向き合っていた。男性は現代の服装、女性は派手な着物、十二単の姿。
「朧月夜・・・?」
名を告げられ固まる。どこかで聞いた事があるような名前だが、本名なんかじゃないだろうと思っていた。
「あなたは・・・その・・・逸興な格好をされているのですね。宴にいた者でしょうか?」
なんだか全然話が見えてこない。逸興って?どう考えても現代の人が使う言葉じゃない。それに宴とは?
「朧月夜・・・さん?あなたこそここで何を?・・・」
と聞いたところで奥から数人の声がする。まずい、このままではなんか彼女に変なコスプレさせて街を出歩かせてるやばい奴になりかねない。
「と、とにかくここから離れましょう!なんか色々とまずい気がする!」
「え?・・・あっ」
朧月夜の意思も聞かず手を引いて走る。が、何やら彼女は走ろうとしない。確かに十二単を着た状態で走るのも無理な話かもしれないが早歩き位はできるだろうに・・・・・・
「早く歩かないと見つかりますよ!」
「早く?何故歩かねばならぬのです?」
「え、そりゃこんなところ見られたら・・・」
そうこうしている内に数人の声が近くなる。
「仕方ない・・・ごめんなさい!」
「うえぇあ?!」
朧月夜が素っ頓狂な声を上げる。何故なら橘が朧月夜を抱えて走り出したからだ。所謂お姫様抱っこだ。
「ごめんなさいごめんなさい!キモイですよねごめんなさい!」
しかし彼女の方は見ずに無我夢中で走る。十二単ってかなり重いと聞いた事があるが橘は持ち上げられている。実際はそんなに重くないのか?
少し走るとホテルが見えたのでそこに飛び込む。
受付の女性が何かすごい怪しい目で見てきたが何とか誤魔化して部屋に入る。
「はぁはぁ・・・ご、ごめんなさい・・・つい急いで・・・」
彼女を見ると何か周りを見回してあちこち触りまくっている。
「美しい・・・・・・なんて煌びやかなのでしょう・・・灯篭ではなさそうですが・・・」
電飾を間近で見ては眩しそうに目を細める。
見たことがないのか?と考えてふと思い出す。確か彼女は右大臣の六の君で何とかって人の妹だって言っていた。
スマホを取り出して彼女の名前を調べてみる。
「えっと、『朧月夜』っと。・・・・・・ん?」
朧月夜と検索エンジンにかけると月が霞む夜とか出てきたが、目にとまったのは「源氏物語」の文字。
「朧月夜は、紫式部が書いた『源氏物語』に登場する架空の・・・・・・女性」
そこまで見てまさかと思う。彼女の言葉遣い、服装・・・・・・そして今見ている現代の常識が通用してない彼女。
そこから考えられる可能性は一つ。
全くありえない、映画とか小説とかの話でしかありえないこと。
彼女は、あの源氏物語に登場する朧月夜という架空の女性であり、平安時代の女性であり、現実の、しかも平安時代から千年も後の世に現れたということ。
物語の人物が物語の中から出てきてしまった。
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「して、ここは一体?私が知る京の都とは趣がかなり異なるようですが・・・・・・」
十二単を着た彼女・・・朧月夜が、ベッドの上に座っている。なんかいやらしい感じがしたので目を逸らす。何せすごい美女がホテルのベッドの上に座っているのだ。健全な男性なら少しくらいは想像してしまう。
邪な考えを葬って朧月夜に向き直る。
「えっと、朧月夜さん?・・・・・・なんて呼べばいいんだ・・・」
なんかいちいち朧月夜さん、と呼ぶのも何かなと思っていると、
「六の君、有明の君、尚侍君とも呼ばれております。お好きな様にお呼びください・・・」
と言われる。でもなんかそう呼ぶのも気が引ける。先程調べたが朧月夜という女性は右大臣というめっちゃ偉い人の六女で弘徽殿の女御と呼ばれる天皇の母の妹らしい。つまり正真正銘の「平安お嬢様」なのだ。今でいえば天皇の親戚みたいな感じか?
どちらにせよそんな身分の違いすぎる人をそんな馴れ馴れしく読んで良いものか。
「いや、そんな高貴なお身分のあなたをそう呼ぶのはちょっと・・・」
「何を言うのです。あなた様は先程・・・・・・・・・わたしのことを守ってくださったのでしょう?邪の者から・・・」
「へ?」
彼女の方を見ると何故か顔を袖で隠しながらこちらを見てくる。なんか耳とか赤い気がする。熱とか・・・じゃないよな、いくらなんでもそこまで鈍感じゃない。どうやら変な誤解をしているようだ。
「いや、別に邪の者?とかいないしあの時は俺が変な風に言われるのが怖かったから・・・」
「まぁ・・・あくまで否定なさるのですね。助けていただい事は明白なのにそれを公にしないとは・・・・・・なんて勇ましいお方なのでしょう!」
「あれぇ?!なんか違う!」
ちょっとずつ距離を縮めてくる朧月夜から後ずさりする。朧月夜に限らず平安時代の人達は美しいものを愛でるはずだ。それは花だったり月だったり人だったり。その人の場合は朧月夜が光源氏と不倫をした様に美しい顔を持っていたからじゃないのか。そんな人が顔もイケメンなんかじゃない自分に何故ここまでいきなり好意を向けてくるのだ。
「ま、待ってください!落ち着いてください少し話を聞いて!」
手で静止すると朧月夜はようやく止まる。
「?まわりの殿方とは少し違いますね・・・・・・?」
昔みたいに歌で口説いてその後すぐに一夜を共にする様なことは無い現代の常識は、架空の人物だか平安時代の彼女にとっては非常識なのかもしれない。
しかし今はそうしてる場合ではない。話すべき事は色々ある。まずは・・・・・・
「朧月夜・・・さん。今の世は、京の都はあなたが知る所ですか?」
そう言ってホテルのカーテンを開ける。外には駅やビル、電灯等の電飾が明るく光っている。京都タワーも光っている。
朧月夜はそれを見て目を見開いていた。
「これは・・・・・・一体・・・何が?わたしの知る京は・・・・・・」
それを見て少し悪いことをしたかもしれない、と思うがこうなった以上知ってもらうしかない。今、自分がいるのは、千年前の京都ではなく、千年後の京都であることを。
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「千年も後の京・・・ですか・・・。にわかには信じられません・・・・・・」
朧月夜にここはあなたがいた、正確にはあなたが登場する源氏物語が描かれた千年前の京都ではなく、千年後の京都であることを伝えた。その際、あなたが物語の人物で存在しない人とは伝えなかった。言える訳がない。
「千年後でいいんだよな・・・確か源氏物語が書かれたのは1008年だから・・・・・・」
「?何か仰いましたか?」
彼女に聞かれ慌てて口を閉じる。もし彼女が自分が創作上の人物で架空の存在だと知ったらどう思うだろうか。傷つくどころではないだろう。自分の存在を否定される様なものなのだ。言動には最新の注意を払わなければ。
「しかし、外の夜色を見るにあなた様の言うことは嘘偽りない事なのでしょう。わたしの知る京には斯様な煌びやかな光は存在しませんでしたから」
「驚かない・・・んですか?」
「確かに最初は驚きました。宴にいたはずなのに強い月明かりに包まれたかと思えば、逸興な格好をされたあなたに会ってこの様な御所に連れ込まれたのですから・・・」
落ち込んでいるのか少し俯いて話している。ちなみに逸興というのは「奇抜な」という意味らしい。つまり朧月夜は橘の格好をみて奇抜な格好をした人、と言いたかったのだろう。確かに平安時代から見れば現代の洋服は奇抜だろう。
「しかし運命とはこの様なことを言うのでしょうか?」
「運命?」
「えぇ。あなた様のお話を聞く限り、わたしはあなた様から見た千年前の京から来た者であり、千年後の京であなた様に会った。そして邪の者からわたしを助けてくださって・・・」
ループになりそうだったので無理やり話を中断させる。
しかしよく考えれば千年前の人が千年後の世に来た。実際はそんな単純ではなく、千年前に書かれた小説の中の登場人物が千年後の世に来たというなんとも複雑な話だ。
話していてわかったが、朧月夜は現代に来る直前、宴の夜の屋敷の裏で強い月明かりに照らされたらしい。橘も強い月明かりに照らされた後に朧月夜を見つけた。これが何か関係があるかは分からないが、頭の片隅に置いておいていい情報だ。
「ところで、あなた様のお名前は?わたしだけ名乗ってあなた様のお名前を知らないというのは・・・」
「あぁ、ごめんなさい。俺は橘道人といいます・・・・・・言葉って一応通じてるんだよな?」
大和言葉とか平安時代と現代の言葉遣いの違いとかそこら辺どうなってるんだ、とか思うが今のところ会話早くできているので大丈夫なのだろう。
「橘様・・・と仰るのですね・・・素敵なお名前です・・・」
何かなまた熱い視線を送られているのを感じて目を逸らす。本当なら嬉しいのだがなんかこの人のは危ない気がする。
「あの、橘様?」
「え?あぁ、どうしました?」
「ここはわたしがいた京から千年後の世。そして外の夜色。わたしがいた京とは何もかも変わっております」
「?そうですね?」
「・・・つまりわたしがいた弘徽殿は無いのでは?そうなってしまうとわたしはどこで・・・?」
「あっ・・・」
つまり彼女が住んでいた住居は千年もの間には無くなってしまっているかもしれない。いや、京都は昔の建造物が多く残ってるのでもしかしたらあるかもしれないが、だとしても入れるわけない。
「・・・ダメだ。弘徽殿跡ってのがある。・・・つまり弘徽殿はもう存在しない・・・・・・」
朧月夜を見る。彼女は何やら訴えるような目でこちらを見てくる。
そして彼女の服装を見る。派手な十二単、現代の街中であんなの着て歩いてたらコスプレとか舞子さんとかじゃもはや通用しない。
「よろしければ・・・ぜひ・・・橘様のお住いに・・・」
「まじかぁ・・・・・・」
熱い視線とさすがに放ってはおけないという気持ちに負ける。
しかしどうしたものか。これからこの人を家に連れ帰ってどうする?帰す方法を見つける。しかしそれはいつになる?それまで常識が全く違う今の世を生きてもらうのか?
隕石でも降ってきた様な感覚に襲われ、橘は。
考えるのをやめた。