一話・始まりの前
平安時代。二月二十二日。南殿の桜の宴が開かれた夜。
宴が終わり、静まり返った夜の弘徽殿にて、施錠されていない戸の奥にある美しい女性がいた。そしてそこに現れる美しい男。光源氏と呼ばれる男は美しい女性が静かに口ずさみながら近づいてくるのを見る。
「朧月夜に似るものぞなき」
光源氏は嬉しくなり、その女性の袖をとらえる。
いや、とらえようとした。しかしその瞬間、月明かりが強く二人を照らした。光源氏が眩しさのあまり、目を閉じそして目を開けた時には、美しい女性はそこにはいなかった。
美しい女性は弘徽殿の奥で月を見ながら歩いていた。すると奥から人の気配がする。美しい女性は口ずさみながら歩く。
そして誰かが自分の袖をつかもうとした瞬間、強い月明かりに照らされた。美しい女性は目を細め、視界を閉じる。
自分に何が起きたか分からぬまま、意識は闇に落ちていく。
出逢うはずだった二人は、起こるはずのない何かによって離された。
いつの世も人には理解出来ない現象はあった。時にそれを「呪い」と呼び、時にはそれを「奇跡」と呼んだ。
それがたとえ、存在しない「創作上の世界」であっても。
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四月
「はぁ・・・彼女が欲しい・・・」
大学の講義室の机の上に突っ伏し呟く。橘道人はこの足立大学に通う一年だ。大学に入れば華々しい大学生活が待っているかに思えたが、特になんの準備もしないで入れば華々しい大学生活なんて到底出来ない。それが出来ているのは、大学入学に向けて容姿を整えたりして努力した人のみだった。
「まぁ、嘆いてても仕方ないか。努力しなかった俺が悪いんだし・・・」
授業の道具を片付け、席を立とうとした時、肩を思いきり叩かれる。
「よっ!元気にしてるかな?!」
「びっっっくりした・・・やめろよ藤原・・・」
「ははっ!ごめんごめん!」
軽快な笑みを見せて橘に謝る。彼は藤原嗣英という橘の高校からの友人である。そして同時に所属する写真サークルの仲間でもある。
橘とは違い、容姿は良かったので昔からそれなりにモテてはいたが、少しバカなところがあり、よく告白を理解せずに振っていた。
「てか相変わらず陰気臭い顔してるなお前。告白して振られたか?」
「してねぇよ!てかなんで俺振られる前提なの?」
「じゃあ何ため息ついてたんだ?」
「まぁ・・・彼女欲しいなぁって」
食堂に向かう廊下を歩きながら二人で話す。
「てか藤原、お前さっきの講義出てなかったろ?何してたんだ?」
「いやぁ、なんか女子に大学の裏に呼びたされてさ、『好きなんです』って言われて」
告白かよ、と羨ましい気持ちになりながら聞く。
「いやぁ、まさかあの子もこの『おでんサイダー』が好きだったとは・・・」
「は?・・・え?お前もしかしてその女子がおでんサイダーのことを好きだと言ったと思ってる?」
「え?違うん?」
マジか、と頭を抱える。しかし昔からこうなのだ。どこかずれているというか、鈍感なのかとにかくモテるくせに本人は恋愛に関してはてんでダメなのだ。
「で?なんて言ってた?その子」
「おでんサイダーあげようとしたら、なんか冷めた目で見られてどっか行った。欲しいなら素直に言えばいいのにな!」
ちくしょう!モテるのに鈍感とかどこのアニメの主人公だよ!と思いながら、高校から仲良くできているのは藤原のそんなバカで素直なところが気に入ってるからかもしれない。
食堂に着くと一つの大きなテーブルを数人が囲んでいた。その内の一人の女性がこちらを見るとブンブンとて手招きをしてくる。
「お、代表がお呼びだな。早く行こうぜ」
橘は藤原について行く。テーブル席に着くと代表と呼ばれた女性が話し始める。
「よし、全員集まったね」
「全員って私達入れて五人しかいないじゃないですか」
「いいじゃん。サークルっぽくて」
「ほんと適当だよね、安倍先輩って」
この写真サークルの代表の女性は安倍明。名前だけ聞けば男性だが普通に綺麗な女性である。セミロングの茶色い髪に整った顔立ち。モデルでもやってそうな感じだが性格はかなり大雑把。
安倍は女子力ないとか言うな!と言われてもないことを嘆きながら橘たちに向き直る。
「さて、君たちが大学にはいり、この写真サークルにも入って活動にも慣れた頃だと思う」
「活動ってただ写真撮ってるだけだよね・・・?」
「基本スマホで撮るだけだしね・・・」
隣の女子の意見に同意する。
「そこ、活動も適当とか言わない。これだから写真サークルは『のほほーんサークル』とか言われるのよ・・・気にしてないからね?別に?」
明らかに落ち込みだした安倍をせっせと励まして立ち直らせる。
ちなみに「のほほーんサークル」というのは藤原が広めたらしく、「だってめっちゃのほほーんとしてるじゃん!」という事で友人に話したら広まったらしい。
「んん!・・・まぁ活動には慣れてもまだ親睦自体はあまり深められてないと思う。どこかに集まってやる事じゃないし、展覧会とか出してるわけじゃないしね」
「意味ねぇ・・・」
「うっ・・・痛いところを突きやがって・・・べべ別に何も考えてないわけじゃないよ?展覧会とかも何とか交渉して・・・」
「安倍先輩早く本題に入ってくださいよー」
ブーブー言われ安倍はうっさいわ!とと跳ね返して本題に入る。
「親睦を深める為にも写真サークルで合宿に行きたいと思います!」
声高らかに宣言する。食堂の皆が一瞬で静かになる。が、すぐにまた騒がしくなる。
「合宿って・・・それってちゃんと活動してるところがやるやつじゃないすか?」
「ちゃんとしてるじゃん?ほら、写真を通して日本の美しさを知る写真サークルの活動・・・だからちゃんとしてないみたいな顔しないでよ」
藤原が鋭く突っ込む。確かに写真サークルは活動としては写真を撮るだけ。それに合宿とか必要なのか?
「親睦を深めるっていっても・・・私たち別に仲悪くないですよ?人数も少ないですし、もう深い仲だと思いますけど」
おずおずと女子が述べる。
「じゃあ聞くけど、あなたは橘くんにキス出来る?」
「はぁ?!」
「え?え?き、キス?」
橘は慌てて立ち上がり、女子は頬に手を当て、顔を赤らめる。
「深い仲って言うのは、友達としての関係ではなくて、相手が求めてきたらそれを受け入れる。好意があるから拒絶はしない・・・そして受け入れた暁に友達以上の関係になり・・・!」
「親睦ってそういうのじゃ無いですよね!恋愛ものの見すぎですよ!」
「安倍先輩最近付き合ってたホストに振られたらしいよ・・・」
「そりゃこうなるか」
一人の世界に入る安倍の隣で藤原と女子が何かいけない会話をしていたが、橘は安倍を現実に戻し、話を進めさせる。
「と、とりあえず活動はもちろん、これから写真サークルとしてみんなで活動していくにあたって親睦は大事だと思うの。でも今はあまり集まってないし、ここはいっそ遠出でもして活動を通して仲を深めようと考えましたの」
色々大変だったが、言ってることは理解できなくもない。確かにサークルで集まってるのはほとんどないし、そもそも写真が好きだから入ったのにそれを仲間と共有できてない。サークルとしてそれはどうなのかと確かに思う。
「まぁ、いいと思いますよ。たまにはサークルらしい活動しましょう」
「遠出かー。親のいない遠出って私初めてかも」
「俺は昔学校で遠出したからそれ以来だな!」
それは遠足だよ、と藤原に心の中でつっこむ。
「よっしゃ!そうと決まれば日程決めるぞー!」
「待って待って!そもそもどこに行くんですか?」
「えー、橘くん、合宿だよ?旅行だよ?・・・京都に決まってるでしょ!」
この人明らかに旅行って言ったぞ!合宿じゃないのかよ!と心で叫んでいる橘をよそに藤原たちは盛り上がっていた。
「京都!小学校以来だねー!」
「私修学旅行は京都じゃなかったんだよね。行きたかったんだー」
そんなんでいいのか、と思いながら盛り上がっている皆を見て、自分も盛り上がっている事に気が付いてなかった。
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五月
合宿決定から数週間。なるべく早く行こうぜ!という事でゴールデンウィーク中に行く事にした。今年のゴールデンウィークは暦の関係か何かで十連休なのだ。これを逃さない手はない、とのこと。
なんだかなぁ、と言いつつも楽しみにしながら大学生活を過ごす。
そしてゴールデンウィーク初日。
東京駅。朝九時。
「お、橘おっそいぞー」
藤原が手をブンブン振りながらこちらに呼びかける。周りを見るともう他のメンバーが到着していた。
「みんな早いですね・・・」
「いや?私達も今来たよ。安倍先輩なんか二時間前からいるって」
「はや?!」
ホームの端にいる安倍を見る。新幹線を見ながら子供みたいにはしゃいでいる。
「だって楽しみじゃん?!新幹線とか殆ど乗ったことないし!」
グレーのタートルネック、ネイビーのジャケット、白のパンツという大人おしゃれな服装をしてるのにそれが台無しだ。黙ってれば美人なのにな、と考える。
「よっしゃ!みんな揃ったことだし、新幹線に乗るぞぉ!」
おぉー!とみんな安倍につられ雄叫びをあげる。恥ずかしいので橘はさっさと一人で新幹線に乗る。
「俺橘の隣な!」
隣に勢いよく藤原が座ってくる。何故か腕まで絡ませてくる。
「気持ち悪いよ!変な勘違いされるだろ!」
「俺は橘のこと好きだぞ・・・?」
「やめろ!お前のはシャレにならない!」
通路を通る女子達が「仲良しだね」「末永くお幸せに」と言ってきたので必死に離す。
「橘なんか冷たいぞー?」
「んー、男の友情、そして友情を超えてさらに深い関係・・・!」
安倍がカメラを構えてパパラッチみたいな事をしだしたのでカメラのレンズを潰す。
「ま、楽しもーぜー!・・・橘彼女欲しいって言ってただろ?」
「え?・・・まぁ確かに・・・」
「なら今回の合宿はチャンスじゃないか?誰か女子でも誘って回れよ」
ウィンクして藤原は新幹線のトイレに行く。上手いことを言ったつもりなのだろうがそれは無いだろう。ムードさえあれば何とかなるのはイケメンの話だ。
「ま、確かに楽しむのに越したことは無いしな」
幸いサークルメンバーは仲がいい。楽しめるだろう。
「京都かー。・・・源氏物語のイメージが強いよなぁ」
新幹線の窓の外を見る。走り出した新幹線が、景色を変えていく。