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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編傑作選

毒殺に気づいて

 トントンと包丁がまな板を叩く音に、僕は心を憂鬱にする。

 台所を見ると、妻が料理をしている姿が目に入り、僕はさらに項垂れ、頭を抱えた。


 なぜ――。


 そんな疑問が頭をよぎる。

 なぜなら、妻はいつも料理をする人間ではない。どちらかと言えば、料理は嫌いなはずなのだ。だから、いつもは僕が作っている。


「今日は私が作るからね」


 それを聞いた瞬間、戦慄した。背筋が凍え、皮膚があわ立つ感覚。


「どっ、どうしたんだよ。急に」

「たまには……ね」


 なぜ、いきなり自分が作ると言い出したのか意味が分からない。僕は懸命に妻を引きとめたが、妻は「たまには自分が作る」と言い張りまったく聞く耳を持たなかった。


 なぜだ。なぜなんだ。


 心の中で反芻しながら、妻を見続ける。


 彼女は食材を鍋にぶっこむと、適当に調味料をおおさじで掬い上げ、これまたぶっこむ。計量するという概念は彼女の中には存在しない。ただ、適当にぶち込んでいるだけ。


 さらに言うなら、調味料だって適当だ。


 塩とメイプルシロップを間違えたり、砂糖とガラムマサラの区別がつかず、コーンフレークとコーンポタージュとコーンスターチを同じものだと思ってる様な奴にまともなものが作れるわけがないじゃないかっ。


 そして、それが常識であるかのように、当然の様に味見をしない。


 そう妻の料理はクソ不味い! クソ不味いのだ。おそらくは食いもんじゃないものが出てくるに違いない。


「ケーキって便利よね。お皿も洗えるのよ」


 待てよ、お前!


「洗う手間が省けるから、洗剤ひいてみたのよ。えへへ」


 ふざけるなっ!


「煮物にはバブよね。沸騰が早まるわ」


 はあ!? アホかっ!


 などとは言えず、心に溜める事、数年の月日が流れ今に至る。そんな思い出したくもない回想をしているうちにどうやら、妻の料理は完成したらしい。ピンクのミトンをした手に、煙を吐き出す鍋を持ちこちらに向かってくる姿が目に入る。


 ヤバイなあれは……。


 遠目にみただけで分かった。アレはヤバイ。


「やあ、今日は何を作ったんだい?」


 平静を装いながら、僕は訊く。


「うふふ、シチューを作ってみたの。牛乳が余ってたから」


 牛乳が余ってた? そう言えば賞味期限が過ぎたヨーグルトが冷蔵庫の中に転がってたな。などと、記憶を手繰り寄せながら、


 それなら、結構マシじゃね。

 などと、心の中でガッツポーズをする。


「……」


 そして、それが盛られた皿を見た瞬間、幻想は儚く砕け散った。

 言うなれば、それは地中海風大理石のコンクリート煮込みを地で爆走する何かだったのだ。ドロドロとした液体が「食べて。えへ」と僕に優しく語りかけてくる。


 えっ、食えるの? コレ……。


「さあ、食べて」


 ムカツクくらいに模範的な笑みを向ける妻に、僕も「ああ、もちろんさ。ハニー」とにこやかに笑みを返し、スプーンを入れる。ものすごい抵抗感、ただスプーンを入れるそれだけなのになんだ、この粘着は! スプーンを上げると、ビローンと伸びる。


 もう一度妻の顔を見る。相変わらずの笑顔で僕がそれを口に運ぶのを期待している。

 僕は諦めた。諦めて口に運んだ。


「っ!?」


 突然の脳がショートしたかのような感覚っ!

 苦いのか辛いのかも分からない。いや、臭いのかもしれない! ってそれはすでに味じゃないっ! アホか! アホなのか。ええ僕はアホです。って違うわボケェ!


 逆流する胃液、霞む頭。激しい嘔吐感とともに胸をかきむしりたくなる感覚が僕を襲う。


 ガタンッ!!


 派手な音と共に僕は椅子から転げ落ちた。


「ク……クソまじぃ……」


 ひゅうひゅうという呼吸音と共に、漏れた本音が妻に聞かれてしまったかもしれないと、食道が焼けるような痛みを堪えながら妻を見上げる。


 妻は涙を流していた。


「あなたが――のよ。あなたが浮気――するから――」


 妻の口がパクパクと動いているのが、微かに見える。ゴメンゴメンよマズイなんて言ってゴメンよ。だから泣かないでくれ。お願いだ。


「わかっ――わ。あの女――いのよ」


 ヤバイ、今度はすごく怒ってる。でも、お前だって悪いんだぜ。こんなクソ不味いもの作るから……。


「――って、あの女も――から」


 ああ、料亭の女将の料理食いてぇ。口直しがしてぇなぁ。

 最近行きまくってたのもあってか、舌が肥えすぎててダメージがやば過ぎる。


「!!!!」


 クソ、なんでこんなクソ不味いんだっ!

 クソ不味過ぎて死にそうだ。胃液が本格的に逆流しているらしい、なんかしらないけど口から白い泡が出てきた。


 ま、まずい誤魔化さないと。このままだとマズイと思っている事が妻にバレてしまう。

 笑顔だ。とにかく笑顔を浮かべるんだ!


「――……」


 くそう、不味すぎて息が出来ない……。


 マズイ――よぅ。マズスギテ……シヌ。


 ……………。




 その後、近郊の料亭に包丁を持った女が押し入り逮捕された。


 取調室で女が自分の夫を自宅で毒殺したと証言した事で事態は一変。証言の通り夫の体内と食べた料理から青酸系薬物が発見される事となり、殺人の容疑者として妻が逮捕される事となった。


 なお、毒殺された夫の死体は不自然にも満面の笑みを浮かべており見分をした警察官を大いに気味悪がらせたのだという。


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― 新着の感想 ―
[良い点] とても面白かったです! [気になる点] 奥さんがどのように浮気と勘違いしたのか。 ちょっと気になります笑 [一言] 旦那よ健気だな…?! なんと言うかもう、報われませんね。 まず話し合いを…
[良い点] とても面白かったです!! だんなさん、とはいえ助かるんだろうなぁと思っていたら、死んでしまって驚きました。すっきりまとまっていて読みやすかったです(^^) [一言] お料理が下手だった奥さ…
[良い点]  面白すぎます。どうしたらこんな素っ頓狂な台詞や間違いを思いつくんだろう。 [気になる点]  くすぐりは恐ろしく強烈なのですが、全体像としての物語性に少し欠けるというか、粗筋で考えるともの…
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