兄と私のいけない関係 二話目
今日は朝からカンカン照りだった。
これから二週間、山奥で世捨て人のような勉強だけの地獄の日々が始まる。
周りは険しい山道。文明とは遮断された陸の孤島。
なにがあっても逃げ出すことなんて出来ない。
当然、親も子供に連絡なんて出来ない─────
私は二週間分の着替えの入った旅行鞄をガラガラと転がしながら家を出た。
駅にある公衆電話の前に立ち、息を整える。
……よしっ。やってやる!
「もしもし?いつもお世話になっております。橋本 亜子の母なのですが……」
私は予備校へと電話をかけ、母のふりをして娘が体調を崩したので申し訳ないのですが合宿は休ませますと伝えた。
この2日間、私は予備校ではマスクをしたりフラフラしながら歩いたりと体調が悪そうなふりをしていたので、塾の先生はすぐに信じてくれた。
電話を切るとどっと汗が吹き出してきた。
緊張したけど…うまくいった。
でももうこれで引き返せない。
私は貯めていたお小遣いでチケットを購入し、東京行きの新幹線に乗った。
マサについてわかっていること。
喫茶店の店長。
場所は東京。
お店の名前は『ひまわり』
古くからあるお店。
私は以前スマホで該当しそうなお店をピックアップしたことがあった。
10件ほど見つかったのだけど…この中にあるかどうかなんてわからない。
でも、悩んでる場合じゃない。
私はコンビニで地図を買い、一件一件尋ねてみることにした。
最初のお店は随分前に閉店していた。
次のお店は年老いた夫婦が経営していた。
次も新しく出来たオシャレなお店で若い女性が店長をしていた。
他も潰れてパチンコ屋になっていたり、猫カフェだったり……
時間だけが過ぎていき、気が付けばだいぶ日も傾きかけてきていた。
喫茶店て閉まるの早いよね?
東京での移動代もこんなにかかるとは思わなかった。
もう財布の中には帰りのチケット代くらいしかない。
回れるのはあと一件だけ……
次がハズレだったらゲームオーバーだ。
今さらながら自分の無鉄砲さに頭を抱えてしまった。
最後に回るお店を決めて地図で調べてみると、駅からすぐのところにある商店街の中にあった。
改札を出て商店街の方に歩いていくと緩やかな下りの階段があり、その上から下町の商店街が見下ろせた。
眼下に広がるその街並みは、夕日をバックに赤く照らされ、古き良き時代を感じさせるノスタルジックな雰囲気を漂わせていた。
探していた喫茶店は商店街の一番端にあった。
昭和というかボロいというか味があるというか……
微妙な感じの外観だった。
綺麗に掃除して草木とか飾ったらレトロでオシャレな雰囲気にはなると思うんだけど……
ホコリのついた窓から中を覗くと誰もいなかった。
OPENて看板がぶら下がってるから開いてはいるよね……
「すいませ〜ん。」
遠慮気味にドアを開けて中に入ってみた。
中も外と同じ…古めかしい。
でもセンスは悪くないよね…この木の椅子だって見ようによっちゃアンティークで可愛い。
あの窓だってカフェカーテンで飾ったら……
「なにあんた、客?」
後ろから男の人に声をかけられビクっとなった。
私が店の中をチェックしまくってたから不審がられたみたいだ。
店長だろうか……太くて少ししゃがれた声。
顔を見たいけど緊張して振り向くことが出来ないっ。
私はその人に背を向けたまま椅子に座った。
なにか注文しないと…でもお金がないっ。
メニュー表に載っている美味しそうな写真に思わずお腹が鳴る。
朝から暑い中を歩き回っているのに、今日一日ろくなものを食べていなかった。
「すいません…100円で食べれるメニューってありますか?」
「あぁ?」
ドスの効いた不機嫌そうな声。
恐る恐る視線を上げると、額にシワを寄せながら怪訝そうに私を見下ろす男と目が合った。
その男は体の厳つい長身の男で、髪の毛は金髪、ゴテゴテのゴールドのアクセサリーをいくつも身に付け、派手なアロハシャツを着ていた。
ヤクザにしか見えない超強面の風貌……
「あ、あの…店長さんですか?」
「そうだけど。なに?」
「……店長って二人います?」
「普通ひとりだけだろ。」
この人がこの店の店長?
えっ……マサ?
店長はするどい目付きで私をひと睨みすると、そのまま厨房へと引き返していった。
怖かった…殺されるんじゃないかと思った。
あんなのがマサのわけがない。
イメージしてたのと真逆だ。第一画像と全然似てない。
一世一代の勇気を振り絞って東京へとやってきたのに……
結局無駄足だった。
これからどうしよう……
事情を話してルリちゃん家に一晩泊めてもらってから、合宿に合流するか……
でも…このまま帰ったらもう二度とマサには会えない。
悲しくて涙が出てきた。
落ち込む私の前にパンケーキの乗ったお皿が置かれた。
ふわっふわで生クリームや果物で飾られた甘い香りが漂うすっごく美味しそうなパンケーキ……
もちろん注文なんてしてない。
「あ、あの…これ……」
「試作品だから金はいらん。感想言って。」
店長はそう言って私の向かいの席にドカッと腰を下ろし、頬ずえをついた。
彼が作ったのだろうか?
そんな怖い顔で見つめられたら美味しいですとしか言えないのだけど……
目で食べろと威圧してくるのでスプーンですくい、口へと運んだ。
「美味しいっ。」
自然と口から言葉がこぼれた。
口に入れたとたんトロっととろける感じで、甘さ控え目で、でもバニラエッセンスが効いていて…クセになりそうな美味しさに思わずニヤけてしまった。
「ホントに美味しいですっ。」
「腹減ってたんだろ?全部食べろよ。」
店長は凄みのある目をフッと緩め、また厨房へと引き返していった。
お腹の音…聞かれてたんだ。
今の表情…少しだけあの画像に似てたかも……
その後もパクパクと食べていると、騒がしい少年達のグループが入ってきた。
銀色の髪の毛の子や顔中ピアスだらけの子、カラフルなアフロヘアーのデブ……
真っ黒の上下に身を包んだ、ガラの悪そうな少年らが全部で10人。
慣れた感じで奥のソファの席を陣取った。
あれって黒い特攻服だ…もしかして暴走族?
「うお!客がいるっしかも可愛いっ。」
そう言って銀髪の少年が私に近寄ってきた。
「ねえねえ名前なに?俺は銀次。いくつ?」
テーブルの上にちょこんと頭だけを乗せて、上目遣いでしつこく聞いてきた。
多分私より2.3歳年上だとは思うのだけど、黒いマスクで顔が半分隠れているのでよくわからない。
「俺と今からツーリング行かない?」
それって暴走行為ですよね?とは聞けない……
断ったら殴られるんじゃないかと思い固まっていると、店長が後ろから銀次を羽交い締めにした。
「おいっ銀次。俺の店でナンパすんな。殺すぞ。」
「ぐはっ…首締まってますから!ホントに死んじゃう!」
えっ……知り合い?
「パイセ──ン。メシ〜腹減ったー!」
アフロでデブの人がそう叫ぶと、店長は厨房からいくつかの大皿を持ってきてみんなの前に置いた。
みんなうめぇーと言いながら出されたご飯をがっついている。
「悪いな。あいつら俺の後輩なんだ。」
「いえ…大丈夫です。」
とは言ったものの心臓がまだバクバクしている。
後輩ということは店長も昔は暴走族だったということなのだろうか?
一瞬似てるかなと思ったのだけど…やっぱりこの人はマサのイメージとはかけ離れている。
そろそろ出ないと静岡に着く頃には夜になってしまう。
慌てて残りのパンケーキを平らげた。
「ごちそうさまでしたっ。」
厨房にいる店長にパンケーキのお礼を言ったのだが、片手を軽く上げただけでこちらを見ることはなかった。
もうここに来ることはないだろうな…なんだか寂しく思いながらドアを開けようとしたら、勢いよく誰かが入ってきた。
「大変だっマサ君!今そこで田中のばあさんがひったくりにあって…50万も取られたんだ!」
「あぁ?どんなやつだ?」
ひったくり?
50万なんて…大金だっ。
店長は暴走族達を引き連れて犯人探しへと飛び出していった。
ひとり残された私はどうしたらいいのだろう……
私が出たらお店に誰もいなくなっちゃうんだけど。
あれ…それよりも待てよ……
さっきのおじさん、店長のことマサって呼んでなかった?
私も慌てて店から飛び出した。
どっちに走っていったんだろうか……
キョロキョロとしながら歩いていたら、一台のバイクが近付いてきて私が肩から下げていた鞄をひょいと持ち上げた。
えっ……?
バイクは私の鞄と一緒に猛スピードで遠ざかっていく。
……今のって…ひったくり?
ウソでしょ?!サイフ盗られたら帰れなくなるっ!!
「待って!ひったくり────!!」
大声を上げて追いかけようとしたら、バイクの前に立ちはだかる店長の姿が見えた。
次の瞬間……
ひったくりが店長からラリアットを食らって吹っ飛ばされた。
ひったくりが宙を舞い、運転手を失ったスクーターが寝転がりながら地面を滑って行く……
それを見ていた暴走族達が大歓声を上げた。
私は目の前で繰り広げられた衝撃映像に、足が絡まってすっ転んだ。
「おーい。生きてっかー?」
店長は地面に伸びているひったくりの顔をパチパチと叩いた。
「おまえらこいつを警察に突き出しておけ。それと、これは田中のばあさんに返しといてやれ。」
店長は暴走族達にそう指示をすると、座り込んだままの私のところまで、盗られた鞄を持って走ってきてくれた。
「あんた鈍臭いな。ひったくられた時に転んだのか?」
いえ…あなたがラリアットを食らわしたのに驚いて転んだんです……とは言えない。
「ちょっとヒザ擦りむいてんな。」
「これぐらい大丈夫なんで。それよりも……」
立とうとしたら足首が痛くて店長にしがみついてしまった。
シャツの上からでもわかる筋肉の分厚さに、思わずカーっと赤くなる。
「ご、ゴメンなさいっ!」
「足ひねったのか?冷やさねえと。」
店長はそう言うと私の腰に手を回し、軽々と肩に担ぎあげた。
……って、なに?なんなのコレはっ?!
「わあ!パイセン!!なに女の子を米俵みたいに担いでるんすかっ?!」
まだ近くにいた銀次という人が驚いて声を上げた。
「怪我したから店まで運ぶんだよ。」
「だったら普通、お姫様抱っこでしょ?!」
「うるせえ銀次。てめぇこそ早くひったくりをお姫様抱っこして運べ。」
「なんでひったくりをお姫様抱っこするんすか?!」
ちょっと…もういいから早く運んで下ろして欲しい。
野次馬が集まってきてて恥ずかしい……
店長は私を店の奥にある部屋まで運ぶと、冷えたタオルで足首を冷やしてくれた。
ヒザの傷も、いいと言ったのにちゃんと消毒をして絆創膏まで貼ってくれた。
「腫れてはいねぇし、思ったよりは大丈夫そうだな。良かった。」
この人…見た目は怖いしぶっきらぼうな人なんだけど、すっごく優しいのかもしれない。
お金のない私に試作品だとか言ってパンケーキを食べさしてくれたし、ひったくりを捕まえるのに飛び出していったし……
マサ……なのかなぁ……?
厨房で、私のために氷を砕いてくれている店長の横顔をまじまじと見つめていると、その熱視線に気付いた店長が振り向いた。
「どうした?痛むのか?」
私を気遣う優しい眼差し。
やっぱりあの画像の人とそっくりだ─────
「私、シュウマイです。あなたはマサ?」
店長の瞳が明らかに動揺した。
私のことを食い入るように見つめたあと、顔を背けた。
「私マサに会いたくて東京まできたんです。」
「……悪いけど違うから。俺は太郎って名前だから。」
「さっきのおじさんはマサって言ってましたよね?」
店長がしまったといった感じで口を抑えた。
やっぱりこの人はマサだっ。
「私…家出してきちゃった。」
「はぁあ?!」
「だからマサの家に泊めてもらおうと思って。」
「ちょっと待て!俺は確かにマサだがあんたの知ってるマサじゃないっ。それにシュウちゃんて子も知らないっ!」
「私、自分のことはシュウマイって言いましたよ?」
「あっ。」
慌てすぎてボロが出まくっている。
私はもう一度、ゆっくりとした口調で尋ねた。
「マサ、ですよね?」
店長はもう言い逃れは出来ないと思ったのか、ため息を付きながら深く頷いた。
「ごめん…俺メールでは良い人ぶってたから。画像も昔のだし…こんなんでガッカリしたよな。」
「そんなことないっ。マサは想像通りの良い人だった。」
「元暴走族で、こんなナリしたやつが良い人のわけがないだろ……」
マサはもう一度ため息をついたあと、氷水で冷やしたタオルを絞って私の足首に乗せていたタオルと交換した。
確かに最初はヤクザみたいで怖いなって思ったけど、この優しさは本物だと思う……
「急に音信不通になるからすっげぇ心配した。」
「それは…母にスマホを解約させられたから……」
「解約?なんでだ?」
「私が約束を破ったから。私の両親、すごく厳しいの。」
「……そうか…厳しいのか……」
マサは宙を見つめ、なにかを思い出すような感じで舌打ちをした。
「親は合宿に行ってると思ってるから大丈夫。だからお願いっしばらく泊めて。」
「男の一人暮らしの家に泊まるってのが、どういう意味かわかって言ってるのか?」
母にスマホを解約されて以来、マサへの思いはますます強くなっていった。
マサが私の兄かどうかなんて、もうどうでもよくなっていた。
ただ…メールをしていたマサという人物にに会いたくてここまで突っ走った。
男の人に会いに行くということがどういうことなのか…私だって子供じゃない。ちょっとは期待しちゃってた部分はあった。でも……
実際にマサの分厚い胸板や太い腕を目のあたりにしてみると、生々しすぎて恥ずかしくなってきた。
「シュウちゃん…そういう顔を男と二人っきりの部屋ですんな。」
私の顔は耳まで真っ赤になっていた。
「どうして?」
「……勘違いされんぞ。」
「してもいいよ。私マサに会いたくて来たんだよ?」
「だからそういうことを言うなって!」
やっと会えたのに……
すがるような目で見つめてみたけれど、逸らされてしまった。
もう外は真っ暗だ。こんな時間に友達の家になんか行けるわけがない。
お金もないし、行くところなんてない。
「わかった。野宿する……」
「なに言ってんだ?女の子が野宿なんかしちゃダメだろっ?」
「じゃあ、泊めてくれるのくれないの?!」
「あぁもう勝手にしろっ!俺は二階で寝る!!」
マサは私を置いて逃げるように階段を駆け上がっていった。
メールではあんなに優しかったのに……
拒絶されてしまった……
好きだと思っていたのは
私の方だけだったんだ───────
私は朝早くから起きてマサのために朝ごはんを作っていた。
肉じゃがにだし巻き卵にお味噌汁。
喫茶店が洋風なメニューばかりだったので純和風の朝食にしてみたのだけれど……
テーブルに朝ごはんを並べて待っているとマサが二階から降りてきた。
「これ、シュウちゃんが作ったのか?」
「うん。お店にあった材料使わしてもらった。」
マサは私が作ったご飯を見て不機嫌そうに眉をひそめた。
「こんなことしなくていいから。」
少しでも好かれようと頑張ったのだが…どうやら逆効果だったようだ。
「じゃあお店を掃除する。洗濯もするし、買い物も行く。だから……」
「そんなこともしなくていい。」
きっぱりと断られてしまった。
今すぐ帰れと言われるのだろうか……
そりゃそうだよね。メールでしか知らない子がいきなり押しかけてきて泊めてだなんて…自分でも無茶苦茶だと思うもん。
シュンと落ち込んでいた私のおでこを、マサが指でコツンとはじいた。
「あんなぁシュウちゃん。ここにいる間は気楽にしてろ。」
えっ……
「メシぐらい俺が作ってやるから。気なんか遣うな。」
「……ここにいてもいいの?」
「ああ。ワガママだけ言ってりゃいいから。」
「……ワガママ…マサに言っていいの?」
「いいよ。なんでも聞いてやる。」
そう言ってマサは優しく微笑んでくれた。
私は小さい頃から親の言うことを聞くばかりでワガママなんて言った記憶がない。
そんな私に、マサはワガママを言えといってくれた……
「マサに嫌われたんだと思ってた。」
「俺がシュウちゃんを?そんなのあるわけないだろ。」
「だって昨日は……」
「あれ以上一緒の部屋にいたらヤバかった。」
「ヤバい?」
「シュウちゃん可愛いんだから、もっとちゃんと自覚しろっ!」
照れながらそう言うマサを見て、目の奥がジンと熱くなった。
やっぱり…東京まで会いに来て良かった。
嬉しくって、マサの胸に抱きついた。
「お、おいっ、シュウちゃんっ?!」
「マサも私のことギュってしてっ。」
「だから、こういうのはナシっ!」
「マサがギュってしてくれなきゃ離れないっ。」
私はネコみたいにマサの分厚い胸板に顔をスリスリした。
マサの顔がみるみるうちに赤くなっていく……
「マサ、ギュっは?なんでもしてくれるんでしょ?」
「あぁもうっ…勘弁してくれよ……」
マサは触れるか触れてないかわからないくらいの力で、私のことを柔らかく包んでくれた。