Prologue
とある平日の昼過ぎ.
「ママー! おひるなにー?」
「今お素麺茹でてるから,もうちょっと待っててね」
「はーい!」
アパートの一室では,その日は幼稚園が休みであったのか,未だ幼い子供が料理している母親へ甘えるべくサロンの中を走っていた.
「今日も暑いっすね〜」
「また35˚C越えだってよ.もう少しどうにかなってくれないもんかなぁ」
「本当そうですよ.それに社内クーラーガンガンに効かせてる所為で余計辛いのなんの」
「あれさ,寒いからもう少し温度上げてくれって言ってんのによ,若いのが暑い暑いって.お前らが体温高過ぎるんだよって言ってやりゃ,向こうはこっちが更年期障害だって言って来る始末だよ.本当最近の奴らは......」
「はははっ.前じゃそんな言い返して来るなんて考えられなかったですよね」
「んとそうだよ.それより,今日はどこ行く?」
「どこでもいいっすよ.あ,でも素麺だけはもう勘弁です」
「いいじゃねぇか素麺.こう言う暑い日にはうってつけのソウルフードじゃねぇか」
「えぇ......」
方や街中では,昼休みになり職場から流れ出てきた会社員でごった返していた頃.
唐突にも世界は眩い光で埋め尽くされた.
何処かが強烈に発光しているわけではない.地球の表面上,高度は精々圏界面付近であっただろうとされているが,空間内が全て光で満たされたのである.埃が溜まりレゴブロックが入り込んでしまうソファーの下も,会計報告の書類が入ったデスクの引き出しの中,更にはいっぱいいっぱいに様々な本が詰め込まれた本棚の全ての隙間までが平等に,均一な輝度の元に曝露したのである.
おおよそ数万カンデラ毎平米の白色光はほんの数秒だけ全てを包み込み,そして何事も無かったかのように消え去った.それがこの地上に大きな爪痕を残していなければ,お茶の間の話題にすらならなかっただろう.
後に終末閃光(The Great Glint,Annihilative Glint)と呼ばれるこの現象は,その名に見られる通り人類に壊滅的とは言わずとも多大なる損失をもたらした.人口密度の高い地域を中心に世界人口の大部分を消し去り,自然の比較的豊かな地域では人工物を風化させ植物が侵食,更には局所的な高濃度の放射能汚染やら人類を喰らう捕食者の出現やらにより居住不能地域が急激に増加した.
だからと言って滅亡する程人類は柔くない.恒常的な電波障害の所為で諸外国との連絡は月に一度取れれば良い方である為未だ正確なところは不明であるものの,この極東の島国に於いては,紆余曲折があったとは言え件の現象が起きて間も無く社会機能の復旧が試みられ,暫定的な社会構造が災害発生から数年で確立していた.
人口が大幅に減った事で都市部のインフラは一時期目も当てられない状態となっていた.特に当時,この国の政治中枢であり馬鹿げた程に全てが集約していた首都・東京ではライフライン停止により数年間は衰弱死が身近なものとなっていた程で,その機能を完全に失っていた.農村部にしても,瞬く間に居住区域を侵食してくる自然になす術も無く,小中規模の都市部へと人口が流入.その結果ちょっとした都市国家もどきを形成し,各種物資のやりとりを巡る自治体同士のいざこざに今度は頭を抱える状態になる.
ただでさえ貧しくなった生活レベルに追い打ちをかけたのが,居住不能地域から進出して来る様になった捕食者達である.田植えに精を出す若人から生き残った国道・自動車道を隊列を組み物資輸送する商隊まで無差別に襲い掛かり,捕らえられたものは四肢を噛みちぎられ,果てにはその腹部に歯を突き立てられ内臓を貪り食われると言う何とも無残な死に方をする.かと言ってホラーゲームに出て来るクリーチャーが如き“硬さ”は無く,ヒトと同じ様に火器で容易く殺せる.
そんな不気味な存在が徘徊し始めた頃と同時期,示し合わせたかの様に東日本から西日本への人口移動が始まった.理由は単純明快,彼の地が東日本に比べ比較的被害が少なく済んでいた為だ.生活の向上を求めた民衆は,当然より豊かな西日本を目指し始める.更には大阪で日本政府が再発足し国の中心が東から西へとシフトしていた事が決定打となり,人口の大移動が起こったとされている.
ここまでが災害発生から概ね10年と言った所だ.
人類の退去した東日本は正に魔境と呼ぶに相応しい場所と成り果ててしまった.
最早人間の住める場所ではないと方々で叫ばれる中,新政府は富山,岐阜,愛知県の東側県境を以って立入限界区域として定める.当時まだ存在した自衛隊岐阜分屯地も,東から合流した隊員による増強もあって濃尾平野周辺までなら安全圏の確保が出来ていた.かつて中部地方の中枢であった名古屋市にも人口が集まり,魔境と隣り合っていたにも関わらず活気に満ちた都市であったそうだ.
しかし悲しいかな,悲劇は繰り返した.
魔境魔境と言われ続けた東日本,特に首都圏を中心に,終末閃光により姿を消した人口の一部が何処からか戻って来たのである.これだけなら非常に喜ばしい話であるし,実際生き残っていた国民はこの事実に歓喜した.然し乍ら彼らが実際に目の前にしたのは,自らを“選ばれ進化した人類”と名乗る集団であった.
この言葉を裏付けするかの様に,彼らは様々な超能力を操った.そしてその力で以って,生き残った“旧世代”の人類を西日本へと押し込む.繁栄していた名古屋市など真っ先に目の敵にされ,その徹底的な弾圧により人々は名古屋を退去するしかなかった.
傲慢な態度で会談に応じた彼らの“代表”との取り決めにより,これ以上両者が干渉しない様,県境が立入限界区域に定められていた三県,即ち富山,岐阜,愛媛県を緩衝地帯とし,これらの西側県境が新たに保障区域として定められた.
こうして誕生した旧大都市を含む空白地帯は時に遺物回収業者の活動場所,時に犯罪者の隠れ蓑として使われる様になった.
名古屋市と言う大きな都市を失ったものの,封鎖された三県からの人口流入により関西地域の都市群は規模を増大させた.それは新政府が首都として定めた大阪に於いても同じであり,大都市では災害以前と同じとまでは行かないものの賑わいを取り戻していた.
災害によりその精神を疲弊させた者が心の拠り所を求めると言うのはごく自然な事だ.災害以前の社会に於いて唐突に出現し人気を博したゆるキャラも,一説によれば平成最後の大震災を発端にブームが起きたとされている.そしてこの行動原理は終末閃光後も健在であり,ポストアポカリプス,民衆の不安,そして如何なる環境下でも限度を知らぬ権力抗争と三拍子が揃えば,カルト宗教の台頭には十分であった.
不幸にも未だ行方不明となっている天皇に代わり,当初の公務は新政府に保護された██親王により執り行なわれていた.だが政権の確立と同時期に,社会背景を基に成り上がった一部の政治家とカルト宗教がタッグを組み,勘違いしたこれらが引っ張り出して来たのが南北朝以来の“正当な”皇室問題であった.まるで中世にでも逆戻りしたかの様な皇位継承争いの末,暗殺未遂に遭遇した親王は伊勢神宮に匿われる.同時期にこの抗争に乗じ神道の宗教的侵食を目論んだ件の宗教は,政治家らと共に伊勢神宮の明け渡しを要求し続けていた.東京都の滅亡後同神宮へ移植された神社本庁と新政権の対立が明確なものとなり,遂にはカルト宗教の十八番である犯罪行為による脅迫及びその実行が横行する様になる.一方で,彼等にとって想定外な事に,体制に不満を抱いていた一部の公務員,特に関東圏出身者が伊勢神宮へ加勢し始め自然と東日本からの移民勢力が形成された.無論新政府へ楯突いた公務員には自衛官も含まれ,法執行機関出身者達を中心に自衛機関が再編されその一部は伊勢神宮直属の親衛隊として敷地内に常駐した.
ここまでで終末閃光から概ね20年.
現在の日本を形作る動乱の時代.東日本が地図から消失して半世紀以上が経ち,かつての東京を知らない世代が増えつつある中,新しく発行された社会の教科書にならどれにでも記載されている歴史だ.強いて言うなれば,関東圏を占領した新人類の出現に遅れるものの翼人の出現と言う話題もあるのだが......未だ解決していない社会問題にしてはいささか凄惨なものと言えよう.
勘の良い子供は,教科書を読んで問う.
何故,どの様にして迅速に社会構造が再構築されたのか.
何故西日本は被害が少なかったのか.
何故大幅に人口が減ったにも関わらず,生活レベルは当時のものに限りなく近いのか.
日本人の社会性では,これら全てを説明出来ない.
偶然の結果は,あまりにも手際良く構築されている.
子供達を満足させられる答えを持ち合わせる人間は居なかった.少なくとも,彼らの手の届く範囲には.
先日,この退廃的な歴史に久しく登場しなかった,日本人の努力の結晶とも言うべき新たな項が加えられた.
蜂起した反新政府勢力が政権を握り,同時に発表されたのは思い上った政治家及び宗教団体の不正取引,数々の殺人等諸々の証拠であった.政治浄化の名の下に政治犯として収監されたこれらは過酷な環境下での強制労働に課せられればまだマシな部類であり,上層部は軒並み粛清される事によって事態の収束が図られた.
こうして再編の成された新政府が次に着手したのが,長年冷戦状態の続いて来た東日本勢力圏との和解であった.
いいスタートを切った作品でもハーレムに収束してしまうのが気に食わず自家生産した作品なので,多分トレンドの真逆を向いています.ご了承下さい.